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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
二.荒野の果てに
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025.孤独



 零れそうになった涙を、セルピは袖で拭った。

 暗い暗い部屋で、たった一人。

 心がきしみ、叫び声をあげたくなるほどに締め付けられる。

(皆、どこにいっちゃったんだろう……)

 気がついたら自分がいたのは古い屋敷のどこかの部屋の中。

 突然変貌した屋敷の姿に、最初は唖然とするしかなかった。

 そして次に感じたのは、屋敷に漂う哀しみの感情。

 誰かと会わなくてはと思って、セルピはよろよろと立ち上がってドアに手をかける。

 孤独に心が押しつぶされてしまいそうだった。

 かちゃん、と扉を開くと、古びた廊下が続いている。

 窓の外では大雨が降っていた。

 そしてその大雨がセルピの瞳に映った瞬間、セルピの心の中の、何かが弾ける――。

 思い出す記憶、灰色の記憶、よどみくすぶる記憶――、

「……っ!」

 セルピは弾かれたように走って窓のところまで行き、その金具に手をかける。

 さびた金具は動きにくく、それでも彼女は無理矢理こじ開けて窓を開け放った。

 ――ざああ――。


 窓から手を差し伸べて、雨をすくい取る。


「……つめたい……」

 ぽそりと呟いて、一歩二歩と後ろに下がり、背後の壁によりかかった。

 顔は俯いたまま、雨に濡れた小さな手を握り締める。



 ――そうですね。


 ――ここから遥か南にいけば――。



 心に響く声。忘れられない声。

 茶がかった銀の髪の青年の姿が、鮮明に脳裏を駆ける。

「……イシュト……」

 彼の名をセルピは呟き、泣き出しそうになるのを必死でこらえた。

 一度泣いてしまえば、もう何処にもいけなくなってしまう気がしたのだ。

 今頃彼はどうしているかと思う。

 心配しているのだろうか。それとももう見捨てられただろうか。

 しかし、彼女は止まるわけにはいかないのだ。

 それに、もしかしたら彼とはもうすぐ会えるかもしれないのだから――。

「……南に行かなきゃ」

 祈るように呟いて、顔をあげる。

 暗い廊下。何処までも回廊が続いているようにも見える。

「ピュラ……クリュウ、スイ……」

 口にだしても、誰一人として返事をする者はいなかった。

 一人で歩いてきて、彼らと出会って、一緒に旅するようになって、またこうして一人に戻ってみると、その孤独は耐えがたいものになる。

 一体、何処にいってしまったのだろうか。

 もう一生自分はここで一人なのだろうか。

「そんなの、いやだよ……」

 セルピはおぼつかない足取りで廊下を歩き始めた。

 気温は冷たくないのに寒気がして、両腕を抱きしめる。

 そうすると小さな影はもっと小さくなって、今にも消えてしまいそうな様子で、廊下を歩いていく。

(みんな、どこにいるんだろう……)

 心細くなって立ち止まりそうにもなる。

 しかし今立ち止まれば、その場に蹲って泣いてしまいそうだったので、無理矢理足を踏み出していた。

 暫く歩くと階段が見えてくる。

(……下に下りればクリアナちゃんがいるかな)

 今いる階が何階かは分からないが、きっと下の階の出口で待っていれば他も来ると思って、セルピは下へいく階段に目を向ける。

 暗い階段だ。底を見ていると吸い込まれてしまいそうになるくらいに――。

 胸の前で両手をきつく握り締め、ごくりと唾を呑む。

 その階段の手すりに手をかけて、一段目を踏み出す――。


 がたっ!!!


「――っっ!」


 がらがらがらがらっっっっ!!!!


 突如、全ての平衡感覚が失せた。

 視界がぐるぐると回り、やっと体が階段を落ちているのだと分かった瞬間に、下の地面に叩きつけられる。

 殴られたような激痛が体中を襲い、呼吸さえままならなくなってその場でげほげほと激しくむせた。

 老朽化していた階段が、崩れたのだ。

「い……ったぁ……い……」

 ついにセルピの瞳から涙がぽろぽろと零れだした。

 打った体も痛かったが、それ以上に心が痛かった。

 誰も傍にいてくれない哀しみが胸を突き抜ける。

 誰かが傍にいてくれたことを、暖かい人が傍にいてくれたことを知った後の哀しみは、叫び声さえあげたくなるほどの痛みを与える。

(だれか……)

