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■行商人の鴉(カラス)ちゃん

■行商人の(カラス)ちゃん


 届かぬものを()する時、行商人はやってくる。

 よってらっしゃい見てらっしゃい。

 希望の芯から絶望の淵、何でも揃う夢の万屋。


***



「無理だな」


 (しょ)と小物が四散する部屋の中心で。アーキトルーペを覗く常磐の声が鋭く響く。

 その足元で、めずらしく低姿勢に正座をしているミコが「そこをなんとか」と、すがるように両手を合わせた。


「なんとかと言われても無理なものは無理だ」

「けちぃ!」

「ケチなのではない。実際問題、不可能なのだ」


 知りさえすればなんでも創り出せる観測者の地。この地において、例外的に創り出せないものがいくつかある。

 ひとつは、”命”。曖昧な解釈でそれらしいものを創ろうと、創ったそばから砂となって消えてゆく。


 それと。


「万華鏡ー。虚太郎にもう一回万華鏡つくってあげてよー」

「ええぃ、しつこい。出来んと言っておろうが。他に用が無いなら帰れ! わしは忙しい」


 常磐は呪詛のようにつぶやき続けるミコの鼻先スレスレに扉をつくり、遠慮のない動作で彼女の尻を蹴り飛ばした。


「あだっ」


 前のめって四つん這いとなったミコの背後で、無慈悲な扉が強く閉まる音がする。

「んもう。乱暴」と、口を尖らせて、ミコは見慣れた自室を見回した。


 電源を入れたままのモニタに映っているのは、いつだったか設計した蜘蛛型AIの設計図。


「AI閻魔は、電気羊の夢を見るか。気の長い話だよねぇ」


 もしかしたら命になるのではないか。微かな期待を込めて作った小さな機械は、未だ無機物の域を越えず。

 常磐はずっと世界を覗き、虚太郎は日々知識だけを蓄えて。


 この地は凪いでいる。


 思いつくかぎりのここで出来ることは、一通りやり尽くしてしまった。新たな知見を得るために、新たな世界に踏み出す必要性を、ミコは感じはじめていた。

 一人ではなく、虚太郎とともに。


 ほんの少し前、虚太郎は、死んだ。

 そしてそのまま、再びの生を得た。理を歪めること、無く。


 空狐との戦いの際に目の当たりにした死と再生。非常に特殊なケースだったとはいえ、ミコが目指す”理を歪めない永遠の命”への微かな光明が見えた。

 対の命の問題。命の総数の問題。そもそもの方法論。

 課題は山積みであるが、理を歪めることなく生を継続させることは、不可能ではないはず。


 彼がきっと鍵になる。彼をもっとよく観察すれば、何らかのヒントを得られるはず。


 なのだが。


 外界と切り離された観測者の地では、手探るのにも限界がある。探る手乏しい永劫のなか、迷路でやみくもにもがく日々。


 何らかの変化が、刺激が、欲しい。


「なんとかして虚太郎をもう一度外へ連れ出せないかな」


 境界線の通行証である万華鏡を失った彼は、次に観測者の地を出てしまったら、もう二度とここへは戻ってこられない。

 なんとか彼が再び現世とこの地を行き来できないものか。そう思い、ダメで元々と常磐に頼み込んではみたものの。案の定、無下にされてしまった。


 曰く、万華鏡は心を切り取って創るもの。

 しかし今の虚太郎には、切り取るだけの余剰が無い。(うつろ)に失ってしまった心と身体を呪いで繋ぐことで存在していた彼は、空狐を封じる際にその呪いのほとんどを失ってしまった。

 閻魔が残したほんの少しの呪いと、それでかろうじて繋ぎ留めてある心。わずかなものしか持たぬ彼から、万華鏡を再び生成することは難しい。というのが常磐の言い分だ。


「どん詰まり、ってことなのかなぁ」


 ため息とともにベッドへ寝転がり、答えへの薄く細い糸を手繰り寄せるよう、届かない天井へと手を伸ばす。

 真っ白な視界が眩しくて目を閉じれば、気だるい眠気に包まれて。ミコは抵抗することなく、そのまま意識を手放した。



*



 まぶたをひらくと、見覚えのない場所に居た。


 見覚えが無い、というのは少し語弊があるかもしれない。正しくは、”見えない”場所にいる。

 周囲の全てがパステルカラーのモヤに覆われ、綿あめのなかにいるようで甘い匂いまで錯覚する。二度、三度、目をこすってまばたきを繰り返しても、視界は変わらない。美しい中間色で目の前は濁っている。

