26.おじちゃんへご挨拶いたします
アレクシス様は公爵であり、宰相。そのうえ、国王陛下が叔父にあたるという、実に華麗なる肩書の持ち主だ。
結婚にも国王の許可が必要らしいが、それはすでにもぎ取ったらしい。
そして今日、僕たちはアレクシス様の叔父にあたる国王陛下に結婚の挨拶をすることになった。
王城に着くと、僕たちはそのまま国王陛下のもとへ案内された。僕は、初めてお会いする。当然だけれど、ものすごく緊張する。
隣を見ると、アレクシス様はいつもどおりの様子だった。心臓に毛が生えすぎてると思う。
広くて豪華な応接室。そこに、その方はいらっしゃった。金色の髪にアレクシス様と同じ青い瞳。王としての威厳に圧倒される。
「よく来たな、アレクシス」
「ありがとうございます、陛下」
僕も慌てて頭を下げた。
「ハル・アシュフォード侯爵子息だな」
「はい。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「そう畏まらなくていい。顔を上げなさい」
言われて顔を上げると、国王陛下はしばらく僕たち二人を見つめたあと、優しく僕に声をかけた。
あ、笑うとアレクシス様に似てる。
「ハル君と呼んでいいかな?」
「はい!」
何だか、親戚のおじさんみたい。
それから、たわいもない話や近況を話した。
最後に陛下はアレクシス様へと視線を向けた。
「アレクシス、ハル君とは魂の番だと聞いた。今まで言えなかったが、お前の母親、シンシアにも、魂の番がいたのだ」
アレクシス様の表情が、ほんの少しだけ変わった。
「シンシアの魂の番は、当時、敵対していた国の騎士だった。父も悩んでいたが、どうしても二人を番わせてやることができなかった」
僕は黙って話を聞いていた。アレクシス様のお母様について、僕はまだ詳しいことを知らない。
「国同士が敵対していたからな。王として、あのとき父は国を選ぶしかなかった。私も何も言えなかった」
陛下は少しだけ寂しそうに笑った。
「シンシアにも、……お前にも、辛い思いをさせたと思っている」
アレクシス様は何も言わず、ただ静かに陛下の話を聞いていた。
「だから、お前はシンシアの分まで幸せになるがいい」
「……はい」
短い返事だった。それ以上は何も言わなかったけれど、ほんの少しだけ、アレクシス様の表情が柔らかくなった気がした。
「そして、ハル君」
「はい」
突然こちらを向かれて、思わず背筋が伸びる。
「アレクシスを頼む」
「……はい」
「こいつは何でも一人で抱え込む。これから先も、無理をすることがあるだろう」
「はい。僕がそばにいます」
そう答えると、陛下は満足そうに頷いた。
そして、陛下は僕たち二人に告げた。
「今度王城で開かれる夜会で、正式に婚約を発表するといい」
「承知致しました」
アレクシス様が答え、僕も続いて頭を下げた。
こうして、僕たちは国王陛下への挨拶を終えた。
その夜、アレクシスは国王の言葉を思い出していた。
『シンシアにも、辛い思いをさせたと思っている』
あのとき、アレクシスは何も言わずに聞いていた。
母にも、母なりの事情があった。そのことを、今まで考えたこともなかった。ほんの少しだけ、納得できたような気がする。
だがそれでも、母を許せるわけではない。
それでも、もし自分がハルと引き離されたらどうなるだろう。自分も母のようになるのだろうか。
……いや、無理だな。
そもそも、ハルと引き離された時点で、自分がまともでいられるとは思えなかった。
私はハルを失うくらいなら、何もかも捨てるだろうな。
そして婚約を発表する夜会当日。
グラント公爵邸では、夜会への参加の準備が進められていた。
「できましたよ、ハル様」
アンナさんとメイドさんが、僕の衣装を整えてくれた。
