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13/30

13.日常にこそ幸せが潜んでいる

 


 ハルはグラント公爵家へ引っ越した。

 そして、引越し後初めての出勤の日。


 朝だ……。

 誰かが部屋のカーテンを開けてくれたらしい。明るい朝の光が、レースのカーテン越しに部屋を満たしている。


 僕は、自分の部屋のベッドで目を覚ました。

 目を開けると、僕の横にはアレクシス様がいる。朝から美しい。

 ん?なんでアレクシス様が?夢か?


「おはようございます……?」


 低血圧な僕は、起きてすぐには動けない。ぼんやりとした頭でアレクシス様と見つめ合う。しばらくして、やっと目が覚めてきた。

 はっとした。アレクシス様はすでに着替えも済ませ、出勤の準備は完璧だ。


「おはよう、ハル。そろそろ起きなければ。朝食も準備してある」


 どうやら、モーニングコールと朝ごはんのお誘いをしに来てくださったようだ。

 しかし、僕は胃も弱いため、朝はほとんど食べることができない。それを伝えると、アレクシス様は急いで部屋を出ていった。


 ……どうしたんだろう。


 さて。昨日までは休みだったので、のんびり寝ていられた。でも、今日からは仕事だ。いつまでも寝ているわけにはいかない。


 気合いを入れる。起き上がるためにベッドの端まで横に寝たまま転がって移動する。公爵家のベッドは広く、いつもより多めに転がる羽目になる。シングルベッドが恋しい。

 何とか起床し、洗面を済ませ、文官の茶色の制服に着替える。茶色の制服に袖を通すと、ようやく仕事の日スイッチが入った。そんなことをしていたら、アレクシス様が部屋に戻ってきた。


「ハル」


 断る間もなく、僕の身体がふわりと浮く。

 僕を横抱きにしたアレクシス様。


「食堂へ行こう。朝食だ」


「歩けます」


 アレクシス様はそのまま歩き始めた。

 さらっと無視はやめてください。なんだか、最近、横抱きされるほうのコツがわかってきたな。そのまま運ばれて、食堂の椅子に座らされる。目の前に置かれたのは、湯気の立つとろりとしたスープだった。


「……スープ」

「せめて、これだけでも」


 朝でも食べやすいものを用意してくれたらしい。僕はスープを見る。アレクシス様や、使用人の方々の気持ちは嬉しいが、中々手が出ない。

 その様子をアレクシス様はじっと見ていた。

 そして、おもむろに、スープを掬ったスプーンを、僕の目の前に差し出してきた。

 僕は、反射でぱくりといただいた。

 子どもの頃から、看病され慣れ過ぎており、スプーンが目の前にくると、条件反射で食べてしまう。食べたスープは食べやすく美味しかった。


「美味しいです。ありがとうございます」


 アレクシス様は、笑って頷いた。

 その後、自分で食べると主張し、アレクシス様からスプーンを貰おうとしたが、激しい抵抗にあった。

 給仕係のメイドさんに見守られながら、僕は最後までアレクシス様にあーんで食べさせられた。食べ終わった僕を見て、アレクシス様はとても満足そうだった。


 さて、出勤だ。


 今日からは、公爵邸から出発する。

 玄関には、すでに馬車が準備されていた。


「いってらっしゃいませ、旦那様、ハル様」


 使用人さんたちに見送られ、アレクシス様にエスコートされて馬車に乗る。

 やっぱり今日も、アレクシス様が自分の膝に僕を誘導する。うーん。何か、もう素直に座ってみようかな。実はそんなに嫌じゃないし。

 そう思って、僕はアレクシス様の膝にそっと腰を下ろした。硬い。やっぱり硬いな。高級な膝なのに。

 そう思いながら、アレクシス様の顔を振り返る。


「アレクシス様?」


 なぜか目を見開き動かなくなった。

 様子がおかしいので、そろりと膝から降りようとすると、ぎゅっ、と無言でホールドされた。

 僕のうなじに顔をぐりぐりしないでください。嬉しかったんですね?よかったです。僕もスープ嬉しかったんで、これでおあいこですよ。

 馬車はそのまま王城へ向かって進んでいった。膝抱っこのままで城に着いた。


 馬車から降り、そのまま宰相執務室へ向かう。

 部屋に着くと、アレクシス様は自分の席に座った。そして、自分の膝をぽんぽんと叩いた。


「ハル」


「あ、お断りします」


 締めるところは締めなければ。

 仕事中は無理です。



 お昼は、執事のジャックさんが持たせてくれたランチを、アレクシス様とアーデル補佐官と食べた。とても美味しかった。僕のことを考えて用意してくれたのだと思うと、なんだか嬉しい。


