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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
七.想いはちぎれて
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088.剣に託された想い



 冬が近い。

 漠然と、そう思った。

 この地域は雪さえ降らなくとも、冬には寒々しい景色に覆われる。

 といっても、数年前の華やかな時代にはそれ以上の活気があったから、そんな寒さもあまり感じられなかったけれど――。

 ちらりと目を横にやると、錆びて動かなくなった高炉が目に入った。

 この町で一番の製鉄所だった場所だ。

 半分住みつくようにして働いていた旅人も多かったこの町だったから、毎日のように繁盛していたのを覚えている。

 今ではすっかり朽ちてしまって、壁も無残に崩れ、昔の面影などどこにも見当たらないが……。

 腰に携えた剣がいつもより重いような気がして、小さく唇を噛み締めた。

 町を出る。荒れた道を歩く足取りもどこか現実感がない。

 山を少し登れば次々とその向こうの山がシルエットとして見えてくる。ディスリエ大陸のこの辺りはこんな山が群生しているのだ。

 ふと、先刻まで自分がいた場所のことを思い出していた。



 ***



「あれ、ピュラは~?」

 帰ってきたセルピは開口一番、そう言った。

「あ、セルピ! よかった、無事だったんだね」

 クリュウはその姿を見て安心したように微笑むと、ピュラがディリィと共に出かけていった――連れていかれたというのが正しいだろうか――ことを告げた。

「ふにゃ~、大変だね」

 小柄な体を傾げるようにして頷く。

 ふと、黙ったままだったスイが口をきいた。

「旅はハルと一緒だったのか?」

 先ほどのヘイズルとハルリオとの会話でなんとなく予想したことだ。するとセルピもまたハルリオとの出来事を語る。

「そうか……」

 スイが納得したように頷くと、今度はクリュウが心配そうに彼の顔を覗き込んできた。

「それでスイ、さっきヘイズルはなんて言ってた?」

「――ああ」

 丁度そこは入り口近くの通路だからと人通りを気にしたのか、スイはわずかに声を潜める。

「今度は俺とハルだけが行くことになった」

 詳しい内容はあまり口にだしたくなかった。

 それは彼にとって心が悲鳴をあげたくなるようなことなのだから。

 ――誰かの命を殺めにいくなど。

 この大地に生まれ、生き続けてきた者の命を勝手な都合で断つなど……。

 ――否、それも単なる奇麗事か。

「クリュウ。俺がいない間、セルピと待っててくれるか」

「え……、僕も待ってるの?」

 とっさにクリュウは聞き返した。当たり前だ、魔物に襲われているところを助けてもらってから2年間、クリュウは彼の傍を長く離れたことなどなかったのだから。

「セルピを一人にはしたくない」

「あ――」

 セルピは何かを言いかけて……よどんだ。

 確かに彼女はピュラやスイ、クリュウ以外に本心から頼れるような者がいない。仮にも彼女は失踪中の上級貴族なのだ、いざとなったときに一人は辛いものがあるだろう。

 クリュウも察したようで、素直に頷いた。

「わかったよ。セルピと待ってる」

「……ゴメンね」

「いいよ、気にしないで」

 クリュウはつい、と飛んでいってセルピの肩口にとまる。

「スイはどの辺りに行くの?」

「ここから少し北だ」

「そう……」

 心配そうにクリュウはその瞳を揺らめかせる。

「心配ない、すぐに戻る」

 スイにはそれしか言うべき言葉が見つけられなかった。

 他の言葉を紡いだとしても、この状況では気休めにすらならないだろう。

「……気をつけてね」

「ああ」

 不安そうな二人の視線を受けて、せめてにと頷く。

 そうしてスイはセルピにちゃんと休むようにと加えて、静かに外に向かった。

 まだ出発の時間までは少しあるが、……それまで風に当たっていたかったのだ。

 小さな入り口から足を踏み出せば、吹きすさぶ海からの潮風が髪をなぶる。

 ひょっとするとこのまま何処まで歩いても同じ廃墟が見えるのではないだろうか……そんな錯覚さえ覚えるほど、辺りの景色はかすんで見える。

 見慣れたはずだった道を歩いて、とある高台の上まで来てみた。

 町の一角にあるその高台からは町の全てが見下ろせるのだ。

 一瞬、その高台に上ったときに胸が上ずった。石畳の道、レンガを積み重ねた石縁。網膜に焼きついた光景がゆっくりとかぶる。

 ――懐かしい?

