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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
七.想いはちぎれて
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087.見えない合図



 ぶわっとなぶられる髪に手をやりながら目を細める。

 強く吹き込む海の風。今日も廃墟の町を走る。

「――はあ?」

 そんな中、素っ頓狂な声。

 レムゾンジーナの中でも少し開けた道の真ん中に影が4つ。

 ピュラと対峙するディリィ――そしてそれを離れたところから見守るスイとクリュウであった。

 ディリィは人差し指をぴんとたてて小さくウィンクしてみせる。

「だってピュラちゃん、もう別れて4年も経つのよ? 師匠として弟子の力量を見ておきたくって」

 腰まで長く伸ばした紫紺の髪をあでやかにかきあげた。

「それにまだまだピュラちゃんの技は伸びると思うからね、ちゃんともう一度鍛えてあげたいし」

 帰ってきた次の日、突然ディリィに呼び出されたかと思えば――この状況。

 彼女が言うには一度二人で手合わせしようというのだ。

「きっ、鍛える……?」

 その言葉からピュラの脳裏に浮かぶもの。

 彼女と共に旅をした2年間。

 ――思い出すも忌まわしい記憶。

 そんな地獄の修行を思い出してしまった彼女は、思わず数歩後ずさる。

 もちろんディリィは、笑顔でぱきぱきと拳を鳴らせながらその分距離を詰める。

「ピュラちゃんがこれからの混乱で怪我なんてしたら……ああっ、考えるだけで眩暈がするわ」

「い、いや、あのディリィ? 私、今の力量でもう十分」

「うふふっ、そっちからこないならこっちからいくわよ~?」

 ピュラの顔がみるみる青ざめた。

 じりじりとディリィは彼女との差を縮めていき……、

「なななな……っきゃーーーー!!」

 ピュラの絶叫が木霊した瞬間、ディリィの最初の一撃が繰り出されていた。

 すんでのところでそれをかわして横に飛ぶ。

「ディリィ! あなた私を殺す気でしょっ!」

「いやだわ~ピュラちゃん。全然そんなことないわよ、単にピュラちゃんはまだまだ修行不足だと思うから」

「クリュウ! この人の思考回路を変えるかぶちぎるかする魔法はないの!?」

「そんな魔法あったらすごいよ……」

 ディリィによって繰り出される技の数々を必死でよけながら叫ぶピュラに、クリュウは笑みを引きつらせつつ返す。

「もうなんでこうなるのよーっっ!!」

「うーん、それじゃ、私に勝てたら修行はナシ!」

「そんなの太陽でも降ってこない限り無理よーーッ!」

 とうとう観念したのか、ピュラも一度とった距離の位置から構えを取った。

 ディリィは至極笑顔でしなやかな腕を腰にやる。

「うふふ、かわいい子には厳しくしちゃいたくなるのよね。さ、行くわよ~っ」

 そんな様子を横から見ていたクリュウは、次の瞬間、我が目を疑った。

 対峙していた二人の姿が、消えたのだ。

 ――と思った次の瞬間、ぶんっと風を切る音がすぐそこで炸裂した。

 ピュラの体が鮮やかに跳ね上がってディリィの背後を狙う。

 次の瞬間、ディリィは腰を落として身を引き、振ってきた拳を軽々と手のひらで受け止めてみせた。

 瞬時に赤毛の少女の持つ瞳に炎が激発し、一度体勢を立て直してからまた疾風のごとく立ち向かっていく。

 クリュウはしばらくそんな様子を口を半開きのまま見つめていた。

 ピュラの動きは手加減なしの、本気のそれであった。

 まるで舞っているかのような、しなやかな動き。閃光のように駆け抜けるその速さ。

 ……そしてそんな彼女をまるで子供のようにあしらうディリィには、絶句するばかりだ。

