13.日常にこそ幸せが潜んでいる
ハルはグラント公爵家へ引っ越した。
そして、引越し後初めての出勤の日。
朝だ……。
誰かが部屋のカーテンを開けてくれたらしい。明るい朝の光が、レースのカーテン越しに部屋を満たしている。
僕は、自分の部屋のベッドで目を覚ました。
目を開けると、僕の横にはアレクシス様がいる。朝から美しい。
ん?なんでアレクシス様が?夢か?
「おはようございます……?」
低血圧な僕は、起きてすぐには動けない。ぼんやりとした頭でアレクシス様と見つめ合う。しばらくして、やっと目が覚めてきた。
はっとした。アレクシス様はすでに着替えも済ませ、出勤の準備は完璧だ。
「おはよう、ハル。そろそろ起きなければ。朝食も準備してある」
どうやら、モーニングコールと朝ごはんのお誘いをしに来てくださったようだ。
しかし、僕は胃も弱いため、朝はほとんど食べることができない。それを伝えると、アレクシス様は急いで部屋を出ていった。
……どうしたんだろう。
さて。昨日までは休みだったので、のんびり寝ていられた。でも、今日からは仕事だ。いつまでも寝ているわけにはいかない。
気合いを入れる。起き上がるためにベッドの端まで横に寝たまま転がって移動する。公爵家のベッドは広く、いつもより多めに転がる羽目になる。シングルベッドが恋しい。
何とか起床し、洗面を済ませ、文官の茶色の制服に着替える。茶色の制服に袖を通すと、ようやく仕事の日スイッチが入った。そんなことをしていたら、アレクシス様が部屋に戻ってきた。
「ハル」
断る間もなく、僕の身体がふわりと浮く。
僕を横抱きにしたアレクシス様。
「食堂へ行こう。朝食だ」
「歩けます」
アレクシス様はそのまま歩き始めた。
さらっと無視はやめてください。なんだか、最近、横抱きされるほうのコツがわかってきたな。そのまま運ばれて、食堂の椅子に座らされる。目の前に置かれたのは、湯気の立つとろりとしたスープだった。
「……スープ」
「せめて、これだけでも」
朝でも食べやすいものを用意してくれたらしい。僕はスープを見る。アレクシス様や、使用人の方々の気持ちは嬉しいが、中々手が出ない。
その様子をアレクシス様はじっと見ていた。
そして、おもむろに、スープを掬ったスプーンを、僕の目の前に差し出してきた。
僕は、反射でぱくりといただいた。
子どもの頃から、看病され慣れ過ぎており、スプーンが目の前にくると、条件反射で食べてしまう。食べたスープは食べやすく美味しかった。
「美味しいです。ありがとうございます」
アレクシス様は、笑って頷いた。
その後、自分で食べると主張し、アレクシス様からスプーンを貰おうとしたが、激しい抵抗にあった。
給仕係のメイドさんに見守られながら、僕は最後までアレクシス様にあーんで食べさせられた。食べ終わった僕を見て、アレクシス様はとても満足そうだった。
さて、出勤だ。
今日からは、公爵邸から出発する。
玄関には、すでに馬車が準備されていた。
「いってらっしゃいませ、旦那様、ハル様」
使用人さんたちに見送られ、アレクシス様にエスコートされて馬車に乗る。
やっぱり今日も、アレクシス様が自分の膝に僕を誘導する。うーん。何か、もう素直に座ってみようかな。実はそんなに嫌じゃないし。
そう思って、僕はアレクシス様の膝にそっと腰を下ろした。硬い。やっぱり硬いな。高級な膝なのに。
そう思いながら、アレクシス様の顔を振り返る。
「アレクシス様?」
なぜか目を見開き動かなくなった。
様子がおかしいので、そろりと膝から降りようとすると、ぎゅっ、と無言でホールドされた。
僕のうなじに顔をぐりぐりしないでください。嬉しかったんですね?よかったです。僕もスープ嬉しかったんで、これでおあいこですよ。
馬車はそのまま王城へ向かって進んでいった。膝抱っこのままで城に着いた。
馬車から降り、そのまま宰相執務室へ向かう。
部屋に着くと、アレクシス様は自分の席に座った。そして、自分の膝をぽんぽんと叩いた。
「ハル」
「あ、お断りします」
締めるところは締めなければ。
仕事中は無理です。
お昼は、執事のジャックさんが持たせてくれたランチを、アレクシス様とアーデル補佐官と食べた。とても美味しかった。僕のことを考えて用意してくれたのだと思うと、なんだか嬉しい。
業務中、僕は他部署に書類を届けたりなどで、席を離れることがある。しばらく離席していると、予定がない時は必ずアレクシス様が僕を探しにやってくる。
あ、あれだ。
孤児院の時、チビ達がしてたやつ。
確か、子どもが親を追いかけるやつ。
後追い?
