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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
五.眠れる古代都市
65/151

064.師と弟子と



 きらきら煌く海の肌。

 ちゃぷちゃぷと音をさせながら進んでいくのは、一艘の小船。

 渡し舟を操るものを含めて6人乗れば、満員もいいところだった。

「いやーいやー、まさかピュラちゃんがまた来てくれるなんてねー。皆喜ぶよー」

 オールをこぎながら渡し舟を動かす男が人の良い笑みを零す。

「ピュラ、有名人なんだね~」

「当たり前よ、私のかわい~い愛弟子なんだからっ!」

 ディリィは楽しそうに笑ってピュラの頭をわしわしと撫でた。

 木製の渡し舟は少し動いただけでぎしぎし音を立てる。うっかりバランスを崩せば転覆しそうなため、慌ててピュラは体重をかける位置をかえた。

「ちょちょ、ひっくり返るからやめなさいよっ!」

「わっはっはっ、ピュラちゃんも変わってないなあ。ま、前よりはずっとべっぴんさんになったけど」

「あら、私のピュラちゃんは渡さなくてよー!」

「私はあんたの所有物じゃないわよっ!」

 精一杯で噛み付いてから、ピュラはがっくりと肩を落とす。

 その重さだけで小船が沈んでしまいそうだった。

「なんでよりにもよってこんな人と鉢合わせになるのよ……」

 しかし舟が沈まないのは、その重さをいとも簡単に吹き飛ばす恐ろしい存在がいたからである。

「ピュラちゃん、そんなに俯いてたら幸せも逃げてっちゃうわよー。ほら、笑って笑って!」

 太陽のような笑顔で言われれば、返す言葉もでなかった。

「それにしてもディリィが帰ってくるなんて珍しいじゃないか。どういう風の吹き回しだい?」

「うふふ、乙女には秘密がたくさんあるのよ」

 肩にかかった髪をさらりと後ろにやって、ディリィは視線をスイへと流す。

「……ところでスイ君、さっきから黙りこくっちゃってどうしたの?」

「元から無口なだけよ」

 頬杖をつきながらピュラが口を挟むと、ディリィはまた笑って首を傾げた。

「あらあら、まだ若いんだからもっと元気にしてなきゃダメよー? ね、クリュウ君」

「あはは……」

 話を振られたクリュウは、その圧倒的な笑顔に対して、乾いた笑みを浮かべることしか出来ない。

 この辺りは波が穏やかで、まるで川の中を進むように小船は島へと向かっていく。

「わ~っ、あれがドトラ?」

 幾分か離れた先に見えたドトラの町並みに、セルピが歓声をあげた。

「そうよ。うーん、懐かしいわねえ」

 ディリィも緑が多いその島に目を細める。

 樹で出来た塗装のない家がひしめきあうようにして立っており、至るところに広場が設けられ、寺院らしき大きな建物も見受けられた。

 ――武術の都ドトラ、あらゆる技を抱き込んで浮かぶ小さな島……。

 そこにある武術の種類は数十に及ぶと言われ、剣術や拳術の他、ありとあらゆる技が開発されている。

「――それで、」

 ピュラは、尋ねた。

 心の奥から、訪ねた。

「私がなんでドトラに来たのか、聞かないの?」

 そうだ。

 ディリィはピュラが来たことを当然のように受け止めている。

 ――そう、ピュラたちが来ることがはじめから分かっていたかのように――?