 

「夢、だよねぇ多分。寝る前は部屋に居たし。明晰夢(自覚ある夢)は久しぶりだな」


 誰にとも無く呟いた独り言、のはずが。


「お、よう分かったな。その通り、ここは夢の中や」


 返事とともに、淡いモヤのなかに人影が浮かびあがった。

 ミコの背丈よりも大きく、常磐や虚太郎よりほんの少し小さい程度の影がゆっくりと近づいてくる。


「わっ、何? 誰?」

「そう警戒せんでもええで。危害を加えるつもりは無いから」


 影が大きく手を上げた瞬間、優しく頬を撫でるような風が吹いて。


「はじめまして。なんでも揃える行商人、よろず屋の(カラス)ちゃんや」


 晴れた視界の先で、見知らぬ男が手を振っていた。

 その身に纏う黒く布の多い装束が、腕の動きにあわせひらりひらりと揺れている。

 

「会いたかったで、ミコちゃん」


 男は一歩進み出ると馴れ馴れしくミコの手を取り、一方的な握手を交わす。

 その腰元で、濃く深い青紫の翼が揺れた。

 

「人、じゃない……。常磐の知り合い? あなたも天狗?」

「ちょーいちょい。あんな変わりモンと一緒にせんでや」


 鴉ちゃん、と自らを称した男は、やや拗ねるような口調で唇をとがらせる。


「常磐は白天狗。観測者やろ? オレは鴉天狗。同じ天狗でも【役割】が違う」


 人は何のために生まれ、何のために生きるのか。

 そんな思考に耽ったことは幾度かあれど、人類としての答えは無い。各々が自分で自分の役割や意味を見出して生きている。

 しかし、天狗という種族はそうでは無いらしい。その存在には、生まれた瞬間から何らかの役割が与えられているものなのだそうだ。

 誰から与えられたのかは不明で、破ったとて死ぬわけではない。

 しいて言うならば、本能に近いもの。自然と”そうあるべきだ”と感じるという。


「最近の常磐は役割から逸脱しまくっとるみたいやけど、白天狗の本来の役割は観測と記録。世界に干渉したらアカンもんや。普通は役割から外れると気持ち悪ぅてしゃーないんやけど、常磐は万華鏡無くして、頭のネジも外れてしもとんねん」


 心底理解ができないといったていで、鴉ちゃんは器用に片眉を釣り上げ、「アイツはイカれてもーとる」と揶揄しながらくるくると指を頭の側で回す。


「あなたの役割は何なの?」

「オレの役割は世界の”調律”。本来はオレこそが干渉者。世界がおかしいなった時に、正しいあり方に整えられるモン()を探すんや。探し当てて、相手が欲するモンを渡し、その対価に世界を整えてもらう。世界は調律され、相手は欲しかったモンが手に入る。一挙両得で夢を渡り歩く行商人。それがこのオレ、鴉天狗よ」


 鴉ちゃんはどこか妖艶さを感じさせるように目を細め、うやうやしくお辞儀をした。


「さて、ほんなら本題や。今日ここに来たんは、ちょっと取引をしたかったから」

「取引?」


 せや、と頷き、鴉ちゃんが一歩下がる。

 すると、彼の背後。翼の裏から、ふたりの少女が姿を現した。

 まっすぐに前を向いて立つ彼女らの視線はどこを見ているとも取れず。一寸の感情も含まないぼんやりとした様子。


「この子らはフランとアン。って、勝手にオレが呼んでるだけなんやけど」


 鴉ちゃんはフラン、アン、とそれぞれの頭に手を置いた。それでもふたりの反応は無く、微動だにしない。その様相はあまりに異様。まるで、意思を持たない作り物のようで。

 

