016.大海原にて
――その日から、どれほどの時が経ったろうか。
地下水路は日も通らず、いつが昼でいつが夜なのかも分からない。
そしてなによりも、単調に続く水路の道には――、精神がおかしくなってしまいそうだった。
最後に何か変わったものを見たとすれば、大きな鉄の扉。
きっと貴族の家の地下と繋がっているのだろう。邪魔者を始末した後の捨場として――。
もちろん、その扉は鍵が頑丈にかかっていて中には入れなかった。
最初は会話が続いていたものの、数日が経つと誰も何も言わなくなった。
ひたすらひたすら、石が続く水路を流れる方向に向かって進み続ける。
魔物がいないのが不幸中の幸いだったが、こんな場所に長くいると、刺激程度に出てくればいいのに、とも思ってしまう。
海に出る場所までは2日と思っていたが、もちろんそれは最短距離でのこと。僅かなカーブを描くだけでその日数は大きく狂う。
誰一人として口にはしなかったが、全員同じ事を考えていただろう。
――生きて帰れるのだろうか。
それを口にしたら最後、本当に帰れなくなるとも思えたからである。
口からでるのは溜め息ばかり。続くのは暗く単調な水路。
だから、それの変化に気付いた5日目の、彼らの感動もまた一入だった。
***
「やった……」
ピュラが、がくりと膝をついて呟いた。
全ての感情が、その3文字に集結される。
「にゃ~、疲れたよ……」
セルピもぺたんとその場に座り込んで肩を落とす。
5日ぶりに見る、陽の光。
それは海に降り注ぐ地下水路の出口からわずかに差し込むものであったが…、それでも、ありがたいことこの上なかった。
外へと滝のように流れていく水路の終点。そこは小部屋のようになっており、小さな窓からは夏の強い日差しが差し込めている。
ピュラは拳を震わせながら立ち上がった。
「本当に一時はどうなるかと思ったわよ……。よし! これでやっと地上に」
「待て」
「なによ」
後ろのスイからの声に、止まる。
スイは相変わらずのぼうっとした顔で、ゆっくりとその水路の出口を見た。
その視線は部屋を一周巡り……最後に、ピュラの顔におかれる。
そして、低い声でぼそりと告げた。
「ここから、どうやって外に出るんだ?」
――凍った。
水路が外に出てゆく様は、まるで滝。外は海だろう、飛び込むなんて論外だ。
窓には鉄格子がはまっており、外に出られそうにも無い。といっても、窓の外もまた海なので更に論外だったが。
「わ、すごい……結構ここから海まで高いよ……」
その窓を覗きながらクリュウが絶望的な台詞を口走る。
もちろん彼一人なら鉄格子も超えられるし空も飛べて外に出られるが、流石に彼もそこまで薄情ではなかった。
「クリュウ、ちょっと外に出て、周りに街とか村とかないか見てきてくれる……?」
最後の希望を託したピュラの言葉に、クリュウは重々しく頷いて外へと飛び出していったが。
……10分後、4人はざばざばと無情に流れていく水の目の前でげっそりしていた。
「人もいない、出口もない、しかもそろそろ食料も危ない」
ないの単語を指を折りながら数えて、ピュラは盛大な溜め息を漏らした。
「冗談じゃないわよ、こんな場所まで来て……」
ちなみに命がけで滝に飛び込もうとも、クリュウが言うには、この辺りは全て断崖絶壁になっていて陸に上がれそうな場所もないということだ。
完全に、絶望的だった。
その上、更に絶望的な音が彼らを襲った。
――ぴしっ
音がした瞬間、ピュラの顔が真っ白になり、笑みをひきつらせながら振り向く。
「なんか今、ものすごーく嫌な音がしたの……気のせいかしら」
「にゅ……ぴし、って言ったよね?」
セルピはまだ状況を理解していないようで、のんきに首を傾げていた。
――ぴしぴしっ
「この部屋は見るからに数百年前に作られたものだな。しかもそれから人の手が入ってないと見える」
スイが恐ろしく冷静に状況を判断する。
「てことは、老朽化して今にも崩れそうってこと……よ、ね?」
ピュラの口調がみるみる固くなっていく。
「おそらくは」
「にょー?」
――ぴしぴしぴし……ぱらぱらぱら……
「あれ、雨かな~?」
セルピが見上げると、それは雨であって雨ではなかった。
――細かい砂の、雨。
「ふ、ふふふ……」
半分現実逃避に入ったピュラが乾いた笑みを走らせる。
――びきっ!!
