035.水面下の語らい
ピュラは、怒っていた。
それはとんでもないくらいに、最上級の怒りを隠すこともなく噴火させていた。
「ひっ……お、おたすけーーーっ!!」
大の男が十数人で取り囲んだが、暴走を止められることは無理に等しかった。
今の彼女を止めるには数千の大軍がいるのではないかと、誰もが思っていた。
彼女はめらめらと炎を燃しつつ、倒れた海賊の一人の胸倉を掴む。
「ふんっ!! なによ情けないわねっ!! 全く手ごたえがないじゃないのよ! こんな体力の無駄なんて冗談じゃないわっ!! あんたたちのボスは何処にいるのよ!! 私はさっさと帰りたいのっ!」
耳元で叫ばれて危うく海賊は失神しそうになったが、このまま意識を手放せば永遠に戻ってはこれないだろうと思ったのか、息も絶え絶えに言葉を繋いだ。
「そ、そこから二番目の扉から入って、奥の階段を下りた突き当たりに……」
「それをさっさと言いなさいよねっ!」
――げしっ!!
海賊は、つぶれた。
ピュラは足音荒く扉の前まで歩いていって、
――がすっっ!!!
扉を足で粉砕してしまうのだった。
「あっ、修理代も高いのに……」
「何か文句あるのっ!?」
「な、なにもっ!」
鋭い瞳で睨まれてすっかり怖気づいた海賊の一人が尻尾を巻いて逃げていく。
ピュラは無言で中に入って階段に足をかけた。
「な、なんだおま――ふごっ!!」
鉢合わせになった海賊は、お約束の言葉をのたまう前に――平手をくらって意識をフェードアウトさせる。
「邪魔よ……」
低い声で呟く表情は悪魔そのものであって、どす黒いオーラを身にまといながら前へ進む姿はさながら魔王かなにかの行進であった。
しかもそれが現物に赤毛の可愛らしい少女とあっては、更に凶悪さを増す。
どすどすと床をきしませながらピュラは奥の扉を目指した。
……相変わらず、気分は最悪のようだった。
***
「海賊船につれてかれたぁ!!?」
クリュウの素っ頓狂な声が大空に広がる。
小さな体からは想像もできないような、そんな大声だ。
「あ、ああっ、今すぐに海賊船に皆で乗り込むから……」
「ぼっ、僕、様子見てきますっ! 早くしないと大変なことに……」
「ああ分かってる! 無事でいればいいが」
「どうしよう……!! 海賊たちが危ないよ……っ!」
「は?」
首を傾げる船員に、クリュウはこめかみに手をやりながら溜め息を一つついて、飛び上がる。
「全員ボコボコのスマキにされてなきゃいいけど……」
「ど、どんな女の子なんだ……」
「見かけに騙されたら死あるのみです」
「そ……そうか……」
きっぱりと言い放ったクリュウに、船員は重々しく頷く。
「それにしても、誰が何故あの子を連れ去ったんだ? 貴族でもないし、連れ去る理由なんて何処にもないだろう」
「誰につれてかれたんですか?」
「それがな、どうもこの船の客の一人らしい。スパイだったんだろうか」
「客の一人……」
クリュウは口の中で呟いた。
「あのひと……」
すぐに思い出すのは紫の髪の青年。気が軽そうで、あのピュラをからかう姿には大変な勇者だと思っていた、あの青年。
「心当たりがあるのか?」
「うーん、なんていうか、知り合いというか……。とにかく僕、行ってみます」
「そうか……。よろしく頼む」
頷いて、海賊船の方に飛んだ。
甲板ではほぼ争いが鎮圧され、海賊船の方へ乗り込む準備が進められている。
逆に海賊船の方は、時折不穏な断末魔が聞こえるくらいで、あとは静まり返っていた。
「いやな予感がするなあ……」