「失礼かもしれないんだけど、聞かせて。この子達は、”何”なの?」

「ミコちゃんから見て、どう見える?」


 問われ、ミコは遠慮なく少女達をまじまじと見つめなおす。

 正直な所、彼女らの外見には、”違和感”があると言わざるをえない。


 まずはフランと呼ばれた少女。

 彼女の身体的特徴を一言で現すならば、「ちぐはぐ」である。

 欠損部位こそ無いものの、指の数本がどう見ても大人の指であったり、両足の長さが揃っていなかったり、皮膚もつぎはぎだらけで縫い目が大きく露見している。端的に言えば、複数人の人間を切り貼りしたような姿だ。


 それからアンと呼ばれた少女。

 こちらは一見、一般的な少女に見える。が、よく観察してみると、関節のところどころにボルトのつなぎ目が存在している。大部分が人工皮膚で覆われてはいるが、中身はおそらく、機械。


「私の居た世界の呼び方で言うなら、フランケンシュ(人造)タインの怪物(人間)と、アンドロイド。に見える、かな」

「おっ、流石やねぇ。正解や」

「この子達もそういう種族なの? 天狗みたいに、何かの役割を持った子達?」


 天狗や、妖狐、式。人とは違う生命を、ミコはすでにいくつも目の当たりにしている。

 かつての世界では空想として片付けていた種族も、この場所では存在して当然のもの。

 だと思ったのだが。


「いや、この子らに役割は無い。存在したらアカンもんなんや。せやからキミの力を貸してほしい」


 鴉は再び少女らの頭を静かにひと撫でし、”今日はいい天気ですね”と言わんばかりの笑みを浮かべ、言った。


「ミコちゃん、この子らを、殺してやってくれんか?」


「はぁ? 嫌に決まってるでしょ」

「まぁそう言わんと! 説明だけでも聞いてぇな!」


 立ち話もなんやから、と鴉ちゃんはその場にしゃがみ、ミコにも座れと促すように顎をしゃくって語り出す。

 ミコがまだ気づいていない、世界のルールについて。


「ミコちゃんは命が創りたい。せやけど、うまいこといかんで難儀しとる。せやな?」

「なんで知ってる……っていうのは聞くだけ無駄だよね。ここはそういう場所で、あなたはそういう存在。そうでしょ?」

「理解が早ぉて助かるわ。ちな、虚太郎のことも知っとるで。ミコちゃんが、虚太郎に可能性を感じとることも合わせてな」

「うん。けどちょうど今、行き止まりって感じで」

「そんで悩んどるも知っとる。なぁ、でも、命が創れんって、”観測者の地”だけやんか?」


 鴉ちゃんの眼光に鋭く射抜かれ、ミコはハッと息を呑んだ。


「現世なら命の創造、できちゃうんだ」


 鴉ちゃんの後ろに立つふたりの少女は、相変わらずぼんやりとまばたきだけを繰り返している。まるで作りものだ、と先程は思ったものだが、本当につくられた存在だったということだ。

 ミコが閻魔に期待したこと。その成功例が、目の前に()る。


「それじゃあ、もしかして閻魔を現世に連れていけば」

「いや、待て待て。話は最後まで聞きぃ」


 自らの思考に没頭しはじめようとしたミコの意識を引き戻すように、鴉ちゃんは慌てた様子で、


「あかんで? 定まっとる方法以外で創ったら、世界の理歪むからな?」

「でも、この子達は」

「そこや。絶対アカンねんけど、たまーに、歪めよるやつが出てきよるワケよ。せやから頼んでんねん。……殺してやってくれって」


 一瞬にして鴉ちゃんの声色が閑に低く沈み、「閻魔には虚太郎っちゅう対があるから、ミコちゃんがやろうとしてる事とは厳密にはちょい違うんやけど」と前置きをして、


「完全に無から創られた命のこの子らには、対の命が存在せん。生まれた瞬間から歪んどる。ふたつぶんの命の重さを、ずっと背負い続けてるんや。自分と、自分やないもんが、この小さい器にパンパンに詰まっとる」


 少女らを見つめる鴉ちゃんの表情には、慈しみが含まれているようで。”殺す”ための話をしているようには、とても思えない。

 少女らもまた、怯えも、悲しみも、慌てもせず。

 

