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命のかぎり  作者: 深月咲楽
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第2章

(1)


 携帯の着メロで目が醒めた。赤胴鈴の介のテーマ。うちのコンビ名の元になったキャラだ。

 私と相方の深雪は、小学生の時、同じ剣道場に通っていた。そこで、この少年剣士から名前を取り「涼之介」と名付けたのだ。

「う~ん」

 起き上がって顔をしかめた。ひどい頭痛だ。携帯電話を手に取ると、モニターには相方の名前が映し出されている。連絡事項はメールでやりとりすることになっているのだが。

 私は不思議に思いながら、携帯を耳に当てた。

「まだ8時やで。何の用?」

 昨日は一晩中、田川のヤケ酒に付き合わされた。彼はとにかく酒が強く、同じペースで飲むと二日酔いで苦しまされることとなる。おまけに、散々愚痴を聞かせて人のテンションを下げておきながら、当の本人はケロッとしているのだから、付き合わされる方はたまったもんじゃない。

 途中で呼び出した、私と同期のピン芸人、家村宏太いえむらこうたと2人、これまでにないほどの勢いで荒れまくる田川をなだめてすかして家まで送り届け、ようやく戻って来られたのは午前6時。それからシャワーを浴びたりなんやかやで、布団に入った時にはもう7時を過ぎていた。寝付いてから、わずか1時間にして起こされたことになる。

「それが……えらいことになってん」

 電話の向こうから聞こえる深雪の声は、かなり慌てているようだ。

「どないしたん?」

 イヤな予感がして聞き返す。戻って来た深雪の答えに、私は飛び起きた。

「萌絵が死んだらしいねん。しかも、殺されてんて」


(2)


「私のせいやわ。私がアカンかってん」

 ナンバ東署に向かう道中、深雪は何度も同じ言葉を繰り返していた。

「つまり、『例の妊娠の噂を田川さんから聞いた』って、萌絵に伝えたんやね」

 深雪は、頭がとっちらかると、支離滅裂な日本語を話し始める。舞台などではそれがウケることもあるのだが、実生活では甚だ厄介な悪癖だ。

「うん。で、警察にもぶっ殺してもうて」

「え?」

 ひとつの事柄がようやく理解できたと思ったら、また訳の分からないことを言い出す。私は気長に聞き返した。

「せやから、田川さんが、萌絵をぶっ殺してもうて、殴ったって」

「ああ、萌絵と田川さんがもめたこと、警察に話してもうたん? で、田川さんが警察に連れて行かれたってことか」

 話の順番が入れ替わっているが、要するにそう言うことなのだろう。

「そう。そうやねん。せやから、私のせいやねん」

 深雪はそう言って、鼻をすすり上げた。

 どうやら、田川と萌絵のケンカの原因を作ったのも、警察に田川をしょっぴかせたのも、深雪の口が引き起こしたことらしい。私は深雪を見た。

「ほんまにもう、言葉を口に出す前によく考えろって、いつも言うてるやろ?」

「わかってる。もうほんまに、今度だけは、もうほんまに、もうイヤやわ」

 わかりにくいが、大いに反省しているのはたしかだ。私は溜息をついた。

 ナンバ東署には、私の大学時代からの友人がいる。彼、白谷庄吉しらたにしょうきちは捜査一課で刑事をしており、今回の萌絵の事件の担当になったらしい。深雪の証言で容疑者にされてしまった田川から、私の名前が出たため、ナンバ東署へと呼び出されたのだ。もう一度話を聞きたいということで、深雪も連れて行くことになった。

 萌絵が殺害されたのは、今日の午前2時から2時半の間。死因は絞殺だった。ベッドの枠にかけられたロープを首に巻き付けて亡くなっていたそうで、それだけを見れば自殺のようだったという。しかし、部屋が荒らされていたこと、首に2本のヒモの痕が残されていたことから、他殺と判断されたらしい。

 それ以上の詳しいことは、現在行われている司法解剖待ちという話だった。

 横で泣きじゃくる深雪をなだめながら歩くうち、ナンバ東署の建物が現れた。


(3)


「ほんなら、田川恭博と一晩中一緒におったっちゅうのは、ほんまやねんな」

 庄吉に確認され、頷く。

「もっと証言がいるんやったら、私と同期の子が付き合わされてたし、呼んでもええで」

 私が言うと、庄吉は首を横に振った。

「さっき、お前らがおったっちゅう居酒屋からの証言も取れたしな。犯人が部屋にいてたと思われる午前2時から2時半までのアリバイは完璧や」

 私は、ナンバ東署の会議室のような所に通されていた。パイプ椅子に座らされ、テーブルを挟んで向かい側に庄吉が腰を下ろしていた。テーブルにはお茶が置かれていたが、色だけしか付いていないようで、香りも何もしてこない。