「ありがとうございます」
僕は鏡の前に立っていた。
黒を基調とした正装は、普段よりも格段に華やかだ。それでも、着られている感は否めない。僕らしいといえば僕らしい。
最後に、アンナさんが小さな箱を取り出した。
「では、こちらを」
「これは?」
「アレクシス様から、ハル様へお渡しするよう申しつかっております」
箱を受け取り、蓋を開ける。
中に収められていたのは、深く澄んだ青色の宝石をあしらったクラヴァットピンだった。どこか見覚えのある色だ。
「……綺麗ですね」
「旦那様の瞳の色ですね」
「……あ」
言われて、ようやく気づいた。確かに、アレクシス様の青い瞳と同じ色だ。
「これを、アレクシス様が?」
「はい。今夜の夜会で身につけてほしいとのことです」
アレクシス様が、自分のために選んでくれた。
そう思うと、自然に頬が緩んだ。嬉しい。
「……分かりました」
僕はアンナさんに、ピンを胸元へ留めてもらった。
鏡を見ると、黒い正装に深い青の宝石がよく映えていた。アレクシス様の瞳と同じ色が、胸元で静かに輝いている。
「よくお似合いです」
「ありがとうございます」
コンコンコン、とノックが響いた。
メイドさんが応対してくれ、振り返ると、アレクシス様が立っていた。
宰相としての正装に身を包み、胸元には茶色の猫目石のピン。普段よりも一層凛々しい姿に、思わず見とれてしまった。
アレクシス様と目が合う。
「……似合っている」
「ありがとうございます」
アレクシス様の視線が僕の胸元へ向かい、青い宝石に留まった。
「つけてくれたのだな」
「はい。ありがとうございます」
僕はピンに触れた。
「とても綺麗です」
「気に入ったか?」
「はい」
アレクシス様は僕の胸元へ近づき、宝石にそっと触れた。
「ハルに似合うと思った」
そんなことを真顔で言われると、少し困る。嬉しいけれど、恥ずかしい。
「大切にします」
「ずっと身につけていてほしい」
僕は思わずアレクシス様を見た。その表情は、いたって真剣だった。
「私の婚約者だからな」
僕は思わず笑った。
それから、胸元の宝石を指でそっと撫でる。
アレクシス様が、自分の瞳と同じ色を選んでくれた。そのことが、なんだかとても嬉しかった。
やがて馬車の準備が整い、僕たちは並んで玄関へ向かった。
今夜、王城で二人の婚約が正式に発表される。
緊張する。久々に手と足が一緒に出そうだ。
王城に到着すると、僕は思わず息を呑んだ。
「……すごい」
職場ではあるけれど、夜会のために整えられた王城は、普段とはまるで違っていた。
廊下には色とりどりの花が飾られ、壁には細かな装飾が施されている。そして、案内された大広間は、想像していたよりもずっと広かった。
天井から吊り下げられた大きなシャンデリアの蝋燭の光がきらきらと輝いている。夜なのに昼のように明るい。その下には、すでに大勢の貴族が集まっていた。
当然だけれど、僕には見覚えのない人ばかりだ。皆、華やかな衣装に身を包み、楽しそうに談笑している。
その中を、アレクシス様にエスコートされながら、並んで歩く。視線が集まっているのが分かった。
……緊張する。
「ハル。大丈夫だ。私が隣にいる」
アレクシス様が小さく声をかけてくれた。
「……はい」
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
やがて楽団の演奏が止まり、会場にいた貴族たちが一斉に静かになった。
国王陛下が入場されるのだ。
全員が頭を垂れた。僕も慌ててそれに倣う。
国王陛下が壇上へ上がり、会場を見渡した。
「皆、顔を上げよ」
僕たちが顔を上げると、陛下は穏やかな笑みを浮かべていた。
「本日は、皆に知らせがある」
会場が静まり返る。