「せやからこの子らは思考が出来ん。意思を持とうもんなら。自我が生まれようもんなら。重みに耐えられんで、狂ってしまうんや。それってな、めちゃくちゃ苦しいで」


 と、そのとき。

 はじめて、少女達と視線が合った。がらんどうな瞳が、鏡のようにミコの姿を映し、訴えかけるように口を開く。


「ころして」

「ころして」


 抑揚無く同時に呟かれた四文字。

 ミコの身体は、刺されたような痛みを覚える。


「この子達、話の内容を」

「いや、わかっとらんで。これはただの本能。動物の鳴き声みたいなもんや」


 元居た世界で自身のクローン体を生成し、そこに人格を移植して命を伸ばしてきたミコ。

 クローンは移植する瞬間まで眠らせたまま、ただの容れ物として個人の意志を持たないように気をつけてきた。

 もし、あのクローン達が目覚めていたら、どうなっていたのだろうか。あのクローン達に、対の命はあったのだろうか。

 それとも。


「この子らにとっては、死こそが解放。救いなんや。せやから、ミコちゃん。人助けやと思って、この子らを殺してやってくれんか?」

「待って。話は分かったけど。どうしてアタシが?」

「適任やと思ったからや。殺すだけならオレにも出来る。けどオレは、この子らを綺麗に殺せる方法を知らん」


 綺麗に殺す方法を知らないとは、遺体の破損が大きいということだろうか。

 目の前の少女達がバラバラになった姿を想像し、ミコは思わず眉根を寄せる。

 そこから察したのか、鴉ちゃんは「ちゃうで」と断って、


「綺麗にって物理的な話やのー(じゃなく)て。痛みとか、苦しみとか、そういうもんや。この子らに罪は無い。恨みも無い。オレかて悪人やないねん。できるだけ楽に消してやりたいと思うんは、何もおかしい話やないやろ?」


 無理なら無理と断ってくれ。と、鴉ちゃんは頭を下げた。

 

 たしかに、生化学者である以上、ミコは鴉ちゃんよりも人体および生命活動への知識はあるだろう。

 機械工学への造詣も、専門分野では無いにしろ多少はある。


 だからと言って、はたして、はじめて接する存在に苦痛を与えずに殺すことが出来るだろうか。


「アタシが断ったところで、結局この子達は殺されるんだよね?」

「この子らが存在し続けたら、世界の歪みは大きくなる。せやから絶対殺さないかん。それに、この子らは生きることそのものが苦痛になっとる。苦しみを、できるだけ早く取り除いてやりたい」


 理由はじゅうぶんに理解した。

 それでも”自らの意思で人のかたちをしたものを殺す”ことに抵抗を覚え、逡巡してしまう。

 そんなミコの背中を押すように、再び子ども達が鳴いた。


「ころして」

「ころして」


 悲しみと、憂いと、痛みと、苦しみと、絶望と、狂気の、全てを孕んで全てを排除した膨大な無感情。


 その声が耳に届いたとき。

 ミコは、鴉ちゃんの手を取った。


「わかった。やるよ」

「ほんまか! ありがとう! 助かるわ!」


 頭を上げると同時、鴉ちゃんはナンパな空気を放ちながら飛び上がる。一寸前までの真剣な声色はどこへやら。一体どちらの顔が本当なのか。


「ほな、二人は預けていくわ。終わった頃にまた来るさかいに、頼んだで! また夢で会お」

「えっ、ちょっと待って、もう!?」


 戸惑うミコに二人の子どもを押し付けて、鴉ちゃんは指を鳴らす。

 その瞬間、あたりに立ち込めていたパステルの霧が密度を増し、視界とともに意識が奪われて。



*



 目が覚めると、部屋にいた。

 ベッドに身体をあずけた姿勢は眠る前とまったく同じ。

 ただ、頭を横に向けると。


「夢だけど、夢じゃない……」


 二人の子どもが、無言で立っている。


「やるしかない、か」


 自らに言い聞かせるように呟いて、ミコは大きなため息とともに立ち上がった。

 人造人間とアンドロイド。これらを苦しませず殺す方法を、考えるために。


 触感も指の長さも色も形もあらゆる不均等を詰め込んだ手と、きめ細かいながらも血の通わない冷たく堅い手を引いて、創りたての検査台へ横たわらせる。


 この子達に痛覚はあるのだろうか。感情や思考を手放していても、脳の反応はある? 身体機能や臓器はどうなっている? 各部の強度は? 薬品は効く? 生理機能はある?