 相方の深雪は、他の部屋で話を聞かれているようだ。会話が無事に成り立っていればいいのだが。

「にしても、ずいぶんはっきり時刻が出たもんやね。解剖はまだ済んでへんのやろ?」

 私は不思議に思って尋ねた。

「おお。初めに部屋で何かが倒れるような音がした時間が午前2時。下の住人と隣の住人が聞いとった。それから少しして、今度は何やら引っくり返すような音が聞こえてきたそうや」

 庄吉は続けた。

「不審に思った隣の人が、彼女の部屋の呼び鈴を押してみた。せやけど、誰も応答せえへん。ドアには鍵がかかっていて、中の様子もわからん。怖くなったその人は、警察に連絡し、様子を見に来た警察官が杉下萌絵の遺体を発見した、というわけや。警察官が来た時には、鍵は開いとったらしいけどな」

「警察官が来た段階では鍵が開いていたってことは、その間に、誰かが部屋から出て行ったってこと?」

「おお。その通報した人、自分の家に戻って警察に電話したらしいねんけどな。連絡し終わって部屋を出ようとした時、男が走り去る姿を見たそうや。エレベーターで上がって来た警察官は見かけてへんみたいやし、階段で下りたんやろうな」

「その男が犯人である可能性が高いってわけや。つまり、殺人で間違いないんやね?」

「電話でも話したけどな、索条痕が2本あったんや。1本は顔に並行に、前で交差した跡があった。それから、ベッドの枠にひもをひっかけて、自殺したかのように見せかけたみたいやな。

 平行に通ってる痕の方は、そんなに深くなかった。おそらく、軽く首を絞めて気絶させてから、自殺のように工作したんやろう」

「ベッドの枠にひもをひっかけたくらいで、死ぬもんなん?」

 私はよくイメージがわかず、尋ねた。

「ああ。一時、健康法とか言ってドアの取っ手にひもをひっかけて、首をひっぱるのが流行ったやろ? あの時は、ほんまに事故死が出て大変やってんけどな。その『取っ手』を『ベッドの枠』に置き換えたら、そんな感じやわ」

「ふうん。ほんなら、ベッドの脇に座った形で発見されたってこと?」

 私が尋ねると、庄吉は頷いた。

「ああ。物色された跡が残されているにもかかわらず、遺体の方は自殺に見せかけられている。ここんところが、どうも矛盾してるやろ?」

「ほんまやね。他殺に見せかけたかったんか、自殺に見せかけたかったんか」

「わからんな。ただ、通帳や現金が入っていたところも物色してるけど、手をつけた様子はないし、物色の目的は金目のものではなかったってことやろう」

 庄吉は頭をかいて続けた。

「何か他のものを探していたのか、それとも単に泥棒に見せ掛けようとしただけなのか……。鍵にはこじ開けられた跡はなかったし、家に上げたんやとしたら、顔見知りの可能性が高いやろう。まあ、いずれにしても、怨恨の線が強いような気がするな」

「怨恨? まさか……」

 思わず言葉を無くす。

「なあ、杉下萌絵を恨んでそうなやつ、おれへんか?」

「別に、思いあたらへんけど」

「男性関係は?」

「さあ」

 私は首を傾げた。

「放送作家の橘リキヤとの関係、なんか聞いてへんか?」

「ああ、なんや噂は流れてるけどなあ。やっかみもかなり入ってると思うし、ほんまか嘘かはわかれへんわ」

「そうか」

 庄吉は顎に手を当てて頷いた。

「今のところ、一番怪しいんは田川やねんけどな。アリバイがあるとなると……」

「あの田川さんが言わはった『ぶっ殺す』っていうのは、売り言葉に買い言葉やで。あの後、萌絵もめっちゃ反省しとったみたいやし、私もそのことは、飲んでる時に田川さんに伝えたし」

