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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
五.眠れる古代都市
63/151

062.止まっている世界



「遠路はるばるようこそ、客人たち」


 ――ぶわぁ……っ……


 にこっと笑った顔は、雄大な風に吹かれて……。

「ナナクル様から話は聞きましたよ。よくここまでいらっしゃった」

 やせた中年の男だった。

 ナナクルとよく似た服を着て、そして彼女と同じ青緑の髪をしている。

 否、それはその男だけではない。

 ――ピュラたちは、絶句していた。

 遊牧民だとナナクルは言っていたが、その想像をはるかに上回る頭数の羊と馬。

 それに乗り、あるいはその脇について辺りをたむろする人々……。

 彼らは全て濃い青緑の髪を持ち、そして風になびく緑の装束を身につけていた。

「ど……」

 ピュラは待ち合わせ場所になっていた丘の上にて、言った。

「どっから沸いてきたのよ……」

 正直な感想だった。

「私たちは人の目から隠れて生活していますから」

 中年の男は懐こい笑顔をうかべ、ついと手を差し出した。

 握手を求められているのだと気付いたピュラは、その手を握る。

「村長のナクルスです」

「ピュラよ」

 骨張った手で握り返され、そして離された。

「ここまで来たということはナナクル様に認められたということですからね、歓迎します」

 こちらへ、とピュラたちはすぐに村人のたむろする中へ連れて行かれた。

 周りから視線が集まる。それはそうだろう、この村にとって客人など滅多にないものなのだから。

 しかし不穏な雰囲気はどこにもなかった。村中に暖かく客人を迎えようという気持ちが染み渡っている。

「ここは目立ちます故に、少し移動します。お話はそこで――ナナシナ、この方々を馬へ」

「わかりました」

 村長ナクルスに言われた女性が、深々と頭を下げる。

 若くはなかったが、丸顔で優しい顔をした女性だった。

 村長は他の村人を引率する為にまた人ごみへと姿を消していく。

 女性はまた優しい笑顔で笑いかけた。

「はじめまして、ナナシナです」

「馬さんに乗るの?」

「ええ、でも少しの時間ですから。それにすぐに慣れますよ」

 そう言うなり、3頭の馬の手綱を握る。

 連れてこられた馬の巨大さは圧巻だった。

 人間よりもはるかに大きな姿に、思わず後ずさりそうになる。

「どうぞ」

「……え、」

 生まれてこのかた一度も馬に乗ったことのないピュラは、頬をぽりぽりと指でかく。

 それを悟ったのか、ナナシナは手取り足取りで乗り方を教えてくれた。

「ここに足をかけて……、そうそう、馬は頑丈ですから…………ほら、乗れた」

「わ、高いわね……」

 茶色い馬にまたがったピュラは手綱を握ったまま、その高さに驚きの声をあげる。

「わーい、お馬さんっ」

「お嬢さんは私と一緒に乗りましょうね」

「は~いっ」

 セルピは楽しそうだった。

 一方、スイは軽々と馬にまたがってみせる。

「あんた、馬に乗ったことあるの?」

「いや、ない」

「あっそ……」

 こういうものは才能なのかもしれないとピュラは思う。

「馬は群れの暮らしに慣れてますから、全体が移動すればなにもしなくとも移動します。お乗りになってるだけでいいですからね」

 素朴な笑顔でナナシナが言うとほぼ同時に、村全体がゆっくりと動きはじめた。

 どこまでも続く草原の山々を、馬や羊たちが荷を乗せて歩いていく。

 不規則な歩みに見えて、しっかりとまとまって進む彼ら……。

 子供から老人まで、この村は完全に一致団結しているようにも見えた。

 それでなければとっくに下界の者にその足取りを掴まれてしまうのだろうから――。

 山の上を撫でるように吹き付ける、涼やかで強い風が髪の間をすりぬけていく感触は心地良い。

 最初こそはしどろもどろしていたピュラも、次第に余裕が垣間見えるようになってきていた。

「ナナクルは元気でしたか?」

「うにゃ?」

 ふと、小さな声でナナシナが囁いたのに、同じ馬に乗っているセルピは振り向く。

 そしてその顔が微笑んでいるのを見ると、自然と笑顔が零れた。