頭痛を感じながらクリュウは更に中に近寄ってみる。
――いやな予感は、的中した。
的中どころではなかったかもしれなかった。
船のあちらこちらで無残に倒れている海賊たち、二次災害で破壊された床や壁や扉、それらの破片が散らばる惨状――。
まさに、魔王の嵐の跡だった。
「だ、大丈夫……?」
思わず情けをかけて海賊の一人に声をかけると、ゆっくりと起き上がってこの世の終わりのような顔でふるふると首を横に振る。
「俺たちよりも……ぼ、ボスが危ない……、殺される……!」
一理あった。
「多分殺されはしないよ……きっと……」
情けなさと恐ろしさの涙をこらえながらクリュウは深い溜め息をつく。
「た、助けてくれ……! 役所につきだされてもいい、どんなことだってするから……! い、命だけは……」
すっかり怖気づいてしまっているようで、海賊たちは既に半泣きだった。
「これじゃどっちが悪いのかもわかんないよ……」
クリュウは辺りをもう一度見回した。
「そ、それでピュラは一体どこに?」
「やつならそこから入った中のボスの部屋に――」
瞬間。
「ふっざけんじゃないわよーーーーーーっっ!!」
「ぎっ……ぎゃああああああああ!!」
「ひぃぃぃっっ!」
中から聞こえてきた声に辺りの海賊が震え上がる。
ちなみに横でクリュウも震えていた。
思わず両手で自分の体を抱きしめるようにして、クリュウは中の惨状を予想する。
……が、3秒後に予想を打ち消した。
考えるだけ空しくなると分かったからである。
「と、とにかく中に入らなきゃ……! 僕、行ってくるよ!」
すでに気分は猛獣の住む洞窟に挑む幼い勇者だった。
ただ、表情だけはとんでもなく情けなかった。
「お、お前……! あんなところに乗り込む気か!?」
「誰かがいかなきゃいけないんだよ……」
「殺されるぞ……!」
「うん、覚悟してる……」
「いやだめだ! 俺がいってやる! 若い命を散らしてたまるかっ!」
「僕、114歳……」
「……」
「……」
全員が全員、あらぬ方向を見つめて暫し現実から逃避する。
「や、やっぱり僕が行かなきゃ……」
「そ、そうか……。元気でな、死ぬんじゃないぞ」
「努力するよ……」
完全にその場の雰囲気は戦場だった。
クリュウと海賊は固い握手を交わす――。
「はっはっはっ、ご機嫌よう!」
瞬間、戦場の雲は、吹っ飛んだ。
一気に能天気な太陽の光が容赦なく差し込んでくる。
階段を下りた場所でぴしりと手を敬礼の形で額にあてるフェイズは、最高のテンションで言い放ってくれた。
「わ、わあああっっ!」
突然の襲来に驚いたクリュウが飛びのくと、フェイズは笑みを湛えたまま首を傾げる。
「あー、今この中に行くのは自殺行為だぞー? 大丈夫大丈夫、しばらくすれば出てくるよ。あいつのことだしさー」
「い、いつからいたのっ!?」
「ずっと前からいたぞー。いやー皆気付いてくれないもんだなー、悲しくなっちまうぜ」
たった一人の青年によって、緊張感はもろくも崩れ去っていた。
後に残るのは、呆然と佇む海賊と妖精のみである。
「それでさ、そっちの妖精の君」
「え、ぼ、僕?」
フェイズが頷くと、クリュウは不安そうに近くに寄る。
「確かピュラの連れだったよな?」
「そ、そうだけど」
「一つ質問がしたいんだが、ピュラのあの戦術といい構えといい、あれって龍流拳術だよな?」
ぴん、とクリュウの耳が張った。
確かに独特の術である龍流拳術は少し目の冴えた者ならすぐに判断できてしまうものだろう。
しかし、何故それをわざわざ確認するように聞いてくるのだろうか?
