7.そうだ!権力を使おう!
私は宰相として、難しい判断や必要な指示を出すことを日々行ってきた。大概のことは問題なく事が運ぶ。
しかし、今、私は大変悩んでいた。重大な懸案事項だ。
まず、ハルが可愛い。非常に困ったことに、可愛い。
書類を読んでいる横顔も、真面目にペンを走らせる姿も、お茶を淹れている姿も。何をしていても可愛い。そこに存在していることが可愛い。
私は三十歳の男で、ハルは私より十二も下の十八歳だ。
客観的に見れば、三十歳の男が十八歳の青年を追い回している図が、かなり残念であることくらい、私にも分かっている。
しかし、魂の番の場合、年の差は関係ないと主張したい。そういうものだからだ。
そして、もうひとつ。ハルに私の家に住むことを断られ、私はかなり落ち込んでいる。
私は、ハルと少しの間も離れたくないし、姿を見ていないと心配で仕方ない。
今まで、誰にもこのような気持ちを抱いたことがない。いわば、初心者。どうしていいか分からないのだ。
とりあえずは毎日、ハルの送迎をすることにした。毎朝、馬車の扉が開かれハルが現れる。その姿を見るたびに光が舞い、思わず抱きしめたくなる。膝に乗せようとすると、毎回、静かに避けられるのはショックだ。
しかし、私は諦めない。いつか、受け入れてもらえるかもしれないからだ。
それに、ハルを膝に座らせたときの、あの最高の抱き心地。華奢な身体が羽のように軽く、腕の中にすっぽりと収まり、私の身体に沿うような感覚がする。できることなら、二十四時間抱いていたい。
私は執務机に座りながら、今日何度目か分からない溜め息をついた。
向かいに座っていた宰相補佐官のエドガーが、怪訝そうにこちらを見る。
「なんだ」
「いえ。今日だけで何度ため息をつかれているのかと思いまして。仕事で何か問題でも?」
「ある。とりあえず最優先事項はハルの席だ。どうにか、私の膝をハルの席にできないものか」
エドガーは黙った。
私は考える。
ハルが私の近くにいると、それだけで仕事が驚くほど捗る。ならば、もっと近くに置いても問題ないのではないか。どうにかハルを私の膝に乗せておく良い方法はないか、私は悩んだ。
そして、はっとした。私は宰相だ。
権力だ。私には権力がある。
ハルの席を私の膝にすることを命令として正式に出せば――。
「よく分かりませんが、やめた方がいいです。嫌われても知りませんよ」
エドガーが冷静に助言をくれる。
嫌われる、その言葉が私の胸を貫いた。
ハルに嫌われたなら、私は生きてはいけまい。
ハルが私を避けるようになり、目が合っても逸らされるようになり、名前を呼んでもらえなくなり、私の隣ではなく遠くの席に座るようになったら。私は耐えられない。
「やめよう」
エドガーは頷いた。やはり、エドガーは頼りになる男だ。
私は窓の外を見る。
もうすぐ終業時間だ。今日もハルを送ろう。
しかし、送迎のたびに思うが、そのまま帰すのが惜しい。私の屋敷に連れて帰り、夕食を一緒に食べたい。そのまま話をして、眠るまでそばにいてほしい。できれば、そのまま私の腕の中で眠ってほしい。
少しずつでいい。
少しずつ、私の隣にいることをハルは当たり前にしてくれないだろうか。
私はそんなことを考えながら、ハルの席を見た。
ハルがトイレから帰ってこない。心配だ。
絡まれてます。
いや、本当に。別に僕から絡みに行ったわけではない。ちょっとトイレに行こうとして、廊下の角を曲がっただけだった。そして、人とぶつかった。
「す、すみません!」
慌てて頭を下げる。幸い、相手の持っていた書類は落ちなかった。書類をばら撒くなんて、そんな大惨事は勘弁してほしい。
最近の僕は、アレクシス様と一緒にいるときだけは、あまり不運に見舞われない。だから、少し油断していた。
「君、大丈夫か?」
低く、よく通る声が降ってくる。
「はい。申し訳ありません」
