34.生まれる!
産休に入って、しばらく。
お腹は日に日に大きくなり、いよいよ動くのも大変になってきた。
歩くのだって一苦労だ。
お腹が大きくて足元が見えないので、どうしてもヨタヨタしてしまう。
そのせいか、アレクシス様が僕の周りをぐるぐるしていることが増えた。
僕が立ち上がれば、すぐに駆け寄ってくる。
少し歩けば、後ろからついてくる。
階段に向かおうものなら、まるで今にも倒れるとでも思っているかのような顔で手を差し出してくる。
「ハル、手を貸そう」
「ありがとうございます。でも、ゆっくりなら歩けますよ」
「しかし、足元が……」
「見えませんね」
だって、見えないものは見えない。
アレクシス様が心配してくれるのは嬉しいけれど、ずっと付き添われていると、さすがに少し落ち着かない。
とはいえ、僕自身も不安定なのは自覚しているので、結局、手を借りることが多かった。
それに、動かなければ体力が落ちてしまう。
食事も、以前ほど食べられなくなっていた。
お腹がいっぱいというより、胃が圧迫されている感じがするのだ。
少し食べただけで苦しくなる。
……難しい。
そんな僕を見て、アレクシス様は毎日心配そうな顔をしている。それどころか、最近では仕事まで休もうとする。
「今日は私も休もう」
「駄目です。アレクシス様が休んだら、国が傾きます」
宰相が夫の出産を心配するあまり、連日仕事を放り出していたらどうなるか。想像するだけでも恐ろしい。僕は傾国にはなりたくない。
結局、アーデル補佐官が毎日迎えに来てくれ、アンナさんと僕で説得し、なんとかアレクシス様を仕事へ送り出すことに成功している毎日だ。
それでも、出勤前には必ず何度も僕の様子を確認し、帰宅すれば真っ先に僕のところへ飛んでくる。
……本当に、心配性だ。
そんな日々を過ごしているうちに、予定日が近づいてきた。
もうすぐ、お腹の中のふたりに会える。楽しみな反面、出産を思うと緊張もする。それでも、ここまで来たのだ。
あと少し。
あと少しで、僕たちは家族が増える。そう思いながら過ごしていた、ある夜のことだった。
ん、痛い?痛いな。
お腹の痛みで、目が覚めた。
「……んー?」
じわじわと痛みが広がり、しばらくすると落ち着いていく。
寝ぼけた頭で考える。
そういえば今日、昼間も波みたいに痛くなることがあった。今は確実に定期的にきている。
……これは、もしや。
いや、まさか、でも予定日も近い。
僕は隣で眠っているアレクシス様の肩を揺すった。
「アレクシス様。起きてください」
「……ん、ハル?どうした?」
「……陣痛が始まったかもしれません」
その瞬間。
アレクシス様の目が、カッと見開かれた。
そして、ベッドからすごい勢いで転げ落ちた。
「えっ!?」
僕は度肝を抜かれた。
何が起きたのかと思っているうちに、アレクシス様は床から立ち上がり、勢いよく部屋を飛び出していった。
…………ええと。
大丈夫かな、アレクシス様。
僕が呆然としていると、廊下の向こうから慌ただしい声が聞こえた。
「ジャック! アンナ! 医者を! 産婆もだ! 早く!」
アレクシス様の声が響き渡る。その後、ジャックさんやアンナさんをはじめ、屋敷の人々が次々と部屋に集まってきた。
あっという間に出産の準備が始まる。
さすが、公爵邸。こういう時の対応は早い。
僕は痛みの合間を縫って、出産のために整えられた部屋へと移動した。
その間も、アレクシス様はずっと僕の周りをぐるぐるしていた。なんだか笑ってしまった。
僕がこれから出産するんですよ?
お願いだから、しっかりしてください。
陣痛が波のように来るたび、今まで経験したことのない痛みが襲ってくる。
「あーっ! 痛い!」
信じられない!