 私の言葉に、庄吉は頭をかきながらこちらを見る。

「で、伝えた時、田川はどんな感じやった?」

「大人げないことしたって。萌絵に腹が立つっていうより、自分自身に嫌気が差すって言うてはったわ」

「ふうん。そうか」

 庄吉は腕を組んだ。

「せやけど、田川が杉下萌絵の噂を流したんは、間違いないんやろ?」

「田川さん自身は、自分が見たことを言っただけやって、言うてはったけど」

「そうか」

 庄吉が溜息をついた時、ドアがノックされた。立ち上がり、ドアを開ける。

 私達より少し年上っぽい男性が庄吉に向かい、紙を片手に何やら話しかけてきた。私は手持ち無沙汰で、冷め切ってしまったお茶に口を付けた。

「うわっ。何これ」

 あまりのマズさに顔をしかめた時、庄吉が私の方を振り返った。

「おい、お前、杉下萌絵から、何か聞いてたことはないか?」

「何かって?」

 お茶をテーブルに戻して答える。彼は、ドアを閉めてこちらに歩いてくると、私の正面に座った。

「変わった様子とか、何か感じひんかったか?」

「何? 何かあったん?」

 逆に尋ねると、彼は何かメモされた紙をテーブルに載せ、椅子の背にもたれた。

「解剖結果が出たんや。杉下萌絵、末期の子宮癌やったらしい。あちこち転移しとったし、おそらく何ヶ月ももたへんかったやろうって」

「末期の……子宮癌?」

 産婦人科から出て来た彼女。その理由が、これだったのだろうか。

「お前、全然気が付かへんかったんか」

「うん。そんな素振り、全然……」

 なんで気が付かなかったんだろう。しょっちゅう一緒にいたというのに。

 たしかに少し痩せた気はした。しかし、彼女はこのところ、とっても忙しくしていた。そのせいだろうと思い込んでいたのだ。私は唇を噛んだ。


(4)


 萌絵の葬儀の帰り、私達は誰言うことなく、イワタ演芸場の楽屋1に集まっていた。重苦しい雰囲気の中、一番初めに口を開いたのはナイトメアの田川恭博だった。

「俺、ほんまに悪いことしてもうた。産婦人科から出て来た萌絵を見て、てっきり妊娠してるもんとばかり……」

「萌絵、最近は橘先生の番組ばっかり出てましたからね。そう思いはるんも、仕方ないことやと思いますよ。僕も、みんなに言いふらしてもうて……。なんや、ごっつい後味が悪いですわ」

 萌絵と同期の横田幾久よこたいくひさが、溜息まじりに言った。彼は、チョビヒゲ隊というトリオのリーダーで、ツッコミを担当している。

「せやけど、あいつ、どうして殺されたんでしょうね」

 横田と同じチョビヒゲ隊でボケを担当している伊佐山龍いさやまりゅうが、腕を組んで首を傾げた。

「ほんまに自殺やないんですか? お友達の刑事さんは、何て?」

 彼はそう言いながら、私の方を見た。私の友人、白谷庄吉がナンバ東署で刑事をやっていることは、既に隅々にまで知れ渡っているらしい。

「自殺ではないみたいやね。索条痕が2本あったらしいし」

「サクジョウコンって、何?」

 私の正面に座っていた深雪が、不思議そうに尋ねる。

「ロープみたいなひも状のものの跡ってことや。つまり、彼女はひものようなもので2回、首を絞められていたってこと」

 私は伊佐山の方に向き直ると続けた。

「2本の索条痕のうち、1本はそんなに深くなかったらしいねん。しかも、顔の前で交差した跡があったみたいでね。犯人は、萌絵の首をひもで絞めて気絶させた後、自殺に見えるように工作したと考えるのが自然らしいわね」

「で、鍵をこじ開けた跡はなかったんか?」

 田川に聞かれ、頷いた。

「みたいですね」

「こじ開けたんちゃうかったら、萌絵が自分で開けたってことになりますよね?」

 それまで黙っていたチョビヒゲ隊の最後のひとり、やはりボケ担当の本宮信太郎もとみやしんたろうが、神妙な面持ちで尋ねてきた。

「そういうことになるわね」

「つまり、犯人は顔見知りってことですか?」

 横田に聞かれ、私は頷いた。

「多分ね。あの子、結構用心深い方やったし、知らん人を家に上げるようなことはせえへんかったと思うし」

「物色された跡があったって話、聞いたけど?」

 今まで黙っていたナイトメアの井頭が、ようやく口を挟んできた。

「ええ。でも、金目のものは手つかずやったらしくて。何か他のものを探してたんか、泥棒に見せかけようとしてたんか……」

「何か他のもん、か。人を殺してでも手に入れなあかんもんなんて、あるんやろか」

 井頭の言葉に、皆黙り込んだ。

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