「うそっ」
時が、満ちた。
老朽化した、海につきだした小部屋は――いつ崩れてもおかしくなかったその小部屋は、三人の人間の重みをきっかけとして、無残にも海の藻屑と消えようとしていた。
――――がたがたがたがた…―――っっ!!
「きゃーっ!! ちょっとセルピ! 走りなさいよ潰されてぺっちゃんこになるわよっ!」
「急いでっ! てかどっちに走るのっ!?」
「私に聞かないでよ!! ああ崩れる崩れるっ!!」
「にゃーっ!」
「そんなマヌケな声ださないでっ! 気が抜けるでしょっ!」
「わーっ! スイー、どうしようっ!」
「どうしようもないな」
「なに諦めてるのよーーッ!! 大体あんたは冷静すぎなのよっ! 慌てなさい叫びなさいっ!」
「ある意味かなり無茶だよそれ……」
「うるさい昆虫類っ! きゃーーっ!! 本当に崩れるわよっ!」
地響きを鳴らせながら崩れる地面の上、これでも彼らは必死だった。
「とにかく走るわよっ!」
ピュラはそう言って走り出した。もちろん、どの方向へかも分からない……が、ここで天井が落ちて死ぬのだけは御免だった。
それを追いかけて、他がついてくる。
――そして。
最後に、崩れた石を蹴って、飛び上がった。
……が、着地するべき大地は、なかった。
まさかと思った時には既に遅し、4人の体は瓦礫と共に宙を舞っていた。
そして次に感じるのは重力と、消えていく平衡感覚。
瓦礫の波と共に、ピュラはその下にあるものを、遠目に見ていた。
青い青い、広大な海原が、無情にうねり、ゆっくりと近付いてくる。
ぶわっと体がなにかになぶられたような浮遊感も束の間……。
――彼らの意識は、一気に消し飛んだのだった。
次の瞬間、海に何かが叩きつけられる音と共に、何本もの水柱が辺りにあがる。
最後にはぱらぱらとまた砂が零れ落ち、静寂が――。
……落ちなかった。
――ざあ……っっ!!
最後のとどめと言わんばかりに、巨大な大波が、ざぶんっと打ち付ける。
瓦礫などは全てそれで海へと持っていかれ、そこには前の海の姿しか残らない。
やっと、完全な静寂が、落ちた。
まるで何もなかったかのように、海は静かにうねっていた。
潮の香りが、風に乗って流れ行く――。
***
その瞬間、ぴんと糸を張ったかのように少年の顔が上がった。
背丈はもう大人ともいえなくはないが、その優しい顔はまだ少年としての幼さをにじませている。
そんな彼は突如として落ち着きをなくし、胸元の小さな巾着を握りながら声を放つ。
「船を止めて! 誰かが海に飲まれたんだ!」
「親方!? マジっすか!!」
「急げ!! 船を止めろーっ!」
「あいさ!」
その声を初めとして、様々な場所から男たちの声があがる。
少年は走って船の先端に立ち、目を閉じて巾着を握り締めた。
袋の中からは、固い、石の感触。暖かい、それでいてどこか柔らかな、――大切な大切なたったひとりの相棒。
「精霊の御名において」
呟くと、革袋が中からゆっくりと光を放つ。
彼の焦げた茶色の髪がなびき、細く開かれた灰色の瞳が閃光のように海の遠くを見据える。
「――いた!」
そう彼が言うと共に、一層強い光が放たれ、海の中へ飛び込んでいく。
その光は、何人かの人間を包むようにして海から救い出し、そのまま彼の目の前まで運び、甲板にそっと下ろした。
彼らをそこに横たえると、光はゆっくりと消えていく。
