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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
九.戦慄の走る時
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107.陰に潜むもの



 ピュラは薄暗い通路を歩いていた。

 すれ違う者たちの顔に緊張が伺えることから、貴族側に動きがあったのではないかと推測する。

 翌日の朝には全員出席での今後の作戦会議が行われると聞いていた。

 石畳の通路は冷たく、ランプの灯火だけが温かい。

 そんな中を歩いていると、ふと、ひとつの部屋の扉がわずかに開いているのに気がついた。

 誰かが閉め忘れていったのだろうか。

 この地下基地には部屋がやたらと多い。その全てがどんな部屋になっているのか、それはピュラの知るところではなかった。

「――閉めておくべきかしら」

 口の中で言葉を転がして、しばらく逡巡する。しかし別に扉を閉めることに不都合など生じないだろうという結論に辿りついて、そちらの部屋に向かった。

 扉を閉めようと、ドアノブに手をかけようとして――。


 ……止まる。

 橙色の瞳が引き絞られて、中に吸い込まれていった。

 思わず動くことすら忘れて部屋の中を凝視する――。

 フェイズだった。

 扉の隙間から机に向かう横顔が見えている。

 机の上には粉のようなものや乾いた草や木の枝、雑多な機具が散らばっているのが続いて目に入る。

 彼の横ではフラスコから沸騰した湯がこぽこぽと音をたてていた。

 そんな中、フェイズの手がなめらかに動いて、天秤の受け皿に白い粉を足していく。

 慎重に錘とつりあうまで注ぎ、……それを他の受け皿に移して中のものと軽くかき混ぜる。

 手早く、それでいて雑さは微塵もない手際で粉をフラスコの中に注ぎ込んだ。

 ――しかしそれよりもピュラの意識を引いたのは、動く手を追って揺らめく彼の横顔だった。

 いつもの見透かすような、不真面目で挑発的な表情はそこにはない。

 真剣に手元を見つめる瞳。ひきしばられた口元――。

 そして部屋にたったひとり作業に没頭する姿は、どこか孤独で……静かだった。

 まるでこの世界の喧騒から離れ、全てから背を向けてしまったようにも映る。

 そうして、思わず声をかけてやりたくなるような寂しささえ、その横顔には落ちていて……。

「何やってんのよ」

 気付いたときには、部屋に足を踏み入れている自分がいた。

 フェイズは声の瞬間、ぴくりと手を止めてこちらを驚いたように見つめたが、すぐに満面の笑みにかえてみせる。

 ……いつもの、笑顔だった。

「おおピュラ、俺が恋しくなって会いに来てくれたのか」

「扉が開いてたのよ。無用心ね」

 ピュラは言いながら歩いていって、フェイズとは反対側から机の上を覗き込んでみる。

 やはり机の上に散らばったものは、あまり見たことのないものが多かった。

「……一体何やってるの?」

「おや、ピュラには言ってなかったか?」

 フェイズは座ったまま机に並べられた試験管を指に挟んで振ってみせる。

 中の乳白色の液体がかすかに波打って、彼の指と共に揺れた。

「俺、これでも医者の息子なんだぜ? これは薬の調合さ、とりあえず一通りの知識も持ってるからな」

 ――得意げな笑み。逆にピュラの方は呆気にとられたように目を丸くしていた。

 思わず椅子に座って身を乗り出す。

「……いしゃ?」

 まるで初めて聞く単語のように、聞き返した。

 対してフェイズはけらけらと笑ってみせる。

「そーさ。これは化膿止めの傷薬。ヘイズルのおっさんに頼まれてさ」

「へえ……」

 ピュラは机に並んだものを物珍しげにしげしげと眺めた。干された薬草、すり鉢、天秤、薬を煎じる為に火にかけられたフラスコ、試験管……。

 既に机の端には瓶に5つほど、出来上がった白い液体が入れられていた。

「そんな特技があったのね」

「おっ、惚れ直したか?」

「冗談じゃないわよ」

 軽口はさらりと流しておいて、ピュラは頬杖をつく。

「……普通、医者の息子っていうものは家を継ぐ為にこの時期勉強三昧なんじゃないの? なんでこんなところにいるのよ」

 ふっとさりげなくフェイズの瞳を見たはずが……。

 ……次の瞬間には、それを外すことは叶わないものとなっていた。

