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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
五.眠れる古代都市
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063.武術の都ドトラ



「青髪の男……ねえ、ここいらじゃ見てないが……」

「そ? ならいいのよ、ありがとね」

 深い色をした瞳が笑って、しなやかな長い手が紫紺の髪をかきあげた。

 腰まである長い髪はあでやかに舞って、男は一瞬その姿に見とれてしまう。

「それじゃ、私は行くわ。あなたも道中気をつけてね」

「ああ、あんたもな」

 たった数分の出来事。旅の道をすれ違った、美しい女性……。

 その女性は荷物を手に持って、また樹林を歩き出した。

 後を追って、長い髪が風になびいていく。

 男の気配が完全に消えた後、女性は軽く頬に指をあてて考え込むような仕草をする。

「そろそろ伝書鳩が飛んできてもいいころなんだけど」

 岩場を避けてなだらかな地面を歩き続け……、もうすぐ海にでるはずだと視線を先に向けた。

「――ヒマだし、ドトラにでも帰ってようかしらね」

 誰にいうわけでもなく呟くと、自分で納得したのか頷く。

 わずかに目を伏せて、記憶を探った。

 懐かしい故郷、両親の顔、やわらかな空気とまぶしい日差し……。

 ――そして、赤毛の少女の顔。

「まさかあの子がスイ君とやらと旅をしてるなんて」

 軽く笑って、淋しげとも嬉しそうともつかない表情をした。

「会えるのは嬉しいのにね……」


 瞳を閉じて、風の声に耳を傾ける。


 ……それから、彼女にドトラへ向かえと伝書鳩が飛んできたのは、4日後のことであった。



 ***



「ここであなたの呪いを解くことは出来ません。この薬を持って、武術の都ドトラへと向かってください」


 彼女がその言葉を理解するのに、きっかり14秒かかった。

「……………えぇ……?」

 口元をひきつらせながら、返事なのか聞き返しているのか分からない言葉を零す。

 村長ナクルスは薬草を丹念にすりつぶしながら続けた。

「ドトラは昔から医学について独自の文明を発展させた都です。この薬を見せればすぐに解呪してくれますよ」


 ――ご~りご~りご~り……


 ……。


 あまりにも重苦しい沈黙がおちる。

「……あの、ドトラって」

「あ、そうだ」

 ふいに村長は顔をあげてにこりと笑った。

「は、はい?」

「ドトラはここから二週間ほどで行けますからね。近道をお教えします」

 ピュラはその場に崩れ落ちそうになった。

「なにか問題でもありますか?」

 すり鉢の中に目を落としたままナクルスが訪ねる。

 ピュラは頭痛を感じながら、言っていた。

「あの、……ドトラって、あの武術の都のドトラよね……?」

「そうですよ。訪れたことがあるのですか?」

「一度だけ……」

 なにやら重たい空気を湛えているピュラに、ナクルスは首を傾げてみせる。

「あ、そっか。ピュラは龍流拳術使うんだもんね、ドトラにピュラの師匠さんがいるんでしょ?」

「……」

「うにゃ? ピュラ、どうしたの?」

 いつもよりも顔色が青いピュラにセルピは尋ねかけるが、彼女は固まったまま動かない。

「……ついにこの時がきたのね」

 ぼそっとその唇から言葉が漏れ、手がゆっくりとこめかみにやられた。

 目が、真剣そのものだった。

 ただ、その顔は見事なまでのひきつりようを見せている。

「あの悪夢が蘇るんだわ……ああっ、まさかこんな不意打ちだなんて……」

 既にその脳裏には阿鼻叫喚の図が映し出されているようだった。

「な、なにがどうしたの……?」

 クリュウがおずおずと問うと、ピュラは肩をがっくりと落としながら呟く。

「私の師匠は旅にでてるからいないんだけどね、……その家族が」


 瞬間、彼女の顔が文字通り真っ青になった。


 全身に鳥肌がたっていた。


 どうやら彼女の中で、この世の終わりがきたらしかった。


「その先は言いたくないから聞かないで……」

「そ、そう……」

 クリュウにその先を聞く勇気はなかった。

 ピュラほどの娘がここまで顔をひきつらせるような光景。

 どんなものかと4秒考えただけで、これからの行く先への夢……否、悪夢が膨らむものだった。

「まあまあ、でも一度訪れたことがあるのなら旅も楽でしょう」

 ナナシナが苦笑しながらも声をかけてくれる。

 相変わらずピュラの目は虚ろであったが。

 そんなとき、ふとクリュウは先ほどから声のしない仲間に気付いて口にする。

「そういえば……スイ、さっきからなにもいわないけど……」

 そういいながら上を見上げると……、スイは目を開けたまま熟睡中だった。


 ――ご~りご~りご~り……


 ……。


 世の中の全ての出来事を諦めたい心境になれた。

「……私、これからどうしようかしら……」

「あはは……」

 クリュウの乾ききった笑い声を耳にしながら、ピュラは半分途方に暮れていた……。



 ***



 村長ナクルスは調合した薬を丁寧に包んで持たせてくれた後、地図を示してドトラまでの最短ルートを教えてくれた。

「普通の巡礼の道からいくと、一度港町にでることになるのですが、そちらへは行かずにここから真北に向かってください。そうすれば樹林を越えた先にドトラが見えるはずです」