 するとディリィはきょとんとした顔になって、頬に手を添える。

「……あら、私の家族が恋しくなったからじゃないの?」

 ごん、とピュラは舟の縁に額を打ち付けた。

「じょっ、冗談じゃないわよーっ! あんたの家族に会うんだったら首吊った方がましだわ!」

「ピュラちゃん、首吊りは見目が良くないからやめておいた方がいいわよ?」

「余計なお世話よッ!!」

 ピュラの怒気に押されて、舟が少々ばかり傾く。

「わっはっは、ピュラちゃん舟から落っこちないようになー」

 相変わらずのんびりした調子で男はオールをこぎ続けていた。

 ピュラはそんなドトラの者たちに溜め息を隠せないまま、腕の包帯をといて傷を見せ、事情を説明してやる。

 ディリィは、喜怒哀楽を激しく示しながらも、きちんと真剣に彼女の話を聞いてくれた。

 スイたちと魔物討伐に行ったこと、そのときに思わぬ事故にあったこと……、

 それらの話が終わる頃には、ほとんどドトラの入り口までたどり着いていた。


「――というわけで私はこんな無口男とハエ人間とボケ少女と一緒にドトラに来ることになっちゃったの!」

 言っている自分の方が悲しくなってきたのか、ピュラは半ば怒りを露にするようにして最後を締める。

 ディリィは口元に手をやりながら何度も頷き、少し考えるような仕草をしていた。

 そうして、怪訝な顔をするピュラに目を向ける。

 いつもと変わりない、彼女の真っ直ぐとした視線だ。

 そういえば、初めてこの視線を見たときには、心の内を見透かされたような気がしてたじろいだものだったか――、

 否、見透かされていることは事実であった。

 ディリィはそんな瞳でピュラをじっと見つめると……、静かに口を開いた。


「ピュラちゃん、首、吊らないでね?」


「…………は?」

 ピュラの顔が、間の抜けたものになる。

 クリュウたちはなんとなくその意味が分かったらしく、それぞれ諦めた視線をピュラに送る。

 ディリィは、真実を、ありのままに、続けた。


「うちのお父さん、解呪のスペシャリストよ。ドトラで一番の名医って言われてるわ」


 ピュラはその場に昏倒した。

「わわ、ピュラ、大丈夫~?」

 セルピが横からゆさぶるが、彼女はどうやら再起不能と相成ってしまったらしく、ひくひくと痙攣を繰り返しながら口から泡を吹いている。

「そうそう、ディリィんとこの父さんは有名だよなあ。きっとよろこぶよー、ピュラちゃんが会いにきてくれるなんて」

 それに追い討ちをかけるように舟こぎの男は笑顔でのたまっていた。


 こうして、一行はドトラの地を踏むこととなる――。



 ***



「あ、ディリィさんじゃないですか!」

「ディリィさんが帰ってきたぞー!」

「まあ、ピュラちゃんも一緒?」

「大きくなったなあ、もうすぐ17歳かい」

「ディリィさん、あとで拳術の方見てもらえませんか?」


 島に上陸した途端に、ピュラたちは住人の大歓迎を受けていた。

 それぞれ様々な色に染めた素朴な服装をしていて、武術を習っていると分かる者ばかりだ。剣を携える者、不思議な武器を持つ者――、それは千差万別である。

「ほ、ほんとに有名人なんだね……」

 その人だかりに、クリュウは顔をひきつらせて言う。

 ピュラの方は既に抜け殻と化してしまっていた。

「大丈夫か?」

「至上かつてないくらい大丈夫じゃないわ……」

「大事にな」

 それ以上ないくらいにすっぱりと言ってくれて、ピュラは更にがくりと膝を折る。

「すごいね~、樹の建物がいっぱい! あ、あの広場はなんだろ~」

「ああ、あの大きな広場は普段は訓練所になってるわ。武術大会とかお祭りとかあると、あそこがメインステージになるんだけどねえ。セルピちゃん、あとで見に行く?」

「うんっ!」

 セルピが大粒の笑顔を零すと、ディリィもまた笑って行くべき先に目を向けた。

 話しかけてくる住人たちに適度に言葉を返しながら、ディリィは自分の家までピュラたちを案内する。

「この前に来たのはピュラちゃんと一緒で……えーっと、まだピュラちゃんが11歳の時だったかしら? もう5年も前になるのね」

