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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
三.秋の風を聞きながら
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034.混乱の中にて



 この時代の治安は悪い。

 第一、ウッドカーツ家を中心とした貴族政権が続いているのだ。民の景気が悪くなるのは目に見えているだろう。

 しかし、だけれども。

 ピュラは今までの旅で船には数え切れない程乗ったが、海賊に目をつけられたのは生まれて初めてだった。

(ま、結構この船大きいし、もしかしたら貴族も乗ってるかもしれないしね…)

 心の中で呟いて、機敏な身のこなしで階段を駆け上る。

 既に外では怒声がとびかっていた。

 何度も人とすれ違って、外へと続く扉を開く。

 出た瞬間に浴びる太陽の光の眩しさをこらえ、乱れる髪を手で押さえながら辺りを見回した。

 客室の出入り口である階段の上から見下ろすと、船専属の自衛団が既に甲板に集合していた。

 振り向けば、すぐそこに一回り小さな海賊船が近付いてきている。


「うわー、大変そうだなぁ」

「きゃっ! ちょ……っ、ど、どっから沸いたのよ!」

「お前のいるところだったら例え火の中水の中」

 ピュラは、本気で閉口した。

 突如として現れたフェイズは、にまりと笑って、大砲を唸らせながら近寄ってくる海賊船に目を向ける。

「あー、ここら辺の治安も悪くなってきたなー。テスタの言う通りだ」

「テスタ?」

「知り合いの船乗りだよ。奴がいうにはな、最近ウッドカーツ家内が荒れてきてるらしくって、大物貴族がひょいひょい聖都リザンドに出入りしてるらしいんだなー。んで、奴らは金持ちだから、狙う奴が増えたって話。最近は得に海賊が増えたらしいと言っていたぞ」

「へえ……」

 ウッドカーツ家の中が荒れているという話を聞いたのは初めてだった。

 しかしそれもよくあることだ。どうせ跡継ぎや権力争いで一もめあるのだろう。

 そうこうしている内に、出入り口のところに船員が駆け込んできた。

「君たち! 敵は自衛団にまかせてすぐに中に入りなさい、ここは危険だ!」

「でも苦戦しそうだなー、あれ」

「いいから中に……」

 刹那、ピュラの腕が風を割いた。

 ――がすっっ!!

「……えっ?」

 船員が驚いて振り向くと、肘をまともに受けて尻餅をついた海賊の姿。

 丁度客室を狙ってきたらしい。ピュラたちが気付かなければ今頃船員の命は危うかったろう。

 その状況にフェイズはぽりぽりと頬をかく。

「あちゃー、もう登ってきちまったのか。早いなぁ」

「随分いるみたいね」

 ナイフに手をのばそうとした海賊を軽く足蹴にして、ピュラは甲板に目を向ける。

 既に交戦が始まっていて、金属がこすれる音がここまで届いていた。

「君たち、腕に自信があるのか?」

「まーそんなところね。でも今は様子見に来ただけだけど」

「は? なんだピュラ、正義の味方になるんじゃないのか?」

「あんたが勝手になっときなさいよ。じゃ、私は戻るわ。この数なら自衛団でなんとかなるでしょ?」

 そういってピュラが踵を返した――、

「まあそういうなって」

 ――瞬間、フェイズは彼女の肩を掴んだ。

 思わぬ力にピュラの全身が跳ね上がり、反射的に振り向く。

「なっ、なにするのよっ!」

 決してこちらからは仕掛けない。相手はどんな人かもわからないのだから。

 しかし、向こうから仕掛けてきたのなら、


 ――容赦はしない。

 ――その、はずが……。


 払いのけようとした手を、素早くフェイズが掴んだ。

 見た目からは想像もできないような力と素早さに、ピュラの瞳が引き絞ったレンズのように丸くなる。

「……っ!」

 突然の出来事に呆然とする船員の前で、フェイズはピュラの両手を拘束したまま不敵に笑ってみせた。

 太陽はこんなにも明るく眩しいのに。否、だからこそ影は深く色濃く落ちて、彼の瞳の深さを印象付ける。

「な? 困った人を助けるのは正義の味方の仕事だぜ」

「ちょ、なにす……きゃっ!!」

 不意に平衡感覚が失せて、視界に一杯の空が広がった。

「しゃべると舌噛むから黙ってろよ」

「え……――っ!!?」

 何を考えるよりも先に、風を感じた。

 豊かな緋色の髪とガーネットピアスが大きく揺れる。

 ――足は、宙に浮いていた。

(だ、抱きかかえられてる……っっ!!)