無事、就業時間になった。
今日も一日、忙しかった。
荷物をまとめていると、アーデル補佐官がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ハル君。アレクシス様は、今まで、ハル君を送った後、またここへ戻って仕事をされていたんですよ。アレクシス様、今日はどうされますか?」
僕はアレクシス様を振り返る。
アレクシス様は、少し気まずそうに視線を逸らした。
「……エドガー」
「事実ですので」
「僕が帰ったあとも仕事してたんですか?」
「アレクシス様は、これまでハル君を送った後、ほとんど毎日のようにここに戻って仕事をしていましたよ」
僕は黙った。
僕は就業時間きっちりに仕事を終えることが多かった。アレクシス様に大事にされていたんだ。それを知って、嬉しかったと同時に、不安になった。
「……僕が、力不足だったんでしょうか」
「違う」
アレクシス様が、すぐに答えた。
「ハルのせいではない。仕事しかやることがなかったからだ。したい事もないし、家に帰ってもハルがいない。だから仕事をしていた」
そして、少しだけ照れたように続けた。
「ここにいれば、ハルの気配がするしな。ハルが使っている机も、椅子もある。ハルがいることを感じられる。残り香もある」
喜んでいいのかわからない発言が混じっていた気がするが、愛は感じた。
こっそり僕の椅子とかに座ってそうだな。
なんだか、胸の奥が、じんわりと温かくなった。僕も、大概やばいかもしれない。
「今日からは、どうされますか?」
「帰宅する」
アレクシス様は、きっぱりと言った。
「今日からは、私も定時に帰る。家にハルがいるからな」
なんだか、照れる。
アレクシス様が、また嬉しそうに笑った。
そして、帰宅。
晩御飯も一緒に食べた。二人で話しながらゆっくり食べる夕食は、思っていたより楽しいものだと、公爵邸に来てから知った。
お風呂は別。
風呂も広く豪華だ。磨かれすぎて、床で滑って転んだことは黙っておこう。アレクシス様は、一緒に入りたそうにしていたけれど、僕にはまだハードルが高い。
……それは、もう少し先で。
お風呂を終えて部屋に戻り、寝る準備をしていると、しばらくして扉がノックされた。
「ハル。入ってもいいか?」
「はい」
アレクシス様が部屋に入ってくる。手には、冷たいハーブティーが入ったボトルがあった。窓際のソファに並んで座り、グラスにハーブティーを注ぐ。
2人で飲みながら、今日あったことを話す。
アレクシス様の声を聞いていると、なんだか安心して眠くなってくる。
僕は少し、うとうとしてきた。
アレクシス様がそれに気づき、ふわりと腕に抱き上げ、ベッドに運んでくれる。お礼をつぶやくうちに、意識が少しずつ遠くなる。
あ、おやすみを言わないと。
「……おやすみなさい、アレクシス様」
「おやすみ」
僕が眠りに落ちる直前、額に柔らかく触れるものがあった。離れていくアレクシス様の気配に、少し寂しさを感じる。
僕は眠るだけなら一緒に寝てもいい、と言ったけど、アレクシス様がダメなんだそうだ。
昼寝のときは、あんなに嬉しそうだったのにと思い、聞いてみたら、『今はまだ、負け戦になる』とか、よく分からないことを言っていた。
いつか夜も一緒に眠りましょう。
あんまり待たせないようにします。
そう思いながら、僕はゆっくりと眠りへ落ちていった。
アレクシス様。おやすみなさい。
明日も、「おはよう」って言える人がいるのは、安心するな。
なんだかしあわせだ。