「ドトラに行ったことがあるなら、ドトラへの入り方はご存知ですね?」

 横からナナシナが口を挟むと、ピュラは顔をひきつらせながらも頷いてみせる。

「え、入り方って、なにか特別なの……?」

「ドトラは大陸じゃなくて小さな島にあるのよ。だから定期的に来る舟で行かなきゃいけないの」

 説明すると、横のナクルスも微笑んで頷いた。

「すぐに旅立たれますか?」

「ええ、足取りは重いけどね……」

 ピュラは腰に手をやりながら言って、ドトラへの方角へと目をやった。

 そう、そこは既に外。

 張り詰めた空気と、どこまでも続く草原、そして空。

 その中にいると、あまりにも自分が小さく見えるほどの――。

「……ドトラに行くのか?」

 全く話を聞いていないスイは危うくピュラの拳によって天国へ行かされそうになっていた。

「じゃ、行きましょっか」

 旅荷物を確認して、進路へと方向を見定める。

 風は正にその方向へと吹き荒れていて、まるで背中を押してくれているようにも思えた。

「お気をつけて。もう二度と会うことはないでしょうけれども」

 これからナチャルアの村はまた人の目から離れたところへと隠れることになる。

 もう二度とピュラたちと会うこともないのは真実だろう。

「ええ、色々とありがとう」

「あなたがたに精霊の加護があらんことを」

 ピュラたちは頷いて、歩き出した。

「ナナシナさん、ばいばいっ!」

「はい、お気をつけて」

 セルピにあわせて手を振ってくれるナナシナは笑顔のままだ。

「さよならーっ!」

 丘の上から、先ほどの子供たちが手を振っていた。

 彼らもきっと分かっているのだろう、もう客人が来ることなどそうはないのだと。

 だからこそ、ピュラたちの姿をその目に焼き付けようとしている――。

 彼らが見えなくなるくらいのところまで歩いた辺りにて、ピュラは呟いた。

「ドトラに行かずに死に甘んずるって手もあるのよね……」

「無茶言わないでよ……」

「あんたはね、あそこの人たちに会ったことないからそういえるのよ」

「そういえばさ、ピュラの師匠さんってどんな人なの~?」

「う……っ、……そ、そうねえ」

 セルピが問うとピュラは溜め息まじりに言ってみせる。

「目が4つあってね、背中から緑色の羽根が生えてて身長が8メートル」

「わわ、すご~いっ」

「一々信じないのっ!」

 ごん、と軽くセルピの頭を小突いて、肩を落としながら視線を遠くへやる。

「……あの人の修行はヤバいなんてもんじゃなかったわよ」

「へえ、龍流拳術習ったんでしょ? どんなのだったの?」

 世界にそうはいない拳術の会得者の修行に興味をもったのか、クリュウが口をはさんだ。

「海に突き落とされたわ」

 ……沈黙。

「大変だったな」

 スイだけが淡々とあまりに極端な感想を呟く。

「ええ、それからヒグマと素手で戦わされたときには本気で死ぬかと思ったわね」

 さあ、とクリュウの血の気が引いていた。

「うにゃ~、すごい修行だね~」

「て、ていうかそんなんで龍流拳術覚えられたの……?」

 口元を引きつらせながら聞くと、ピュラは暫し考えるような顔をして、答える。

「うーん、ある日突然使ってみろとか言われてね、それでやったらできちゃったのよ」


 ――だいじょうぶだいじょうぶ、ほら、肩の力抜いて。

 ――目を閉じれば見えると思うわ。この世界を巡る力の流れを読むのよ。

 ――あとはそれにまかせて体を動かすだけ……。


「――とかなんとか言われて。だから結局、龍流拳術がどういった仕組みでできてるのか知らないのよね」

 まるでレシピのない料理のように、完成されてしまった技。

 だからきっと、ピュラが他の者に龍流拳術を教えることなどできないであろう。

 彼女は完全に『感覚』でそれを使っているのだから。

「う~ん、僕が見てた分では、龍流拳術って魔法に近い感じがするんだけど」

 クリュウがそういうと、ピュラの顔が怪訝そうになる。

「でも、そもそも魔法の原理だって知らないし」

 この世界で魔法をきちんと学べるのは貴族くらいなものだ。

 魔法魔法と聞いていても、その勝手を知るものは少ない。

 クリュウはスイの肩に腰掛けたまま頬を軽くかいた。

「えーっとね、簡単に説明すると……、この世にあるものは全部、絶え間なく動いてるんだ。そこらに落ちてる石だって、この空気だって、人間も妖精も、全部が目に見えないくらい小さな単位で変化してるっていえばわかりやすいかな?」

