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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
九.戦慄の走る時
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106.夕凪の時間



 長い、夢を見ていた。

 とても……とても長い夢、だ。

 まるでその夢が本来の現実なのではないかと思う程に。

 それはあまりにも鮮烈で……。

 どれほど眠っていたのだろう。

 体中が気だるい。

 今まで見ていたのはどんな夢だったのかと、思う。

 しかし、それはぼやけたイメージとしてでしか思い出せない。

 もう、二度と見ることも……叶わない。


 目蓋を開く。

 知らない天井がそこにあった。

 横の机に置いてあるランプの光が、いつかの炎を思い出させて……再び目を閉じる。

 鉛にでもなったかのように指先すら動かなかった。

 記憶を手繰り寄せる。

 暗がりをひたすらに走っていたことが思い出された。どこを走ったのか……、それはよくわからない。

 しかし、その後に……?

 ――ふっと心の中に波紋を落として揺らめかせる、緋色の豊かな髪。煌くガーネットピアス。炎の輝きを秘めた瞳。目に焼きついた、姿。

 確か、その名は。

「――ピュラ」

 スイは、からからに渇いた喉で、半分言葉にならない名を呟く。しかし、静寂に落ちた部屋から返るものは何一つとしてなかった。

 再び、目を開く。今度は確かに部屋の景色を捉えた。質素な造りの部屋――、ここはレムゾンジーナだ、そう確信する。

 腕に力を込めた。指先が動く。そのままひとつひとつ、動かし方を確かめるようにして起き上がった。

 だが途端にひどい眩暈を覚えてこめかみに手をやる。

 俯いて、小さく息をついた。

 視線を横に向ければ、横付けの机に着替えと飲料用の水が無造作においてある。

 しかしそれ以上に、そこに立てかけられた自分の剣に意識が吸い寄せられていた。

 使いこまれた、大振りの剣。

 とても大切な……、絶対に手放してはならない剣。

 ただ、眺めるたびに思い出す、いつまでも傷まずにそこにある景色と、想いと――。

 くしゃりと髪を握り締める。

「……フレア」

 スイは、その名を唇にのせた。あまりに遠すぎる、その名前を。

 しかし、それで何が変わるはずも、なくて――。


 ぎこちない動作で着替えて、水を少し口に含んだ。

 何日寝ていたかはよくわからなかったが、その間何も食べていないことは確かだ。

 だが、空腹よりも眩暈の方が勝っていた。

 よどんだ部屋の空気に不快を覚えて、風にあたろうと扉を開く。

 人の姿は見えなかった。そのまま外への道を歩く。

 久々に動かす体が至るところできしんだが、しばらくすればその違和感にも慣れていった。

 結局、ほぼ誰ともすれ違わずに出口までたどり着く。

 そのままその向こうへと足を向けた。

 それは何故だか勇気のいることだったが、それでも光の海へと踏み込んでいく……。


 ――夕凪の時間だった。

 あの日とちっとも変わらない夕日の色が、穏やかに海を照らしている。

 変わったのは町の華やぎ、そのくらいだ。

 橙色に沈む町の中に何かが見えるような気がして、歩き出した。

 ふっと海からやわらかな風が吹き抜けて、雑に切った蒼い髪と戯れていく。

 それだけで幾分、体が軽くなった気がした。

 視線をはるか遠く、山の方に向ける。この町の夕日は山へ沈んでいくのだ。

 陽光は山を、町を、そうして海を最後まで照らしてゆく。

 きっとこれは自分が生まれる前から続いていたことであり、自分が死んでもずっとずっと、続いてゆくのだろう。

 何故だか、そんなことを漠然と考えた。

 ――ふと、その瞳が景色の中に違うものを捉える。

 次の瞬間、心臓が跳ねるようにして高鳴っていた。

 展望台。

 夕日で、染まっている。

 その、上に。

 まるでずっと昔からそこにいたように。