「なんでピュラも一緒に来たの?」

「ちょうど一緒に旅してたときだったからよ。近くを通ったから寄ってみたのよね」

「あのときも本当に寄るんじゃなかったわよ……」

 込み入った道をかきわけるようにして進んでいくと、いつのまにか大きな屋敷が目に入るように成る。

 しかしそれは屋敷と呼べるものではないかもしれない。

 ただ、他の家と同じような造りになっていて、それがとても大きい、というだけだ。

 そんな大きな家を目指して固く踏み鳴らされた土の道を歩いていく。

 家の前は広場となっていて、武術の訓練をする者たちがたむろしていた。

 威勢のいい掛け声があちこちから耳に届く。

「あの大きなおうちがディリィさんの家なの~?」

「ええ、本当に久々だわー。皆元気にしてるかしら」


「あっ、ディリィさん! ディリィさんじゃないですか!」


 ふと目を向ければ、広場から大体ピュラと同じくらいの青年が走ってきてディリィに深く敬礼した。

 それに気付いた仲間たちも一斉に各々の修行を中断して駆け寄ってくる。

 おそらくは龍流拳術の修行者なのだろう。

「ディリィさん、お久しぶりです!」

「ええ、皆元気にしてる?」

「はい! お師匠さまも元気にしてらっしゃいますよ!」

「あとで是非とも拳術の指導をお願いします!」

「そうねえ、夕方くらいからならいいかしら」

「旅でお疲れのところをありがとうございます!」

 歯切れよく言って、またそれぞれ頭を下げる。

「じゃあ私は家に行ってるから。修行頑張ってね」

『はい!』

 ディリィは軽く手を振ると、ピュラたちを屋敷の方へ促した。

「ぴゅ、ピュラ、大丈夫……?」

 今にも魂が何処かへ飛んでいきそうなピュラを心配してクリュウは尋ねるが、……返事は、ない。

 しかし無情にもその家の門は開かれ、ディリィは扉を手でノックした。

「おとーさーん! おかーさーん! 帰ってきたわよーっ!」

 そのセリフは、ピュラにとって大魔王を召喚する呪文に聞こえたことだろう。


「はいはーい!」


 中から聞こえてくるのは悪魔の笑い声……ではなく、ごく一般的な壮年の男性の声である。

 ばたばたと音がしたかと思うと、奥から白髪のまじった壮年の男が走ってくる。

 筋肉が無駄なくついた四肢が、年齢はそろそろ50も後半だろう彼の老化を感じさせない。

 そんな男はディリィの姿を見止めて――。


「おお、ディリィか! 久しぶりだなあ、元気だったかー?」


 ……ごく普通の、家族との再会の言葉を、言った。

 ピュラがこれほど怖気づく人間だから一体どんな人なのかと身構えたクリュウは、見事に空回りして脱力してしまう。

「え、ピュラ、全然普通の人じゃ」

「あーそうそう、お父さん、ピュラちゃんも来てるのよー?」

「ぬ、ピュラちゃん……?」


 刹那、ディリィの父親の瞳に、閃光が走った。


「ピュラちゃんだとぉぉぉおおおおおおお!!!!?」


 ピュラは、のけぞった。

 ……が、既に遅かった。

 チーターも真っ青な感じで爆発的なスピードを誇る俊足が走る。

 次の瞬間、ピュラの肩はがっちりと掴まれてゆっさゆっさと揺すぶられていた。

 ピュラの表情は機械でコントロールされたような引きつりようをみせているが、構う者はいない。

「ピュラちゃん! ピュラちゃんかっ!? おおお、こんなに美人になって……!!」

「ピュラちゃんですってーーーーーーーー!!?」

 更にその場に竜巻が巻き起こる。

 ベランダから飛び出してきた中年の小太りの……おそらくディリィの母親が、軽く夫を突き飛ばしてピュラの体を抱きしめた。

「げはっ!」

 骨を折らんばかりの力に、ピュラは吐血しそうになるのを根性でこらえる。

 ……既に泣きたい気持ちでいっぱいだった。

「ピュラちゃん……!! 前はこんなに小さかったのに、時が経つのは早いわ。ちゃんとお野菜食べてる? 偏った食事してない? あまりダイエットしちゃだめよ、健康が一番なんだからね?」

