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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
二.荒野の果てに
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024.悪夢のはじまり



 その瞬間、クリュウとスイは互いに顔を見合わせて立ち上がった。

「な、なにこれ!」

 すぐにスイのところまで飛んでいき、突然溶けるように変貌した部屋を見渡す。

 外は突然雲がかかり、大雨が振り出す。

 空気が湿り、もわもわとした重い大気がどんよりと落ちていた。

 そして部屋の中は――。

「うそ……でしょ……?」

 クリュウはスイのマントを握る手を強めた。

 今まで座っていたベットは至る所に穴が開き、座りでもしたらすぐに崩れそうに思えるほどボロボロに。

 床も一歩歩けばぎしりと悲鳴をあげ、壁はくすみ汚れ、窓の金具は完全にさびついている。

 まるで数十年も手が入っていないような姿に、屋敷は変貌していた。

「ピュラたちは」

 スイはぼそりと呟くと同時に、横においてあったマントをひったくって部屋を出る。

 廊下もまた、すっかり古くなったぼろぼろの景色が広がっていた。

 まるで、先ほどまでいたあの空間が夢だったかのように……。

「一体どういうこと……?」

 うろたえるクリュウの横で、スイは錆びた扉をこじあけてピュラたちの部屋を開け放つ。


 ――が、中はもぬけの殻だった。


「スイ……」

「……」

 スイは部屋を見渡して振り向き、そして暗い廊下の奥に目を向ける。

「ピュラとセルピを探しに行く。謎解きはそれからだ」

「うん……」

 突然、夢から現実に引き戻されたかのような世界に、まだ思考が追いつかない。

 一体自分の身に何が起こったのか……。

 灯りの一つもない暗い通路には、壊れて落ちたシャンデリアが横たわっていた。

「クリアナは平気かな……」

 クリュウの呟きに、沈黙が落ちた。



 ***



「……」

 ピュラは、一人で絶句していた。

 ついさっきまで、暖かなベットの中にいたというのに。

 今いるのは、あちらこちらが朽ちた床が広がる部屋の中。

 その真ん中に、気がつけばへたりこんでいたのだ。

 ざああ、という強い音がしていると思えば、外は大雨が降っていた。

「今は乾季でしょ……?」

 呆然と呟いて、立ち上がる。

 ぎしり、と床が鳴った。

「なにがどうなってるのよ……」

 悪い夢なら覚めて欲しいと思うが、この感触は明らかに現実のものだ。

 スイもクリュウも、横で寝ていたセルピさえも、何処にもいない。

 きゅっと拳を握って部屋を後にした。

 廊下は重苦しく闇が落ち、何処までも続いているようにさえ思わせる。

 しかし、一つ分かるのは、それが少し前まで自分たちがいたあの綺麗な屋敷の成れの果てということだ。

 かなりの時間がたっているとみえる。

 そう、もう何年も、何十年も――。

 だが、何故そうなったのだろうか?

 自分たちがタイムスリップしたか、それともこの屋敷自体が時を進めたのか――、

 ともかく、まずは仲間と合流しなくてはならない。

 しかし、本当にこの屋敷の何処かに彼らがいるのだろうか?

 もしかしたら、自分だけがここにきてしまったのではないだろうか――?

 ……ピュラは首を振った。そんなことを考えてどうになることでもない。とにかく前に進まなくてはならないのだ。

 ふと、寝る前に見たクリアナの姿を思い出した。

 儚げで優しく、今にも消えてしまいそうな少女――。

 こんな姿になった屋敷と、彼女は関係があるのだろうか?

 それとも、何も関係がなくて、今頃はこの異変に一人震え上がっているのだろうか?

 とにかく、下の階に下りなくては。

 前いた場所は最上階だったが、気がついた時には場所が変わっていたようなので、ここが何階なのかもわからない。

 彼女の橙色の瞳が鋭く光り、闇を見据える。

 確か、廊下には両方の突き当たりに階段があった筈だ。どちらかに行けば下に下りることができる。

 進路を右にとって、ピュラはゆっくりと歩き始めた。

 廊下は所々朽ち、至るところにくもの巣が張り、長い間人がいなかったことを示す。

 その上、殴るような雨と、もわりとまとわりつく湿気に気分も優れない。

 廊下を歩いていて、構造からここが3階だということに気がついた。

 とりあえず、2階へ。2階のクリアナを訪ね、真相を明らかにするしかない。

 強い風を受け、窓が割れそうな勢いでがたがたと揺れる。

 ピュラは壁に手をつきながら、一歩一歩を慎重に進めていく。

 しばらく歩いていると、暗い階段が姿を現した。

 何処までも続いてそうな階段だ。

 それの下に行く方に足をかけ、転ばないように踏み出す。


 ――ピシァアアアアアアンッッッッッッッ!!!


 雷鳴に、一瞬だけピュラの姿が映し出される。

 手すりに手をつきながら、一歩一歩確実に降りていく。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ……

 規則正しい足音が踏み鳴らされる。

 その階段を踏み外さないように、慎重に、慎重に……、

 そろそろ一番下ではないだろうか?

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ、こつ……


 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ……

 ピュラは、一度立ち止まった。

 その顔が色を失くす――。

 下は何処まで続くかもわからぬ黒。終わりが見えぬ黒。

 弾かれたように階段を駆けて下りる。

 一段から十段、十段から二十段、二十段から五十段、五十段から百段――!

(階段が終わらない……!!?)

 息をきらして階段を降り続けるが、終点が見えない。

 振り返ると、今まできた道を同じ黒が続いていた。

「なによこれ……」

 呆然と呟いて、辺りを見回す。

 しかし、あるのは単調な階段と闇。

 精神を追い込むような閉鎖感が襲う。

 ピュラは唇を噛んで壁に仕掛けがないか探すが――、何も手がかりはなかった。

(誰かの幻術にかかったのかもしれない……でも誰の?)