予想以上の痛みに、思わず声が出る。
痛い。本当に痛い。これを何度も繰り返すのかと思うと、心が折れそうになる。
アレクシス様は僕の手を握り、腰をさすってくれていた。
「ハル、頑張れ……!」
「頑張ってます……!」
「すまない!」
でも、腰をさすってもらえると、少しだけ気が紛れた。やがて医師と産婆が到着し、僕の状態を確認してくれた。
「双子のお子さんの頭の位置は、どちらも大丈夫ですよ。このまま進めましょう」
その言葉に、少しだけ安心する。
けれど、産婆は続けて言った。
「ただし、まだいきまないでくださいね。呼吸を整えて、痛みが来たらしっかり息を吐いて吸いましょう」
「む、無理です……!」
「大丈夫。赤ちゃんたちに会うためですよ。さあ、ゆっくり息を吐いて」
……会うため。
そうだ。この痛みの先には、ふたりがいる。
僕たちの子どもたちが。
「……頑張ります」
僕は、アレクシス様の手をぎゅっと握った。
「私がついているからな」
どうか、ふたりとも無事に生まれてきて。
元気な姿で、僕たちのところへ。
ハルが苦しんでいる。
私は、その姿をただ見守ることしかできなかった。立ち会い出産を希望したのは、私自身だ。
神からも、私がそばにいる方が、ハルの運は強くなる言われた。何より、私はハルと一緒に、この瞬間を迎えたかった。
それなのに。
痛みに耐えるハルを見ていると、やはり、私が代われるものなら、代わってやりたいと思ってしまう。
しかし、そんなことはできない。私はただ、ハルの手を握り、腰をさすり、汗を拭いてやることしかできなかった。
陣痛が来るたび、ハルは苦しそうに顔を歪め痛みに耐える。そのたびに、私の胸も締めつけられ、一緒に力んでしまう。
「ハル、水を飲もう」
痛みが少し落ち着いた合間に、少しずつ水分を取らせる。汗を拭き、乱れた髪を整え、また手を握る。そんなことを繰り返しながら、時間が過ぎていった。
陣痛が始まって、数時間。
人が生まれるというのは、こんなにも大変なことなのか。自分の母を見直した。
ハルは、私たちの子どもを産むために、こんなにも苦しんでいる。
それなのに、私は何もできない。
「……ハル。ありがとう」
そう言わずにはいられなかった。ハルは苦しそうにしながらも、少しだけ笑った。
「……まだ、これからですよ」
そうだな。まだ、これからだ。
私はハルの手を握り直した。
やがて、産婆から声がかかった。
「出口が十分に開きました。次の陣痛から、いきんでいきますよ!」
いよいよだ。ハルの表情が緊張する。
私は、その手を強く握った。
どうか、ハルも、子どもたちも無事に、全員、無事でいてくれ。
「いきんで! そう、その調子!」
産婆の声が響く。ハルが痛みと同時に必死に力を込めいきむ。何度もそれを繰り返す。
「あああっ……!」
「もう少し! 頭が見えてきましたよ!」
私は息を呑んだ。
頭が。もう、そこまで来ているのか。
「はい、次で生まれますよ! もう一度、しっかりいきんで!」
「ああああっ!」
「いいですよ!力を抜いて!」
その声と同時に、小さな産声が響き渡った。
「生まれました!女の子です!」
産声が響く。
その泣き声は、
私には奇跡の歌声のように聞こえた。
…………生まれた。
生まれたのだ!私たちの子どもが。
小さな、小さな命が、この世に生まれてきた。
「う……生まれた……」
言葉が、うまく出てこない。
涙で視界が滲んだ。
私は父親になった。守るべきものが、増えたのだ。今この瞬間から、私はもうひとり、大切な存在を守っていくのだ。
……いや。まてよ。
まだ、もうひとりいる。
「ハルさん、もう少しですよ!」
産婆の声に、はっと我に返った。
生まれた子は医師に手渡され処置と診察を受ける。
そうだ。
まだ終わっていない。
「二人目の陣痛が始まります。もうひと頑張りです!」
現実に引き戻された。
そうだった。双子なのだ。
まだ、もうひとりいる。
「赤ちゃんの位置は大丈夫ですからね。ハルさん、もう少し頑張りましょう!」
「は、はい……っ!」
ハルの顔には疲労が色濃く浮かんでいた。
それでも、ハルは必死に頑張っていた。
私は、もう一度その手を握った。
そして。
「さあ、いきんで! いいですよ、その調子!」