 町を見下ろしている、影……。

 気がつけば足早にその方向へと向かっている自分に気付いた。

 いつだったか当たり前のように歩いていた坂道を登り、その上へ。

 景色は、光り輝く情景へと……。

「――ピュラ」

 その声が、思っていたよりもずっと茫然としていたことに、自分でも驚きながら、スイはその名前を呼んだ。

 緋色の髪が目の前であでやかに揺れて、少女が振り向く。

 夕日に照らされた顔は、何故かとても懐かしく思えた。

 しかし、それはいつもと同じ、穢れることのない鮮やかなもので、……心をひとつ、震わせる。

 ピュラは一瞬だけ目を丸くして、だけれど次にはその色に優しさを滲ませて、腰に手をやった。

 そうして、にこりと笑って、みせる……。

「あら、起きてきたの」

 耳元でピアスがちらっと煌く。

 夕日をその身一杯に浴びた姿は、はっとするほど若草色の少女によく似ていた。

「――ああ」

 一歩、二歩と歩いていってスイはピュラの隣に立つ。

 ところどころすすけて風化した町を、そこから一望した。

「……なんでこんなところにいるんだ?」

 ピュラに、自分がよくこの場所に来ていたことを言ったことはないはずだった。

 すると彼女はいつものように、――そう、あまりに日常というものを感じさせるほど自然に、答えてみせた。

「んー、暇だったから町でも散歩しようと思ったのよ。そしたらここの風が気持ちよかったからね、つい長居しちゃったわ」

 石でできた縁に腕をかけて、ピュラは改めて町を眺める。

「……そうか」

 スイは軽く目を伏せ、彼女と同じ方向へと視線をむけた。

「で、もう大丈夫なの?」

「……」

 潮の香りを感じながら、小さく頷く。

「平気だ」

「……ま、そーね。三日も寝てたんだから」

 ふふっと笑ってピュラはスイの顔を覗き込む。

「あはは、目の下クマできてる」

「ピュラ」

 ……だから、スイは尋ねていた。

「なんだか妙に傷が増えてる気がするんだが」

「気のせいよ」

 感発いれずに返事は返ってきた。

 ピュラはぷいとそっぽを向く。しかしその顔は、子供にもわかるくらいにひきつっていた。

「そうか」

「……ったく」

 彼女は赤毛に手をつっこんで、呆れたような顔をしてみせる。

 起きない方が悪い、とかどれだけ面倒だったか、とかぶつぶつ呟いているのは恐らく自分への恨み言だろう。

 だから、そのまま声をかけないでおくことにした。

 ……そうしたら、数秒後。

「ピュラーっ!」

「――えっ?」

 振り向いた瞬間、ピュラは後ろから突然とびついてきた塊に突き飛ばされていた。

「ち、ちょちょちょっっ!!」

 思わずバランスを失って、危うく高台から落ちかける。

 ……飛びついてきたのはセルピだった。

 セルピは目を丸くして首を傾げる。

「わっ、ピュラ、大丈夫?」

「あんたねえ……」

 すんでのところでふちに掴まって転落を免れたピュラの怒りが、目に見えて膨れ上がった。

 次の瞬間には嵐のような怒声をセルピに浴びせかける。

「ディリィじゃないんだから突然抱きついてくるんじゃないわよーっ! 落ちたらどうやって責任とってくれるっていうのよこのミラクルアンポンタンっ!!」

「にゃ~~っ、ごめん~っ!」

 セルピはピュラに胸倉をつかまれ猛然とシェイクされた。

「スイっ!」

 ふと目をやると、クリュウの姿。急いできたらしく、すっかり息があがっているようだった。

 しかし彼はそれ以上の剣幕でまくしたてる。

「だっ、大丈夫っ!? 突然いなくなったからどこにいったかと思ったよーっ!」

 安堵のような、心配のような、……様々な想いが入り乱れた声だった。

「大丈夫よ。スイだったらきっと海の底からでも這い上がってくるだろうし。殺しても死なないわよ」

「死ぬと思うぞ」

「いちいちうるさいわねっ! しつこい男は嫌われるわよっ!」

「そうか」

「~~~~っ!」

「ピュラぁー、ボクの髪の毛ひっぱらないでーっ!」

 腹いせに目の前にいたセルピのおさげをぐいぐい引っ張るピュラに、セルピは思わず涙目になる。