「あ、あの二人だけは敵にしちゃいけないね……」

「そうだな」

 スイはやはりいつものようにぼんやりとその情景を眺めていた。

 クリュウはふと空を見上げる。

 吸い込まれそうなほどに透き通った大気。

 その下には滅びた町が広がっている。

 時代にすら忘れられてしまった、風化を続ける町。

 ――思わず唇を噛み締めた。

 改めて思うのだ。ここには数多の人々が住んでいたのだと……。

 彼らに全く罪はないというのに。彼らはただ、幸福を求めてこの地に住んでいたというのに。

 ――貴族はこの町を、全てから切り捨ててしまったのだ。

 そうして今に残るのは静かな廃墟と寂れた匂い……。

 刹那、ぶんっと風が巻き起こるのを感じた。

 とっさに視線を向ければ、たった一瞬のことだが……ピュラがその体勢をわずかに崩しているのが見える。

 次に起こったことといえば、ディリィがその手を翻して軽くピュラの首後ろを叩き――。

 ピュラの橙色の瞳が揺れた。瞬間、足がかくん、と折れる。

 ――とさっ。

「はい、終了」

 糸が切れてしまったように倒れこんだピュラをディリィは支えると、そのまま軽く担ぎ上げてみせた。

「わっ、わわ、大丈夫……?」

「ええ、ちょっと眠ってもらっただけだから」

 ディリィは獲物でも捕らえたかのような、あでやかなピースサインを決める。

 そうして、少女のような幼さすら垣間見えるような笑顔で、ものすごいことをのたまった。

「それじゃ、これからちょっとこの子を鍛えなおしてくるから数日開けるわね」

「――はっ?」

 思わずクリュウは目を丸くする。

 彼女が言ったことの意味がわからなくて思考を巡らせるが――数秒後には大きな目を更に丸くしてみせた。

「え、ええええ!?」

「うふふ、この子はまだまだ伸びるわよー。頑張ってもらわなきゃ」

 言いながらスイの前まで歩いてくる。

 太陽に透ける彼の髪は、海と同じように煌いていた。

 ディリィは僅かに目を伏せる。ふっとそこに浮かぶのはわずかな憂いにも見えた。

 幾分かトーンを落とした声。

「この子、まだ変わったことはないわよね?」

 不意にスイの脳裏に、あの武術の都ドトラでの彼女の声が響く。彼は静かに目線をあげて彼女を見つめた。


 ――2年間、あの子と旅してたんだけどね。その間にあの子はずっと明るくなったし、笑うようになったし……。

 ――だけどひとつだけ戻らなかった感情があったわ。

 ――不安や恐れ、……つまり恐怖ね。あの子にはそれが今も欠落したまま……。

 ――だからもしも、ふとした弾みであの子に『恐怖』の感情が戻ったとき、

 ――あの子は――。


「ああ……変わりない」

「そ、良かったわ」

 ふふっとディリィは滲むように笑ってみせた。

「こうしてれば単なる可愛い女の子なんだけどねぇ」

 すっかり意識を失っているピュラの顔を覗き込む。

 確かに眠っている彼女は、どこにでもいるような娘にしか見えない。

 その炎の煌きを宿す瞳と、それに見合った強い眼差しを一度閉じてしまえば……。

 耳元のガーネットピアスは、陽光を吸い込んで、精一杯の輝きを放っていた。

 スイは思わずその眩しさに目を細める。

「色々心配かける困った子だわ」

「ああ……」

 ディリィも母が子にするように温もりを含んだ――そしてどこか憂いを帯びた目で赤毛の少女を眺めていた。

「それじゃ、行ってくるわね。後は頼んだわよ」

 もちろんそれも束の間、すぐに明るい表情に戻って首を傾げてみせる。

 ぱちん、と陽気なウインクを決めたかと思えば、既にその足は大地を蹴っていた。

 いくら手を伸ばしても届かぬ青空の下、分かたれる影、ふたつ。

「……この子を守ってあげてね、スイ君」

