11.まずは昼寝からお願いします
そして、引っ越し当日。
グラント公爵家のタウンハウスは、王城からさほど遠くない貴族街の中心に建っている。
ハルを乗せた馬車は公爵家の門をくぐり、玄関までそのまま進んだ。玄関前でアレクシスにエスコートされ、馬車を降りた。
思わず屋敷を見上げる。何度見ても首が折れそうだ。
今日から僕もここで生活するのだと思うと、やはり緊張した。
「ハル」
隣に立つアレクシスが、静かに声をかける。
ハルがアレクシスの横に立つと、屋敷の扉が開いた。
「お帰りなさいませ、旦那様、ハル様」
ずらりと並んだ使用人たちが、一斉に頭を下げた。ハルは目を丸くする。すると、一番前に立っていた男性が顔を上げた。穏やかな笑顔を浮かべている。
「はじめまして。私は執事のジャックと申します。お困り事などございましたら、いつでもお声がけください。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、こちらこそ……よろしくお願いします」
ハルが慌てて頭を下げる。
すると、その隣から髪をきっちりまとめた、一人の女性が一歩前へ出た。
「侍女頭のアンナでございます。ハル様がお越しになるのを、皆、楽しみにしておりました」
きりりとした雰囲気の女性だったが、目元はとても優しい。アンナが微笑む。
使用人たちも、どこか嬉しそうにこちらを見ている。なんだか、不思議な感じだった。
公爵家という、金も地位もある家。自分には縁がないと思っていた場所で、自分がこんなにあたたかく迎えてもらえるとは思わなかった。
「旦那様が、あまりにも毎日のようにハル様のお話をなさるものですから」
ハルは隣を見る。
アレクシスは、隣で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ハルは思わず笑ってしまった。
「ハル•ベルと申します。どうぞよろしくお願いします」
緊張の中、あたたかな公爵家の人たちに、ハルはなんとか挨拶できた。その後、ハルの部屋へ案内された。
「ハル様のお部屋へご案内いたします」
ジャックがそう言って、ゆっくり歩き出した。
その後ろをアレクシスとハルが続く。
「こちらでございます」
天井の高いホールのようなエントランスを抜け、豪華な階段を上がって二階へ。長い廊下を進んだ先にある部屋へ通され、ハルはまた目を丸くした。
以前住んでいた部屋とは、比べものにならない。
日当たりのいい大きな窓に、柔らかな色合いの家具。落ち着いた雰囲気の絨毯。そして、窓際には小さなソファまで置かれている。ここも豪華なのに嫌味がない。
しかし、豪華すぎて落ち着かん。とは言えない。用意するにも、かなりの労力がかかったはずだ。
さらにジャックは、何でもないことのように続けた。
「こちらは、奥様のお部屋としてご用意しております。お隣が旦那様のお部屋でございます」
ハルはゆっくりとアレクシスを振り返る。
アレクシスは、とても満足そうな顔をしていた。ハルはため息をついた。アレクシスとしてはハルの囲い込みに成功したため、概ね満足だ。
改めて部屋を見る。
広い。
本当に、ここに住んでいいのか。むしろ、自分は住めるのか。角っこに囲いを作って、その中で暮らしたい。
そんなことを考えていると、アレクシスに腕を引かれた。そのままアレクシスについて、部屋の奥へ歩いていく。
奥は寝室になっていた。
豪華な大きいベッドが一台。その横の壁には、扉が一つある。
「ここだ」
アレクシスが、その扉を開けた。
その向こうには、また豪華なベッドが置かれている部屋があった。
???
