14.あなたが変えたんです
ハルは思った。
アレクシス様って、意外によく笑うんだな。
笑わないことで有名な、冷血宰相様。
最初の頃は、あ、笑うんだ、と思い驚いた。
最近は本当によく笑う。ちょっと困ったように笑ったり、嬉しそうに笑ったり。
……もしかして、アレクシス様って元々はよく笑う人なんだろうか。
そういえば、僕はアレクシス様のことをあまり知らない。
知っているのは、ここで働き始めてからのことだけ。宰相としてとても優秀で、仕事ができて、僕のことをとても大切にしてくれる人だということくらいだ。
少し前までは、そんなに気にならなかった。
でも、今はもっとアレクシス様のことを知りたいと思う。アレクシス様が、どんな人なのか。アレクシス様を形作るものが、どんなものなのか。
そんなことを考えていたある日。
アレクシス様が会議で執務室を離れている隙に、僕はアーデル補佐官に尋ねてみることにした。
「あの、アーデル補佐官。アレクシス様って……元々、よく笑う人なんですか?」
アーデル補佐官が、見ていた書類から顔を上げた。
「僕が噂で聞いていた笑わない冷血宰相様のイメージと全然違うなと思って」
そう言うと、アーデル補佐官はしばらく黙り込んだ。それから、ふっと目を細める。
アーデル補佐官は、アレクシス様がまだ今ほど高い地位に就いていなかった頃から、ずっと補佐官をしている人だ。だから、きっと僕の知らないアレクシス様を知っている。
「長年そばで働いていますが……笑ったところは、ほとんど見たことがないですね」
僕は意外に思い、思わず首を傾げる。すると、アーデル補佐官はそんな僕を見て、小さく苦笑した。
無理もない。
エドガー・アーデルは、そう思った。
ハル君は、ハル君といる時のアレクシス様しか知らない。それならば、それ以外のアレクシス様の姿を想像するのは難しいだろう。
大国の宰相で、国王陛下の甥。
その地位に立ち続けるには、生半可な手腕では到底不可能だ。
そして、アレクシスが「冷血」と呼ばれるのにも理由がある。火のないところに煙は立たない。
綺麗事だけでは、国は守れない。
必要とあれば相手を取り込み、不要と判断すれば、容赦なく切り捨てる。相手が誰であろうと、暗殺さえも指示する。
時には冷酷に、何かを切り捨てなければ、守れないものもある。アレクシスは、それをよく理解していた。
一人を救うのではなく、より多くの人間を生かすためにはどうすべきか――その判断を、アレクシスは冷静に下すことができた。冷静で、合理的で、必要とあればどれほど非情な決断であろうとためらわない。
それが、アレクシスという男だった。
エドガーは、そんなアレクシスを何年ものあいだ、すぐそばで見てきた。そのエドガーが感じていたのは、それだけではなかった。
アレクシスは、あまりにも空虚で、何事に対しても、どこか熱がない。ただ、与えられた役割を果たすためだけに生きている。エドガーには、そう見えた。
仕事では、誰もが認めるような功績を上げても、本人はそれを喜ぶこともなければ、満足することもない。
人もほとんど寄せ付けない。この、宰相執務室にも最低限しか人を置かない。
人間味がなく、まるで精巧に作られた人形のようで。
アレクシス本人も、それに気づいていたようだが、どうにもできないようだった。
エドガーは、そんなアレクシスが心配だった。いつか、何かの拍子に壊れてしまうのではないか。そう思っていた。
そんな時、アレクシスの前に、ハルが現れた。最初は、何の気まぐれかと思った。突然、初恋だと言い出したときは驚いたが、アレクシスがハルを気にかけていることにも、深い意味があるとは思わなかった。
だが、少しずつ変化が現れた。
ハルがアレクシスのそばにいるようになってから、アレクシスが笑うようになった。
楽しそうに、嬉しそうに。ハルに向けて。
しかも、時には悩み、エドガーに相談までするようになった。相談の内容は予想の斜め上をいくような内容だったが、まるで、ずっと空っぽだった人形が、初めて魂を得たようだった。
もちろん、アレクシスの本質が変わったわけではない。今も冷静で判断が速く、必要とあれば容赦なく切り捨てている。実際、ハルが関わらなければ、アレクシスは以前とさほど変わっていない。
アレクシスを人間にするのは、ハルなのだ。
エドガーは、ふと目の前のハルを見る。
アレクシス様の魂の番。
今では、それも納得できる。アレクシス様に足りなかったものを、この子が埋めた。誰もさわれなかったアレクシスの心に、ハルはたやすく触れ、熱を与えた。
二人が出会えたことは奇跡だったのだと私は思う。
エドガーをハルが、真剣な顔で見ている。エドガーは少しだけ考えてから、続けた。
「そういえば、政敵を失脚させたときは、なんだか笑っていたような気がしますね」
ハルの顔が、なんとも言えないものになる。エドガーは苦笑した。
「でも、少なくとも……」
エドガーは、穏やかな声で続ける。
「アレクシス様が笑うようになったのは、私は、ハル君のおかげだと思っていますよ」
「僕の?」
驚いたように、ハルが瞬きをする。エドガーは、そんなハルを見つめた。
「実際、今もハル君にしか笑っていませんしね。私たちも、ハル君といるときのようなアレクシス様の笑顔は、見たことがありません」
ハルの頬が、ほんのり赤くなっている。エドガーは、そんなハルを微笑ましく見ながら、ふと心配になった。
ハル君は気づいていないが、ハルがアレクシスにとって、唯一の弱点だ。
魂の番の間には、執着や独占欲が見られる。元々ひとつだったのだから、そうなるのは仕方ない。しかし、アレクシスはそれが顕著だ。
ハルを誰かに奪われたら、アレクシスは生きていけないだろう。アレクシスもそれが分かっているから、ハルを片時も離さないのだ。
会議などでアレクシスが不在の時は、エドガーがハルを見守るようにと、指示されている。
アレクシスはそれほどに、ハルがいなくなること、ハルを奪われることに強い恐怖や不安を抱いている。
ハルがそれを知らない事が、正解かはわからない。しかし、知ってしまうと、ハルは必ず気に病む。ならば、知らないまま、アレクシスのそばにいてくれればいい。私たちが守ろう。
今はただ、あの人と一緒に笑いあってくれていたらいい。
長い間、孤独で空虚だったアレクシスが、やっと一人の人間として笑えるようになったのだから。
ハル君。
あなたがアレクシス様を満たして、変えたんですよ。
エドガーは、穏やかに微笑んだ。
どうか、この時間が続けばいい。
アレクシスが笑っていられる時間が、これからも、ずっと続けばいい。
エドガーは、長年仕えてきた者として、アレクシスの友人として、その幸せを願わずにはいられない。
どうか、二人が幸せでありますように、と。
なんだかんだ言って、そんな二人をそばで見ているのは、きっと楽しいはずだ。