 最後に彼女が呟いた言葉が彼に届いたかは定かでない――。



***



「……――」

 スイは口を閉ざしたまま、佇んでいた。

「できないはずがないだろう?」

 対峙するのは、三十路も越した栗色の瞳。

 何かを確信しているような、自信に満ちた表情は、対峙する者を圧倒する。

 決して威圧する様子などないのに……、やはり、対峙する者の緊張はぬぐいとれない。

 そんな男、ヘイズルは、座ったまま軽く後頭部をかいた。

 海のようなスイの瞳が、橙のランプに照らされて揺らめく。

「……ああ」

 スイはやっとのことで、そう呟いた。

「なんだ、今更怖気づいたか?」

 ヘイズルが口元だけで笑う。

 この部屋の空気はひたすらに重い。

 体が押しつぶされてしまいそうだ。

「世界を止めたこの長い時代の代償はな、このくらいしないと払えないのさ」

 男は小さく肩をすくめてみせる。

 スイはじっと、部屋の隅の方に視線を落としたままだった。

「――そうだな」

 そのままそう紡ぐ。

「このままだと……また悲しみが増えるだけだ」

「――」

 ふと、ヘイズルの視線が扉にやられる。

 ――キィ――。

 ノブのまわされる音と、扉が開く音。外の涼しい空気がふわりと入る。

 ――そうして、それと共に。

「こんにちは」

 金髪の剣士ハルリオが、笑顔をこちらに向けていた。

 スイの瞳が僅かにはじける。

 まさか彼がここに来るとは思ってもいなかったのだ。

 ヘイズルも意外だったようで、ひゅぅと口笛を吹く。

「おう、珍客到来か。よく生きてたな」

 一層その口元の笑みを深めて、ハルリオに視線を投げた。

 ハルリオもまた、やわらかな笑顔を崩さずに胸に右手をあててみせる。

「お久しぶりですね、相変わらずお元気そうで」

「お前より先に死ぬ気はないぞ」

「それはそれは」

 ――スイたちがこの町に帰ってきてから三日。

 突然呼ばれたかと思えば……この顔ぶれである。

「スイ、やはりあなたもここに帰ってきましたね」

「…………ああ」

「このレムゾンジーナの生き残りが全集結というわけだな」

 くくっと喉を鳴らすヘイズルは、笑みをそのままに、一枚の書類をハルリオに差し出した。

「来てくれたばかりで悪いがな、すぐに仕事だ」

「随分と忙しそうですね」

 外の者も慌しかったし――と、書類を受け取ったハルリオはかすかに扉の方に視線をやる。

「なんせ人材不足だからな。お陰でお前みたいな一番関わり合いになりたくない奴を雇うことになったんだ」

「また人聞きの悪いことを言いますね――、おや」

 書類に落とされたその明るい空色の瞳が、僅かに深まった。

 暫く逡巡しているのか――その視線は最後、静かにスイに注がれる。

「これを、こなせと」

「おいおい、ここで無理なんて言うなよ」

 ヘイズルは含み笑いをしつつ、机に置きっぱなしになっているカップを手にとり口をつける。

「また大きなことを考えますね」

「天才と呼んでくれ」

 やや呆れたという風に肩をすくめるハルリオ。スイはぼんやりとしているような目で視線を下に彷徨わせたままだった。

「やれやれ……」

 空気はどうしてこうも重いのだろう。


「私とスイでディムロード領主を暗殺――出来ると思いますか?」


 ……どうして、こんなに体が重いのだろう。

「弱音は結果がでてから言ってくれ」

「私はまだ死にたくはありませんよ」

「奇遇だな、俺もだ」

 ふう、と諦めたような溜め息の後に、ハルリオはスイに視線を投げかけてくる。

「スイ、やれますか?」

「――ああ」

 あまり感慨も感じられない声が漏れるのを聞いて、彼は小さく笑ってみせた。

 ディムロード領。ここレムゾンジーナから北へ向かった先にある領土だ。

