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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
二.荒野の果てに
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026.この世のシステム



「違うよ!!」

 気がつけばセルピはそう叫んでいた。

「世界がなくなってしまえばいいなんて、そんなこと絶対にないよ!!」

 ――しゅっ!!

 セルピの黒髪が二三本、宙を舞う。

 攻撃の手段を持たないセルピには、逃げることしかできない。

 しかしそれでも、彼女はその小さな体で精一杯叫んでいた。

「ボクはこの世界が好きだよっ!! 辛いことあるかもしれないけど……ひゃっっ!!」

 ぱうっ、と風が弾丸のように突き抜け、彼女は軽々と吹っ飛んで地に叩きつけられる。

『罪は、だれにあると思ってる……?』

「え……?」

『私たちをこんな目に合わせたのは、一体誰? 誰が悪いの?』

 その青の瞳には、憎悪さえ含まれていた。

 広い広い玄関で、なんとか立ち上がろうとするセルピに向かって、クリアナは容赦なく黒い感情を浴びせかける。

『それは、この世のシステムよ……。ウッドカーツ家に反抗すれば殺される、ウッドカーツ家は絶対だと……。そのシステムを受け入れた世界が、この世がいけないのよ!!』

「クリアナちゃん!!」

 セルピの瞳から涙が溢れた。

 ただただ、胸が痛かった。

『私をここに縛り付けたのは、この世の流れよ……。だから私はもうこの世を壊すことしか出来ない……この世を壊すことで自分と解き放つことしか出来ない……』

「ボク、クリアナちゃんが好きだよ……?」

 震えてかすれた声が、唇から零れる。

「でもっ!! ボクの好きなクリアナちゃんはそんなことしないよ……っ! だってクリアナちゃんは優しいから……」

『私はもうあなたの知っているクリアナじゃない。歴史の流れの中で、私は抜け殻のように哀しみと憎しみの感情の魂になったの。だから……』

「違うよっっ!!」

 声は、悲鳴にも近かった。

「だって、昼のクリアナちゃんはとってもいい子だったよ? なのに――っ!」

『そう、私は二つに分かれたのよ。現実から逃げて何もかも忘れた私と、こうして真実を知っている私――』


 ――ごうっっ!!


 風が牙を剥き、その焦点がセルピへと絞られる。

「――!!」

 動けなかった。

 その刃がセルピに向かって放たれる――。

「セルピッ!!」


 ――ざっ!!


 次の瞬間、セルピは誰かに抱えられて空中を飛んでいた。

「ふぇっ……?」

 地面に着地し、セルピはその緋色の髪を目にする。

「セルピ、怪我は?」

「ピュラ……」

 薄暗い中なのに、彼女の顔は鮮明にセルピの大きな瞳に映った。

 セルピを守るようにして腕の中にしまいこんだまま、ピュラはこんな時でも優しく笑ってみせる。

「ったく、危うく死ぬところだったじゃない。感謝なさいよ」

「うっ……ふぅぇぇぇ……」

 ひし、とセルピはピュラに抱きついた。

 しかしピュラはクリアナに視線を向けて険しい顔をする。

「泣くのは後っ! 今はこの状況をなんとかしなきゃいけないわ」

「ピュラ、クリアナは……」

「ええ、聞いたわ。彼女は亡霊よ。そして祖父が帰ってくるまで死ねないという思念が、今の彼女を作り出してる――」

 ピュラの橙色の瞳は火炎のように燃え上がり、暗がりの中に仄かな光を放つ少女を見据える。

(といっても、どうすればいいのか……)

 亡霊にまさか格闘など効く筈はないだろう。魔法さえも効かないかもしれない。

 ピュラは唇を噛んだ。

 きっと外の雨もクリアナの強すぎる思念が作ったものだろう。そうとなれば決着をつけない限り、彼女らに朝は来ない。

 どうすれば――。

「ピュラっ!!」

 少年の声がした瞬間、ピュラはとっさに振り向いてセルピを抱えたまま飛んだ。

 風が空を薙ぎ、壁に穴を作る。

 しかしその恐怖よりもなによりも、セルピの瞳に光が宿る――。

「クリュウっ!」

「大丈夫!?」

 クリュウが聞くと、ピュラは短く頷いてクリアナに意識を戻した。

 ――しゅんっっ!!

 風がまるで生きているかのようにうねり、こちらへと牙をむく。

 クリュウはピュラとセルピの前に出て手をかざした。

「精霊よ、汝の力に我この身をゆだね、汝に還り、その母なる懐に抱かれる――、精霊の御名において」


 キィィンッッ!!


 ピュラたちの前に大きな膜が出来て、風を防ぐ。

 しかし衝撃の大きさにクリュウは思わず顔を歪めた。並の力ではない。

 彼女の魔力などよりも、その思念の力がとてつもなく大きいのだ。


 ――帰ってくると約束した祖父を、ずっと待っている哀しみと、


 ――彼女をこんな目にあわせたこの世への恨みと。


 スイの姿が見つけられないピュラがきょろきょろと辺りを見回す。

「クリュウ、スイは?」

「――えっと」

「まだ行方不明ってこと?」

「ううん、違うけど」

「じゃあ何処に――」


 ――クリュウ、ピュラとセルピを頼む。

 ――大丈夫だ、俺がなんとかする。だから、


 ――あいつらを、絶対に守ってくれ――


(スイ……)

 ずきりと胸が痛むのをクリュウは感じた。

 しかし、襲い掛かる風の波はみるみる強まっていく。

「え、スイ……?」

 不意にピュラが違う声を零す。

 風が弱まった一瞬の隙をついてだった。

 スイが片手に木板を持って、隣の部屋から飛び出してくる。


 ――バァアンッッ!!