「我が甥であり、宰相を務めるアレクシス・ヴァン・グラント公爵が、このたび婚約した」
ざわり、と会場が揺れた。僕の心臓も大きく跳ねる。
「相手はハル・アシュフォード侯爵子息だ」
改めて公に告げられると、なんだか現実味が増した。
陛下が僕たちを見る。
「二人とも、おめでとう」
次の瞬間、会場いっぱいに拍手が響いた。
「おめでとうございます!」
「グラント公爵、おめでとうございます!」
「アシュフォード侯爵子息も!」
たくさんの祝福の声が飛び交う。僕は少し戸惑いながらも、頭を下げた。
「ありがとうございます」
隣を見ると、アレクシス様も貴族たちへ軽く頭を下げていた。
……すごい。
本当に、婚約したんだ。
そんなことを考えていると、ふと、嫌な視線を感じた。
ちらりとそちらを見ると、何人かの貴族がこちらを睨んでいた。明らかに好意的ではない。
僕が庶民だったことを知っている人もいるのだろう。
そりゃ、面白くない人もいるよね。
そう思っていると、アレクシス様が僕の手を取った。
「気にするな」
「……分かりました」
どうやら、アレクシス様も気づいていたらしい。
それでも、誰も嫌がらせや、直接的な攻撃はしてこなかった。
聞いた話では、最近、王都ではこんな噂が流れているらしい。
ハル・アシュフォードに手を出せばグラント宰相に容赦なく潰される。
僕は隣にいるアレクシス様を見た。
……噂ではないのかもしれない。
その後も、アレクシス様と一緒に大勢の貴族たちへ挨拶をして回った。
ようやく一段落した頃には、すっかり疲れてしまっていた。
アシュフォード侯爵夫妻もいらっしゃっていて、ほっこりした。侯爵様は、今日も苺の飴を握らせてくださった。
今、アレクシス様は先ほど挨拶をした相手と話をしている。僕は少し離れたところで、その様子を眺めていた。
少し疲れたな。
そんなことを考えていると、近くのテーブルに飲み物が並んでいるのが見えた。
取りに行こうかと迷っていると、近くにきた給仕がグラスを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕は礼を言ってグラスを受け取った。中身を眺めると、透明感のある綺麗な色をしている。
ジュースかな?
何の疑いもなく口をつけた。
「……ん?」
甘い。でも、少し変な味がする。もう一口飲んでみた。なんだろう。口の中が少し熱い。喉も。
「ハル?」
なんだか身体がぽかぽかしてきた。視界も少しだけふわふわする。
「……あれ?」
アレクシス様の顔が、いつもより近くに見える。
「ハル? どうした?」
アレクシス様が僕の手元のグラスを見る。そして、一瞬で表情が変わった。
「……酒だ。ハル、誰から受け取った?」
「……給仕の人です」
僕は手元のグラスを見つめた。
そういえば、僕は今までお酒なんて飲んだことがなかった。そもそも、これがお酒だと分かるはずもない。
「……そういえば、僕、お酒を飲んだことなかったです」
アレクシス様が少し焦っている。
そう答えながら一歩踏み出した瞬間、足元がふらついた。
「……あ」
「ハル!」
アレクシス様の腕が、すぐに僕の身体を支えてくれた。
なんだか眠くなってきた。
周囲がざわざわしている。何人かの貴族が、こちらを見て笑っていた。
……ああ、わざと強いお酒を渡されたのかな。
アレクシス様の腕の中は暖かくて、安心する。
「アレクシス様……、すみません。夜会……」
「そんなものはどうでもいい。挨拶は終わった。帰ろう」
「……陛下に退席のご挨拶を……」
「それもいい」
アレクシス様の声が、少しだけ低くなった。
僕はそのまま、アレクシス様に身体を預けた。もうダメだ。意識が保てない。
油断したなぁ。
アレクシス様と、ちょっと踊ってみたかった。
せっかく練習したのに。