 紫の瞳が珍しい、ということもあったのかもしれない。

 相変わらずその口元はいつものように笑んでいるというのに――、紫の奥に、とても深いもの。

 それはまるで何かを訴えかけてくるようにすら感じられて、呑まれそうになる。

 だから強い瞳で見返した。こんな男には死んでも呑まれたくなかったからだ。

 するとふいに、フェイズの瞳が緩む。

 もしかしたらピュラがそう思っただけなのかもしれない。しかし彼女はフェイズの放つ他人を惑わせるような雰囲気が、幾分か緩んだ気がしていた。――まるで、なにかを訴えることを断念したかのように。

 フェイズは再び作業を始めながら言う。

「うちの親父がこれまた変人でなー。世襲制が嫌いなんだそうだ。お前みたいなバカ息子はいらんと言われて追い出されてしまったぞ」

「あんたねえ……」

 こんな息子を持ってしまえば、誰でも追い出したくなるだろうとピュラは思う。

 彼が家を追い出された風景も、容易に想像ができた。

 そんな様子を思い浮かべると……自然と深く溜め息をついて肩をすくめてしまう。

「わはは、やはり男なら熱いロマンを胸に秘めて世界へと飛び立たなければならないからな」

 フェイズは相変わらずあっけらかんと笑っているだけだった。

「……いいわね、幸せそうで」

「何を言うか、いつでもお前のことを想って心を焦がしているぞ」

「あっそう」

 反論する気も失せて、ピュラはなげやりに椅子の背に体をもたれる。

 無造作に赤毛に手を突っ込んで、軽く手ぐしをいれながらフェイズの姿を改めて眺めた。

 こぽこぽと沸騰するフラスコの中身に、フェイズはまた薬品を注ぎ足していく。

 最初薄い白だった液体は一度灰色へ、……そしてまた乳白色へと薬品を入れるごとに色を変えていく。

 自分を目の前にしているからか、口元は笑ったままだったが、目は真摯な光を湛えていた。

 ――紫色。

 どこまでも澄んだ、紫色。

 ふいに頭の奥底、どこかで何かがはぜた気がした。

 それは瞬く間に眩暈に変わり、不可解なものとして胸に染みていく。一体……これは、何だろう。名前がつけられない。……否、名前をつけてはいけないと心のどこかがシグナルを発している。

 ――この気持ち。

 よくわからない。

「ピュラ」

「――え?」

 突然名前を呼ばれたのに、一気に現実に引き戻されて顔をあげる。

 やはり彼は深い瞳の色で笑っていた。

「お前も必要になったら気にせず何でも言ってくれていいぞ。大抵の薬なら調合できるからな」

「……なんか変な薬でもつかませられそうね」

「あっはっは、人聞きが悪いなあ。でもほら薬って、あるといざって時に役にたつじゃねーか」

 ――フェイズ・イスタルカ。

 あまりにも近付くことに危険を覚え、――なのに……。

 自分の知らないものが、そこにあるような。

 これは、一体?

 フェイズは、言っていた。

 それ以上ないくらい、明るい声だった。

「例えば、お通じの状態がよろしくないときとかさ」

 ――すかっ。

 その音は、ピュラの拳がフェイズの顔面めがけてとんだ音だった。

 しかしそれにしてはあまりにも手ごたえのない音なのは、フェイズが笑顔のまま顔だけ動かしてそれを避けたからだった。

「…………」

「…………」

 双方、きっかり30秒をそのままの体勢でキープする。

 そうしてピュラはその秒数をカウントした後、拳を戻すと共に荒っぽく立ち上がった。

「帰るわ」

「もう行くのか?」

「一秒でも早くあんたを視界から除去したいのよっ!」

 ついでに彼という存在を完全に記憶から排除したかったが、……叶うはずもない。

 フェイズはまた何か軽口でも言っているようだった。しかしそれは既に耳に入らない。

 ピュラは、妙ないらつきを覚えたまま部屋を足音荒く出て行くのだった。



 ***



「ヘイズル、これは一体、何のためのものだい?」

 町の見取り図を覗き込みながら問うのはリエナだ。

 地図には至るところ――、町の全範囲に渡って等間隔に赤い点が打ち込まれている。

「なに、ちょっとした保険さ」

 その点を地図に書き込んだ張本人、ヘイズルはにやりと笑って読んでいた本のページをめくった。

 リエナは相変わらずの上司の意味不明な行動に溜め息をつく。ただ、そうやってヘイズルが行ったことが、後々その効果を示してくるということを、幾度も経験から学習した彼女は、それを咎めることをしなかった。

