四枚目:熱意
「まずは正門を出て正面通りの商業区へ向かわれると良いでしょう。必要なものがあれば、お店の者にこちらのペンダントをお見せください。代金はすべて城に請求されます。また、あそこは巡回兵や詰所のおかげで治安も良いですが、もし困ったことが起きたら、すぐに周囲の兵か私に相談してくださいね」
ミゼリアの元まで案内をしてくれたお姉さんから一通り説明を受けペンダントを受け取る。
田舎の高校生として大金といえばお互い趣味の為の軍資金調達として始めたアルバイト代くらいだろう。私たちにとっては大金なバイト代などかすむほどこのペンダントには価値があるのだと説明が無くとも理解する。失くしたらどうしよう。お互い怖くなりどちらが持つか押し付け合いという名の揉めごとはジャンケンのすえ光花の首元に収まった。
城の巨大な鉄格子の門をくぐり、一歩、大通りへと足を踏み出した瞬間。私たちはまるで、沸き立つ熱いスープのなかに放り込まれたかのような衝撃を受けた。
「……うわあ、すごい活気……!」光花が両手で耳を覆うようにして、歓声とも悲鳴ともつかない声をあげる。遥か高い城の窓から見下ろしていたあの赤い屋根の街並みが、いま、私たちの目の前で巨大な現実となって迫っていた。通りの両側には、ごつごつとした白い石壁の建物がどこまでも連なり、その一階部分はすべて、色とりどりの天幕を広げた露店で埋め尽くされている。
そこを行き交う人々の波は、日本の満員電車を思わせるほど密で、けれど決定的に違っていたのは、その全員が爆発するようなエネルギーを放っていることだった。カシャカシャと小気味よく響く馬車の轍の音。地鳴りのように地を震わせる商人たちの怒号のような呼び込みの声。そして何より、鼻腔を容赦なく突き抜けていく「匂い」の洪水に目眩がしそうだった。
見たこともない極彩色の果実が放つ、甘酸っぱく濃厚な香り。大釜でグツグツと煮込まれている、ピリッと辛い未知のスパイスの匂い。すれ違う革鎧の戦士たちから漂う、汗と鉄錆の匂い。地球の小綺麗な街並みしか知らなかった私たちにとって、それは野生の生命力がそのまま押し寄せてくるような、圧倒的な洗礼だった。
「光花、はぐれないで!」「うんっ!」人波に流されそうになる光花の手をしっかりと引きながら、私は自然と、胸元の一眼レフカメラを握りしめていた。レンズキャップを外し、ファインダーを覗く。液晶画面のなかに切り取られた世界は、どこを向いても絵画のようにドラマチックで、シャッターを切りたい衝動が指先から全身へ、電気のように駆け巡る。
『大人になったら海外に行き、日本では撮れないような写真を撮りたい』叶わないはずだった私の夢に指が、いま、この見知らぬ世界の熱気を受け止めて震えていた。「……撮りたい」誰に言うでもなく呟き、私は人混みのなかでしっかりと両足を踏み締め、異世界での「本当の最初の1枚」にピントを合わせた。
しばらくの間、私の衝動的な撮影に文句ひとつ言わず付き合ってくれていた光花が、ある露店の前でピタリと足を止めた。
「……わあ、薫ちゃん、見て! すごく可愛い!」弾んだ声に誘われて視線を向けると、そこは木製の棚にびっしりと小物が並んだアクセサリー店だった。地球の大量生産品にはない、いびつで温かみのある銀細工。見たこともない鳥の極彩色の羽をあしらった髪飾りや、光の角度で緑から青へと色を変える不思議な鉱石の指輪。服飾を学ぶ光花にとって、それはまさに宝の山だったのだろう。彼女の瞳は、まるで子供のようにキラキラと輝いていた。
「ねえ、これ……写真に撮ってもいいのかな?」
光花はポケットから自分のスマホを取り出し、愛おしそうにディスプレイを見つめながら私に尋ねた。自分の感性で、この素敵なデザインを記録に残したい――そんな未来のデザイナーとしての本能が覗いていた。
「お店の人に聞いてみよう」私が背中を押すと、光花は少し緊張しながらも、店番をしていた女性に話しかけた。スラリとした高身長に、エキゾチックな織物の美しい衣服をまとい、自身が作ったとおぼしき大ぶりのイヤリングを揺らしている、とても綺麗な大人の女性だ。
「あの、すみません! このお店のアクセサリー、とっても素敵なので、私のこれで……ええと、写真を撮ってもいいですか!」
差し出されたスマホと「写真」という未知の単語に、綺麗なお姉さんは形の良い眉を少しひそめて首を傾げた。きらめく黒い瞳で、スマホの画面を不思議そうに見つめている。この世界には、一瞬で景色を写し取る技術など存在しないのだ。
「しゃしん……? よく分からないけれど、その平らな板で何をするのかしら?」
「あ、ええと、この機械の中に、この綺麗なアクセサリーの形をそのまま写して、いつでも見られるように保存するんです!」
一生懸命に説明する光花の熱意に押されたのか、お姉さんはフッと魅力的な笑みをこぼし、腰に手を当てた。
「なるほど、不思議な魔道具ね。よく分からないけれど、あなたがいま、私の作った作品をえらく気に入ってくれたのは伝わったわ。商品に傷をつけたり、泥棒みたいな変なことをしないって言うんなら、好きにしなさい」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで頭を下げると、光花はさっそくスマホを構えた。今度はフラッシュがオフになっていることを何度も画面で確認し、お気に入りの銀細工のブローチにそっとカメラを向ける。
――カシャ。頼りない電子音が響き、スマホの画面に、異世界の職人が作った美しいブローチが鮮明に映し出された。
「すごい……綺麗に撮れた…見て!薫ちゃん!私、専門学校に行けなくなって一時はどうしようかと思ったけど…この世界、私の知らないデザインで溢れてるよ!」
画面を宝物のように抱きしめる光花の笑顔を見て、私の胸の奥もじんわりと温かくなった。未来を奪われたと絶望していた私たちは、この大都市の熱気のなかで、それぞれのやり方で一歩を踏み出し始めている。
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