「う、うん」
「そうかー。すごいなーピュラも。そんなもの教えてくれる人に巡り合えるなんてなあ。俺なんて数年旅しててもそんな人に会えたこと一度もねーし」
ぺらぺらと喋るだけ喋るフェイズに、クリュウはまた疑問を覚えた。
(なんでピュラが拳術を“人に習った”って知ってるんだろう……。武術の都出身の可能性だってあるのに……)
しかし、そんなことよりも聞きたいことがあって、勇気を振り絞って訪ねる。
「あ、あの、なんでピュラをここにつれてきたの?」
「ピュラの力量ならこんな船一発で制圧できるだろ? ボランティア精神は大切なんだぞ」
「……」
いまいち腑に落ちないクリュウは首を傾げるが、フェイズはにこやかに笑ったままだ。
――まるで、笑顔に全てを押し隠してしまったような。
「それで、名前は?」
「えっ?」
「お前の名前、まだ聞いてなかったろ? 珍しいなー妖精なんて。こんなご時世、色々大変だろ」
「あ……う、うん。僕はクリュウ」
「クリュウか。ふむ、あの青髪の人と仲がよさそうだったなぁ」
「スイのこと?」
「そうそう。そういえば彼、今なにしてんの?」
「向こうの船の中にいるけど……」
「へえ、心配してるんじゃないのか? 偵察に行ったまま二人も帰ってこなくて」
「大丈夫だと思うけど……」
少し落ちた声になると、フェイズはまたにかりと笑ってみせた。
「そうだ、そういえば俺の方が名乗ってなかったなー」
名乗らせておいて名乗らないのは失礼だよな、と彼は笑って、言った。
太陽の強い日差しを一杯に浴びて、ポケットに手を突っ込んで――。
「俺はフェイズ・イスタルカ。今のところ全世界放浪中の身さ」
――空高く、鳥が鳴いた。
***
それから数分後、海賊船は自衛団により鎮圧された。
ただ、自衛団が到着した頃には既に鎮圧されていたといった方が正しいのかもしれない。
全てが一人の娘によって片付いてしまったのだから――。
その娘、ピュラは船長から厚い感謝を受け、謝礼も貰って少しは機嫌を回復したらしい。
それからの船は、何事もなく船路を辿り、フローリエム大陸から南に進んだ大陸、イザナンフィ大陸のネストの町へと向かっていった。
そうして、それから数日後のことである。
そこから遥か離れた西に位置するディスリエ大陸のある場所にて――。
***
かつん、かつん、と乾いた音。
一つ一つは壁に響いて、幾重にも反響する。
背の高い女性は豊かでカールがかった金髪を肩の辺りでゆらせながら、地下の通路を歩いていく。
腰には細身の剣、動きやすく気品に満ちた格好、引き締まった顔立ちに気高く鋭い瞳。
橙色のランプに照らされて、影がゆらゆらと揺らめいていた。
彼女は扉を開き、猫のようなしなやかな動きで素早く中に入る。
そして、目当ての人物の姿を確認すると、その唇を必要最低限に動かして言葉を紡いだ。
「フェイズからの連絡が届いたよ」
容姿に見合った、女性にしては低く芯のある喋り方だった。
女性の目の前には、机。
机の向こうに、椅子に座って書類に目を通す男性。女は続ける。
「――朗報だ。スイが見つかったらしい」
ぴくり、と男の眉が跳ねる。
黒に近い緑の髪の、既に30歳を超したような男だ。
彼の栗色の瞳が眼光を放つ。
「……確かか?」
「フローリエムからイザナンフィへ船で渡ったとある。後の報告から見ると、どうやらこのディスリエに向かってるようだね」
「好都合だな……。ディスリエの先は何処に行くか分かるか?」
「それ以上はわからない。でもディスリエに入れば山脈の関係できっと北上する。コンタクトはとれるはずだよ」
地下の部屋は薄暗く、ランプに照らされているのは大量の書類と、そして二人の影。
男はにやりと口元に笑みを忍ばせた。
「最高のタイミングだな。よし、各地にいる情報員のA隊を戻せ。他はそのまま待機だ」
「了解」
女性は何食わぬ顔で持っていた書類にペンで書き込む。
「そうだ、テスタ・アルヴにもこのことを伝えておけ。時が近いから準備を怠るなとな」
「ああ」
