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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
三.秋の風を聞きながら
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037.スイの故友



 箱に鍵をかけて、もう二度と開かないようにして。

 幾重にも幾重にも、限りなく鍵をかけてしまって。


 そしてその重い箱を肩に背負い、走る。


 心に深く食い込む箱を。

 鍵をかけたまま、暗がりに沈めた箱を。


 捨てることも、開くことも、なにをすることもできずに。


 しかし箱の鍵はきっかけさえあればもろく崩れ去ってしまう。

 そして突如として流れ出す箱の中身は、残酷にも封印していたものを突きつける。


 箱の中身は、誰も知らぬ真実。


 ずっとずっと背負ってきたもの。


 そう、その鍵が壊れるきっかけは本当に本当に、ささいなものでしかないのだ。



 彼との再会の瞬間、ただ一つだけ目の前を通り過ぎていったもの。


 白昼夢は、風にまぎれて強いひかりのように目の前で瞬いた。




 ――若草色の髪の少女がきらきら笑って、首を傾げる。


 たった、それだけだった……。



 ***



「何年ぶりでしょうね、スイと会うのも」

 ハルリオは始終笑顔だった。

 きっと十人の女がこの笑顔を見たとしたら、十人が完全に見とれてしまうだろう。

 そう確信できるほど、その笑顔は完璧だった。

 否、笑顔だけではない。物腰も柔らかで言葉遣いも気品がある、完膚なきまでに全てが揃った男だった。

 まるで、絵本の中の王子か騎士がそのまま現世に現れたような人だと、ピュラは思う。


 ――昼時よりは少し早いものの、食堂は出稼ぎの男たちで賑わいをみせていた。


 聞けば、彼はスイと何年か前に仕事を共にした仲なのだという。そぶりからして、随分と信頼しあっているように見えた。

「まあなんであれ、元気そうでなによりです」

 時々頷きながらも、スイはほとんど言葉を発することはしない。

 だが、その表情からハルリオは言葉を読み取っているようだ。

 どこか不思議な二人の雰囲気に、ピュラは溜め息をついた。

「スイにこんなかっこいい知り合いがいるなんてね」

「ええ、こちらもスイにこんな可愛らしいお嬢さん方がついているとは思いませんでした。いいですね、両手に花なんて羨ましいです」

 ふと、ぼんやりとハルリオを見ていたセルピと目があって、ハルリオはにこりと微笑む。

 ぴくん、と軽く肩が跳ねて、セルピは慌てて目の前のお茶に視線を落とした。

「セルピさん、でしたっけ? こんな歳で旅なんて大変でしょう」

「あ、え、うん……」

「どうしたのよセルピ、元気ないわね」

「え、うう~、そんなことないよ~」

 そう言って顔をあげるが、いつもの彼女らしい笑顔ではなかった。

 まるで心ここにあらずという感じだ。

「まさかセルピ……」

「ふ、ふえっ!?」

 ピュラはじろじろと怪しげな目でセルピを見回して――。

「腹痛でしょう!」

 机に座っていたクリュウの首が、かくんと折れた。

「あなた前々から食べ過ぎるから! ほら、旅先のものはおなか壊しやすいのよ。もうちょっと買い食いとか注意しなさいよね」

「え、う、うん……」

「あはは、おもしろいお嬢さんですね」

 またハルリオと目があったセルピが、うつむく。

 まるでハルリオを遠ざけるかのように――。

(……なんでだろう)

 セルピ自身、何故心がこんなに動揺するのか、薄々分かっている。

 古びたフィルムのようにコマ送りで流れる記憶。

(このひと、何処かで――)