 ――万物無常。

 それが魔法の真理だと、魔術学の教科書をめくれば最初に飛び込んでくる。

 セルピもいつしか習ったときに聞いたことを思い出していた。

「それで、それらの動きが重なってこの世界の動きになるんだ。風が吹く、人が動く、鉄が錆びる、樹が枯れる……全部が合わさって、この世界の流れになる」

 突風が吹いて、ピュラは踊る髪を手で抑える。

 ガーネットピアスも同じように大きく揺れて煌いていた。

「その流れの力を読んで、操るのが魔法なんだよ。だから大切なのは集中力だけで、本当は集中力さえ高められれば詠唱なんていらないんだ」

 人間は詠唱やらなきゃ魔法は成り立たないと思ってるけどね、とクリュウは付け足す。

「え、っていうことは集中力が高められれば魔法も瞬時に使えるってこと?」

「ていうかそれが龍流拳術なんだと思うけど……」

「あ、そっか」

 ぽんと手を叩いてピュラは納得した。

 龍流拳術は魔法を瞬時に発動させ、それを武術に組み込んで直接相手に叩き込むものなのだとやっと理解したのだ。

「でも、僕でも詠唱なしで使える魔法は少ないのに、あれだけの破壊力を持つ魔法を一瞬で使うなんて結構人間離れしてると思うんだけど……」

「なによ、私が怪物だとでも言いたいわけ?」

 とっさに彼女の手にハエタタキが構えられたのを見て、クリュウは一目散に逃げ出す。

「わわわっ! そうじゃなくてさ、ピュラがすごい人なんだーって思っただけだよーっ!」

「問答無用! なんか最近イライラしてるんだからちょっと餌食になっときなさいっ!」

「そんなーーってわああっ!!」

 空高く飛び上がった自分に向けてハエタタキが飛んできて、クリュウは見事に正面衝突を起こす。

 思い切り顔面にアミの跡が浮き上がっていた。

「ぼ、僕はハエじゃないっていってるでしょーっ!」

「ハエサイズの人間じゃないっ! これが一番叩きやすいんだから仕方ないでしょっ!」

「仕方なくないと思うが」

「黙ってなさい外野っ!!」

「そうか」

 ピュラに何度もはたかれながら、クリュウは暗に思った。

 龍流拳術を扱えるということは先ほどいったようにそれこそ人間離れしているものだ。

 しかし、そんな彼女の才能を見極めた、彼女の師匠という人は――。



 ***



 2週間後、一同は樹林を抜けて海岸沿いにドトラを目指していた。

「日差しも随分穏やかになったわねえ」

 ピュラは遠い太陽の光に目を細める。

 ディスリエ大陸の高原地方を旅しているうちにすっかり秋も深まっていた。

 心地良い潮風に吹かれながら、どこまでも続く街道の道を……。

「そろそろ……ドトラなのよねえ……」

 ピュラはまた、遠い道の先に目を細めた。

 否、その目は虚空を見つめていた。

「もうすぐだな」

 地図を見ながらスイが呟く。

 丁度時刻は正午といったところだった。

「はあ……、渡し舟は正午の少し後にくるだろうからタイミングは丁度いいわね……」

 ピュラは大粒の溜め息をつきながらこめかみを指でもむ。

「あ、あれじゃないかな? ほら、桟橋みたいのが!」

 不意にセルピが指差した先へ目を向けると、浅瀬になった海へと、小さな桟橋が突き出ているのが見えた。

 しかしこれが本当にドトラへ続く橋なのかと疑うほどに小さく、まわりにはなにもない。

 ただ、海の遠くへ目を向けると確かに小さな島のようなものが見えた。恐らくあれがドトラなのだろう。

「ああ……ついに来ちゃったのね……」

 ピュラはいささか遠い目で海の果てに目を細める。