 ひとりでは思い当たらない情報があるかもしれない。人造人間とアンドロイドそれぞれに関する物語も読んでおいたほうが良いだろうか? 映像も見ておく? 

 それぞれについて思考と検査を並行してゆく。

 考えうるあらゆるテストを実施し、思いつくかぎりの類似の物語に触れ、最善で最速で最適な答えだと思えるものを見つけ出し、本当にそれが最善なのかと数日悩み、やるしかないと機材と薬品を用意し、躊躇して手を止め、早いほうが良いと思い直し。


 そしてついに。

 ミコなりに考えた、身体と心に一番負担が無いであろう方法を実行するときが来た。

 ここまで、ミコの体感で数週間。

 その間少女達は眠りも食事も欲さず、じっと検査台に身を横たえ続けていた。


「よし、やるぞ」


 自らを鼓舞するために一声出して、ミコは薬品に手をかける。

 人間で言うなれば麻酔のようなもの。彼女らの身体構造に合わせ、意識を遮断するために精製した特別な薬。


 最後に言い残すことは? と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ミコは手早く少女らの意識を絶った。

 彼女らに感情と思考は無い。と、鴉ちゃんから聞いてはいるし、検査の結果でも同様の結論を得ているとはいえ。

 声を聞いてしまえば、決意が揺らがない自信が無かった。


 ふたりの反応が止まったことを確認し、それぞれの肉体を解体してゆく。

 糸を解き、ボルトを抜き、臓器を取分け、パーツを分解する。ひとつひとつを丁寧に。

 人の形をしていた部位を「身体」から「部品」へと変えてゆく。


 最後の「部品」の処置を終えたとき、急な目眩と浮遊感に襲われた。

 長時間の集中のせいかと思いきや、直後、身に覚えのある気だるい眠気が急激にやってきて。


「これで良かったんだよね。きっと」


 仕事を終えたのだと悟ったミコは、そのまま床へと崩れおちた。



*



「ありがとーな」


 独特のイントネーションが耳に入り、視界がクリアになる。正面にあるのは、ふわりふわりと漂うパステルの霧の合間に不釣り合いな青紫の翼。

 ほんの一歩先から向けられる視線になんとなくの向き合いづらさを感じ、ミコは目を伏せた。


「お墓、つくってあげてよね」

「ミコちゃんが望むなら。山みたいなん作ったるわ」

「もはや古墳じゃん」


 どどんと盛られた山を想像し思わず噴き出し顔を上げると、眼前に、ずい、と四角い箱が差し出される。それは、ダイスと形容するほうが似合うほどの小さな塊。


「これ。今回の礼や」

「何これ?」

「ミコちゃんが今一番欲しいもんや。オレは行商人。それを売りに来たんやで。今回はお代が先払い方式やっただけの話。もし気に入ってくれたら、今後とも行商人の鴉ちゃんを御贔屓に、よろしく!」


 ほな! と鴉ちゃんが手をあげると、あっというまに霧が濃くなってゆく。


「えっ、ちょっと、まっ」


*



 別れの声がまだ耳に残ったまま、気付けば部屋の床。


 浮遊感につつまれた体をゆっくりと起こすと、手の中の違和感に気付く。いつの間にか握りこんでいたのは、夢で渡された四角く真っ黒な固形物。


「使い方とか聞きたかったのに!」


 何を買うかも選べないまま、欲しいものだと言って買わされた(?)未知の箱。くるくると全面を回して見ても開け口は見当たらず。穴も模様もないどころか、手触りすら無い吸い込まれそうな漆黒。

 これはきっと自分の持つ常識では理解も解明も出来ないものだとミコは悟る。


 劫波の謎は劫波の者に訊くのが一番。常盤にたずねようと扉を創り出した瞬間、急激な吐き気がこみ上げた。


「オ、オエェ!」


 たいして何も入っていない胃から薄く酸い液体が踊り出る。胃液を出しつくして口から出るのが液体から空咳にかわっても尚、吐き気はやむことなく。


「ウエ、げほっ、げほっ」


 頭蓋骨が砕けたかと思うほどの頭痛と、前後左右が不覚になるような眩暈、指の一本も動かせぬ錯覚すら覚える倦怠感。重力が何倍にもなったような身体の重さに押しつぶされそうになりながら、かろうじて小さな扉を創り、声を絞りだす。