ハルは瞬きをする。
「私の寝室だ。ここから行き来できる」
ハルは扉とアレクシスを交互に見た。
「寝室が繋がってるんですか?なんで?」
庶民として育ったハルには、いまいちピンとこない。
アレクシスは少し考え、こちらを見る。
「いつか、ハルが受け入れてくれるなら、夜、一緒に眠りたい」
「一緒に?」
アレクシスは少しだけ間を置いてから、まっすぐにハルを見る。
「眠るだけじゃなく、ハルに触れたい」
その言葉の意味は、ハルにもちゃんと伝わった。みるみるうちに顔が赤くなる。ハルは俯きながら、小さな声で答えた。
「もう少しだけ、心の準備をさせてください」
アレクシスは、ふっと笑った。
「分かった。待つ。だが……あまり長く待たせないでくれると嬉しい」
その声は、どこか照れたように響いた。ハルも照れる。
「分かりました」
アレクシスが我慢してくれていることは、ちゃんと分かっている。ハルのために、急かさず待ってくれている。
だからこそ、ちゃんと応えられるようになりたいと思った。
「……それから、部屋の準備、ありがとうございます」
小さく呟く。
アレクシスは嬉しそうだ。
簡単な昼食を挟み、荷物を運び終える頃には、ハルは少し疲れていた。といっても、実際に荷物を運んだのはほとんど使用人たちだ。ハルは自分の服や本、小物などを確認していただけなのだが、それでも緊張していたのだろう。
「ハル。昼寝をしよう。疲れているだろう」
アレクシスが真剣な顔で言う。
孤児院でマリアから、ハルは無理すると体調を崩しやすいと聞いた。あれからアレクシスは気が気ではない。
ハルが荷物を見る。
「明日でいい。屋敷の案内も明日だ」
ハルは苦笑した。
確かに。ハルはここに住むのだ。焦らなくても時間はある。それに、身体のだるさもあり、少し眠かった。
「……じゃあ、少しだけ」
アレクシスは嬉しそうにハルの手を引いて、自分の寝室へと連れていく。そして、アレクシスのベッドにハルが腰掛けている姿を、感動とともに眺める。
画家を呼ぼうか、本気で迷う。
でも、今はハルを休ませるのが先だ。
「まずは、一緒に昼寝するところから慣れていこう。だめか?」
ハルは笑いながらうなづいた。
アレクシスは、ハルをベッドへ優しく横たえる。それから自分も、その隣に横になった。
「……なんだか、照れますね」
アレクシスが隣にいる気配が、くすぐったいけれど、不思議と嫌ではなかった。今日からは、アレクシス様の隣が自分の帰る場所になる。胸の奥が、じんわりと温かい。
「アレクシス様。……おやすみなさい」
「ああ。おやすみ、ハル」
おはよう、おやすみ。
一日の始まりと終わりに、アレクシス様に必ず挨拶するようにしようと、ハルは思った。そう思いながら、ハルは安心したように、ゆっくりと眠りへ落ちていった。
アレクシスは、眠るハルをじっと見つめていた。自分の理性が試されている。我慢だ。
しかし、ハルが私のベッドで眠っている。これは夢ではないだろうか。アレクシスは昨日から、ほとんど眠っていない。正直なところ、今も眠れる気はまったくしない。
アレクシスは、そっと手を伸ばし、眠っているハルの髪に触れる。そして、少しだけ迷ったあと、ハルの身体を、そっと自分の腕の中へ収めた。すっぽりとアレクシスの腕の中に収まったハルから、規則正しい寝息が聞こえる。
嬉しい。愛しい。そして、少しだけ切ない。ハルが、ようやく今、自分の腕の中にいる。
できることなら、世界中に宣言したい。この人は私の番だと。
そんなことを考えていると、胸元から、じんわりと温かさが伝わってきた。
ハルの体温、寝息。
ハルの体温は優しい熱だった。
昨日からずっと張り詰めていたものが、少しずつほどけていく。眠気が、ゆっくりと押し寄せてきた。ハルを抱く腕に、ほんの少しだけ力を込める。
いろいろなことは、明日しよう。
まだ、始まったばかりだ。
アレクシスもまた、ハルの温もりに包まれながら、ゆっくりと眠りへ落ちていった。