「うん、すごく元気だったよ」

 そうセルピが言うとナナシナも頷いて返す。

「ナナクルは少し頑固なところがありますからね、ご迷惑をかけていないかどうか」

「ううん、そんなことないよ。すごいよね、ボクと同じくらいの年なのにちゃんと一人で遺跡を守って――」

 その何処までも深い青緑の、瞳……。

 ――不意に、言葉が薄れた。

 ナナクルが笑うことはなかった。しかしこの女性の微笑んだ顔と彼女の顔が、何故だかかぶる……。

 似ているのだ。表情が違うのだとしても、その面影と雰囲気が。

 そこまできて、セルピは気付く。

 この村の村長までが先ほどナナクルのことを『ナナクル様』と呼んだ。

 しかしこの女性ははっきりと、『ナナクル』、と呼ぶ……。

「……あ」

 そんなセルピを察したように、ナナシナはにこりと笑ってみせた。

「はい」

 その微笑みが、全てを語っているように思わせた。

「ナナクルは私の娘です。……良かった、そのことを聴いて安心しました」



 ***



 数十分の旅の末、ナチャルアとは遠く離れたところで彼らはその歩みを止めていた。

 すぐさま村人総出でテントがてきぱきと手際よく張られる。

 羊の皮で作ったテントは古くはあったが、かなり頑丈そうに見えた。

 その間、ピュラたちは村の子供たちの襲撃にさいなまれていたのだったが。

「ねーっ旅人さんはどっから来たのー?」

「このあとはどこに行くの?」

「旅っておもしろいー? お話聞かせてよっ!」

 数人ならともかく十数人の子供に囲まれるピュラは顔がひきつるのを隠せない。

 これだけの相手は面倒だったので、彼女はとりあえず逃げることにした。

「ううんっ! こっちの妖精の方が珍しくて質問のしがいがあるわよー」

「って、そ、そんなーっ!」

「うわーうわー妖精さんっ!! ちっちゃくて可愛い~っ」

「あだだだだっ! 羽根をひっぱらないでよ!」

「よかったわね、モテモテじゃない」

「よくないよーっ!!」

 クリュウが涙目で逃げていくと、子供たちはその後を嵐のように追っていくのだった。

「うーん、子供って可愛いわねえ」

 相変わらず自分も鬼だと思いつつピュラが目を細める。

「まあまあ、子供たちが……。ご迷惑をかけてすみません」

 横を向けば苦笑しているナナシナが目に入った。

「いいのよ、クリュウも楽しそうだし」

「そうか?」

「そうよっ!」

 反対側から入ってきたツッコミには鋭く返しておく。

 ナナシルはそんな様子に笑みを口の中で転がしながら、ゆっくりと来た方へ振り向いた。

 吹き込んできて、また吹き通っていく風に思わず目が細くなる……。

 ――そんなときだった。

「…………?」

 違和感を感じたピュラが、振り向いた。

 スイもセルピも、振り向いていた。

 クリュウを追いかけていた子供たちも、そしてクリュウも立ち止まって、一様に同じ方向に視線をやる……。

 肌を通ってなにかが体に浸透していく気がした。

 なにも聞こえることはない、聞こえるのはただの風の音……。

 しかしそれは戦慄を覚えるほどに体中を震わせる――。



 次の瞬間、突然ナチャルアの方角に光が走り、いくつも飛び散るのが肉眼で観察できた。

「え……!?」

 まるで噴水のように吹き上げる力の灯火が、幾重にも重なって眩しい光を放つ。

 わずかに地鳴りのようなものが足を伝って感じられた。

 しかしそれが何故だか迫力を伴わないのは、全く音が響かなかったからかもしれない。

 そう、その光は、無音。

 そんな様子に驚くピュラたちの横で、村の住人たちは全く慌てるそぶりも見せず、……ただ、各々の手を止めてその様子を瞳に焼き付けている。

「はじまりましたね」

「な、なにあれ……」

 ナナシルは風に踊る髪にゆっくりと指をからめて、少しだけ淋しげな瞳を垣間見せた。

「あの子が……ナナクルが、ナチャルアに封印をかけているんです」

「……封印、って、」

 不安になったのかスイのところまで戻ってきたクリュウが不安げな顔で尋ねる。

 ナナシルの瞳に浮かぶのは、どこまでも吹き抜ける風の色……。

「これまでナチャルアは幾度も下界の民に襲われてきました。それを食い止めるのが守人の役目。しかし守人にも守れないものがあるんです。それから遺跡を守るための封印……」