「常盤、たすけ……」




 かすれた声に振り向くや否や、常盤は目を見開いた。


 荒れ狂う邪気がミコの手元から溢れ出している。邪気はみるみるうちに彼女を覆い尽くすと、さらに周囲へ広がってゆく。部屋を覆いつくしてもまだ足りぬような量と濃密さ。見ているだけで息苦しさすら感じてしまうほど。


「お前、一体それをどこで! 今すぐ手を離せ!」


 考えるよりも身体が先に動いた。行儀作法など知ったものか。扉から滑り込んで、その勢いのまま箱を蹴り飛ばす。強制的に細い手から箱を引き離し、間髪おかず新たな扉を創造。声が届くようにほんのすこしばかり隙間をあけてから、大声で叫ぶ。


「虚太郎!」

「常盤さん、これは……すごい量の呪いが」


 呼び声は無事に届いたらしい。あまりに濃い邪気に真っ黒となった視界のなかで虚太郎の返事を耳にして、常盤はひとまず安堵した。


「どうにかできそうか?」

「問題ありません。引き受けます」


 返事をしながらもすでに対処しはじめているらしく、漆黒の霧が徐々に薄れてゆく。量が量だけに瞬時とは行かないようだが、それでも常盤がやるより圧倒的に速い。もしも常盤ひとりだったなら、周囲に充満した邪気をひとつところに集めた後、封具に収めるか、払うか、いずれにせよそれなりの手間と時間が必要になる。

 それほどの邪気が、あの小さな箱から放たれていた。量も質も、虚太郎が囚われていたあの山に負けずとも劣らぬほどの呪いが。


「すまない。助かった」

「恐縮です」


 周囲に充満していた邪気を全て吸い取ってから、虚太郎は倒れ込んでいるミコへと手を翳す。

 彼女にまとわりついていた黒い影が、ゆらゆらと虚太郎の手の内へと飲み込まれてゆき、そして。


「ん……んぅん」


 意識を取り戻したらしいミコが目を開けるよりも早く、常盤は手を振り上げ。


 パン! パン!


 ミコの頬を打った。


「痛っ、痛い! 何!?」


 豪快な目覚めの一撃で覚醒したミコが声を上げると、それ以上の声量が上から落ちてきた。


「何ではない、バカ者! とんでもない呪具を持ち込みおって」

「呪具? なにそれ、悪いものだったの?」

「呪具とは呪われた道具や、呪いを閉じ込めた道具を言う。どちらにしても人間に良い作用は起きん。あんな厄介なものを、一体どこで手に入れた!?」


 苛烈な剣幕でまくしたてられ、ミコは言葉を失った。

 

 少女二人を殺したのは、人助けのつもりだった。そこに見返りが無かったとしても、何ら思うことは無い。だが、まさかこんな爆弾を持たされるとは。


 少女達の頭を撫でたあの静かな手つきは。

 真剣に頭を下げたあの姿は。

「ありがとーな」と笑ったあの顔は。


 全て、嘘だったのだろうか。


「鴉ちゃん……」


 胸が締め付けられるような心持ちで黒い天狗の名を呟けば、


「鴉? あいつの仕業か」


 強い口調は一瞬でなりを潜め、代わりに苦々しいうめき声が漏らされた。


「アタシ、騙されたのかな?」

「いや、騙されてはおらんだろう。非常に癪だが、奴の狙いは理解した。まったく、やり方が相変わらず……」


 常盤は大きなため息を吐いて眉間をしばらくおさえてから、


「虚太郎」

「はい」


 トン、と。

 ふいに呼ばれ振り向いた虚太郎の胸に、真っ白な筒が当てられた。筒はじわじわと、その体内へ沈んでゆく。

 肉体の密度を無視して押し込まれる感覚は、ミコにも覚えがある。

 

 これは、この光景は。


 コトンと音を立て向こう側へ抜け落ちた筒を拾い上げ、常盤が振り向き、言った。


「ミコ、これでお前の願いが叶ったのではないか?」

「うん!」


 鴉ちゃんの意図を理解し、ミコは高揚した気持ちで首を縦に振る。

 ただひとり事情を掴めない虚太郎が「どういうことですか?」と尋ねれば、常盤は苦虫を噛みつぶしたような顔で、

 

