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劫波異相見聞録(かるぱいそうけんぶんろく)  作者: あっきコタロウ
外伝

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■願わくば諸行無常

■願わくば諸行無常


 理から外れた不変もいずれ諸行無常の世に戻る。

 虚ろな器が満ちたあと、向かうは緩やかなる終焉。

 消失を歓待せよ。


***



 ミコと鴉ちゃんの取引によって、現世へまた行けるようになった。

 とはいえ、すぐに発つべき火急の用は無く。 


 虚太郎はそれまでと特に変わらず、常磐から借り受けた書物やミコから譲り受けた電子辞書に目を通す作業を繰り返していた。

 自身が生きた世界とは違う理、違う時間。それらの事象を照らし合わせる作業は、時に果てしない迷宮のようにも思えるが、劫波の地の時間は永劫。呪いの身体で疲れも知らない虚太郎は、気のすむまでページをめくり続けられる。


 いつから続けているのかわからないほどの感覚の折、久方ぶりに常磐が姿を見せた。


「虚太郎、少々手伝いを頼みたい」

『やっほー、常磐! 元気だった?』

 常磐の体温を検知し、睡眠(スリープモード)から目覚めた閻魔がひらりと飛び跳ねる。


 何を手伝うのか、その質問をする前に、虚太郎は二つ返事で頷いていた。

「御意」

「話が早いな」

 と常磐が言う間に、二人はその場で創り出した扉をくぐる。


 足を降ろした先は、茜色に染まる現世の夕暮れだった。

 見渡す限り、どこまでも広がる田園風景。遠くの山々がシルエットとなり、空は燃えるような赤から、紫、紺へとグラデーションを描いている。


『印刷出力するのが難しそうな色の空だ』

「なるほど機械らしい印象だ。命が宿ればいつかお前にも分かるようになるだろう、この美しさが。良くも悪くも、この空のように不変ではないのが世の理だ。今回はそれを浄化する」


 常磐が指し示すのは、小さな村の片隅にあるひっそりとした祠。

 夕焼けに照らされたその場所は、虚太郎の右眼に、微かながらもはっきりと呪いの存在が見て取れた。


空狐くうこのような大仰なものではない。移ろう時のなかで少しずつ人の無念が溜まったものだ。しかし、放っておけばいずれ大きな歪みとなる」

「俺があれを吸い取れば良いのでしょうか」


 それならばほんの一瞬で良い。

 虚太郎が手を上げかけたところ、常磐が静かに止めた。


「いや、今回はわしが対処する。お前には、わしの護衛を頼みたいのだ。呪いの対処をお前にばかり頼っておっては、わしの腕が訛るからな。たまには自分でやらんと」


 常磐の言葉は、いつか虚太郎がいなくなるという現実を含んでいる。

 永劫の今のなかでは見えなくても、やがて確実に訪れる未来。

 訪れてほしい、と、常磐が願って止まぬ時。


 祠の周囲は、周囲の穏やかな景色とは不釣り合いなほど冷たい空気が漂っている。常磐は警戒するように錫杖を握り直し、虚太郎を追い越して祠へと近づく。

 祠の戸を開くと、中には小さな木像が一体置かれていた。人の手で粗雑に作られたような、歪な姿の木像だ。その木像の周囲で、呪いの薄い黒い靄が蠢いている。


「虚太郎、わしが対処する間、周囲を見張っておいてくれ」

 常磐は祠の前に立ち、一度ドンと錫杖を地面に突いてから、低く経を唱え始めた。彼の身体に淡い光が放たれ、その光が祠の内部を満たしていく。木像から漏れ出る呪いの薄闇は、光に触れるたびに揺らめき、一点へと収縮していく。


 常磐の経が続く間、虚太郎は彼の背後で周囲を警戒していた。

 万が一、経を邪魔する者が現れた場合に、素早く対処できるようにと。


『こんなところで護衛なんて必要あるのかなぁ。人っこひとり居ない』

 肩口にいる閻魔が、身づくろいをしながら呟いた。


 やがて、儀式は終わりを迎える。最後にシャンと錫杖の輪の音が響き、一点に集められた黒い靄は、はじけるように霧散した。木像は禍々しさを失い、ただの古びた木片となる。


「終わった」

 常磐は立ち上がり、振り返る。茜色の空の下、金色の瞳は穏やかだ。


「お疲れ様でした」

「うむ。ご苦労」

『やっぱり何も無かったね』

 これなら常磐ひとりでも良かったのでは、と閻魔が言うと、常磐は薄く口角を上げ、 

「何かあるのは最悪の事態。何もないのが一番良いのだ。虚太郎がわしを護っていたからこそ、わしは集中して力を使うことができた」


『居るだけで良いってこと?』

「そうだな、そうとも言える」


 閻魔を諭す常磐の言葉は、虚太郎の常識を揺らがせる。


 生前、殿様の命令を遂行していたときにも、褒美の言葉をかけられたことが無いわけではない。けれど、あの頃にこんな感情をいだいたことは、無かったように思う。

 存在を願われることを、今、「暖かい」と感じたのではないだろうか。


 死を求めることと、存在を願われること。

 書物から得た情報だけでは感じることの出来ない温度の変遷が、まるでこの空のようだ。


『虚太郎、顔が少し緩んでるよ。褒められて嬉しいんだね』

 閻魔の言葉に、虚太郎は「え」と、自分の頬に触れる。表情が変化しているなど、まるで自覚が無かった。

 

 茜色の光が、ゆっくりと夜の帳を下ろし始める。遠くから蛙の鳴き声が聞こえ、現世の時間が止まない事を告げていた。

「さあ、戻るぞ」


 常磐は天狗の道へ消え、虚太郎は境界線へと足を踏み入れた。

 歩む道が分かたれても、目指す先は同じである。


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