 ちなみにピュラは酸欠で意識が遠のきかけていた。

「うふふ、ほんとに我が弟子ながら、たくましく育ったわよねー。あ、スイ君たちは会うのは初めてよね? ガヤマお父さんとミスラお母さんよ」

「あらあら、こちらの方々はピュラちゃんの連れ?」

 そう言ってやっとディリィの母親――ミスラが手を離すと、ピュラは無残にもその場に崩れ落ちる。

「こんにちはー! えっと、ボクはセルピ。こっちがクリュウで、こっちがスイだよ」

「まあ、挨拶がよくできる子ね! セルピちゃん、ピュラちゃんがいつもお世話になってるみたいで」

「ううん、ボクたちの方がいつもピュラに助けてもらってるよ」

 クリュウは、ボロきれのようになっているピュラから目を背けることしかできなかった。

「それで、ピュラちゃんはなんでまたドトラに来たの? 確か4年前にディリィの元を離れたって聞いたけど」

 すると、なんとか再起しかけたピュラがひくひくと肩を震わせながら説明する。

「そ、それは私が呪いをかけられたから解いてもらおうと思っ」

「なんだとーーーーーーーーーーーー!!!!」

 ピュラに盛大なタックルがかまされた。

 しかし彼女がそのまま吹っ飛んでいかないのは、先に父親ガヤマが彼女の肩を再び掴んでいたからで、ある。

「誰だっ! 一体何処の誰にやられたんだ!! うちのピュラちゃんにそんなことする奴はお父さんが散り散りの八つ裂きにしてチャーハンにしてやる!!」

 そんなチャーハンはおいしくなさそうだと遠くで思いながら、ピュラはわななく指でスイを指してみせる。

「呪いは魔物にくらったのよ、その魔物はそっちの彼が倒してくれたわ……」

「スイ君が!? そうか! スイ君……!! 君には一体なんとお礼を言ったらいいのか……!」

「別に……」

「そうか!! なんと奥ゆかしい方なんだ! これからもお父さんの代わりにピュラちゃんをしっかりと守ってやってくれ!」

 がっし、とスイの手を握ってガヤマはぶんぶんと猛烈にシェイクする。

 スイは内心で、このままでは腕がもげるのではないかと思っていた。

 それから、魔物を倒したのは確かにスイだったが、命を落としかけたピュラを助けたのはクリュウであることも――、

 言ったら最後、クリュウが感謝の意で握りつぶされるのが目に見えていたので、とりあえず何も言わないでおくことにした。

「それじゃあお父さん、さっそくで悪いけど先にピュラちゃんの傷だけ治してあげてくれないかしら?」

「もちろんだ! ピュラちゃんがこんな呪いに日々悩まされていると思うと……」

「あなた、ゴタクはいいですから早く治してあげて下さいな」

「よし、それではピュラちゃん、傷を見せてみなさい」

 ひとまずは広い玄関に腰掛けて、ピュラの包帯をとく。

 どうやらこの家は、玄関で靴を脱いであがるらしい。

 だから、丁度靴を脱ぐところに段差が出来ており、そこが良い腰掛け場所になっているのだ。

 ピュラはディリィにしたように、呪いの説明をなるべく事細かに説明する。

 また、ピュラにかけた封印のこともクリュウの口から詳しく説明させた。

 ナチャルアで貰った薬を渡すと、ガヤマは重々しく頷いて、笑った。

「じゃあこれから準備をしてくるとしよう。少し時間がかかるから、お茶でも飲んで遊んでるといいよ」

「はー、やっとこんなのから解放されるのね……」

「ハッハッハッ! お父さんがフルパワー全開で治してあげるからなー!」

 さっそく薬を持ってガヤマは家と直結している診療室へと向かっていく。

「じゃあ、とりあえず皆でお茶でも飲みましょうか。そうしたら広場にでも遊びにいってらっしゃい」