 盾代わりにした木板が一息に粉砕し、辺りに飛び散った。

「スイっ!! それは無茶すぎるわよ!?」

 ピュラが叫び、後を追おうとする。しかしクリュウは振り向いて激しく首を降った。

「ピュラ、出ないで!! 危ないよっ!」

「だって……っ!」

「スイを信じてよ! スイだってこんなところで死のうなんて思ってないはずだよ!」

「……」

「スイっ!」

 ピュラにすがりつくようにしていたセルピが小さな悲鳴をあげる。

 ピュラとクリュウも瞬時に顔をあげると、スイが風の隙間を縫うようにしてクリアナに近付いていた。

(でも近寄って何をしようっていうの……!?)

 刃は容赦なくスイに襲い掛かる。唸り声をあげてスイの体を引き裂こうと、何本もの刃に分かれて一斉にスイ目掛けて飛んでいく。

 スイの体が、地を蹴って宙を舞った。

「すごいっ!」

 セルピが呟く。スイはその風を利用して飛び上がり、風を一瞬だけ回避したのだ。


 ――そう、一瞬だけ。


 刹那、轟音と共に彼が地面へと叩きつけられる。

 受身を取ると共に、彼は飛んでその場に振り落ちてきた風の刃を避けた。


 一歩一歩、確実にクリアナに近付いていく。


 しかし彼も無傷ではない。風に切られた頬から血液が流れ出す。

 その血さえもが風に切り刻まれ霧となって床に降り注ぐ。

 それでも彼は前進をやめることはしなかった。否、もはや後退など出来るはずもなかったろう。

 耳が痛くなるような風の音と、無情に響く雨の音。

 彼がクリアナの至近に迫るころには、既に体中がぼろぼろになっていた。

 浮かんだクリアナの長い髪が風になびいている。彼女は無表情でスイを見下ろす。

 スイはその瞳で彼女を見返した。

「これを見ろ」

 そう言って、腰に下げていた一振りの剣をクリアナの目の前に差し出す。

 彼の剣ではない。随分古くなった、既に錆で使えなくなっている剣だ。

 それを見た瞬間、初めて彼女の顔に違うものが混じった。

 驚きにも似た感情。その青い瞳が揺らぎ、僅かに見開かれる――。

『――これは』

「お前の亡骸は4階にあった。だが、その横に――」

 ――ごうっ!!!

「危ない!!」

 ピュラは思わず走り出した。

「スイっ!!」


 ―――ギュッ!!


 振り子のように風がすぐ頭上を掠める。

 ピュラはスイを突き飛ばして同時に倒れこんだ。

「っつぅ……」

「ピュラ……!」

 スイが言うと同時にクリュウとセルピも駆け出してくる。

「ピュラっ!」

 ピュラは起き上がって打った部分を押さえながらクリアナを見上げる。

『……こんなもの……偽者だ……』

 古びた剣を握り締めながらクリアナが呟く。

『偽者に決まっている……!! こんなもの……』

「クリアナ」

 声は、雨と風の中でも強く響いた。

 スイがぼろぼろになってその場に膝をつきながらも、言葉を紡ぎ続ける。

 力のある、そして何処か哀しい言葉を――。


「現実から目を背けるな」


 ――風の刃は、起こらなかった。

 代わりに彼女に感情らしきものが目覚めていく。

 スイはまるで、自分が苦しんでいるかのような声で続けた。

「いつまでも夢はみていられないんだ」

 胸が詰まるかのような、声で。

「目を背けて逃げたって、現実は変わらない」

 少女は呆然とした顔で何度もかぶりを振る。

『だって……! 何故お爺様の剣が私の傍にあるの!? それって……』


「亡骸は、『二つ』あった。」


 クリアナが、絶句した。

 そしてピュラとセルピも、色を失っていた。

 クリュウだけが、胸の痛みをこらえて歯を食いしばり、その声に耳を澄ます。

「そのうちのお前ではない方が、その剣を持っていた。真実はどうであれ、これが現実だ」

 クリアナの記憶が、ゆっくりと歯車を回し始めていた。

 遠い遠い、何十年も前のこと、

 しかしそれは彼女にとって久遠とも言えるほどの過去のこと、

 それでいてついさっき起こった、現在のこと――、

 光がはじけ、記憶が蘇る。


 雨季を知らせる雨の日の、夜。運命の夜。

 屋敷の外にいた多数の兵士。

 帰ってくる約束をした祖父の姿。

 その後ろ姿を見送った自分。



 ――しかしそのあと、わたしはなにをした?



 ――ぽっかりとあいた、記憶の穴。



 手に握られた、一振りの剣。

 静かに静かに、記憶が流れてゆく、あらゆる方向へ。

 巡り巡る、あの強い雨のこと。



 ――必ず戻るからね。



 その瞬間、彼女の意識が弾け、そこに真実という名の記憶を映し出す――。



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