女はそっけなく答える。男もまた何の感情を示すことなく、持っていた書類を机に置いた。
そして、少々不機嫌そうな溜め息をひとつ。
「全く、テスタもテスタだ。スイを見つけたなら、そのまま拉致でもすりゃよかったんだ――」
「彼にスイのことは話していなかったから、仕方がないことだよ。なんせスイの存在は最重要機密の一つだからね。それにテスタがそのことを報告してくれたから、フェイズを迅速に向かわせられたのだし」
すいと冷めた瞳を細め、女性はペンを胸ポケットに仕舞う。
「……それと」
「まだなにかあるのか?」
「フェイズが探していた娘も見つかったとある。しかもスイと共に旅をしてるらしい」
今度は男に不穏な気配が混じる。
「……スイが旅の連れか?」
「ありえなくはない。彼は優しいもの、あなたと違ってね」
にべもなく女性は言って、視線を暗い方へと彷徨わせた。
「確認したところ、確かに龍流拳術の師範資格会得者ディリィ・フォルセルカンネの弟子と同一人物とあるね。ディリィは“こちらの人間”だから抱きこむのはたやすい。それに腕もたつと報告にある」
「ふん、悪賢さだけは一番だな、フェイズは。腕のよさでこちらの仲間に入れられると訴えてくるか」
「確かに。スイと同行しているのなら、いつかはこちらの存在を知ることは確実。その時の選択肢は“協力”か“死”……」
「使い物になることを証明したということだ。ただ、信用についてはわからないがな」
「どうする?」
「泳がせておけ。今は何とも言えない。その娘に会うまでの辛抱だ……駄目だったらフェイズもろとも消せばいい」
「……」
「非難の眼差しか?」
「別に」
男はふいと笑って視線を上に向け、息をつく。
「フェイズめ、おかしな行動をとってスイに感づかれなければいいが」
「彼はまだ19。いくら優秀でも歳には勝てないものだよ。それに第一、彼がこちらに入った理由があの娘の捜索の為だしね」
「既にさいは投げられている。ミスの一つも許されないところまで来ているんだ……。フェイズにはきちんと働いてもらわないと困る」
「そうやって強面で本人に言ってやったら?」
「ふん……」
鼻を鳴らして、机の端を指で弾く。
「それにしても、本当にスイはこちらに協力すると思ってる? 彼は確かに強いけれど、それ以上に弱い」
――男は、笑った。
「きっと助力するさ。いや、協力させてみせる。そうだ、スイといえば……」
机に肘をついて、女性を見上げる。
「ハルリオの行方は掴めたのか?」
女の顔が、あからさまに苦虫を噛んだような顔になった。
「まだ奴をこちらに入れようなんて考えているのかい? あなたも分かるだろう、奴は悪魔だ」
「奴が“悪魔”だとしたら孤高の銀髪鬼は“鬼”だ」
視線を横に流し、言葉を続ける。
「悪魔にしろ鬼にしろ、原点は同じだ。この世のシステムに翻弄され、抗うことも出来ずに現実を突きつけられる、ただの人間さ。こんな時代に真実など役にたたない。ただ、奴らにあるのはこの世への憎悪と虚無感という現実だけ――。それを利用させてもらうまでだ」
「……今日はやけに詩人だね」
「ふん、言ってくれるな。――引き続きフェイズにはスイの監視にあたらせろ。しかし、奴らとは距離を置くようにすること。スイは野生の獣並に鼻がいいからな、細心の注意を払って監視させろ」
「了解」
女性は軽く頭を下げて、背を向けた。
そのまま扉を出て、元来た地下通路を歩き出す。
――この世のシステムに翻弄され、抗うことも出来ずに、
――現実をつきつけられる、ただの人間。
――こんな時代に、真実など役にたたない。
灰色の時代、全てが暗がりに没した時代。
ウッドカーツ家がミラースを事実上世界征服してから、300年余り――。
あまりにも人は疲れ、よどみ、なにをすることも出来ずに。
ただ、そんな中でも何かを成そうと――。
女性は階段を登り、静かに外へと足を踏み出した。
潮風に髪がなびき踊る。
あまりにも明るく、あまりにも美しい空は何処までも広がり――、
眼下には、焼け果て滅びた町が広がっていた――。




