20.本当にそれでいいのか?
ハルと婚約が決まった。
今度、正式に婚約式を行う。
そのときに、ハルへ指輪を贈りたいと思った。婚約の証となるものだ。この国では婚約する場合、婚約式を行い、指輪などの宝飾品を贈り合う。
そこで私は、休日に執事のジャックに商人を呼ぶよう伝えた。
やって来るのは、フレイ商会。
王都でも名の知れた大商会で、宝飾品だけでなく、衣服や食器、家具など、さまざまな品を幅広く扱っている。品質の良さでも知られ、貴族からの信頼も厚い。
今回は、ハルにも同席してもらう。私とハル、二人で選びたかった。
やがて、フレイ商会の商人が屋敷へやって来た。
ノックの後、扉が開く。
使用人に案内されて応接室に入ってきた男を見て、私は思わず目を細めた。
赤い髪に、ペリドットを思わせる緑の瞳。
身長は190cm近くあり、服の上からでも分かるほど筋肉質な体つきをしている。商人と言うより、騎士の方がしっくりきそうな見た目だ。
高級そうでありながら嫌味のない、洗練された服装。整った顔立ちには、商人らしい愛想の良い笑みを浮かべている。
――この男は、やり手だな。
そう思った、次の瞬間。
「カシムにいちゃん!」
隣にいたハルが、ぱっと顔を輝かせながらソファから立ち上がった。
そして――私の目の前で、その男に駆け寄り飛びついた。文字通り、飛びついた。
私は固まった。私のハルが、知らない男と密着している。しかも、ものすごく嬉しそうに。
「久しぶりだな、ハル!」
男――カシムは、嬉しそうにハルを腕に抱き上げた。
ハルは抵抗するどころか、そのまま笑って、カシムの首に腕を回して抱きしめる。
私は無意識に立ち上がっていた。
ハルは、一見すると明るく人懐こそうに見えるが、警戒心の強い猫のようなところがある。
私やエドガーたちにも、最初から懐いたわけではない。
人との距離を取ることも多いし、自分から誰かに触れることも少ない。
それなのに、べったりだ。信じられない!
「……ハル?」
私の声に若干の低さが混じった。それに気づいたのか、ハルがこちらを見る。
「あ……!」
ようやく我に返ったらしい。
ハルはカシムの肩を軽く叩き、床に降ろしてもらうと、少し慌てたように私のそばへ戻ってきた。
「すみません」
「……いや」
平静を装う。
だが私は今、全身震えているかもしれない。
「知り合いか?」
「はい。孤児院にいた頃に、一緒に育った人です。商家に養子として引き取られたんです。すごく優秀だったから」
ハルがカシムに笑いかける。
「なかなか会えなくなったんですけど、時々、孤児院に様子を見に来てくれていました」
なるほど。
つまり、ハルにとっては兄――家族に近い存在ということか。
……それなら、先ほどの距離の近さも理解できる。
カシムがこちらへ向き直った。
「お初にお目にかかります。カシム・フレイと申します。フレイ商会から参りました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
「ああ。こちらこそ」
互いに挨拶を交わす。
その間にも、カシムの視線は何度もハルへ向いていた。
やがて、カシムが私にハルとの会話の許可を求めてきた。
「少し、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
ハルも話したそうにしていたため、私は許可する。
さっそくカシムがハルに話しかけた。
「しかし、久々だな。元気だったか? なかなか会いに行けなくて悪かったな。ところで……何で公爵様の屋敷にいるんだ?」
カシムが不思議そうに尋ねる。
ハルは少し照れたように笑い、私を見る。
「僕、今度、公爵様と婚約するんだ」
「……何?」
カシムの表情が固まった。
先ほどまで浮かべていた笑顔が、きれいに消える。
「婚約……? そんな話、聞いてないぞ」
「最近決まったばかりだから」
ハルは少し困ったように笑う。
「僕、宰相執務補佐官として就職したんだ。アレクシス様とは、そこで出会ったんだよ」
「……そうか」
カシムが私を見る。その視線には、先ほどまでとは違う何かがあった。
私はそれに気づかないふりをして、声をかける。
「そろそろ、品を見せてもらおうか」
「そうですね。失礼致しました」
商人としての顔を取り戻したカシムが、持参した品を並べ始めた。
トレイの上に、いくつもの指輪が並んでいる。
宝石のついたものや細工が美しいもの、いかにも高価そうなもの。
ハルは一つ一つ、真剣に眺めていた。
「こちらは最近、王都の貴族の間で人気の商品です。こちらは希少な宝石を使っております」
ハルは目を輝かせるものの、なかなか手を伸ばさない。
「気に入ったものはあるか?」
私が尋ねると、ハルは少し考えてから、いくつかの指輪を指差した。
「これとか、これがいいかなと思います」
