25.過去の自分へ
結婚に向けて、いろいろと準備をしなければならない。
式の流れや会場、衣装のこと、招待状のこと。考えることは、思っていたよりずっと多い。婚約も急いで決めたので、挨拶なども中途半端だ。果たして半年で間に合うのだろうか。
僕は気が遠くなりそうだった。こんな状態だから、アレクシス様には、子どものことや神様のことは、落ち着いてから話そうと思う。
そういえば、と僕は気づいた。
アレクシス様の家に来てから、しばらく経つ。なのに、僕はほかのご家族に会ったことがない。
……今さら気づくのもどうかと思うけど、思い返してみれば、会話の中にもご家族の話はほとんど出てこない。
日々の生活でも特に不自然に感じることがなかったから、今まで気づかなかった。
何かあるのかな。
結婚式の準備もあるし、招待状を送る相手についても考えなければならない。聞かない方がいいだろうか。
でも、僕もアレクシス様の家族になる。この機会に、いろいろと聞いておくべきなのかもしれない。
「アレクシス様」
「ん?」
「アレクシス様のご家族のことなんですが……」
僕がそう切り出すと、アレクシス様は少しだけ目を伏せた。けれど、すぐにいつもの表情に戻り、頷いた。
「ああ。そうだな」
そして、少し考えてから口を開いた。
「その前に、まずは家令を紹介したいんだ。忙しく働いてくれているから、なかなか王都には呼べないんだが、ちょうど今日の午後、用事があってこちらに来るんだ」
「家令?」
その日の午後、家令はグラント公爵家のタウンハウスにやってきた。
「ハリソン・コール。普段は領地の経営を任せている」
そうして紹介されたのが、家令のハリソン・コールさんだった。グレイヘアの渋い男前で、物腰の柔らかい人だ。
アレクシス様はハリソンさんを紹介しながら、いつものように僕に笑いかけた。
「……旦那様?」
ハリソンさんは、その様子を目を見開いて見つめていた。
僕を見て、それからアレクシス様に視線を移し、もう一度僕を見た。
???
ハリソンさんは、わなわなと震え始めた。
「旦那様が……!」
そう叫ぶと、突然その場にうずくまった。
「笑っておられる……!」
「普通に笑うだろう」
僕は突然のことにびっくりしたのだが、アレクシス様は慣れているのか、何事もなかったかのように受け流している。
そして、なぜかハリソンさんは僕の方へゆらゆらと這って近寄ってきた。
走って逃げてもいいやつかもしれない。
そんなことを考えている間に、ハリソンさんは僕の足に縋りついた。ひぃ。
「ハル様……!」
「は、はい!」
「どうか……どうか、これからも旦那様をよろしくお願いいたします……!」
「え、あの……」
涙まで流している。号泣といっていい。
……鼻水、拭いてください。
「ハリソン」
低い声が響いた。
「大変失礼いたしました。私としたことが、我を忘れてしまいました」
ハリソンさんは即座に姿勢を正し、ハンカチで顔を拭きながらその場に正座した。それでも、涙は止まらないようだった。
そんな紹介を受けたあと、僕たちは庭園の見える明るいサロンに移動した。大きな窓を開けると、気持ちのいい風が吹き抜ける。
そこで、お茶をしながらアレクシス様の家族の話を聞くことになった。
「父は、数年前に亡くなった」
アレクシス様が静かに話し始めた。
そういえば、当時話題になっていたような気がする。
「……そうだったんですね」
少し間を置いてから、アレクシス様は続けた。
「俺にあまり興味がなく、必要以上に関わることもなかったな」
母親はどうだったのかと尋ねると、アレクシス様は静かに答えた。
「母は国王陛下の妹だ。父と母はお互いに愛し合ってはいなかった。母は早くに亡くなったが……母も、俺には冷たかったな」
アレクシス様のお母様は、アレクシス様を産むとすぐに別邸へ移り、そこで暮らしていたらしい。年に数回、顔を合わせることがあればいい方だったという。
「国王陛下は、妹である母を可愛がっていた。だから、俺と母の関係も知っていて、よく気にかけてくださった」
アレクシス様は、どこか遠くを見るような目をした。
「両親の仲はずっと冷え切っていた。子どもの頃からそれを見ていたからな」
アレクシス様が結婚に興味を持たなかった理由のひとつが、ようやく分かった気がした。
「結婚っていうものに、あまりいい印象がなかったんだ。まあ、それでも俺にはハリソンがいたし、ジャックもアンナもいた」
アレクシス様は少しだけ笑った。
ハリソンさんは、うんうんと頷きながらハンカチで涙を拭いている。
「もう家族みたいなものだったからな。寂しくはなかった」
アレクシス様はそう言った。
でも、そう言ったアレクシス様の顔は、すごく寂しそうだった。
「アレクシス様」
僕は、アレクシス様を抱きしめた。
「……ハル?」
驚いたような声が、頭の上から降ってくる。
「僕は、もっと早くにアレクシス様と出会いたかったです」
そう言って、僕は腕に少しだけ力を込めた。
「……ありがとう、ハル」
教えてやりたい。
過去の、幼かった私に。
寂しがりだったあの頃の私に。
いつか、こんなふうに抱きしめてもらえる日が来るのだと。
ハルに出会うことができる。
だから、大丈夫。大丈夫だよ、と。
そう、教えてやりたい。




