028.嵐の港町
季節はゆっくりと秋へ移ろう。
熱い日差しは柔らかなそれに変わり、空気は静かに熱を落とす。
みるみる世界の彩度は落ちてゆき、落ち葉の季節を迎える。
ただ、彼らがこれから向かう場所は、そんな常識が通用しない場所なのだけれども。
ナチャルアのあるディスリエ大陸南部は、熱帯雨林の広がる地域。そしてナチャルアのある山深くの高所は、ひたすら山と草原が広がる冷たい場所。
そう、その地域は自然に守られ、自然と共存している大陸なのだ。
まだ秋の風が感じられる場所にて、彼らは更に南へと進もうとしていた――。
Bitter Orange,in the Blaze.
三.秋の風を感じながら
***
案の定、4人の旅人は全身びしょ濡れで町へと入った。
町の門番は彼らの姿を見て、気を使ってくれたのか宿屋の場所を手早く教えてくれた。
雷鳴が響き、町の中は灰色に染まって人の姿も少ない。
しかしこれが晴れだったら、かなり活気付いた町に様変わりすることだろう。道もきちんと整備されていて、家並みも綺麗だ。
そんな道をばしゃばしゃと水を蹴って走り、宿屋の扉を開いた。
「ゴールインッッ!!」
入った瞬間、ピュラは叫んだ。
セルピがその場にへたりこみ、クリュウもへなへなとなだれるように机の上に倒れる。
「えっ……た、旅人さん!?」
まさかこんな日に旅人が来るとは思わなかったのだろう。女将が慌てて飛び出してきて、彼らの姿に目を丸くした。
「大丈夫かい!?」
「は、はあ、なんとか」
「すぐに部屋に入りなさい! 中に着替えとタオルがあるからね。えっと、二人部屋が一つと一人部屋が一つでいいね? なら2階の突き当たりの右の部屋と、そこから2番目の部屋だから、もう行きなさい。こっちで服は洗濯するから中のかごに入れておいてくれると助かるわ。すぐにあったかいお茶を持っていくからね。ほら、急がないと風邪ひくよ!」
一気に言い切った女将の前で、一同は暫しぽかんとする。
「大丈夫かい!? ああ、リ・ルーを抜けてきた疲れでもう動けないんだね。ちょっとあんたー!? 旅人さん運ぶから手伝っ……」
「あ、いえ! すごく大丈夫よほらこんなに元気だし!」
随分おせっかいな女将だ。このままでは彼女にかつがれて持っていかれそうだったので、ピュラたちはよろよろと立ち上がって部屋へと向かった。
3週間という長い時間を歩き通したのはピュラとしても生まれて初めてだ。足がぱんぱんに膨れ上がり、顔にも疲労の色がくっきりと浮かんでいる。
その上、乾季の荒地にいたからか、風に乗ってきた砂が服について、既に服は茶色がかっていた。
「2階の突き当たりの右の部屋だったよね~?」
「ええ」
ぽてぽてとセルピは歩いていって言われた通りの部屋を開く。
すると、小奇麗な部屋が開けていた。掃除は行き届き、きちんと窓もついている部屋だ。
濡れて重くなった体を引きずるようにしてピュラは中に入り、扉を閉めた。
***
数分後。
ふんわりとした暖かなタオルを頭にかけたまま、ピュラはベットに倒れこむ。
一刻も早く、足の負担を減らせたかったのだ。
そのままゆっくりと視線を流すと、窓際でセルピが雨を見ながら髪をすいていた。
二人とも、既に宿屋にあった服に着替えてしまっている。旅用の分厚い服ではなく、綿のやわらかで着心地の良い服だ。
結ってあった髪をおろしたセルピは、濡れた黒髪に丁寧に櫛をいれていく。