 そこの領主は貴族界でも裏の事情――武具の売買や賄賂のやりくり、果ては暗殺や麻薬販売まで――に精通しているという噂が絶えないという。

 つまり、その領主さえ討ってしまえば貴族界には裏の世界にも打撃が与えられるということである。

「わかりました。それではやりましょう」

 小さく呟く。

 そうするなり踵を返して部屋を後にしようとした。

 刹那、そんなハルリオを止めた声があった。

「おい、ハルリオ」

 彼が振り返る。ヘイズルの栗色の瞳がその瞳をとらえる。

「随分あっさりと協力する気になったな。何か理由でもあるのか?」

 恐らくその目には一種の疑いさえ持っているのだろう。

 理に反したことは絶対に受け取れない彼の性質からくるものだ。

 ハルリオの網膜にふっと映るのは炎の情景。

 この町が堕ちた日のことだ。

 あつくけぶる、焼けたものの匂いと。

 その色を吸い込んで橙に輝いていたあの銀色と。

 そのまま焼け付いて、繋がれた心と――。

 そうして逃げ出した、自分の姿と。

「――ひとり、不思議なことをする人がいるんです」

 驚くほど、声は穏やかだった。

 そこが地下の部屋であろうとも、彼の淡い金髪はきらきらと煌いている。

 その心の中にはそんな容姿を持った美しい姿と……、そうしてまた矛盾する何かの影を湛えた姿が共存しているのだろうか。

「その人の行く先を見届けたいと思いまして」

 言葉の後の数秒の沈黙を隔てて……ヘイズルは口の端を吊り上げてみせた。

「そりゃ大層なこった」

「そうでもないですよ」

 整った顔立ちの彼は、僅かにその瞳の色を揺らめかす。

 詳しい質問などはまた後ほどに、と始終穏やかなまま、ハルリオは部屋を後にした。

 部屋にはヘイズルとスイの二人が取り残される。

「スイ」

「……なんだ」

 ふとヘイズルが向けてきた視線に、スイはかすかに身構える。

 ヘイズルの顔は、まるで何を考えているのかもわからない表情だった。

 ただ、全てを見通しているように笑っているのだ。

 ――否、嗤っている、と言った方が近いだろうか。

「この世がどうなろうとな、人がこれだけ大量にいる世界で、苦しみや悲しみが消えることなんてないぞ」

 胸の内の、一番深いところをえぐられた感触――。

 その言葉は、まるで刃のようにスイの心に直接突き刺さってきた。

 動かないスイとうってかわって、ヘイズルは机に頬杖をついてみせる。

「貴族が消えても、理想郷が生まれても、人は苦しむぞ。誤解と憎悪、狂気と苦痛、どうしたってそんなものはなくならないさ。この世は『そういう風に出来ている』んだ」

 明らかに海の広がる瞳に戸惑いが走る。そうだ、この世にはあまりにも悲しいことがありすぎるのだ。この目で沢山見てきた、失って気付いた、大切なものと、失いたくなかったものと――。

 それを、これ以上の苦痛をなくすために戦っていると――いうのに。

「それだったら――」

「それだったら、どうして俺たちは世界を動かそうとしているのかって?」


 ――。


 重苦しい沈黙が、落ちる。

 さして声も響かない部屋だというのに、幾重にも重なって音が聞こえる。

 ヘイズルは、やはり笑っていた。

「そんなことは自分で考えろよ。世界を動かす意味と理由――、そうだな、お前はそういうことを考えないから、そんな成りをしてるんだろうな」

 最後は独り言を言うかのように小さく呟く。

 スイは黙って暫く目を伏せていたが……。

 自分の中に答えがないことを悟ったのだろうか、……軽く剣の鞘を鳴らせながら、また踵を返した。

 最後まで、振り向かず――部屋の重たい扉を、ばたん、という音と共に彼は閉めた。



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