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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
七.想いはちぎれて
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086.動き出すものは



「ピュラ」

 声と共に肩を揺すぶられる。

 ひどく気だるい気がした。吐く息でさえ重い。

 しかしそれでも起きなければならないとだと体に叱咤して、なんとか顔をあげた。

 いつの間に夜が明けたのだろうか、窓から飛び込んでくるのはまばゆい光の嵐。

 思わず目を細める。

「あら……寝てた?」

「ああ」

 どうやら机に突っ伏したまま眠ってしまったらしい。

 視線を向ければスイの顔。肩にクリュウが座っている。

「着いたぞ」

 眠気に閉じかかる目をこすりながらピュラは大きなあくびをついた。


 あの炎の記憶から既に幾日もの時が過ぎて――。


 この数日間はピュラたちにとって最悪の船旅となった。

 拍手を贈りたいくらい見事に嵐にぶつかったときは、本気で沈没を覚悟したほどだ。

 クレーブから次々と飛ばされる指令には、ピュラたちも総動員で働かされた。

 もちろん昼夜関係なく、ろくな睡眠もなしで、だ。

 お陰でやっと嵐を抜けて安全区域に入ったところで――ピュラは倒れるようにして眠りこけてしまったのだった。

 どうせなら部屋に戻ってしまえばよかったと、硬い椅子の上で今更ながらに彼女は思う。

 ふっと横に視線を向ければ飲みかけの茶が完全に冷めた状態で置いてある。きっと飲もうと思ったところで意識が途切れたのだろう。

 豊かな緋色の髪をくしゃりと握りしめる。

「――うー、分かったわ。行くわよ」

「ピュラ、大丈夫?」

 ついっとクリュウが机の上から心配そうに聞いてくる。

 ピュラはそんなクリュウにふと視線を向けて――呟く。

「……あらあなた、あのドレスもう脱いじゃったの?」

 たったそれだけで、おもしろいくらいにクリュウの顔が真っ青に変貌した。

「な、なんであんなのまだ着てなきゃいけないのーっ!」

「普段着にすればいいじゃない、可愛いわよ」

「全然可愛くないよ……」

 クリュウはへなへなとうなだれて溜め息をつく。

「まあそうねー、あれを普段着にされたら私が笑い死ぬ可能性があるからね、残念だわ」

「全然残念じゃない……」

 ピュラは椅子から立ち上がってくいっと伸びをした。

 いつも横にいるはずの少女がいないということで、溜め息が思わず零れる。

「あーあ、あの子も大丈夫かしらねー。今頃ドブに落ちてネズミと友達になってたりして」

「そうだな――」

 ふとスイが視線を扉の方に向ける。

 すると丁度クレーブが後頭部をかきながら入ってくるところだった。

 既に目の下は真っ黒で、幽霊もかくやという形相である。

 一週間以上ろくに寝ていないのだから、こんな顔になるのは当たり前の話なのだが。

 リーダーが欠けたメンバーをことごとく励ましてここまで引っ張ってきたのは、副船長として流石と言うべきだろう。

「あー、もう陸にあがってもいいですよ……後はこっちでやるんで」

「だ、大丈夫なの?」

 クレーブの足元はふらふらも良いところだった。

「はは……海の男がこの程度でくたばっちゃあ死んだ船長に殺されますから」

 その前に疲労で死んでしまわないかと心配になる。

「お茶だすわよ」

「……助かります」

 クレーブは椅子に腰を下ろして、うなだれるように背もたれに体重を預けた。

「ああそうだスイさん」

「なんだ?」

 ピュラが湯を沸かしにいくと、彼はポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出して机に乗せてみせる。