 ミスラはにこにこと特上の笑みのまま、お茶をだしに奥へと向かっていった。



 ***



 おそらくその広場には、家がたっぷり6軒は建つだろう。

 しかし、それだけの広さがあろうとも、そこに人々がそれぞれたむろしているのなら狭く見えるものだ。

 ――武術の都ドトラの、大広場。

 一同はディリィの家で軽く茶を飲んだ後、ピュラの強い要望により外出することになり、ここまで遊びに来ていたのだった。

「わわ、人がいっぱい……」

「ここはドトラの武術を習う人たちが共有してる広場なのよ。どんな技の修行者でも自由に利用していいの」

 ディリィの家の前にあった広場とは比べ物にならないほどの大きな掛け声があちらこちらから聞こえ、彼らはそれぞれの方法で修行を重ねている。

 やはり広い場所を利用しているのか、対戦の練習をする者も多く見受けられた。

「そうそう、ピュラちゃんが前ここに来た時にね、試合を求められて相手をボコボコにしちゃったのよねー」

 クリュウは思わず鳥肌を作ってしまう。

「え、そ、そうだったの……?」

「11歳児に負ける方がいけないのよ」

 ピュラは軽くかわして人ごみに目を向ける。

 そうだ、確かに5年前、自分はディリィに連れられてこの広場に来て……、

 ディリィの初めての弟子、ということで様々な声をかけられるうちに、一人の男に手合わせを頼まれて――。

 それが、ピュラがこの町で有名人になってしまったきっかけであった。

「ええ、私の弟子なんだからそのくらいはしてもらわなきゃね」

「――あの、すみません」

 ふと見ると、剣を携えた青年が、ピュラたちにはっきりとした口調で話しかけてきていた。

「旅のお方ですか?」

 それも、スイに、だ。

 この辺りでは珍しい格好をしているから、興味を持ったのだろう。

「……ああ」

 鮮やかな緑の髪をした青年――恐らくスイと同じくらいの年か――はその返事を聞くと、真剣な顔になって頭を下げる。

 そして顔をあげたその目線の先には、腰につけてある一振りの剣……。

「あの、どうか剣を一本、手合わせしていただけませんか?」

「……」

 沈黙。

 無表情のスイに、どうやら青年は彼が不機嫌なのだと思ってしまったらしく、慌てて言葉を繋げた。

「あ、いえっ! ぼ、ぼくは鮮虎流の修行者なんです。一度外のお方と戦ってみたくて……」

「あら、鮮虎なんて名門じゃない。スイ君、受けてあげたら? あそこの剣術は結構なものよ」

 スイは、しばらく黙っていた。

 クリュウが少々不安な面持ちで彼を見上げる。

 青年の真っ直ぐとした視線に、スイは静かに目を伏せ……。

 ――、

「……ああ」

「お、お願いできるんですか!?」

 ぱっと青年の顔が明るくなる。

「じゃ、すぐに場所を確保してきますね! ありがとうございますっ!」

 そういうなり、周りの人に少しどいていてもらう為に駆け出していった。

「スイ君、頑張ってね。あの子、黒い帯してたでしょう? 黒い帯はかなり位が上だからね、気をつけないと負けちゃうわよー」

「別にスイだったら余裕でしょ? 心配する必要はないわよ」

「…………ああ」

 淡々と呟くスイの肩で、クリュウが心配そうに羽根を揺らせている。

「こっちに来てくださいーっ!」

 少し離れたところから、なんとか広い場所が確保できた青年が叫んだ。

「じゃ、私はこっから見てるわね」

「スイがんばってね~!」

「…………スイ、」

 クリュウは何かを言いかけて口ごもり、おずおずと彼の表情を伺う。

 しかしスイの顔はいつもとほぼ変わりなく、……クリュウはかすかに頷くと、そっと離れてピュラとセルピのところまで飛んでいった。