少年も巾着から手を離して、息をつく。
「良かった、まだ生きてる……」
全員服はびしょ濡れで意識もなかったが、目立つ怪我もなさそうだ。少年は安堵の笑みを漏らして彼らに近付いていく。
「親方!」
たんたんと小気味良い駆け音を鳴らしながら、船員の一人が駆け寄ってくる。
その船員は、甲板にあげられた客人に目を見張った。
三人の人間と、一人の妖精――。
「どうしたんですか? この人たち」
「石が教えてくれたんだ。この人たちが海に落ちたって。だから石の力で助けてあげたんだけど……、」
「赤毛のべっぴんな嬢ちゃんに……男に……この子、まだ10歳くらいじゃないですか。それに妖精……?」
「なんで海になんか落ちたんだろうね。この辺りは人も少ないのに」
親方と呼ばれた少年は辺りを見渡した。
自分たちを乗せた船は相変わらず大海原に浮かび、潮風は柔らかく過ぎ、快晴の日光が晴れ晴れと降り注ぐ。
いつも見ている海と、全く変わらなかった。
「お、親方っ!」
「なに?」
「この男――!!」
紺碧の髪に端整な顔立ちをした男の顔をよくよく見た彼は、色をなくして声を荒げる。
――ざあ……っ……!
強い潮風と共に、少年の首に巻かれた真っ赤なバンダナが大きくはためいた。
彼が彼の石と同じくらい大切にしている、バンダナだ。
暫くその船員の声を聞いた後――、しかし少年は動じることもなく、そっと優しく目を細める。
「おもしろい組み合わせだね、この人たち」
「親方、もうちょっと驚きましょうよ……」
船員は溜め息まじりに肩を落とす。しかし、そんなところがこの少年の良いところなのだ。
何事にも動じず、そして優しく、――だから、もっともっと、この少年の役に立ちたいと思う。それはこの船に乗る船員の全てが思っていることだ。
「で、この人たちはどうするんです?」
「うーん、とりあえず陸まで運んであげようかな」
そう言って少年は離れた陸を見て目を細める。
「ぼくたちの戦いに巻き込むわけにもいかないし」
「そうですね……」
海に身を隠して生きる彼らにとって、陸に近付くのは危険な行為の一つだ。
しかし、それ以上に少年は優しい。その真っ赤なバンダナをはためかせて、声を張り上げた。
「ここから一番近い陸へ!!」
「へい親方!!」
すぐに声が返ってきて、船は進路を変えて陸へと近付いていく。
「濡れたままで風邪ひかないかな」
「そりゃちょっと気を使いすぎってもんだと思うんですが」
「そうかな」
少年はふふっと笑みを漏らす。その笑みは幼さにも取れるし、ここまで生き抜いてきた強さをも感じさせるようにも見える。
まるで、この海のようだと、船員は思う。
何に動じるわけでもなく、雄大に広大に、その笑みを広げている――。
数時間後、手早く彼らは陸の海辺に意識の戻らぬ者たちを置き、その潮風に髪をはためかせながら去っていく。
彼らは海に身を隠して生きる者たち。彼らはここにいるべき者ではないのだから、足早にその姿を消す。
少年だけが、そっと笑みを浮かべながら、遠ざかる陸を眺めていた。
「また機会があったら会おうね。ぼくはテスタ・アルヴ。海はいつ、ぼくたちとあなたたちを再会させるとも限らないから――」
あるいは、あの中の一人とは、本当にいつか会わなければならない時が来るかもしれないと思う。
時代は、灰色の時代は、ゆっくりとしかし確実に、動き始めようとしているのだから――。