髪をおろしている彼女は普段よりずっと大人びて見えるが、この性格にはあの髪型の方が似合っているのかもしれないとピュラは思う。
「嵐、すごいねー」
「明日には止むって女将さんが言ってたから、旅には支障ないでしょ」
そう言って、ピュラはベットの脇にあったお茶に口をつけた。
暖かな優しい匂いのする液体が、染み入るように喉を通っていく。
ほう、と溜め息を漏らして、ピュラは遠くの鐘の音に気づいた。
「……あら、もう夕刻なのね」
そう言って、あくびをする。
「それにしてもほんっとに疲れたわ。リ・ルーなんてもう二度と通りたくないわね」
「でも楽しかったよー?」
「あんたは何処に行っても楽しいんでしょ」
「にゅ~~。ところで、ナチャルアまではここからどうするのー?」
「あら、言ってなかったかしら?」
ピュラはそう言って、使い古した地図を出してベットの上に広げてみせた。
セルピが興味深そうに、とてとてと隣までやってくる。
ピュラは今いる場所に指をさして、進路を辿った。
「ここから南のイザナンフィ大陸に一度行って、同じ港町から西のディスリエ大陸に渡るのよ。本当はこっからディスリエ大陸直通の船が出ればいいんだけどね」
「サドロワ家が許してないんだよね」
「ええ、ウッドカーツ家の左腕とも言われる貴族のサドロワ家がイザナンフィとディスリエ南部に強い影響力をもってるからね」
「イザナンフィの景気回復と繁栄の為に、フローリエム大陸から一度イザナンフィに行かせるためにそうしてるんだよねー」
「そうねー。実際はフローリエムからディスリエ直通の船も少しだけでてるけど、すごいお金かかるから貴族でもないと乗れないのよね」
「それにディスリエの南部では鉱石や宝石が結構とれるんだよねー。それをフローリエム大陸の人に渡さないためにサドロワ家がフローリエムへの船をほとんどなくしちゃったらしいけど」
「そうねー」
…………。
……。
異変に気付くまで、たっぷり40秒を要した。
やっとのことで現実に戻った瞬間、激しい眩暈に襲われたピュラは、盛大にベットの上から転げ落ちる。
「わわ、大丈夫?」
「ちょちょちょ……っ! あんた、なんでそんなことまで知ってるのよ!!」
「にゃ~?」
「だからなんでそういう貴族やらの情勢まで知ってるのよっ!」
「ピュラも知ってたよ~?」
「私は旅が長いから知ってるのっ! あんた北から来たのになんでこんなに遥か南のことまで知ってるのよ!」
セルピはきょとんとした顔つきになって首をかしげた。
「えー、道端で人が話してたんだよー」
「なんでそんなことまで覚えてるのよ……」
「覚えてたからだよ~」
ピュラはベットの縁に手をかけてなんとか起き上がる。
博識なのは悪いことではないが、こんな顔で発揮されては脱力するしかなかったのである。
そもそも、この顔と性格でこの知識というのが凶悪な組み合わせであった。
「一体どういう頭の構造してるのよ……」
――まだ、ピュラの受難は続きそうだった。
***
――ゴロゴロゴロ……
―――ピシャァァアアッッ!!!
「ひゃっ!」
「……」
「うう~~~~」
夜も落ちて。
久々のまともな夕食に満足して。
本当に久々のベットに体を落として。
だというのに、ピュラは頭痛を感じた。
荒れ狂う雷鳴の中、セルピは頭から毛布をかぶって震えている。
そして生まれたての動物のような弱々しい――つまり情けない表情で、じっとピュラの方を見ている。
ピュラは、見て見ぬふりをしていた。
……しようと、していた。
――ピシャアアアッッッ!!!
