27.飲んだら飲まれる
グラント公爵邸・アレクシスの寝室
王城から、公爵邸へと急いで帰ってきた。王城で休ませることも考えたが、どうにも落ち着かず、結局連れて帰ることにした。
まったく、心配させてくれる。
私はハルをベッドに寝かせ、湯で絞った布で体を拭いてやり、着替えさせた。
私もジャックに手伝ってもらって着替えを済ませる。メイドたちが衣装などを回収して退室していき、ようやく一息ついた。
悪意を持つ者がいることは警戒していた。それなのに、少し目を離した隙にあんなことになるとは思わなかった。思わずため息が漏れる。
犯人には、すでに目星がついている。きっちりと制裁を加えるつもりだ。
だが、今は目の前の問題が先だ。私は先ほどのハルの様子を思い浮かべながら、ベッドの端に腰掛けた。
普段のハルはどこか遠慮がちで、私に甘えることさえためらうようなところがある。それなのに、酔ったハルは甘えて私の腕の中で、安心しきった顔をしていた。
そんなことを思いながら髪を撫でていると、ハルの瞼がかすかに動いた。
「……ん」
「起きたか?」
ゆっくりと目が開く。焦点の合わない瞳がしばらく天井を見つめたあと、ようやくこちらを向いた。
「……アレクシス様? ……ここ、どこですか?」
「私の寝室だ。王城から連れて帰ってきた」
ハルはぼんやりと頷いた。まだ酔いが抜けていないらしい。その様子に、またため息をつきそうになったが、次の瞬間、思いもよらないことが起きた。
「アレクシス様……」
ハルがこちらへ手を伸ばしてきたので、私は身を乗り出して覗き込んだ。すると、ハルは私の服をきゅっと掴んだ。
「……抱っこ」
!!?
今、何と言った?
「ハル。自分が何を言っているのか、分かっているか?」
「抱っこ?」
……いや、本当に分かっているのか?
普段のハルなら、こんなことを自分から言い出すはずがない。そもそも、私に抱き上げてほしいと、こんなにも真っ直ぐに甘えてくること自体が珍しいのだ。
「……抱っこ」
私は、いつものようにハルの身体をそっと腕に抱き上げ、膝の上に乗せた。まあ、私としては慣れたものだ。
「これでいいか?」
「はい……」
ハルは満足そうに頷くと、私の胸元に頬を寄せた。そして。
「……好き」
今度こそ、完全に言葉を失った。
「アレクシス様、大好き」
………………。
……誰だ、これは。
いや、ハルだ。間違いなく、ハルだ。
だが、普段の彼は、私が好きだと伝えても恥ずかしそうに俯いたり、視線を逸らしたりすることが多い。それなのに、今はどうだ。自分から私の胸に擦り寄り、大好きだと繰り返している。
……酒とは、恐ろしいものだ。
「ハル」
呼びかけると、ハルは顔を上げ、うるうるとした瞳で私を見つめた。
「大好きです……」
撃ち抜かれた! ど真ん中だ!!
駄目だ。これ以上、まともに顔を見ていられない。私は視線を逸らし、小さくはぁはぁと息を吐いた。心臓へのダメージが大きい。
こうも無防備な姿を見せられると、どうやって自分を抑えればいいのか分からなくなる。ハルは、分かっているのだろうか。
私が理性を馬車馬のごとく働かせている間、ハルは何かを考えるような顔をしていた。
やがて、突然何かを思い出したように私を見上げた。
「アレクシス様に、言わなきゃいけないことがあります」
「……何だ?」
真面目な顔を作りながらハルを見る。
「僕、夢の中で、神様と話してて」
「…………は?」
思わず聞き返してしまった。
神?
今、神と言ったのか?
「夢の中で? ……神と話す?」
「そうです」
ハルはふわふわとした様子ながらも、至って真面目な顔をしていた。冗談を言っている様子はない。酔ってはいるが。
「ハル、少し待て。私の理解が追いついていない」
ハルは不思議そうに首を傾げた。
私は真剣に混乱しているというのに、ハルは私の胸元に寄りかかったまま、構わず話し始めた。
「僕、生まれる前の記憶があって」
「…………そうか」
そう答えるのが精一杯だった。
生まれる前の記憶。神との対話。どれも簡単に受け入れられる話ではない。だが、ハルが嘘をついているようには見えなかった。酔っているからといって、彼がこんな話をでたらめに作り上げるとも思えない。
……明日、改めて聞く必要があるな。
そう考えていた、そのときだった。
「神様が言ってました。僕、もしかしたら……妊娠できるようになるかもしれないって」
「…………は?」
今度こそ、頭の中が真っ白になった。
妊娠。
今、確かにそう言った。
「……妊娠? ハルが?」
「はい。まだ分からないみたいですけど」
ハルは自分のお腹をそっと撫でた。
待て。少し待ってくれ。
そんな私の混乱などお構いなしに、ハルは私を見上げた。
「僕、アレクシス様の子ども、欲しいなぁ」
……駄目だ。本当に駄目だ。
私は思わず天井を仰いだ。様々な感情と混乱が一気に押し寄せる。
長い廊下を叫びながら全力疾走したい気分だ!
私の子ども。
ハルとの子ども。
……。
…………もう、何も考えられない。
ハルは私の胸に頬を寄せたまま、安心したように目を細めた。
「大好き……」
今度こそハルは目を閉じ、やがて静かな寝息を立て始めた。
私は腕の中で眠るハルを見つめ、ため息を吐いた。そっとハルの髪を撫でた。
「夢の中で神と話す、か……」
そんなことが、本当にあるのだろうか。
普通なら、夢の内容をそのまま信じることはできない。しかし、ハルのことだ。私の知らない何かがあったとしても、不思議ではないと思ってしまう自分がいる。
生まれる前の記憶。そして、妊娠できる可能性。どれも、明日になればもう一度確かめなければならない。
そして、それらが真実であるなら、その秘密が漏れないようにしなければならない。ハルの身が危険にさらされることになるからだ。
ハルは私の腕の中で小さく身じろぎしたが、目を覚ますことはなかった。私はその身体を抱き直し、額にかかった髪をそっと払った。
「……それにしても、私の子ども、か……」
先ほどのハルの声が、頭の中によみがえる。
――僕、アレクシス様の子ども、欲しいなぁ。
……まったく。今夜は、眠れそうにない。
明日は休日だ。
ハルは今夜のことを覚えているだろうか。
今度は、酒の力を借りずに。ハル自身の言葉で、私に伝えてもらおう。
そして、酒は禁止だ。
……私の理性が、いくつあっても足りない。
……いや、時々なら、少しくらい飲ませてみてもいいだろうか。
そんな事を考えながら寝顔を見つめる。
ハルは、私を信じきって眠っている。
「はぁ……。可愛い……」
もう一度ため息をつき、私はハルの身体をそっと抱き寄せ、一緒に横になり目を閉じた。
「……おやすみ、ハル」
今夜は何もしない。
ただ、こうして抱いていよう。
はぁ。
ハルが好きって言ってくれた。
大好きだって。




