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第102話 鍋の中から聞こえた声

第102話 鍋の中から聞こえた声


『……助けて』


鍋の中から。


もう一度。


声が聞こえた。


熊五郎の手が。


止まる。


「……」


実咲が。


熊五郎を見る。


「今の……」


「聞こえた」


熊五郎の声が。


低くなる。


『お願い……』


黒い出汁が。


グツグツと煮立っている。


その奥から。


かすかな声が続く。


「誰?」


実咲が。


鍋を覗き込む。


熊五郎が。


すぐに腕を伸ばした。


「見るな」


「でも――」


「今は見るな」


実咲は。


熊五郎の表情を見て。


黙った。


その顔は。


いつもの熊五郎とは違っていた。


料理をしている時の。


穏やかな顔ではない。


王として戦っていた時のような。


冷たい顔。


ガルドが。


熊五郎の隣へ立つ。


「知っている声なのか?」


「……ああ」


「誰だ?」


熊五郎は。


答えない。


鍋を見つめる。


『熊五郎……』


声が。


名前を呼んだ。


実咲が。


息を呑む。


「熊五郎の名前を知ってる……」


『お願い……』


『もう一度……』


『あの料理を……』


熊五郎の目が。


大きく開く。


「……違う」


「何が?」


「この声は」


熊五郎が。


首を振る。


「俺を呼んでるんじゃない」


鍋を。


じっと見る。


「料理を呼んでる」


その瞬間。


黒い出汁の表面に。


一つの光景が浮かび上がった。


――城。


燃えている。


巨大な炎。


逃げ惑う人々。


崩れ落ちる城壁。


そして。


その中央に立つ。


若い熊五郎。


今よりも。


ずっと険しい顔。


王の服を着て。


巨大な杖を握っている。


実咲が。


息を呑む。


「これ……」


熊五郎は。


何も言わない。


映像の中で。


若い熊五郎が叫んでいる。


『全員、城から出ろ!』


兵士たちが。


走っている。


『陛下!』


誰かが叫ぶ。


『まだ中に――』


『分かっている!』


若い熊五郎が。


振り返る。


その視線の先に。


一人の人物が立っていた。


顔は。


炎でよく見えない。


だが。


その人物は。


何かを抱えている。


鍋だった。


「……鍋?」


実咲が。


呟く。


熊五郎の顔が。


険しくなる。


「……あれは」


「知ってるの?」


「ああ」


熊五郎は。


小さく答えた。


「あの時、俺が作った鍋だ」


ガルドが。


驚く。


「戦場で料理を?」


「違う」


熊五郎は。


首を振る。


「戦うためじゃない」


若い熊五郎が。


鍋を受け取る。


その料理を。


兵士たちへ配っている。


一人。


また一人。


疲れ切った兵士たちが。


料理を食べていく。


食べた兵士の顔から。


恐怖が消えていく。


立ち上がる。


そして。


再び戦場へ向かっていく。


実咲が。


気づく。


「これ……」


「今と同じ」


熊五郎が。


答える。


「料理の効果が」


実咲は。


映像を見る。


「昔からあったんだ……」


「そうだ」


熊五郎は。


目を伏せる。


「俺の料理には昔から」


「……」


「人を戦わせる力があった」


その言葉に。


レオンが。


眉をひそめる。


「戦わせる?」


「違う」


熊五郎は。


すぐに否定した。


「生きるための力を戻しただけだ」


「じゃあ、どうして……」


実咲が。


聞く。


熊五郎は。


答えなかった。


映像が。


再び動き始める。


炎の中。


若い熊五郎が。


誰かを探している。


「誰を探してるの?」


実咲が聞く。


熊五郎は。


しばらく黙っていた。


そして。


小さく言った。


「……料理人だ」


「料理人?」


「ああ」


映像の中で。


若い熊五郎が。


叫ぶ。


『どこだ!』


『返事をしろ!』


『――頼む!』


初めて。


若い熊五郎の声が。


震えた。


そして。


炎の向こうから。


声がする。


『陛下……』


熊五郎の身体が。


固まった。


鍋の中の声と。


同じだった。


『料理を……』


『最後の料理を……』


若い熊五郎が。


炎へ走る。


『待て!』


しかし。


その瞬間。


城の天井が。


崩れ落ちた。


――ドォォォォン!!


映像が。


真っ黒になる。


実咲が。


息を呑む。


「……その人」


熊五郎は。


目を閉じた。


「死んだ」


「……」


「俺の目の前で」


しばらく。


誰も言葉を発しなかった。


すると。


鍋の中から。


再び声がした。


『……嘘だ』


熊五郎が。


目を開く。


『私はまだ――』


黒い出汁が。


大きく波打つ。


『ここにいる』


――ドクン。


鍋の底の黒い紋章が。


強く光った。


そして。


鍋から。


黒い手が伸びる。


実咲が。


すぐに光の魔法を放つ。


――パァン!


黒い手が。


弾き飛ばされる。


だが。


消えない。


「熊五郎!」


「分かってる!」


熊五郎が。


包丁を握る。


黒い手へ。


刃を向ける。


しかし。


切らない。


「……お前は」


熊五郎が。


低く呟く。


「本当にあの人なのか?」


黒い手が。


止まった。


『……』


「答えろ」


沈黙。


そして。


鍋の中から。


声が返ってきた。


『違う』


熊五郎の目が。


細くなる。


『私は――』


黒い霧が。


一気に膨れ上がる。


『お前が忘れた記憶だ』


「……!」


実咲が。


息を呑む。


黒い霧の中に。


次々と光景が浮かぶ。


燃える城。


倒れた兵士。


空になった食堂。


そして。


若い熊五郎が。


一人で。


巨大な鍋を抱えている。


熊五郎が。


呟く。


「……あの日」


「何があったの?」


実咲が聞く。


熊五郎は。


しばらく答えなかった。


そして。


静かに言った。


「俺は」


右腕の黒い線を見る。


「国を守るために」


「……」


「料理を作った」


その目に。


苦しさが浮かぶ。


「でも」


鍋の火が。


突然。


黒く燃え上がった。


「俺が作った料理が――」


熊五郎の声が。


止まる。


黒い炎の中から。


大量の声が響いた。


『助けて』


『苦しい』


『まだ死にたくない』


『陛下――』


実咲が。


耳を塞ぐ。


「やめて!」


熊五郎が。


鍋を掴む。


「黙れ!」


黒い炎が。


さらに燃え上がる。


熊五郎は。


歯を食いしばる。


「これは俺の記憶だ」


一歩。


鍋へ近づく。


「だったら」


包丁を。


鍋の中へ突き立てる。


――ズブッ。


黒い炎が。


一瞬で静かになる。


「俺が最後まで見る」


実咲が。


驚く。


「熊五郎……」


熊五郎は。


鍋を見つめた。


「逃げてたんだ」


「何から?」


熊五郎は。


答える。


「俺が王だった頃の」


一瞬。


声が震える。


「最後の日から」


そして。


鍋の底に。


新しい映像が浮かんだ。


そこには。


王冠を外し。


食堂の椅子に座る――


若い熊五郎の姿が映っていた。


そして。


その前には。


まだ生きているはずの人物が立っていた。


『陛下』


その人物が。


笑う。


『最後に一つだけ』


若い熊五郎が。


顔を上げる。


『料理を作ってください』


映像が。


そこで止まった。


熊五郎が。


呟く。


「……この続きだ」


包丁を握る手に。


力が入る。


「俺が忘れたのは」


黒い紋章が。


再び脈打つ。


「この後だ」


そして。


鍋の中から。


新しい声が響いた。


『思い出せ』



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