 気付いた瞬間には、既に遅かった。

 彼の言った通りに何か言えば舌を噛み切ってしまいそうなほどの速さで階段を飛び降りて走り出す。

 抵抗の一つも試みたが、彼の腕の力と先ほどの瞳の色に力がうまく入らなくなって、ピュラはされるがままに船を駆け抜けた。

 風の強さに思わず目を細めると、視界がせまくなった分、他の感覚が研ぎ澄まされて彼の腕の感触を生々しく脳に伝える。

 男にしては華奢で、なのに強い、

 怖いような、高鳴るような、


 やわらかな、香り。


 まるで――、


 まるで――?


 ピュラはその続きを見出せずにいた。必死で知りうる限りの言葉を当てはめるが、それの答えとなるものは霧に包まれて見えてこない。

 一体彼は自分に何を求めているのだろうか? こんな力で押さえつけてまで、なにをさせようとするのだろうか?

 すると、それを見抜いたかのような声が上から聞こえた。

「言ったろ? 正義の味方ってもんはかっこいいんだぜ。ほら、しっかり捕まっとけよ」

 そう言いつつも、更に走る速度を速め――、

「なななな……きゃーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!」

 ピュラは思わず甲高い悲鳴をあげた。

「はっはっは、大丈夫大丈夫、お前軽いからなー」

 みるみる近寄ってくる、船の縁。

 そこまできてピュラはフェイズが走っているわけにやっと気付いた。

 が、全ては遅かった。

 彼は甲板に向かって走っているのではない。

 ――それは、助走だった。


 だんっっ……!


 ピュラの全身の血が、抜けた。

 頭の中が真っ白になって、視界に入るのは眩しい太陽の光だけ。

 下を見る余裕もなかったが、もし見ていたとしたら、……そこには甲板ではない、なにもない海が広がっていたことだろう。

「おい、飛んだぞ!!」

 遠くで誰かがそう叫ぶと共に、辺りの視線が集まってくる。

「馬鹿な、海賊船まで飛んで渡るつもりかっ!?」

「あれは……自衛団ではない!! 一体何をするつもりなんだ!?」

「抱きかかえているのは少女じゃないかっ! さわわれたのかもしれない! 急いで海賊船を制圧しろッ!」

 口々に自衛団の団員が叫ぶが、ピュラはそれどころではなかった。

 悲鳴さえ喉の奥で消え、ただその腕から落ちないことを願って――、


 すたんっ!


 鈍い衝撃と共に、着地の音がした。

「ほーら降ろすぞー」

 フェイズが腕を下ろすと、完全に腰が抜けているピュラがその場にへたり込む。

 ……が、怒りだけは収まっていないようだった。

「なっ、なんてことしてくれるのよ……っ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないぞー。ここ、どこだと思う?」

「は?」

 ピュラは、振り向いた。

 振り向いて、しまった。

 ……顔が、真っ白になった。

 笑おうと思った口元は、ひきつるのみだった。

 数メートル離れた場所とはいえ、深い海を隔てた場所にある、元いた船。

 そしてこの場は、“海賊船”。

 目を前に向けると、既に侵入者を発見した海賊たちがナイフを手に走ってくるところだった。

「ちょ、ちょちょちょちょちょ……!!」

「正義の味方のお仕事ってやつさ。じゃ、俺は上の方見てくるからなー」

 フェイズはにこやかに言い放って、走っていってしまった。

「おいそっちに一人いったぞ!」

「すぐにひっとらえろ! こっちは小娘だ、三人で間に合う!」

「ふてえ奴らだな、生きて返すな!!」

 船のあちらこちらでそんな声が聞こえるのを、ピュラは遠目に感じていた。……というよりも、感じようとした。

 しかし、そうもいかなかった。

 ゆらりと立ち上がって、突っ込んでくる海賊たちを座った目で見据える。

 今にも燃え出しそうなその気迫に、海賊たちはたじろいだ。

「な、なんだこの小娘……!」

 ――だんっっ!!