 ……よく、わからなかった。

 自分の胸にわだかまる、この気持ちに彼が名前をつけられるはずもなく。

 スイは何年か前と同じように、高台の石縁に腰掛けた。

 そのときに心の深層を走るものは、針に刺される痛さのような、ふんわりと包むあたたかなもののような、それでいて鋭利な刃で切り裂くような……、様々な記憶。

 久々にやってきたその視点から、遠くに目をやった。

 滅びた町の向こうには広大な海が広がっていて、その向こうには夢の先にある世界のような青空がのびやかに広がっている。

 視線を左右に向ければ、この町を取り囲むようにしてそびえる山の姿。

 この町は海に、山に、……そして空に抱かれていたのだ。

 瞳を閉じて、僅かに夢想した。

 それは遠い日のこと。よく自分はここに座って、ぼんやりと町を見下ろしていて……。

 隣にはひとつの影。無邪気な笑顔でこちらを見上げる……、

 ――ずっとずっと、続くはずだった日常。

「――」

 おもむろにすらりと剣を引き抜いた。

 陽の光を吸った肌が、目を細めるほどに輝く。

 誰かの想いすら吸い込んだ剣。

 それでいて、幾人もの人の血を吸い込んだ剣。

 しかしそんな託された剣の重さは、やはり彼の瞳に淋しげな想いをつのらせるだけで……。

「ここにいましたか」

 スイは、振り返らなかった。

 ただ……、剣から視線を離して海に投げかけたくらいだった。

 後ろからの声は静かに続ける。

「懐かしい場所ですね。すっかり見える光景は変わってしまいましたが……」

 こつり、と石畳を踏む音がした。

 その気配は風を楽しむかのように、身をゆだねているのだろうか。

 やはりスイは振り返らない。

 だが声はさして気にしたそぶりもなく、こんな問いを投げかけてきた。

「あなたは貴族を憎んでいますか?」

 空の高いところを鳥が飛んでいく。風の強い場所を、風に乗ってあるいは切って、どこまでも羽ばたいていく。

「あなたの兄を奪い、住む場所を奪い、存在を奪い――」

 スイは握り締めた剣に更に力を込めた。光を湛える剣の肌には、自分の顔が映っている。

 そうして次の言葉に、瞳を、伏せる――。

「フレアを奪った貴族を。だからあなたは戦うのですか?」

 言葉に感情は伺えない。

 風はとても優しく頬を撫でる。

「だが、クォーツは……そんな貴族の為に戦っていた」

 ぼそりと、しかしどこか強い口調でスイは言っていた。まるで自分の心にそう刻み付けるように。

「貴族から直属で雇われたときの報酬は、ギルドのものと雲泥の差がありますからね」

「違う」

 ふっと後ろの気配に、わずかな揺らぎが見えた気がした。

 珍しく人の言葉を遮るようにしたスイは……ただ、何かに耐えるような表情をみせながら。

「あいつが戦い続けていた理由は―――」

 ……その続きを、心の中だけで呟く。

 そしてそれを自分の罪として、また背中に背負って。

 ――剣を鞘に収めた。

 ぱちん、と小気味良い音がする。

 そうして……ゆっくりと、振り向いた。

「貴族を憎んだことは一度もない」

 空色の瞳に向けて、そう紡ぐ。

 ハルリオは、何の表情も読み取れぬ顔で、その瞳を僅かに細めてみせた。

「それでは何故剣を振るうのですか?」

 スイは収めた剣を腰に携える。

 ふい、と視線を石畳に落とした。口元を引きしばり、押し出すように答える。

「そうでなかったら、……誰がクォーツの最後の願いを聞き届けるんだ」

「最後の願い……ですか」

 言葉を口の中に含むようにハルリオは呟いて、小さく笑った。

「やはりあなたはクォーツに似ていますね」

 その容貌というよりは、その面影が。

 その性格というよりは、その性質が。

 そして、その瞳に映る海の色が……。

「まるで義理の兄弟とは思えません。今も、クォーツと会話しているようにすら思えますから」

「ハル」

 スイは静かに立ち上がって、ハルリオと正面から向き合った。

 太陽が一番高いところに昇ろうとしている。――出発の、刻限だ。

「クォーツは……強かったか?」

 自分の兄の相棒だった者へ、スイは問いかける。

 ハルリオは、穏やかに微笑んだ。まさかこれから誰かを殺しにいくとは到底思えない、静まり返った微笑みを――。

 こつっと風化しかけた石畳が鳴る。灰色のマントがひるがえって、淡い金色の髪がさらさらとなびく。

「それはあなたが一番よく知っているはずですよ」

 後姿で、ハルリオはそう答えた。

 スイは何も言わない。ただ、一度瞳を閉じて……もう一度、開いた。

 黒よりもずっと深い海の蒼。そんな瞳にいくつもの想いを秘めて……。

「さて、行きましょうか。そろそろ時間です」

「――ああ」

 スイはその金色の後姿を追いかけて、歩き出した。

 きっと、それは兄がそうしていたのと同じように――。



 ***



 スイたちは町をでてからも順調に足取りを進め、ついに一週間後にはディムロード領主の住む港町グリニギルにたどり着いた。

 グリニギル――少し前にはじめてテスタと落ち合った町でもある、炎の堕天使と謳われた女将軍プリエルの故郷だ。

 山と海に囲まれたこの町では、海の幸にも山の幸にも恵まれているようで、人々の活気も目に見える。

 その様子はまるで最も華やいでいたころのレムゾンジーナと似ているようにも思えて……スイは僅かに目を伏せた。

「スイは少し待っていて下さいね、私が屋敷の周りを見てきますから。夕暮れに落ち合いましょう」

 ハルリオはそういうなり、勝手に一人で人ごみに消えてしまった。確かに敵の様子を探りにいくのはハルリオの方が場数も踏んでいるし安全なのだろう――そう思ってスイはひとまずどこかの裏道に入ってしまうことにした。誰に会うかもわからずに町をうろつくよりは、裏道の隅でひっそりとしていた方が目立たないだろう。