「うう~~~~……」
「……」
「ピュラぁ……」
「……」
「にゅぅ~……」
「……」
「ふぅぇぇ……」
ピュラは、折れた。
「あーもう分かったわよ! 一緒に寝てあげるからこっち来なさいっ!」
「ほんとっ!?」
「ったく、雷が怖いなんてあんた何歳よ……」
ぶちぶち言いながらピュラはベットの端へと移動する。
セルピはおずおずと枕を抱えてピュラのベットへと入ってきた。
「寝相悪かったら蹴落とすからね」
「にゅぅ~~」
「私は疲れてるのよっ! ほら、とっとと寝るわよ!」
「うん、おやすみ~」
「はいはい」
女二人とはいえ小さなベットだ。二人で入るとかなりきつい。
しかしセルピは安心したのか、すぐに眠りについてしまった。リ・ルーを歩いてきた疲れがあるのだろう。
ふと、ピュラは同じ感触を思い出した。
記憶の彼方にあった、この感触。
孤児院で、いつも夜が怖いからと小さなベットに無理矢理入ってきた少女のことを――。
***
「ピュラ、一緒に寝ていい?」
「嫌っていっても入ってくるんでしょ」
「だって……」
「ほら、とっとと来なさいよ」
「う、うん」
その少女は、ピュラよりも3つほど年下だったか。
ピュラと同じように生まれてすぐに孤児院に引き渡された、焦げた茶の髪をおさげにした少女だった。
気弱な少女は、他の子よりも体が小さく、病弱で――、
だから、いつもピュラの後ろにひっついていた。
「シャナ」
「なに?」
「もうちょっとそっちに行きなさいよ。こっちが寒いでしょ」
「えー、これ以上いったらお布団からはみでちゃうよ」
「侵入してきたのはそっちでしょっ」
「もうちょっと真ん中に寄れば大丈夫だよ」
「私の寝返りで潰されるわよ」
「ピュラは寝相いいもん」
「あんたと違ってね」
「うー」
いつも振り向けばそこにいる少女の姿。
最初はそれが嫌で散々突き放した。
泣かせたことも多々あった。
――なのに、あの子は。
いつも、その大きな瞳に涙を溜めて。
ぼろぼろとそれを零しながら。
気がつけば、また後ろを歩いていた……。
なぜ自分なのかと思っていた。
孤児院にはピュラと同じ歳の者もいたし、それよりもっと上の者もいた。
彼らは皆、優しく温和で、小さな子の面倒をよくみていた。
彼女だけが、滅多に笑いもせず、冷たく、誰も寄り付かなかったのに。
友達はいたけれど、決して親友になろうとは思わなかった。
いつかはこの孤児院を出て、一人で歩いていかなくてはいけないのだ。
だというのに、一人で生きていけなくて、どうする?
強くなりたかったのだ。強くありたかったのだ。
いつも一人でいた。
一人でなんでもこなした。
一人で生きているような気さえした。
――そこに少女が来て、笑うのだ。
一緒に遊ぼう!
いつのまにか、彼女の面倒を見るようになった。
不思議と彼女といるときは、気もゆるんでしまっていて。
いつしか、本当の子供のようにけらけらと笑うようになってしまっていた。
少女は手にじゃれつくようにして隣にいたり、
からかうと、しょぼくれて彼女の服の裾を持ったまま後ろにいたり、
先に走っていって彼女を急かしたり、
泣いて、笑って、怒って、笑って、
……心を許してしまっていた。
それは幼いころのたったひとつ、綺麗な思い出。
親に捨てられて、一人で黄昏を生きて。その中で、たったひとつ。
暖かな、やわらかな、そして寂しい記憶。
何故なら、少女は――。
***
煙の臭い。人が焼けていく臭い。
金属の音。人の音。
誰かの叫び声。血の臭い。
刺すような熱い空気。焦げ付くような乾いた空気。
耳が痛くなるほどの、全てが燃えゆく音。
橙色。
深い、深い、橙色。
痛いような、橙色。
ごうごうと風が鳴り、炎をあぶり、煙をけぶらせる。
「ピュラ……っ!」
少女はピュラの後ろで震えていた。
夜の就寝時間を過ぎて、煙の臭いに裏口から外に出てみれば、地獄の光景。
人一倍大人びていて物分りのいいピュラには、これがどういうことかすぐに察しがついた。
――ミラース1422年、冬。
――キヨツィナ大陸北部の町、キマージを襲った、エスペシア家による焼き討ち。
後から、その理由が、革命を企てた者たちがキマージに潜伏していたことをエスペシア家が確認したからだと聞いた。
そう、この時代は灰色の時代。世界は貴族に支配され、平民になす術はない。
「走るわよ」
「待って、他の皆は?」
「構ってる暇はないわ! すぐにここにも兵隊が来る!」
ピュラは無理矢理少女の手を引っ張って走り出した。
幸い9歳の少女と6歳の少女はうまく物陰を使えば兵士に見つかることはない。
いくらか走ってから振り向くと、遠くに孤児院が燃えているのが見えた。
「ピュラ……っ」
「振り返っちゃいけないわ! 急いで!」
後ろからついてくる少女の瞳からは涙がこぼれていた。
道端に倒れた、人だったものたち――、
炎にまみれて転げまわる人のかたち――、
そして太い声、兵士の声、
二人は子供たちしか知らない塀の穴をくぐって、そのまま町を出た。
真っ暗な森を、道も分からずに進み続ける。
靴など孤児院の薄いもので、容赦なく足を枝が傷つけていた。
途中から雨が降り出し、冬の気温とともに体から熱を奪っていく。
ろくに良い食事も与えられていない少女二人だ。その体力はとうに限界を越し、しかし追っ手がいつ来るかも分からずに走り続ける。
息が白くけぶり、空気で肺が引き裂かれて血の味が口の中に広がり、体中傷とアザだらけにまでなって――、
「きゃっ!!」
――ずざざざざざざざっ!