「ひいっっ!!」

 一歩、ピュラが踏み出した。

 二歩、海賊たちが後ずさった。

 ピュラはまるで目覚めた悪魔のごとく、恐ろしげな笑みを口元に浮かべる。

 偶然とはいえ、一番苦手なタイプの男に会って、

 さんざんからかわれて、

 そしてこんな場所まで強制的につれてこられて、

 理由は十分だった。十分すぎるほどだった。

「フェイズっっ!!」

 絶叫とも呼べるその雄たけびに、階段を登っていたフェイズが下を見下ろす。

 ピュラはびしりと彼を指差して叫んだ。

 心から、本当に心の奥底からの叫びだった。


「改めて言わせてもらうわっっ!! 私はね、あんたのことが大っっっ嫌いよ!!」


 声は、大空をつき抜けて、響いた。

 目の前にいた海賊たちは鼓膜が破裂しそうになって、悶えていた。

「そりゃ光栄だ」

 フェイズはにかりと笑って手を振り、走っていってしまった。

「ふっっざけんじゃないわよ……なんで私がここで戦わなきゃいけないわけ!? ここであんたたちをボコボコにして私になんの利益があるのよ答えて見なさいこのスカポンタンっ! 聞いてるの!?」

「ぐ、ぐるじい……」

 傍にいた哀れな海賊の一人をめりめりと締め上げながら、ピュラは言いたい放題続ける。

 対してフェイズの方は、走りながら口元に笑みを走らせていた。

「……やっと名前呼んでくれたな、ピュラ」

 ぼそりと呟いて、上を見上げる。

 上の階では、海賊の一人が待ち構えていた。

「きやがったな! 覚悟しろっ!」

「そうもいかないんでね」

 フェイズにむかって振るわれたナイフは空をかすめた。同時にフェイズの手から、操られたかのように光が飛び出す。

 ――かつんっ!

 ぴっ、と海賊の髪が数本舞った。驚いた海賊は思わずその場にへたりこむ。

「な、なななっっ!!?」

 振り返ると、そこにはトランプのカードが一枚、板に突き刺さっていた。

「あちゃーこれは失礼。投げるものをまちがっちまったなー」

 フェイズはにこにこと最上級の笑顔のまま、もう一度ポケットに手を突っ込んで銀色のナイフを取り出す。

「そうそう、こっちだったよな」

「ひっ……!! ぼ、ボスーーーーーッッ!!」

 海賊は身を翻して逃げていった。

 するとフェイズはその場から一階を見渡して、ピュラの姿を探す。

 彼女もまた、海賊と戦っていた。

 ……が、戦っている、というよりも一方的に彼らをボコボコにしているともいえた。

 すっかり怒ってしまったらしい。フェイズは苦笑する。

「悪いなーピュラ。お前の力量確かめなきゃなんねーからな、ちょっと戦いぶりを見してもらうよ」

 ――呟きは誰の耳に届くこともなく、潮風の音がそれを消し去った。



 ***



「……ピュラ、どうしたんだろう」

 セルピが不安そうに、窓の外を背伸びしながら伺っている。

「……」

 スイは考え事をしているのか、剣を腕に抱えたままうつむいている。

 重たい剣を、あのときに手に取った剣を。

「スイ……」

 どうしていいのか、何を言っていいのか分からないクリュウが、遠くから溜め息をついた。

 また、沈黙がおちる。

 元気に動き回る赤毛の娘がいない部屋。

 様子を見に行ったまま、帰ってこない彼女。

 きらきら笑う、黄昏を強く走る少女。

 いつかいた、あの人によく似ていた。

 消えてしまった、あの人に――。

 ――スイは、立ち上がった。

「す、スイ!」

 瞬間的にクリュウが飛び起きて、スイの肩まで飛んでいく。

 スイは軽く目配せをして呟いた。

「外に行く」

「だめだよっ! 今行ったら絶対に目立つよ! もしもばれたら……」

「――?」

 わけのわからない会話にセルピが首を傾げる。

 立ち上がったままのスイに、クリュウは続けた。

「外でなにがあったかわからないけど――、なら僕が見にいってくる! スイはここで待っててよっ!」

 スイは押し黙って、静かに瞳を伏せる。

 クリュウは、唇を噛み締めながらゆっくりと首を横に振った。

「――スイは、もうちょっと自分のことを考えていいと思う」

 小さく小さく呟くと、背を向ける。

「行ってくるよ」

 扉を開けて、クリュウは出て行った。

 セルピが一人、不思議そうにスイとクリュウの消えた扉を交互に見つめる。

 スイは立ったまま、扉を見つめていた。

 頭では分かっている、目立つ場所にいてはいけないことが。

 暗がりに紛れて、人に紛れて歩いていけと。

 そうでなくては、生きていけないのだから。

 しかし、それでも、そうなのだとしても――。


 海の色をした瞳が揺らぎ、濁り、けぶる。

 暗がりの中を迷ったまま、そのまま、どこに行くこともできずに。


 ――何も、動けずに。



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