 とりあえず屋敷の位置だけは先に確認しておこうとして辺りを見回す。

 するとすぐに、小高い丘の上にそびえる立派な屋敷が視界に入った。

 他にも貴族の館はありそうだったが、あの大きさからしてきっとディムロード領主の館だろう。

 屋敷の背後には切り立った崖が肌をさらしており、裏からは入れそうにない作りになっている。暗殺対策の一環なのだろう。

 すると、やはり横から攻めていくしかないだろうか。それか、どこかしらの抜け道を使って内部に潜入するか――。

 次の瞬間、不意に視界の片隅に影がさした。

 ――どんっ!

 肩に衝撃。誰かが前方も注意せずに走ってきたらしい。人通りの多い道の中であったから、音に気付いて何人かがこちらを振り向くのが見える。

「わっ……と、失礼っ」

 視線をさげれば、帽子を目深にかぶった少年――恐らく十台半ばか――が困ったような表情を浮かべていた。

 恐らく今体からぶつかってきたのは彼なのだろう。走っていたからかわずかに顔が紅潮している。

 着ているのはそこらの市民が着ているのと同じ、木綿の服だ。

 帽子のせいで瞳が半分隠れているのが原因か、その顔の全貌はほぼ掴めなかったのだが――優しいような、底知れぬような、不思議な印象を受ける出で立ちであった。

「って、……やばっ」

 少年は後ろを振り向くなり、更に困ったように口をへの字に曲げる。

 次にスイが気付いたときには既に少年は視界の彼方へと走り去ってしまっていた。

 随分と身軽そうな少年だ。追われているそぶりからして……食い逃げでもしたのだろうか。

 しかしそれもスイには全く関係のないことだ。スイはさして感慨を持つわけでもなく、そのままそそくさと裏道に足を踏み入れた。

 しばらく汚れた薄暗い道を歩いて、適度に明るいところで足を止めて壁に背をつける。

 そのまま景色と同化するかのようにじっと、佇んだ。

 己の息遣いを確かめるようにして、軽く胸に手をあてる。

 このまま誰にも知られずに逃げてしまえばそのどんなに楽なことか。

 一体何度そう思ったことだろう。

 名前も捨てて、存在も捨てて……、享楽にふけったとしても、きっと責める者はいなかったろう。

 しかし、彼にはその選択ができなかったのだ。

 もしくは単に、勇気がなかっただけだろうか?

 ――しかし、そんなことを心のどこかが囁く瞬間に、彼は思いだすのだった。

 あの焼けて染み付いた炎の、橙色の記憶を。

 彼の剣に託された、一人の人間の想いを。

 外の喧騒が、まるでノイズのように遠く聞こえる。

 裏道には音がほぼないといっていい。空気は重く、辺りは暗い静寂が落ちている。

 見上げれば、こんなにも美しい空があるというのに。

 スイがふとそう思って、空を見上げたのとほぼ同じ瞬間だった。


 ――風が、唸った。

 突如体を一気に叩きつける爆風。とっさにスイは受身をとって地面に着地し、剣を引き抜いて構える。勢い良くもうもうと吹き上がる煙の嵐。一瞬、貴族側からの襲撃かと思った。しかし――まさかつけられていたということもあるまい。彼の名前を知る者は増えたものの、顔を知る者はまだあまりいないはずだ。

 だが、どうであれ油断は出来なかった。今の爆発は現実として、目の前で起きたことなのだ。

 その真偽を確かめるべく、スイは目をこらして煙の中を見据えた。どうやら、先ほど背にしていた壁の先にあった廃屋が突如爆発したらしい。その壁は嘘のように消し飛んで、今はがれきとなって足元に散乱している。

 そして――スイはその中にいる人影を5人、見つけていた。

「ちっ、運のいいヤツめ!」

 誰かが舌打ちする声が聞こえる。それはスイに向けられたものでは――なかった。気配は違う方向へと向けられている。

 そう認識するなり、スイは踵を返して走り出した。こんな厄介事に巻き込まれてはかなわない。

 長年の旅の経験で方向感覚においては鍛え上げられているスイだ。的確に現在の居場所を捉え、表通りにでて人ごみにまぎれようと最短ルートを走る――、

 しかし、その足は最後の角を曲がる前で不意に止まっていた。

 次の瞬間には、剣の柄に手をかけながら飛びのいて、鋭い視線を目の前に送っている。

 息さえもが詰まりそうな空間の中、ひょいっと軽いステップで躍り出たのは――帽子を目深に被った、細い少年。

 ……先ほどぶつかってきた彼であった。

「や、また会ったな! って今はそれどころじゃないんだ、ちょっとそこをどいてくれるかい?」



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