 まだ光の噴水は止まらない。随分離れているというのにここまで大きく見えるということは、実際に目の前で見ればどのくらいの規模になるのか、予想もつかなかった。

「なんでそんなものを今やってるのよ……」

 ゆっくりとピュラの方に振り向いたナナシルは、少しだけ目を伏せて小さく頷いてみせる。

「私たちはこの地から世界を見てきました。本来の世界というものは、あらゆるところで動き、反乱が起き、革命が起き、国が興り、また失われる……、そんな動き続けるものです」

 まるで歌うように語ってみせる。

 地鳴りのようなものも、まだ続いていた。

「しかしそれは300年前から止まっている……。全てが鎖で繋がれて、何も動かないでいる」

 300年前、ウッドカーツ家による世界統一の成功。

 それからは誰一人として貴族を打ち破った者は現れていない……。

 それはウッドカーツ家による閉鎖的な政治の結果。

 なにも動かなければ、永遠にそれは続いていく。

「――この世界は、止まっているんです」

 ナナシナはそう、言い切った。

 何者にも覆せないであろうその揺らぎのなさは、ナナクルに似ているのかもしれない。

 言い出す言葉を見出せないでいるピュラたちに向かって、まるで信託を受け取った巫女のようにナナシナは言った。

「でも、いつかまた世界は必ず動き出します。いっぱいになったダムから水が溢れかえるように」

 遠い、遠い、目をしながら……。

「そしてダムが水を抱えきれずに壊れたとき、そこから流れ出す力は並大抵のものではありません。それと同じように、一気に溢れた力は誰も止めることができない……」

 光が溢れる。溢れ、溢れる。

 いくつもの弧を描き、流れ、よどみ、そしてまた空へと消えていく。

「そんな力が降りかかれば、どんな屈指の守りでも簡単に打ち滅ぼされてしまうでしょう」

 まるで神のような語り口に、風になびくナナクルと同じ髪の色……。

 言っていることの意味のすべてが理解できないピュラたちに、ナナシナは小さく笑ってみせた。

「今、世界は一つの節目に差し掛かっています。もしかしたらもうすぐ世界はまた動き始めるのかもしれない……」

「世界が動き始めるって、ウッドカーツ家が倒されるってこと……?」

 セルピが聞くと、ナナシナはかすかに首を傾げる。

「それはわかりません。全て私たちの予感に過ぎませんから」

 まるで風の音を聞くように目を閉じた。

 村の人々はずっとずっと、その光の方向に目を向けたまま。

 その光景に無言の祈りを捧げているのだろうか……。

「ただ、あのネルナドはあなたたちを経てここに伝えてきました。時が近付く、封印を張れ、と……」

「え、そんなこと言ってなかったわよ?」

「彼は元々それを調べに遣わされていました。だから彼が警鐘を鳴らすということは、もう時が近いのかもしれないということ……」

「でもそれにしてはウッドカーツ家が咬んでるとかなんとか」

「……――」

 ナナシナは、なにかを言いかけて……、そして全てを包み込むような微笑みを浮かべた。

 淋しげにもとれる瞳。しかしそこに宿る光は、強い……。

「きっとあなた方に怪しまれないように嘘をついたのですよ。単に狙われているというだけだと、ナチャルアほどの遺跡に一々そんな危惧を感じる必要はないと思われてしまいますから……」