 その横では、ようやくスイの様子に変わりがないことを確認したクリュウが、安心したように溜め息を漏らしていた。

「大体ねえ、クリュウは心配のしすぎなのよ。確かにスイの場合寝たまま町を徘徊して海にでも落ちる可能性はあるけどっ!」

「そ、そんなこと……」

「そうだな」

「うわーっ、肯定しないでよーっ!」

 想像でもしてしまったのか、インクが染みたように真っ青になったクリュウが羽根をぱたぱた動かす。

 他愛無いやりとり。

 とても、とても……懐かしく思えた。

「あ……」

 不意にセルピがふわっと笑って言った。

「ん?」

 ピュラが首を傾げると、彼女は満面の笑みを浮かべてみせる。

「4人そろったのって、なんだか久しぶりだよね」

 また、風が吹いて……。

 スイは、その光景を瞳に映した。

 石で出来た手すりに腰掛けているクリュウ、まぶしそうに笑うセルピ、――そして、目の前にいるピュラ。

 出会ってから数ヶ月、その間は当たり前のように共に生活していた。

 しかし、この町に来てからは立て続けの出来事に翻弄され続け、こうして4人揃って夕暮れを迎えることなどなくなっていたのだ。

「そういえば……そうよね」

 ピュラはふいっと伸びをしながら、海の遠くに目を細める。

「すごくいい眺めね、ここ。海も山も見えるし」

「うんっ、町がオレンジに染まってるみたいできれいだね」

 セルピもまた、夕日に照らされた空の向こうへと思いを馳せているようだった。

 気がつけば、……いつものようにクリュウが自分の肩口に飛んできている。

 それは、いつの間にか失っていたあの旅の情景と、まるで同じだった。

 きらきらと輝く景色はこの目に映すにはあまりにまぶしい。

 だけれど、……それでも、その色を網膜に焼き付けて。

 あの日々を、胸の奥深くでそっと、想って……。

「……ピュラ、セルピ、クリュウ」

 スイは彼らの名を呼んだ。いっせいに全員の顔がこちらを向く。

 夕凪の時間、橙に染まるのは彼らもまた同じこと。

 多分、自分すらも橙に染まっているのだと思った。

「――これから、今までよりもずっと大きな面倒が起きると思う」

 それぞれの顔を焼き付けるようにして、見つめる。

 これから起こるであろうことを、予感して。

 この世界に押し寄せる波の力を、予期して……。

「でも、それでも」

 それがどれだけ身勝手な願いかと分かっていても、スイはその言葉を口にださずにはいられなかった。

「――生き残ってくれないか」

 ふっとそれぞれの瞳が揺らめく。夕日の光を一杯に吸い込んで、煌く……。

 心は、締め付けられたような息苦しさを感じていた。

 いくら懐かしんだところで、過去は手の届くところにはないのだと、知ってしまっているから――。

 しかし、……ピュラの口元が穏やかにほころぶのに、そう時間はかからなかった。

「なにを言い出すかと思ったら」

 腕を組んで、首を傾げてみせる。

「残念ながらあんたより先に死ぬ気はないわよ。まだ私はやりたいことも食べたいものもたくさんあるし」

 挑戦的な視線で、彼女は見上げてきた。

 それは歯切れの良い、それでいて心地の良い声だった。

「ボクも大丈夫だよっ。……約束、あるから」

 最初は元気良く、最後の言葉には胸の奥の想いを乗せたセルピも、大きく頷いてみせる。

 視線を傾ければ、クリュウもまた、穏やかに笑いながら頷いていた。

「――そうか」

 瞳を伏せて、呟く。まるで夢のようなその穏やかな空気の流れに、今だけはとその身を任せた。

「あんたこそ簡単にくたばるんじゃないわよっ! 戦闘中に寝てたりしたら張り倒してやるんだから」

「ああ」

 時が流れていく。

 スイは心の奥底で、この時間をいつまでも忘れないようにとそっと祈った。

 そうして、目の前に、そんな赤毛の少女が笑っていたことも、忘れないように……。

 それはとても静かな夕凪の時間。

 あまりに心地良く、安らかな、ささいなささいなほんの一時……。



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