顔を上げ、そして、固まった。
金髪だった。朝の光をそのまま閉じ込めたような、綺麗な金色。長さは首にかかるくらい。瞳は琥珀色。細身だが、身長は180cmはあるだろうか。
整った顔立ちで、アレクシス様とはまた違う華やかさがある。身につけている服も、一目で高級品だと分かる。
「新人文官かな?」
「はい。ハルと申します」
「ハル……」
その名前を、口の中で転がすように繰り返す。嫌な感じがした。僕の直感は、だいたい当たる。主に不運方面で。
「私はルシアン・ヴァン・アシュフォード」
アシュフォード家。王国でも有数の名門侯爵家だ。ちなみに、名前の「ヴァン」は当主かその嫡男の場合にのみつく。
そして、この人は――。
「外務大臣閣下……?」
「そう。正解だ」
ルシアン・ヴァン・アシュフォード。
アシュフォード侯爵家の嫡男であり、現在の外務大臣。外交を一手に担う、王国の重鎮だ。僕は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。大変失礼いたしました」
「そんなに畏まらなくていい」
アシュフォード閣下は笑った。けれど、その目は笑っていなかった。じっと見られる。
「君が、アレクシスのところの新人か」
アシュフォード閣下が僕を値踏みするように見る。
「アレクシスが新人を置いたという話は聞いていたが。君、アレクシスとは親しいの? ずいぶん気に入られていると聞いた」
まあ、何と言っても魂の番なもんで。とは言えず、僕はただ黙るしかない。
アシュフォード閣下が笑いながら僕に一歩近づいた。
「君、いいね。ビクビクしてて、いじめたくなる感じがとってもいい」
そして、僕の顔に手を伸ばした。
反射的に一歩下がる。けれど、背中が壁に当たった。さらに距離を詰められる。
まずい。これは、まずい。
誰か助けて。
そう思った瞬間。
「ハル」
空気が変わった。
聞き慣れた声に僕は、ぱっと顔を上げた。アシュフォード閣下越しに、廊下にアレクシス様が見えた。
「こんなところにいたのか」
アレクシス様は、いつもの無表情だった。
しかし、青い瞳が壁に追い詰められた僕を見た瞬間、一瞬だけ鋭く細められた。
アレクシス様がこちらへ歩いてくる。
「ルシアン。彼は私の補佐官だ。仕事の邪魔をするな」
アシュフォード閣下は少しだけ目を細めた。
「ただ話をしていただけだ。ずいぶん過保護だな、アレクシス。君らしくない。何か、別の理由があるのかな?」
アレクシス様はアシュフォード閣下を無視して僕の腕を取った。
「行くぞ、ハル」
そのまま引っ張られる。僕は慌ててアシュフォード閣下に頭を下げた。
「失礼します」
「……ハル君。また話をしよう」
その声に、僕は返事ができなかった。返事をする前に、アレクシス様に腕を引っ張られていた。
角を曲がり、アシュフォード閣下の姿が見えなくなったところで、アレクシス様の足が止まる。
「……ハル、あんなところで二人で何をしていた」
「何って……ぶつかっただけです」
「ぶつかった? ……どこだ。奴はハルのどこに触った?」
なんだか、ものすごく真剣な顔をしている。
「何も触ってません。ただ、ぶつかっただけです」
アレクシス様が僕を見る。青い瞳が深みを増し、いつもより近い。
そのまま、僕の手を握る。
「アレクシス様?」
「ルシアンと二度と二人きりになるな。私のそばにいろ」
確かに、アシュフォード閣下は何かよくない感じがしたので、できるだけ関わらないようにしようと思う。こんな時の僕の勘は良く当たる。僕はアレクシス様に向かって頷いた。
それに、アレクシス様のそばにいると、安心するし、運が良くなる気がする。アレクシス様は僕にとって、お守りのような存在なのかもしれない。
そのまま手をつないで宰相の執務室まで帰った。少しどきどきしたのは秘密だ。
しかし、結局トイレには行けなかったな。