最終的に、二つまで絞り込んだ。
その中からハルが選んだのは、驚くほどシンプルな指輪だった。細身で、青い石が埋め込まれただけの、余計な装飾がない指輪。
「これにします」
ハルは指輪を見つめながら、静かに笑った。
「高いものはいりません。これも僕からしたら十分高いですけど……」
そして、指輪を大切そうに見つめる。
「ずっとつけておきたいので、僕はこれがいいです。青い石がアレクシス様の瞳の色みたいだし」
胸の奥が、熱くなった。
ハルが、私の色をずっと身につけたいと、そう言ってくれた。
「私も、それがいい」
「本当ですか?」
ハルが明るく笑う。
……可愛い。
思わず頬が緩みそうになる。
だが、向かいに座り、それを見ていたカシムは、なぜか険しい顔をしていた。
「では、こちらで承ります」
カシムは商人としての笑顔を作る。
「後日、改めてサイズを調整し、指輪を収める箱もご用意いたします。婚約式までに、きちんと仕上げてお届けいたします」
「ああ。頼む」
買い物が終わり、カシムは連れてきた店の従業員に帰り支度を任せると、ハルへ声をかけた。
「ハル。少し二人で話せないか?」
ハルが私を見る。
「アレクシス様……」
「この屋敷内であれば構わない」
そう答えると、ハルはほっとしたように笑った。
「ありがとうございます」
私は二人を見送った。
先ほどの部屋から少し離れた、一回り小さな応接室へ、ハルとカシムは移動した。
二人きりになった部屋で、カシムはハルと向き合う。
そして、じっとハルを見つめたあと、その両腕を優しく掴んだ。
「……無理強いされてないか?」
ハルが首を傾げるのを見ながらカシムは続けた。
「孤児院を出てから、ずっと考えてたんだ。いつか、お前を俺のところへ呼んで、俺がお前の面倒を見てやろうって。何なら、今からだって」
「カシム兄ちゃん……」
カシムは真剣な顔でハルを見る。
「本当にいいのか? 公爵様と一緒になったら、きっと苦労することもある。身分だって違う。お前が傷つくことになるんじゃないか?」
ハルは少し考えた後、ゆっくりと笑った。
「ありがとう。でも、僕の意思だよ。それに、僕たちは魂の番なんだ」
カシムの目が見開かれ、言葉に詰まる。
やがて、カシムは少しだけ寂しそうに笑った。
「そうか……魂の番か」
小さく呟いたあと、視線を伏せる。
「……俺が番だったらよかったのにな」
「え?」
最後の言葉が、ハルには聞き取れなかった。
カシムは首を振る。
「いや。分かった。お前が自分で決めたことなら、俺が口を出すことじゃない」
そして、いつものようにハルの頭を軽く撫でる。
「でも、もし困ったことがあったら、いつでも俺のところに来い」
「兄ちゃん、ありがとう」
ハルが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、カシムも笑った。
アレクシスが先ほど指輪を選んだ部屋で座って待っていると、二人が戻ってきた。
カシムがアレクシスの前に立つ。
「公爵様。……ハルを大切にしてください」
まっすぐな言葉だった。
カシムの目と言葉から、アレクシスには、彼がハルをどれほど大切に思っているのかが分かった。
おそらく、ただの兄のような気持ちだけではないことも。
「分かっている」
アレクシスは、それだけ答えた。カシムも、それ以上は何も言わなかった。
「それでは、本日はありがとうございました」
そう言って、カシムは笑い、屋敷を後にした。
姿が見えなくなるまで、カシムの乗った馬車を見送る。
そして、アレクシスは隣にいるハルをこっそり見る。
私のハルは、どうやら人からの好意に無自覚らしい。気をつけなければ。
油断すれば、誰かに奪われてしまうかもしれない。絶対に、ハルの手を離さないようにしよう。そう思いながら、カシムの言葉を思い出す。
アレクシスは改めて、ハルを大切にしようと誓った。
その日の夜。
アレクシス様を待ちながら、ソファでクッションを抱き、僕は今日のことを思い出していた。
カシム兄ちゃんに「本当にいいのか」と聞かれて、僕は迷わず「僕の意思だ」と答えることができた。
その言葉を自分の口から出してみて、初めて、はっきりと実感できた気がする。
アレクシス様と婚約して、家族になる約束をする。
不安が完全になくなったわけではない。
きっと、これから困ることや、身分の違いに悩むこともある。
それでも、僕はアレクシス様と一緒に生きていくことを、自分で選んだ。
その覚悟が、少しずつ胸の奥に積み重なっていく。
アレクシス様と一緒なら、きっと何があってもなんとかなる。
ふと、カシム兄ちゃんの顔が浮かんだ。
兄ちゃんが、僕のことをあんなに心配してくれているとは思わなかった。
……婚約式、来てくれるかな。
しかし、また筋肉増えてたな。