 業務中、僕は他部署に書類を届けたりなどで、席を離れることがある。しばらく離席していると、予定がない時は必ずアレクシス様が僕を探しにやってくる。

 あ、あれだ。

 孤児院の時、チビ達がしてたやつ。

 確か、子どもが親を追いかけるやつ。

 後追い?


 無事、就業時間になった。

 今日も一日、忙しかった。


 荷物をまとめていると、アーデル補佐官がふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、ハル君。アレクシス様は、今まで、ハル君を送った後、またここへ戻って仕事をされていたんですよ。アレクシス様、今日はどうされますか?」


 僕はアレクシス様を振り返る。

 アレクシス様は、少し気まずそうに視線を逸らした。


「……エドガー」


「事実ですので」


「僕が帰ったあとも仕事してたんですか?」


「アレクシス様は、これまでハル君を送った後、ほとんど毎日のようにここに戻って仕事をしていましたよ」


 僕は黙った。

 僕は就業時間きっちりに仕事を終えることが多かった。アレクシス様に大事にされていたんだ。それを知って、嬉しかったと同時に、不安になった。


「……僕が、力不足だったんでしょうか」


「違う」


 アレクシス様が、すぐに答えた。


「ハルのせいではない。仕事しかやることがなかったからだ。したい事もないし、家に帰ってもハルがいない。だから仕事をしていた」


 そして、少しだけ照れたように続けた。


「ここにいれば、ハルの気配がするしな。ハルが使っている机も、椅子もある。ハルがいることを感じられる。残り香もある」


 喜んでいいのかわからない発言が混じっていた気がするが、愛は感じた。

 こっそり僕の椅子とかに座ってそうだな。


 なんだか、胸の奥が、じんわりと温かくなった。僕も、大概やばいかもしれない。


「今日からは、どうされますか?」


「帰宅する」


 アレクシス様は、きっぱりと言った。


「今日からは、私も定時に帰る。家にハルがいるからな」


 なんだか、照れる。

 アレクシス様が、また嬉しそうに笑った。


 そして、帰宅。

 晩御飯も一緒に食べた。二人で話しながらゆっくり食べる夕食は、思っていたより楽しいものだと、公爵邸に来てから知った。


 お風呂は別。

 風呂も広く豪華だ。磨かれすぎて、床で滑って転んだことは黙っておこう。アレクシス様は、一緒に入りたそうにしていたけれど、僕にはまだハードルが高い。


 ……それは、もう少し先で。


 お風呂を終えて部屋に戻り、寝る準備をしていると、しばらくして扉がノックされた。


「ハル。入ってもいいか?」


「はい」


 アレクシス様が部屋に入ってくる。手には、冷たいハーブティーが入ったボトルがあった。窓際のソファに並んで座り、グラスにハーブティーを注ぐ。

 2人で飲みながら、今日あったことを話す。


 アレクシス様の声を聞いていると、なんだか安心して眠くなってくる。

 僕は少し、うとうとしてきた。

 アレクシス様がそれに気づき、ふわりと腕に抱き上げ、ベッドに運んでくれる。お礼をつぶやくうちに、意識が少しずつ遠くなる。

 あ、おやすみを言わないと。


「……おやすみなさい、アレクシス様」


「おやすみ」


 僕が眠りに落ちる直前、額に柔らかく触れるものがあった。離れていくアレクシス様の気配に、少し寂しさを感じる。

 僕は眠るだけなら一緒に寝てもいい、と言ったけど、アレクシス様がダメなんだそうだ。

 昼寝のときは、あんなに嬉しそうだったのにと思い、聞いてみたら、『今はまだ、負け戦になる』とか、よく分からないことを言っていた。


 いつか夜も一緒に眠りましょう。

 あんまり待たせないようにします。


 そう思いながら、僕はゆっくりと眠りへ落ちていった。

 アレクシス様。おやすみなさい。


 明日も、「おはよう」って言える人がいるのは、安心するな。

 なんだかしあわせだ。




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