 その紙にはどうやら文字がびっしりと書き込まれているようだった。

「最新の状況報告です。ちょっと自分はこれじゃ報告するにもできないみたいなんで、代わりにヘイズルに渡してやってください」

「――ああ」

 スイは納得したように頷いてその紙を手に取った。


 暫くするとピュラが盆に温かい茶を乗せてやってくる。

「かたじけないっす」

 ほぼ焦点のあっていない目でカップを手にとると、一口だけ中身を含んで大きく吐息をついた。

「よくあるの? こういうことって」

「あったら今頃自分は過労でぶっ倒れてますよ」

 あんな嵐はもう二度とゴメンだ、とクレーブは小さく苦笑した。

「今回は親方がいませんでしたからね、嵐の直撃なんて久々で」

 そのままぐいっと茶を飲み干す。

「それじゃ、皆さんはヘイズルのところへ報告に行ってください。自分は船の修理やらなんやらありますんで」

「そ、そんなに寝てないのに大丈夫……?」

「伊達に副船長勤めてませんから」

 疲れきった顔でクレーブは親指を立ててみせた。

「じゃ、行きましょっか」

 頬杖をついていたピュラがかたん、と立ち上がる。

 それに続いてスイもクリュウも、リベーブル号を後にしたのだった。



 ***



 数分後、ピュラの絶叫が青空に木霊した。


「おおピュラ、相変わらず元気がいいなー」

 リベーブル号の入港したレムゾンジーナの寂れた港で待っていた、赤紫の影。

 ――フェイズ・イスタルカであった。

「なんであんたがここにいるわけッ!」

「おーう、テスタと久しく会ってなかったからな、元気にしてるかと思って」

「あの人なら乗ってないわよ!」

 ケンカ腰でピュラは怒鳴りつけた後、踵を返して猛然と歩き始めた。


 すたすたすたすた…………。

 次の瞬間、彼女の足がぴたりと止まって後ろの気配を睨みつける。


「なんでついてくるのよ」

「いやーテスタがいないっていうから、俺も戻ろうかなあと」

「あっそう!」

「つれないなあ。久々の再会の感激で胸に飛び込んでくるものとばかり思ってたんだが」

「冗談じゃないわッ!」

 肉眼で見えるほどに怒りの炎を燃やしながら歩いていくピュラの後ろで、フェイズは肩をすくめてみせた。

 そのままちらっとスイに視線を流す。

「嫌われちまったみたいだなー」

「――」

 スイは何も言わずに視線を遠くにやった。

 すると。


 前方を歩いていたピュラの足が再度止まる。


「ま……まさか」

 その口元にひきつった笑みが浮かんだ瞬間、彼女は逃げようとした。……努力はした。

「ピュっラっちゃーーーんっ!!」

「きゃーーーーっっ!」

 またしても青空に絶叫が二つ。

 ピュラは前方から猛烈な勢いで突撃してきた人影に、かっさらわれるかのごとく抱きしめられていたのだった。

「な、なんでアンタがここにいるのよディリィ!!」

 本日二度目のセリフを思わず叫ぶ。

「可愛い弟子がこんな危険なところにいるのに黙ってなんかいられないわーっ!」

 今にもめきょめきょと肋骨が折れそうな勢いで腕に力を込めるディリィに、ピュラの不機嫌さはますます積もるばかりだ。

「なんで帰ってきて早々、こんなに面倒な人たちに次々と会わなきゃいけないわけ……?」

 やっとピュラを解放したディリィは、他の三人の姿に視線をやって笑ってみせた。

「スイ君、クリュウ君、おかえりなさい。フェイズ君ももう帰ってきたのね」

「切れ者は仕事が早いって相場が決まってるからなー」

 くすくすとディリィは口元に手をやって笑った後、何かを切り出すようにぱちんっと手を叩く。

「これで役者がほとんどそろったわね。――あら、テスタ君とセルピちゃんがまだみたいだけど」

「あの二人ならサメに食べられても生きてるわよ」

「あらあら、すごいわねぇ」

 不機嫌さを露にするピュラを横目に、ディリィは笑顔を残して歩き出した。

「さ、ヘイズルのところに行きましょ? これからは時間が勝負なんだから」

 ぱちん、とウインクを一つ。

 クリュウは怪訝そうな顔をした。

「え、時間が勝負って……」

「――スイ君」

 その問いに答えているのかそうでないのか、ディリィは背中を向けたまま呟く。

 ――ふっとそこだけなにかの重みがかかったような、そんな声を。

「覚悟、出来てるかしら」

 ピュラがちらっと彼に視線を投げた。フェイズは小さな笑みを湛えたままポケットに手を突っ込んでいるし、……クリュウはただ不安そうな顔つきで佇んでいる。