 その言葉が過ぎった瞬間、ぞくりと背筋が冷たくなる。

 もし、もしも、この人が自分を知っていたとしたら――。

「ところでスイたちはこれからどちらへ?」

「ディスリエ大陸に渡るつもりだったが……」

「金欠の為にこれから盗賊団潰しなのよ。面倒だけど生活の為だしね」

「ああ、お仕事なんですね。ご苦労様です」

「あなたはどちらへ?」

 ピュラが聞くと、ハルリオはふいっと目を泳がせて顎に手をやった。

「そうですねえ。都会に飽きてしまってこの大陸に来ていたんですが、久々に故友とも会えたことですし、……そうだ」

「へ?」

 ハルリオはぽん、と手を軽く叩いて笑顔を一層際立たせる。

 首を傾げるピュラに、彼は言った。


「午後からのお仕事、よろしければご一緒させていただけませんか? 久々にスイの戦いぶりも見たいですし、特に報酬はいらないですから」


 ――言葉に、ぴんとクリュウの長い耳が跳ねた。

 すぐさま視線をスイの方へと流す。

「別にいいが」

 スイはたじろぐこともなく一発で答えた。

「私も構わないわ。人数は多い方がやりやすいしね」

 ピュラも頷いて小さく笑う。

 スイの友人というなら、実力はそこそこあるだろう。足手まといにはならないはずだ。

 それに、スイの友人という人物をもっとゆっくり拝見したかったという理由もあった。

 クリュウはスイの様子に変わりのないことから、得に問題ないようだと判断しておとなしくしている。


 セルピだけが、小さくなって何度も茶の入ったカップを握り返していた。


「うん、異論ないわね。じゃあハルリオ、――ハルでよかったかしら? 午後からよろしくね」

「こちらこそ。ご一緒できて光栄です」

 にこりと笑ってハルリオは軽く会釈をする。


 それからはすぐに仕事の詳細が説明され、一同は3時間後に森に入った。



 ***



 秋の森はやや彩度をおとし、小鳥の鳴き声と木々がゆれる囁きで静かな波紋を投げかける。

 三人、――ピュラとスイ、そしてクリュウは、そんな道を歩いていた。

「なんかうるさいのがいないと変な感じよね」

 ――彼らのたてた作戦。

 それは2つのグループにわかれて、片方が陽動を起こしているうちにもう片方で一気に中枢を叩くというもの。

 そして、そのグループというのが、この分け方なのだった。

 恐らく今ごろ、反対方面の道をハルリオとセルピが歩いていることだろう。

 ギルドでもらった盗賊団の資料によると、規模の大きな砦だということで、その分陽動を起こせば混乱も大きくなると考えたのだ。

 ――それにしても、とピュラは思う。

 まさかスイに知り合いがいるとは思っていなかったのだ。

 その上、それがスイとは正反対な男とあっては、また興味がわいてくるものだった。

 ピュラは歩きながらスイに尋ねてみる。

「ところでスイ、あなたどこでハルと知り合ったの?」

 そう言って見上げると、スイは口元に手をあてて少し難しい顔をした。

 ピュラとクリュウもつられて怪訝な顔をする。

「え、なにか……」

 気まずそうにピュラが聞くと、スイは手を離して頷いた。


「……忘れた」


 スイの後頭部に、見事な蹴りが決まった。


「わ、わわーっ! スイ~~!」

「あのね!! あんなにかっこいい人との出会いくらい覚えておきなさいよっ!! 物心つく前とかじゃないんでしょ!?」

「確か……数年前だ」

「そこまで覚えててなんで中身を覚えてないのよ!」

「そんなに大きな声をだすと盗賊に見つかるぞ」

「悪かったわねっ!」

 不機嫌なオーラを全開にするピュラの横で、スイは軽く髪をかきあげる。

「確か……偶然同じ仕事をもった……」

「なんだ、覚えてるんじゃない」

「ような気が、する」

 ピュラは怒りを通り越して脱力した。

 もはや、言うべき言葉も見当たらなかった。

 スイは何もなかったかのように歩いて行く。

 ――わずかに眩暈にも似たものを感じながら――。

 風が背中を押すように流れていき、森は静かにざわめきの声をたてる。

 スイ自身、もちろんハルリオとの出会いは覚えている。否、忘れられるわけもない。

 しかし今、そのことは思い出したくないのだから――。

 もう少しもう少し、外にはださずに心の底に仕舞っておこうと思っていた。

「大丈夫か?」

「加害者に言われちゃ世話ないわよ……」

 くるくる変わる表情、こちらを見上げる、炎の色をした瞳。

 すまない、と心の中で小さく呟いて、スイはまた、前に目を向けた。

「あーちょっと待ちなさいよっ! か弱い乙女を置いていくつもり!?」

「か弱い乙女だったら置いてはいかないな」


 ――そして次の瞬間、またしてもスイの後頭部にそれは見事な飛び蹴りが決まったのであった。



 ***



「さて、行きましょうか」

「う、うん」

 セルピはわだかまる気持ちを抑えて、出来うる限り自然にふるまおうとしていた。

 しかし、そうすればそうるほど、現実は悲しく、その行動が不自然になってしまうことに薄々気付きながら――。

 そんなセルピに、ハルリオはにこにこと笑いかけてみせる。

「大丈夫ですよ、これでも腕に少しは自信があるんです」

 痺れのようなものが体を走った。

 こくんと頷いて僅かに笑う。

 どこかで見覚えのある彼が自分のことを言い出さないのは、安心でありそして不安であった。

 本当に彼とは一度も会っていないのか、それとも会ったこと自体を忘れてしまったか――。

 もしくは、知っていて何も言わないのか――?


「あの、ハルさん」

「はい?」

 声はかすれそうになって、それを無理矢理抑えて、セルピは続けた。

「ハルさんは、旅の理由があるの?」

 半分、何故こんな問いをかけたのかもわからなかった。

 ただ、もし彼が以前に自分と出会っていた人と同一人物なら――、明日生きられることも約束されぬ旅人になるはずがないのだ。

 ハルリオはふいと笑って、視線を遠くに向けた。

「そうですね、特にないですよ。ただ気のむくままに各地に赴くだけです」

「……うん」

「セルピさんは?」

「え?」

 見上げれば、風に金髪がさらさらと揺れていた。

 秋の優しい風を受けた、静かな細い森の道。

 ――ハルリオは、軽く首をかしげてみせる。

「セルピさんに旅の目的はあるのですか?」

 ふんわりとした笑顔を、初めて直視した気が、した。

「ボクは……さがしもの」

 それは、秋の風の声を聞きながら、その流れに身を委ねながら――。

「見つかるといいですね」

「……うん」

 自分の不安をよそに、彼はこんなにも優しい顔を――。

 まるで空を映しこんだような、深い瞳。

 それをみているだけで、安心できてしまいそうな――。

 セルピは少しくすぐったそうに笑って、先の道をもう一度見直した。

 そうだ、気にしていても何にもならない。

 とにかく今は、前に進まなくてはならないのだ。

 そう、今は。

「うん、頑張る」

 独り言のように呟いて、セルピは一歩二歩とハルリオよりも先を歩いた。


「早く行かなきゃ。遅れちゃうよ」

「そうですね」

 小さな後姿にハルリオは僅かに目を伏せて、また、静かに笑った。



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