 ゆっくりとしかし確実に、言葉は紡がれていた。

 大地から噴出される光は次第に薄くなっていく。もうそろそろ終わりの時刻なのだろうか……。

「もうナチャルアには、誰一人として入ることは出来ません」

 ――当たり前のようにいった言葉は、実際に鉛のように重たかった。

 しかしその重みが何を示すのかがわからなくて、ピュラはただ目を細めることしか出来ない。

「でも、永遠に封印するわけじゃないでしょ?」

「おそらくは……この世界が動き出すまででしょうね」

 いつになるかもわからない、その時。

 もしかしたら永遠にこないかもしれない、その時……。

 ――いつのまにか、光は空に溶けて全て消えていた。

 全てが元通りの景色に戻ってしまっている。

 まるで今の出来事は単なる白昼夢なのだと思わせるほどに――。

 そこに広がるのは、草原、そして強い風。

 下界の者たちよりも、ずっとずっと遠くを見ている民の人々……。

「終わりましたね。そろそろ会見の準備が整うころですので、見て参ります」

 ナナシナはぺこりと頭を下げて、ピュラたちに背を向けた。

「――本当に、ネルナドの言葉を伝えてくださってありがとうございました」

 だから、その言葉をどんな顔で言っているのか、彼女たちには分かるはずもなかった。


 気がつけばテントがいくつも張られており、人々は元通りの生活を取り戻し始めているようだった。

「……ねえ、ピュラ」

「なに?」

 くい、とピュラの服の裾を掴んだセルピは、ゆっくりと言葉を唇に乗せた。

「ナチャルアは封印されて、もう誰にも入ることは出来ないってナナシルさんは言ってたけど」

「ええ、それが?」

「ナナシルさん、ナナクルのお母さんなんだ」

 ピュラの瞳が、瞬いた。

「母親なの?」

「うん。だから、きっと心配なんだと思う……。ナナクルと会うこともできなくなっちゃったから……」

 ナナクルは言っていた。

 村の者とは一年に一度だけ会うことができると。

 しかしナチャルアに封印をかけてしまった今、それは不可能となってしまった。

 次はいつ、封印がとけるかもわからない……。

 ただ、ナナシナはそれを真っ向から受け入れていたのだ。

 全てを受け入れ、そして古の遺産を守る……、それがこの地に生きる者の生き方であった。

「本当に世界は動くのかしら……」

 今まで世界が止まっているなんて考えてもみなかったピュラは呟く。

 否、世界が止まったまま動かないなどと考える人など、他にはいないだろう。

 セルピは押し黙って山の線の先にある青を見つめていた。

 その先にあるナチャルア。おそらく結界がはられて、誰一人として中に入れないようになっているのだろう。

 そんな先を眺めながらセルピは考えていた。

 ――平民は誰しも、貴族には勝てないと思っている。

 しかし……。

 彼女が貴族界にいて見てきたもの。荒れる上流貴族と、その隙にのし上がろうとする下級貴族たち。

 ――もしかしたら、いつ崩れてもおかしくないかもしれない……。

「セルピ、難しい顔してどうしたのよ」

「うん……」

 セルピは軽く頭を振って笑ってみせた。

 そうだ、自分は学んだのだ。

 この目の前の緋色の娘から。

 どんな現実が目の前に立ちはだかろうと、その中で強く生き抜いてみせることが大事なのだと――。

 それから数刻もたたずに村長の迎えが来て、一同は村の中でも一際大きなテントへと招かれることになった。



 ***



「それでこの呪いをかけられた、と……」

 ナナクルに付き添っていたチャカルが言っていた『名医』とは、村長のことだった。

 どうやらかなり医学に精通しているらしい、そうナナシナが教えてくれた。

 椅子がないためにござを敷いた室内。思っていたよりもテントはしっかりとした造りになっていて、多少の雨風で飛んでいくものではないことがすぐに分かる。

 ピュラと村長がその真ん中に座り、スイたちはその脇に座って様子を見つめていた。

 包帯をとったピュラの手首をまじまじと観察してから、村長ナクルスは青緑の瞳をゆっくりと細め、頷く。

「ええ、これはちゃんと解呪できますよ。それでは薬を作りましょうか」

「あの、代金とかは……」

「いらないですよ。あなた方は試練を乗り越えはるばるこの地までやってきた、それだけで十分です」

 ナクルスは人の良い笑みを湛えたまま、横においてあった薬箱の蓋を開けた。

 その瞬間、もわっと薬草の様々な混じった匂いが辺りに広がる。

 大きな薬箱の中にはありとあらゆる草や木の実が干して保存されていた。

 そこから何種類かを手際よく取り出してすり鉢へと移す。

「……ただ、」

「え?」

 ナクルスはすり鉢を膝の上に乗せてピュラを見据えた。

 その後に続く言葉に一瞬だけ嫌な予感が走ったピュラは、思わず居住まいを正してその次を待つ。

 ……ナクルスは、言っていた。


「ここであなたの呪いを解くことは出来ません。この薬を持って、武術の都ドトラへと向かってください」

 ――ピュラの目が、点になった。




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