 スイの視線がかすかに動いたような気がした。どちらへ向かったのかはわからない……、それほどまでに小さな揺らぎ。

 彼は何一つ変わらない顔で、透明な声を持ってして言葉を紡いだ。

「――ああ」

 一際大きな風が海から町に吹き込む。

 ディリィの意識がかすかにこちらを向いたかと思えば、彼女の溢れんばかりの笑顔がそこにあった。

「よし、よく言ったわね。これからは大仕事よ~、頑張らなくちゃね」

「あらディリィ、あなたも戦うの?」

 ピュラが聞いた限りでは、ディリィは単に幼馴染の頼みを聞いて手伝っているだけだという。なら、こんな危険な地域で戦う必要などあるのだろうか――。

「まあっ」

 紫紺の髪をひるがえし、彼女は目を丸くしてみせた。

 そんな顔は一気に泣き顔のような表情に変わる。

「こんなかわい~い愛弟子を一人戦場に置いてなんておけないわ! ピュラちゃんのそのお顔に傷の一つでもついたら私、生きていけない……!」

「……聞いた私が愚かだったわよ……」

 いささかげっそりした様子でピュラは呟いた。

「うふふ、ピュラちゃんは変わらないわねぇ」

 ――こんなことに突然巻き込まれてしまって、少しだけ心配していたのだが。

 ディリィはそう思う。やはり、この緋色の娘はどこまでも強いのだ、どこまでも――。

 レムゾンジーナの風は相変わらずこの廃墟を強くなぶりつけていた。

「さあっ、行きましょう!」



 ***



 ほぼそれと同じ頃だろうか。

 ピュラたちのいるレムゾンジーナからはるか西、ディスリエ大陸で最も巨大とされる都市ブリュエル。

 その中央の宮殿のような屋敷の最上階。

 豪華な作り、いたるところに飾られた名画、真っ赤な絨毯、――そこは最上級の貴族の世界。

 広々とした部屋の中央、光沢のある執務机に、一人の男が向かっている。

「――失礼致します」

 軽くノックの音がするのに顔を向ければ、扉が開いて従者の一人がその姿を覗かせた。

「入りたまえ」

「はっ」

 きちんと身なりを整えた従者は、きびきびとした動作で書類を手にこちらに向けて歩いてくる。

 そうして机を挟んで自分と対峙すると、恭しく頭を垂れてから話を切り出した。

「こちらが先日のダブリス家襲撃事件の被害報告になります。やはり襲撃者の狙いは地下にあった兵器だったものと」

「持ち出されたか」

「はい……」

 受け取った書類に目を通しながら僅かに視線をやれば、目の前にいる従者は忌々しげに瞳を歪めていた。きっと革命を企む平民への敵意が溜まっているのだろう。

 ――椅子に座っているライトブラウンの髪の男は、そんな従者の顔をちらりと一瞥してからまた書類に目を落とす。

「まあ、心配する必要はないだろう。所詮庶民が武器を持ったところですぐに潰される――」

「存じております。それでその襲撃者たちの拠点ですが……」

「判明したのか?」

 男の声は低く落ち着いている。まだ若さが残るながらも、その瞳には毅然とした聡明さが漂う。

 そんな姿に従者は僅かに声を潜めて言った。

「はい……、まだ確信とまではいきませんが。怪しいのは――孤高の銀髪鬼の町、レムゾンジーナです」

 その単語にぴくりと男の眉が跳ね上がる。

「レムゾンジーナだと?」

「スイ・クイールの生存もほぼ確認されている以上、その線が強いと言えましょう。古来の仲間と再度手を組んで活動を始めたのかと――」

「あの廃墟か……」

 レムゾンジーナ。

 僅かに目を伏せればありありとその姿が伺える。

 海に面し、山に囲まれた活気溢れる町。

 そうしてたった一つの伝説を残して、炎に消えた町……。

「それで」

 次第に男の表情に緊張が混じっていく。

「それで、上層部はなんと言っている」

 言葉に、きゅっと従者は軽く唇を噛み締めた。

「聖都リザンドからの要請は――」

 この従者は一々言葉を途切れさせるのが少々まどろっこしい。

 だから、気がつけば男は想像したままを口にしていた。


「この私自らが行って奴らを殲滅してこい、と言ってきたか」


 明らかに従者の顔に戸惑いが走った。

 あちらこちらに視線をさまよわせながら、おたおたと続ける。

「は、はい……おっしゃる通りです……」

 男は軽く肩をすくめてみせた。口元には小さな微笑みすら浮かべて……。

「やれやれ、上層部はこの私に死ねと言っているのか」