 思考を巡らすが、もしありえるとするのならば――。

(まさか、クリアナ……?)

 そこまで思って、ピュラはぱん、と両頬を叩く。

(いえ、冷静に考えて。彼女にも可能性はあるけど、第三者が紛れてやったのかもしれないわ)

 このような術を使うとしたら、かなりの使い手だ。

 どうしていいかわからずにその場に佇む。

(とりあえず下手に動くんじゃなくて、ここで様子を見たほうがいいかもしれない……)

 寒気が走るのをこらえて、ピュラは壁を背にして気配を消す。

 沈黙の時はまるで永久に続くかのように思え、――実際に彼女にとっては久遠の時間に思えた。

 雨が地を打ちつける音と、時折轟音のように鳴る雷鳴だけが、闇を支配する。

 ふんわりとした不思議な空気が、屋敷を覆っていた。

 そんなときである。


『…………っく……ひっく……ぅう……』

 ピュラの瞳がはじけた。

 階段の上方に視線を向けると、声の主がそこに立っていた。


 ――立っていた?



 否、浮 か ん で い た。



「クリアナ……?」

 思わず少女の名を口にするが、浮かび上がった少女は、まるでピュラの知っている少女とは違っていた。

 蜜色の腰まで伸ばした豊かな髪を振り乱し、顔を手で覆って泣きじゃくる。

 嗚咽が幾度となく漏れ、ぼろぼろと涙が服に滴り落ちる……。

 昼間に受けた優しく暖かな印象はなく、そこにあるのは鉛のように重く深い哀しみ。

 ピュラでさえも押しつぶされそうになるほどの、強い思念。

「クリアナ、あなたがこんなことをしたの!?」

『どうして……?』

「は……?」

 クリアナの声は幾重にも重なって、雨が叩きつけるように、しかしそれでいて弱々しく心に響く。

 まるで心に直接語りかけているようだ。

 彼女は、顔を覆っていた手をはずした。

 その青の瞳には何も映してはいないのに、吸い込まれそうな色をしている。

 先ほどと全く一緒だ。

 しかし違うのは、その瞳から涙がぽろぽろと溢れて落ちていること。

 何の表情をも読み取れぬ顔で、まるで聞き分けのない子供のようにクリアナは言葉を紡ぐ。

『おじいさまはすぐに戻るって言ったのに……私はずっとずっと待ってるのに……待ってるのに……なぜ帰ってこないの……?』


 ――おじいさまと一緒に住んでいました。でもおじいさまは、少し外出するって言って出て行って、まだ帰ってこないんです。


 昼間の言葉を思い出した。

『どうして……どうしてっ……淋しいのに……私、ずっといい子にして待ってるのに……っ』

 その様子には、ただならぬものが含まれていた。

 階段に浮いていることといい、まるで人間とは思えない。

「あなたは何者なの……?」

 一段階段をさがって、ピュラは呟く。

 変貌した少女への恐怖よりも、驚きよりも、何よりも思うのは、


 雨季を知らせる雨の声、そしてその胸を裂くような深い深い哀しみ。



 ***



「誰かに荒らされた跡があるな」

 スイはかがみこんで床に入った傷に指をあてる。

 傷からして剣か槍だろうか。しかもかなり深い。

「盗賊とかかな……?」

「わからない。だが、最上階が荒らされたということは、少なからずクリアナにも災いが降りかかったということだ」

「……」

 クリュウは寒気を感じて両腕に手を回した。

 もわもわした空気が不可解で気味悪く、恐怖だけが心を襲う。

「なんだろう、さっきまでは何も感じなかったのに、突然強い思念がこの屋敷を支配したみたいなんだ……」

 ピュラとセルピを探すには、最上階から一階ずつしらみつぶしに調べていくしかなかった。

 二人は部屋を出てから4階をくまなく探し、そして突き当たりにさしかかろうとしていた。

 廊下は朽ちかけているというのに、小さなランプがあちらこちらに灯って青白くその場を照らしている。

 誰かが仕掛けたのに違いなかった。つまり誰かがこの屋敷を操っているということだ。

 クリュウは不安そうに外の雨に目を向ける。

「それにしても屋敷をここまで変えるだけの思念なんて、よっぽどのことが無い限りは……」

「クリュウ」

 スイが振り向かずに立ち止まって呟いた。

「なに?」

 クリュウが聞き返すと、スイはその暗がりに目を落としたまま呟く。

「この屋敷は、先ほどまでの空間と今の光景、どちらが本当の姿だと思うか?」

「え……、」


 ――ピシャアアアンッッッッッッ!!


 雷鳴が、スイの姿を白く照らす。

「もしも、今のこれが真の姿だったなら、なんとなく合点がいく」

「え……?」

 スイは立ち止まったまま、暗がりに目を細めた。

 つられてクリュウもその暗がりをじっと見つめ、その瞳を丸くした。

 凍るような重みが体中をつきぬけ、頭が真っ白になる。

 声にだすことこそなかったが、心が悲鳴をあげていた。

「す、スイ……!」

 マントを握り締めて首を降る。

 その瞳に驚愕と恐怖がくすぶっていた。

「これって……!」

「ああ」


 雨の音だけが支配する。

 それは思念の雨。哀しみの雨。

 スイは眩暈にも似たものを感じながら言葉を紡いだ。




「クリアナは死んでいる。もう数十年も前に――」



 暗がりの中には、白骨化した少女の亡骸が哀しく横たわっていた。



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