「虚太郎の万華鏡をもう一度創るために、この場所(劫波)に呪いが持ち込まれた。そういうことだ」

「一体なぜ」

「そりゃあ、虚太郎が現世とここ(劫波)をまた行き来できるようにだよ」


 と言っても、当の本人にはピンと来ていない様子。

 常盤は至極不愉快そうに、繋がった線の全容を語る。


「ややこしい話だが。万華鏡は本来、心を切り取ってつくるもの。だがお前は少々特殊な境遇だ。肉体・存在の維持に呪いを使っている故、呪いと心が解け合ってひとつになっている」

「俺は、心も身体も呪いで出来ているということですね」

「ああ。だがお前は空狐を封じるために、その身の呪いを全て使ってしまった。閻魔のはからいでかろうじて肉体を維持できているものの、新たに万華鏡をつくるほどの余剰は無い」


 ここまでは理解できるな? との問いに、虚太郎は「はい」と短く返す。


「お前が新たに万華鏡を手にするためには、その身に呪いを貯めねばならん。しかしこの地(劫波)に呪いは無く、呪いを貯めるために万華鏡を持たずに現世へ行けばここにはもう戻れない。わしとしては、そのままお前が現世で正しい死を迎えればそれで良かったのだが」


 常盤は言葉を切って、避難がましい視線をミコへと向けた。


「こやつが話をややこしくした。お前をこの地に引き止めたくせに、お前を現世へ連れたがっている」

「いや、それ自体はややこしくは無いんだよ。万華鏡があれば現世とここは行き来し放題なんだし。万華鏡が無くなったから一方通行になっちゃっただけで」


 何らかの方法でもう一度虚太郎が万華鏡を手に入れさえすれば、それで事態は解決する……はずだった。

 ただし、その方法が想像以上に難しかった。


「アタシだって方法はいろいろ考えたんだよ。虚太郎が一回現世に行ってそこで呪いを吸収してから現世に常盤を呼んで万華鏡を作るとか、何らかの方法でアタシか常盤が現世に行って呪いをまとめてここに持ってくるとか」


 思いつく限りの方法は提案した。

 だが、所詮ミコの持つ知識はあくまで現世のものだ。

 観測者の地は未だ未知なるものの集合体。時間空間の概念の違い、呪いという存在、万華鏡もそのひとつ。現実的に可能な提案をするための情報が、圧倒的に不足していた。


「全部できないって却下されちゃったんだよ。地上に降りれば時間が進むだの、(ことわり)がどうだのって」

「仕方ないだろう。ワシとて、何も嫌がらせで否定しているのではない。無理なものは無理なのだ。そもそも、この地の長い営みのなかで二度も万華鏡をつくった前例など無いのが、不可能である良い証拠だろう」

 

 ぴしゃりと言い切られ、ミコは「ちぇ」と舌打ち。

 このやりとりは、虚太郎が居ないところで何度も繰り返したものだ。


 しかし、それもついに終幕を迎える。


「でも、出来たじゃん」

「まさか鴉が動くとは」


「ミコちゃんが今一番欲しいもんや」と言った行商人の顔が、鮮明に思い浮かぶ。

 今回の買い物で得たものは、虚太郎の万華鏡をもう一度作るために欠けていたパーツ。

 

「役割ってやつのおかげ?」

「そう……だな」

 

 観測者である常盤ではどうあがいても不可能だったことが、別の役割を持つ鴉ちゃんなら可能になる。

 この事実は、もしかすると万華鏡を得たこと以上に価値があるかもしれない。


 広がった可能性に笑みが抑えきれずニヤつくミコに、常盤は「厄介なことは考えるなよ」と念を押し、あらためて虚太郎へと向き直った。


「突然で状況も読めんだろうが、とにかく万華鏡は再び形を得た。三度目があるかは分からん。大切にしろよ」


 ここまで来るのにずいぶん遠回りしたが、やっと再びスタートラインに立った。


「また一緒に現世へ行こう。たくさん手伝ってもらうから、覚悟して!」

「おおせのままに」


 湧き上がる意欲を持ってミコは手を差し出し、虚太郎と固く握手を結んだ。



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