 スイはゆっくりと踵を返して青年の元まで歩いていく。

 既に青年は剣を抜き放って、真剣な面持ちでスイを見据えていた。

 まるでこれから、本当に命の奪い合いが行われるかのように、その場に張り詰めた空気が漂う。

 そんな彼らの気配に、辺りにいた者は修行を止め、意識を向ける。

 とん、とスイの足が止まった。

 手袋をした手が、柄にやられる。

 そうして、美しい銀の肌がその姿を露にした。

 ――辺りから思わず感嘆の声が漏れる。

 一瞬でそれが使い込まれた名刀なのだと、この場にいる武術に精通した者なら誰にでも分かるのだろう。

 そして、それ以上に感じる――、

 その刃から放たれる、感情……。

 否、剣が感情を持つはずはない。

 しかし、その剣はまるで、紺碧がかった青の髪をした男の内なる雰囲気をそのまま具体化したかのように、常とは違うものを放っている……。

 青年の目が、ゆっくりと細められた。

「殺すつもりでかかってきて下さい。正々堂々といきましょう」

「……ああ」

 ほとんど唇を動かさずに呟くと、青年は構えの体制に入った。

 そして、スイも静かに剣を構える。

 緊張はじわじわとその場にせりあがっていって――、


 そうして空気がはじけた瞬間、金属同士がかもす甲高い音が大空に響き渡った。



 ***



 戦いというものは、本人たちから見ればそれこそ何時間にも思えるものだが、実際にその時間はあまりに短い。

 ――勝負は、2分ともたなかった。


 ……。


 ピュラの口が、ぱくぱくと空気をはんだ。

 その光景に、辺りにいた者たちまでもが、言葉を失っていた。

 そう、その光景。

 まるで石で殴られたような衝撃さえ与えられる光景。

 周りの景色など真っ白に薄らいでしまい、世界の中で見えるのはその数メートル四方の地帯のみのように思えた。

 それは戦慄か、それとも驚愕か……、

「…………な、」

 やっと言葉を発せられるようになったピュラは、その名の通り絶叫するのだった。


「なにやってるのよーーーーーーーー!!」


 その光景。

 バランスを失って地に膝をついたスイ。

 その喉元に突きつけられた、剣。

 スイの剣ははじきとばされて、少々離れた場所に転がっている。


 スイは、当たり前のように言った。

「負けた」

「そんなの見てればわかるわよっっ!! ていうかなんで負けちゃうのよーっ!!」

 びりびりと空気を揺るがすほどにピュラの声が響き渡る。

 クリュウがその下で、諦めとも安心ともつかない溜め息をついていた。

「でも良い太刀でした」

 すっと剣をひいて鞘に収め、青年が苦笑する。

「そうだよ、こいつは鮮虎流の中でも一番の弟子なんだから気を落とすなよ、旅人さん」

「でもすごかったよなあ、本当に差は寸分だったぜ?」

「青髪の方は実践さえ積んでいけばかなりの者になるな、きっと」

 辺りにいた者たちもそんな感想を漏らしながら各々の修行に戻っていった。

「あらあら、全然下手っぴねえ」

 ――そんな中で一人、頬に手をやって戦いを見ていたディリィが溜め息交じりに歩き出す。

 礼を言って立ち去る青年の姿を見送るスイの後ろを通って、彼の剣の元へ。

 そこまで行くと、転がっていたそれを片手で軽々と持ち上げてみせる。

 太陽の光を吸い込んでまばゆい煌きを放つその肌に、目を細めた。

 ずっしりと重い剣。普通の片手剣よりも大振りなのが特徴だろうか。

「……いい剣ね」

 呟いて、スイの方へと歩き出す。

 立ち上がったばかりのスイに、その剣を差し出した。

「はい、どうぞ」

「ああ」

 スイは小さく頷いて剣を受け取り、鞘に仕舞おうとする――、