 体の痛みも退かず、暫く階段の下でうずくまっていた。

 涙がぽろぽろと袖を濡らしていく。

 いつからこんなに涙がでるようになったんだろう。

 前はもっともっと、強かったはずだったのに。

 なのに、大粒の涙は止まらない――。


『カラ……に……て……!!』


 セルピは、ふと顔をあげた。

 外から声がする。

 大雨の轟音を裂いて響き渡る、男の太い声だ。

 そして、辺りを見回して、そこが一階だったということを始めて知る。

 涙を拭って壁によりかかりながら立ち上がり、声の方向を確認すると、玄関の方だ。

 しかも、灯火が灯っている気がする。


 誰かいるかもしれない。


 セルピはよたよたとおぼつかない足取りでその方向に急いだ。



 ***



『カラル・エラルク・モンドレース、クリアナ・リン・モンドレース、聖ウッドカーツ家の名において、天罰を下す!! 今すぐ出頭しろ!!』

 セルピの目が見開かれた。

 窓の外から見える、幾重にも重なった人だかり。

 馬の鳴き声がする辺り、兵士と見える。

 雨に煙って影しか見えなかったが、鎧のようなものを着ていた。

 そして何よりも驚いたのが、ウッドカーツ家の名前がでてきたことだった。


 聖ウッドカーツ家の名において――。ウッドカーツ家直属の兵士が使う有名な文句である。


 玄関を恐る恐る覗いて見ると、二つの影が寄り添うようにして立っていた。

 灯火にぼんやり照らされる、一人は蜜色の髪の長い少女。もう一人は髭を蓄えた紳士――。

「クリアナちゃん……!」

 セルピは言ってから思わず口に手をやった。

 向こうとこちらは至近距離にある。気付かれたら何と言えばいいかわからない。

 そもそも、何故クリアナがウッドカーツの兵士に追いかけられているのだろうか。

 その上、クリアナの横にいる、おそらく彼女の祖父……、出かけているといっていたが、何故ここにいるのか。

 全てが繋がらず、ただその光景を見るしかない。

『お爺様……』

 クリアナは瞳に涙を溜めて彼女の祖父、カラルを見上げる。

 カラルはクリアナの頭をそっと撫でて、静かに微笑んだ。

『大丈夫だ、お前だけは必ず守る。私だけで行ってくるから、いい子にして待っているんだ。必ず戻るからね――』

『……はい。お気をつけて……』

 カラルは静かにクリアナに背を向け、玄関を開けた。

 外には剣や槍を持った大勢の兵士たちが見える。

 カラルは足早に家を出て、玄関を閉めた。きっとクリアナに兵士の姿をあまり見せたくなかったのだろう。

『……』

 クリアナは、閉まった玄関をじっと見ていた。

 セルピは声をかけようかかけまいか悩んで、まだ物陰に息を潜めたままだ。

 ――おもむろに、クリアナがこちらに振り向いた。

 その瞬間、セルピの体中から体温が抜けていく――。

 まるで彼女がそこにいたことを知っていたかのように、クリアナはセルピが隠れている方向をじっと見つめている。

「クリアナちゃん……?」

 セルピはゆっくりと姿を現せて、クリアナの顔を見た。

 しかし、その後の言葉はなかった。

 彼女の顔は、それまでのセルピが知っていた温和で優しく儚い少女のものではなかったからだ。

 何も映さない青い瞳、呆然としているようにも見える、何も浮かばぬ顔――。

 蜜色の髪は僅かに乱れ、その顔に張り付いている。

 まるで縫い付けられたかのように、セルピは動くことができなかった。

 クリアナの唇が、静かに動く。

『こうしてね、お爺様は出て行ったの。きっと帰ってくるって、言ったの。だから私、ずっといい子にして待ってた……ずっと、ずっと……』

 するすると涙がその瞳から零れ始めた。

 決してしゃくりあげることもしない。ただただ、無音で涙だけが流れていく。

『なのに、帰ってこないの。どうして……? どうして帰ってこないの……?』

 セルピはふと思い出した。

 クリアナは、祖父が出て行ったとは言ったが、町に出て行ったとは一度も言っていない。

 つまり、これは過去に起こったことで、彼女はずっと帰らぬ祖父を待っているのではないか?