「あああっ!」
「もう少し! 頑張って!」
ハルが、最後の力を振り絞る。
「……っ、ああああ!」
「はい!力抜いて!!」
再び、産声が響いた。
初めて聞く我が子の声。
「生まれました! 今度は男の子です!」
……ああ、神様。
ありがとうございます。
心から、感謝いたします。
私たちの子どもたちを、この世に送り出してくださって。ハルを、無事にこの瞬間まで導いてくださって。
私は、言葉にならない感謝を胸に、何度も何度も神に祈った。
「……ハル、ありがとう」
ようやく口にできた言葉は、それだけだった。
ハルは息を切らしながら、それでも僕に笑いかけてくれた。
「はぁ……はぁ……ア……レクシス様……パパ、ですね」
その言葉に、目頭が熱くなる。
とうとう駄目だった。
私は泣いた。
もう、どうしようもなく涙が溢れる。
ハルが、私の子どもたちを産んでくれた。ふたりとも、無事に生まれてきてくれた。
それだけで、胸がいっぱいだった。
「は、はは……アレクシス様、泣きすぎですよ……」
ハルが、へろへろになりながら笑う。
「……抱っこしてあげてください」
そうだ。
私は父親になったのだ。
いつまでも泣いているわけにはいかない。
産婆が、まずは産着を着た女の子を私の腕に抱かせてくれた。
……小さい。
あまりにも、小さい。
恐る恐る腕を差し出し、そっと腕の中に抱き上げる。
ふにゃりとした体。
小さな手。
小さな顔。
そして、かすかな呼吸。
「……こんなにふにゃふにゃで、生きていけるのか?」
思わず、本音がこぼれた。
産婆が呆れたように私を見て笑う。
いや、だって。
こんなにも小さいのだ。
少し力を入れただけで壊れてしまいそうで、怖くて仕方がない。
次に、男の子も抱かせてもらった。
こちらも、小さい。
やっぱり、ふにゃふにゃしていた。
小さな手にはちゃんと爪もある。
可愛い。
ふたりとも少し小さめではあるが、今のところ元気そうだと説明された。
私は、交互にふたりを見つめた。
私たちの子ども。
こんなにも愛しい存在が、ふたりも増えた。
……私は、なんて幸せ者なのだろう。
涙が、また溢れてきた。世界が滲む。
もう、何度泣けば気が済むのだろう。
だが、仕方がない、嬉しいのだから。
その後、ハルは出産後の処置を受けた。
医師の診察では、幸い大きな問題はなく、出血も少なかった。
双子の出産ということで心配していたが、今のところは母子ともに落ち着いているらしい。
私は、ようやく胸を撫で下ろした。
ハルに水分を取らせ、汗を拭き、着替えを手伝う。しばらくは安静にしているようにとのことだった。
「……ハル、具合はどうだ?」
「大丈夫です……。ちょっと疲れましたけど」
「そうか……」
大丈夫だと言われても、心配は尽きない。
けれど、今はハルの言葉を信じて、休ませてやらなければ。
私はハルのそばに座り、その手を握った。
ハルは安心したように目を閉じた。
やがて、静かな寝息が聞こえてくる。
……よかった。
本当に、よかった。
私は、ハルの寝顔を見つめながら、そっと息を吐いた。
すぐそばには、私たちの子どもたちがいる。
小さな寝息。
小さな手。
生まれたばかりの、ふたつの命。
そのすべてが、愛おしかった。
私は、そっとハルの手を握り直した。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉だったのか、自分でもわからなかった。
神様にか。
ハルにか。
それとも、私たちのもとへ生まれてきてくれた、ふたりの子どもたちにか。
きっと、すべてだ。
私は、眠っているハルの額にそっと口づけた。
「……お疲れさま、ハル。ありがとう」
それから、ふたりの子どもたちを見つめた。
私たちの宝物。
私たちの未来。
これから、どんな日々が待っているのだろう。きっと大変なこともある。
眠れない夜も、心配することも、数えきれないほどあるだろう。
それでも。
この子たちが、ハルと一緒に笑ってくれる未来を想像すると、胸がいっぱいになる。
私は、ふたりの小さな手に、そっと指を差し出した。すると、きゅっと私の指を握った。
「……どうしよう。可愛い」
駄目だ。メロメロだ。
この手を一生大切に握っていたい。