「ん? あれ、桟橋に誰か座ってる……?」

「ふふふ、この私も年貢の納め時ね……」

「ほんとだ、だれだろ~?」

「ああ、短い人生だったわ……」

「こっちを見てるぞ」

「もう少しマシな人生送りたかったわよ……」

「てかこっちに歩いてくるけど……?」

「そうよ、本来の私の楽しい一人旅ライフは」


「――ピュラちゃん」


 ――ピュラは、止まった。

 それは見事に、止まった。

 心臓まで――いや、全ての生命活動が止まっているようだった。

 潮風になびく髪を手で耳にかけて。

 すらりとのびる高い背に、しなやかで長い手足。

 腰まで伸びた紫紺の髪と……、

 ぬくもりをいっぱいに溜めた、やわらかな瞳……。

「……ピュラちゃん?」

 その距離、20メートル。

 その先にいる女性は、そう囁く。

 スイもクリュウもセルピも、なにも言えずにその女性を見つめ……、

 そして、それが嵐の前の静けさだということに気付くことは、なかった。




「――ピュっ、ラっ、っっちゃーーーーーーーーーんっっっっ!!」

「きっ……きゃああああああーーーーーー!!」




 音速を超えるスピードで、女性がピュラ一直線に走り出した。

 ピュラは慌てて逃げる努力をするが、無情にも甲斐はない。

 次の瞬間、彼女は骨が折れんばかりの力で抱きしめられていた。

「きゃぁピュラちゃんっ!! 会いたかったわー!! まさかこんなところで会えるなんてっ!」

「ちょちょちょ……っ!!」

 思考回路がぶち切れそうになるのを必死で繋ぎとめながら、ピュラは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

「で、ディリィ!! なんでここにいるわけっ!?」

 唖然とする一同の前で、ディリィと呼ばれた女性はもう一度ピュラの体をぎゅうと抱きしめる。

「私だってたまには里帰りするわよ。それにしてもピュラちゃん、大きくなったわねー! もう4年ぶりだものね、私の愛弟子ながら可愛くなったわー!」

「え、愛弟子……?」

 硬直しながら呟くクリュウに彼女は振り向いて、にっこり笑いかける。

 思わず見とれてしまうくらい、美しく爽やかな笑顔だった。

「あらあら、ピュラちゃんも社交的になったのねー。こんなに連れがいるなんて」

「違うわよーっ!! 私は断固一人旅ライフ至上主義よっ!」

「きゃーーピュラちゃん怒った顔も可愛い~~~っ!」

「いやあああああ~~!!」

 クリュウは、ピュラがあれだけこの地に戻るのを嫌がった理由が分かったような気が、した。

 ピュラは抱きしめられた時点から彼女における最高の力でじたばた暴れているのだが、まるでびくともしない。

 超然たる笑顔と力を持ったこの女性はやはり……。

「うふふ、はじめましてね。私はディリィ、いつも愛弟子のピュラちゃんがお世話になってるみたいで」

「えっ、ピュラの師匠さん~?」

「そうよ~。久々に故郷に帰ろうと思ったらまさかピュラちゃんに会えるだなんてねっ!」

 ピュラの体を拘束したまま、ディリィは更にその力を強める。

「あいだだだだっ! ちょっとは手加減しなさいよーっ!」

「そんな……っ、愛する弟子との感動の再会で手加減なんかできないわーっ!」

「全然感動じゃないわよーっ! てかいい加減に放してー!!」

 傍観者となった三人は、揃って同じことを考えていた。


 ――まるでピュラが二人いるようだと。



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