「ずっと、って、どのくらい……?」

 震えた声をだすと、突然クリアナの周りに風が吹き始めた。

 鋭く殴るような、突風。身を切り裂くような、激しい風の刃。

 クリアナはその風に長い髪をはためかせながら、何もこもっていない声で紡ぐ。

『ずっと……幾年が過ぎても、この身が朽ち果てても、ずっと、ずっとよ……お爺様が帰ってくるまで、私はここでいい子にしてなくてはいけない……』

 ――この身が朽ち果てても。その言葉にセルピの顔が蒼白になる。

「クリアナちゃんは、もう死んでるの? ……っっ!!」

 ――ごうっっ!!

 鋭い風がセルピを襲い、慌てて物陰に隠れてそれを防ぐ。

 盾にした机が、完全に木っ端微塵になった。


『こんな世界、なくなってしまえばいい……』


 言葉が流れた。


『お爺様が帰ってこない世界なんて……私さえも消えることが出来ない世界なんて……消えてしまえばいい!』



 ***



「クリアナ、あなたは一体何者なの!?」

 ピュラは階段で、クリアナに向かって叫んだ。

「お願い、教えて! なにがどうなってるの!? あなたの身に何が起こってるの!?」

『……っく……うう……ぅあ……ああ……』

 不意にクリアナの顔に違うものが走る。

 泣きじゃくっていた顔が急に苦しみだし、ほのかに煌く彼女の体がゆらりとロウソクの火のように揺らめく。

「クリアナ!?」

『……ラ……さん……っ』

 頭を抱えながら彼女は苦しそうにピュラを見つめる。

『ピュラさん……っ!』

「クリアナ……!」

 彼女の顔は、先ほどまでとは違った。あの優しいクリアナの顔だった。

 彼女は息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

『……うっ……』

「大丈夫!?」

『は、はい……っ、時間がありません……もうすぐにのっとられてしまう……』

「のっとられるって、誰に!?」

『お願いです、聞いて、下さい……っ』

 顔を歪ませながら言うクリアナにピュラは唇を噛んだが、静かに頷いた。

 クリアナは苦しみながらも必死に言葉を伝える。

『私の家は……規則に逆らった為にウッドカーツ家に追われたんです……っ、うっ……一族が皆殺しにされそうになって、ここに生き延びるために逃げて来て……、でも結局見つかってしまって……』

 ウッドカーツ家に追われること。それは一族の死を表す。

 追われる原因は、税金を納めなかったり法に従わなかったり――そうやって貴族の一族が皆殺しにされるということは、実際に行われていた。

 そう、彼女は家の内部の争いでここへ逃げたのではない。ウッドカーツ家の手から逃れるためにこの地へきたのだ。

 ピュラの瞳が、深い色に染まっていく。

『おじいさまは帰ってくることを約束して出頭しました……うぅ……っ、ああ……』

「クリアナ、あなたは……」

『はい……もうこの世のものでは、あり……ません……』

 苦しそうにそういうと、クリアナはまた髪を振り乱して影を揺らめかす。

『ピュラさ、ん、お願いです……、おじいさまが帰ってくるという思念が、私をここに縛り付けている……しか、も……その思念が……うっ……ひ、人を……世界を……壊し始めてる……』

「世界を壊し始める……?」

『う……ぁああああっっ!!』

「クリアナ!」

 突然起こった突風にピュラは腕で顔を庇いながら、落ちないように手すりを掴む。

『急いで……くださ、殺して……殺してしまう!! 皆を殺してしまう……! セルピさんが危ないっ……!! やめて、もう……あああっっ!!!』

「セルピ……!?」

 刹那、強い光が激発し、閃光となって辺りにぶちまけられた。

「……っっ!!」

 ピュラは腕で顔を覆って眩しさに耐える。

 耳の中……むしろ心の中で、彼女の悲痛な叫びが響き渡った。


『セルピさんを助けてあげてください!! もう、いや……殺したくない……皆さんを……助けたい……っ』


「きゃっ!」

 その光と風の強さに、ピュラは弾き飛ばされた。

 そのまま階段の下まで吹っ飛ぶ。


 ――どさっ!!


 床の感触。

 なんとか受身を使って怪我をまぬがれ、ピュラは辺りを見回した。

 永久に続くと思っていた階段は、そこから見ればたったの十数段。

 やはり先ほどの階段は幻覚だったのだ。

「セルピ……!」

 ピュラは呟くと同時に、迷わず下へと降りていった。何処にいるかも分からない。しかし彼女の勘が、下に行けと言ったのだ。

「セルピ!!」

 すでに体で叫んでいた。下に行けば行くほど、風の音に混じった様々なものが聞こえてくる。

 雨は、勢いを増していた。



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