「――あなた、手加減が下手ね。そんなんじゃバレバレよ?」


 ――。



 ……スイにしか聞き取ることの出来なかった、あまりにもちいさな囁き。

 どん、と何かに押されたように、彼の平衡感覚が一瞬なくなる――、

 スイは思わず目を見張って、ディリィを見た。

 彼女の真っ直ぐとした、強い視線……。

 ディリィはくすっと笑ってから、人差し指を口元にあてた。

「うふふ、人の目は騙せてもお姉さんの目はまだまだごまかせないみたいね」

 そう言ってくるりと振り向けば、紫紺の髪があでやかに宙を舞う。

「修行不足! もうちょっと精進しなさいねー」

 まるで弟子をたしなめるような、明るく、それでいて強い声。

 そして、スイの心に突き刺さる――。


 呆然とするスイの視線の先を彼女が歩いていくと同時に、彼に嵐が直撃した。

 無論、ピュラの飛び蹴りだった。

 頭の側面がおぞましい衝撃を受けて、スイはいとも簡単に、飛ぶ。

「あんたねーっ!! あんなのに負けてどうするっていうのよ! そりゃ確かにあの人かなり強かったけど!」

「……そうだな」

「そうだな、じゃないのー!! 大体あんたが気を抜くからいけないんでしょっ! そんなんでこの先ミスって殺されたって知らないんだからね!?」

 よほどスイが勝つと信じ込んでいたのだろう、顔を真っ赤にさせて怒鳴るピュラの瞳を、彼は見ることが出来ない……。

「ままままあピュラ、とりあえず落ち着こうよ……! ほ、ほら、スイだって頑張ったんだしさ!」

「そうだよー、あと一歩でスイも勝てそうだったんだよ~?」

 スイは、それらを他人事のように聞いていた。

 体中が砕かれるような感覚と共に、眩暈がする。

 海と同じ瞳の色が、けぶる……。


 ――戦い初めてから数秒もたたないうちに相手の攻撃パターンが読めてしまっていたから。


 ――だから、それに合わせて、


 ――目立つわけには、いかなかったのだから……、


 ――だから……。



「ディリィさん! ピュラさん!」

 ぱたぱたと、ディリィの家の前で修行をしていた者の一人が走ってきた。

「お師匠さまから、ピュラさんの解呪の仕度が終わったそうなのですぐに戻るようにと、言付を貰ってきました」

「あら本当に? 分かったわ。じゃピュラちゃん、行きましょっか」

「あ、あとそれから……」

 その修行者はスイの横にいるクリュウに視線をやる。

「そちらの妖精の方も付き添いをお願いできますか?」

「え、僕?」

 クリュウは自分を指して首を傾げたが……、確かにピュラの封印をかけたのは自分だったので、頷いてピュラたちについていくことにした。

「スイ君とセルピちゃんはまだ遊んでていいわよ。家でお茶飲んでてもいいし。夕暮れまでには帰ってくるようにね」

「は~い!」

「セルピ、迷子になるんじゃないわよ」

「大丈夫だよぉ~。ピュラこそ頑張ってね!」

「それなりにね……」

 あの父親に呪いを解いてもらうと思うと気が重いピュラは大粒の溜め息を零す。

 セルピは大きく手を振って、人ごみに消えた。

 ピュラたちも、家へと向かっていった。


 ……スイは、一人。

 広場の片隅で、人の流れに目をやっていた。

 個人個人を見ているのではない。まるでその広場にいる者たち全てを一つの生命として見るように……。

 流れていく、動いていく、ひと、もの、こころ……。


 腰の剣が何故だか重く感じられて、スイは踵を返して路地に入っていった。

 ――その場所は、彼にとって明るすぎるのだから。



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