二人は小さな崖になっていた場所から転落した。
森は暗く、夜は深く。そんな中では崖の存在など、弱った少女の目に分かる筈もなかったのだ。
「シャナ!?」
「ピュ、ラ……」
奇跡的に無事だったピュラは、声だけを頼りに、急いで少女の元へ向かう。
走っている時はずっとその手を握り締めていたので、それがなくなると押しつぶされてしまいそうな不安にかられていた。
「シャナ、シャナ……っ!」
ピュラは暗がりに倒れた少女の肩を掴んだ。
……そうして、青ざめた。
少女の肩からどくどくと流れていく、ぬるりとした液体。
鉄の臭いと、そして小さな少女の泣き声が、彼女の瞳を弾かせる。
「シャナっ!!」
崖から落ちた衝撃で、肩を負傷したのだ。
否、肩だけではなかったかもしれない。その時は暗くて何も分からなかったから――。
「ピュ、ラぁ……」
血まみれになった小さな手が、ピュラの服の裾を弱々しく掴む。
ささやきにも似た声が、ただただ哀しくピュラの耳に響いた。
「わたし、泣かない、よ……、ピュラは、わたしが泣い、たら、おこる、から、」
「シャナ……」
頭一つ小さな少女の体は、いつもよりも更に小さく見える。
――ピュラには、何をすることも出来なかった。
森の中、そして冷たい空気、追っ手の恐怖、全て、全てが――、どうしようもない現実を表していて。
彼女にできたことはたった一つ。
ピュラには、少女を抱きしめることしか出来なかった。
暖かい……否、少女の熱い血液が、腕を伝って大地に流れてゆく。
「シャナ、見捨てたりはしないから……」
「うん……だって、ピュラは、優しいもん……」
ピュラの胸に顔を埋めて少女は囁く。
崖の下の小さな暗がりの中、運良く魔物に気付かれることもなかった。
冷たい空気にさらされて、震える肩を抱きしめて、
何処にいくことも出来ず、ただ抱き合うことしか出来なくて、
そのまま、二人ともずっと動かずに――、
そして夜が明ける頃、腕の中の少女は事切れていた。
***
(もうあれから7年か……)
心の中で呟いて、ピュラはふいとセルピに視線を向けた。
彼女はシャナと違って寝相がいい。幸せそうな顔で眠っている。
あれからピュラは一人で森を運良く抜けて、隣町に辿り着くことが出来たのだ。
それからはその町の裏道で、たった一人で生き延びた。
そして次の冬に、丁度訪れた女性に手を差し伸べられて――、
(我ながらすごい人生よね……)
スラムでも死にそうになったことは多々あった。否、いつでも死と隣り合わせだった。
もちろん旅の途中でもそんな時は沢山ある。そう、つい先日もそうではなかったか?
嵐は唸り、冷たい空気が流れてゆく。
ただ思うのは、自分の記憶に残った小さな少女の姿。
後悔はしていない。ひきずってもいなければ、ひきずろうとも思わない。
彼女は生きたのだから、ピュラの傍で。
その煌きを一杯に輝かせたのだから――、
(本当は、守ってあげたかったけれどね)
だから、彼女はその少女のことを一生忘れない。
あの小さな手と、声と、言葉と、
そして、その存在を。その存在があったということを。
今までも、この先も、それは彼女という存在が消えるまで永遠に。
そう、永遠に。