「そ、そのことですが……もう一つ」

「なんだ?」

 従者はまた僅かに言いよどんだ。

 大きな窓からは昼間の明るい日差しが差し込める。

 広々とした、この町の頂点に立つ者の部屋。

 声の一つでさえ、どこまでも響いていくようにさえ思える。

 だから……彼は、出来うる限りの小さな声で、その真実を告げたのだった。


「その戦いに、実用性を試すため、『例のもの』を試験的に送り込む、と……」

「――!?」

 刹那、息が詰まる。

 その瞬間、体中を駆け巡ったのは明らかに、戦慄であった。


「まさか――!」

 思わず男は声を大きくした。

 どん、と体中に何かがのしかかったかのような圧迫感。

 身を乗り出すようにして従者に問いただす。

「まさか、あの禁忌の呪法をもう一度犯すというのか……!?」

 従者は俯いたまま動かない。

 当たり前だ、彼はただ指令を伝えるだけの為にいるのだから。

 男は暫くそのまま呆然としたような顔をしていたが……浮かせかけていた腰をようやくまた椅子に下ろすと、静かな声で呟いた。

「確かに、平民に貴族の力を見せ付けてやるには一番効果的かもしれないが…………」

 軽くかぶりを振る。

「その例のものは今何処にいるんだ」

「はい、現在は聖都リザンドに。……しかし既に命を受けてこちらに向かっていると」

「そうか……」

 男はまた暫く沈黙を守った。

 そうして、その薄い唇からは嘆きともとれるような言葉が漏れる。

「また、多くの民が死ぬのか」

「…………」

 従者はもちろん黙ったままだった。

 男もまた、暫く黙り込み……、何かを振り切ったように顔をあげる。


 圧倒されるほどに強い視線。

 戦慄を覚える瞳の力。

 その男の瞳は――まるで、血溜まりが出来たかのような紅の色であった。

「任務、承知した。ウッドカーツ家の名にかけて、この反乱を阻止しよう」


 それは呪われた家の証。

 その家に生まれた者、そして嫁いだ者……つまり、その家の名を名乗る者は、ある儀式を受けるしきたりとなっている。

 彼らは全員――瞳を、血のような紅に染められるのだ。

 見る者を戦慄させる、赤い赤い、……そんな色に。


「かしこまりました、そのようにお伝えしておきます――ハルム・ウッドカーツ様」


 従者はそう言うと深々と一礼し、踵を返して部屋を後にした。

 広い広い部屋に男――ハルム一人が取り残される。

 彼は、その紅い瞳を僅かに揺らめかせた。

「民よ……そこまでして世界を動かしたいか……」

 誰にも聞こえないような声で言葉を漏らす。

 窓の外を飛んでいく鳥が見えた。眼下に広がるのは美しい町並み、人の流れ。

「変えてどうするという……?」

 もう一度、かぶりを振った。

 落ち着いた絨毯の色に目をやり――小さく溜め息をつく。

 明るい昼間の光を受けた紅い瞳は鮮やかな色に染まる。

 一度見れば二度と忘れられないような、鮮烈な赤に――。

「世界が変わっても……きっと嘆きの数は変わらない。否、更に増えるだろうに……何故そこまでして世界を更新しようとするのだ」


 彼は本家の者ではない。本家の者は全て聖都リザンドに住んでいる。

 彼は遠い血筋の者なのだ。だからこんな聖都から遠い大陸に住まうことになっている。

 しかし、それでも……。


「世界が止まっていれば、哀しみも苦しみも……動くことはないというのに」

 その血筋を背負う重みは――ひたすら、重かった。

 世界の全てを統べる頂点にいる者として。

 ……彼は、やらなければならなかったのだ。


「レムゾンジーナに潜む者たちよ」


 まるで何かの儀式で神に祈るかのように、紅の瞳を閉じて両の手を握った。


「世界を変えることは許さない。これ以上の憎しみを増やすわけにはいかない。全ての見せしめの為に……」


 それは、ハルム・ウッドカーツによる神への誓いであり――。

 この世界が再び震えだす予兆でもあり――。

 そうして、哀しみを含んだ弔いの言葉でもあった。


「精霊の御名において、お前たちを闇の奥底へ葬ろう。このハルム・ウッドカーツが――」

 がたん、と席を立って動き出す。これからの指示を下々の者に伝えなくてはならないのだ。

 静かな光を放つ紅の瞳は――そうして、その重たい腰をあげたのだった。



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