 軽く肩をすくめて辺りを見回す。その部屋はこの地下基地で最も広い場所である。

 100名を超えるこの地に集結した者たちを全員収容できるのだ、地下にこんなものを造った昔の者たちの技術が伺える。

 リエナとしても後から知ったことだが、この町は元々革命を起こそうとした人々が興した町なのだそうだ。

 故に、この地下の空間はこの町で最も先に造られたものなのだという。

 しかし、そんな巨大な基地をカモフラージュするため、また物資を楽に供給するために造られた町は、彼らが思いもしないほどに栄えた。

 そんな町に入り込んだ富が、革命を画した彼らの意思を消し去り、いつのまにかこの地下基地も廃れてしまったらしい。

 ――そんな中、町が出来てから約80年後にひとり、強かな意思を持ってしてこの地下を蘇らせ、革命の為の組織を組んだのが……、今は亡きリエナの恋人、リーフだった。

 全ての人に平等な平和が与えられるような世界が作りたいと、彼は夢見がちに言ったものだった。

 ――そうして、今。

 やっと……やっと、この町が作られて80年、……廃墟となって3年――、様々な人々によって継がれてきた想いが、解き放たれようとしている。

 気がつけばほぼ全てが人で埋まっている広間に、最後の仲間がやってくるところだった。

 スイ・クイールと、彼の連れたち……。彼らが最前列の席に座ると、そこにいる全ての者の視線が一斉にヘイズルに注がれた。

 しかしヘイズルはまるで怖じることも、緊張することすら知らない。

 ただゆっくりと、無造作に本を横に置いて椅子から立ち上がり、そこに集まった人々を見渡した。

 解き放たれる時は――、今。

「ブリュエルに動きがあった」

 低く、張りのある声でそう言う。

 ヘイズルはそのまま淡々と続けた。

「奴らは俺たちがここにいることに気付いている。まあ、あれだけ大々的に事を起こせば普通気付くな。貴族たちは俺たちを消そうと……一気になだれこんでくるぞ」

 ――辺りにざわめきと緊張が交互に走る。

 貴族たちはどんな兵力や兵器を持ってしてやってくるかもわからないのだ。

 今度はリエナが立ち上がって書類を読み上げた。

「推定で向こうの兵は2千。こちらは他から仲間を呼んであるとはいえ……せいぜい5百。差は歴然だね」

「だがこちらには地の利がある。俺としてもここでお前たちと心中はしたくないんでな。やるからには、必ず、勝つ」

 再びヘイズルに集結した視線が、その意志の強さを見極めたようだった。

 全員が全員、各々の意思を、思惟を持ってして頷く。

 ヘイズルは小さく笑った。

「まずテスタ・アルヴに奴らの食料・物資のルートを切断してもらう。海沿いからの道を一切、通れないようにするんだ。……テスタ、出来るな?」

 栗色の鋭い瞳が、前の方にクレーブを初めとした仲間たちと座っているテスタに向けられる。

 テスタはそれでも動じたそぶりすら見せず、静かに頷いてみせた。

「うん、やれるだけやってみるよ」

「その言葉、頼りにするぞ」

 ヘイズルは次に壁に貼られた町の地図を軽く叩く。

「それさえすれば、一戦目から新たに奴らが兵を補充するまでに少なくとも一週間はかせげるはずだ。何しろ、山を越えて来なくてはいけないからな。……その間に、やってきた貴族を全員、潰す」

「ヘイズル」

 ――不意に走った声に、全員の意識がヘイズルから外れた。

 凛とした声で発言したのは、緋色の髪の娘、ピュラだ。

「赤毛の嬢ちゃん、何か不満でもあるか?」

 挑発的ですらあるヘイズルの表情を、ピュラは乱れなく見つめて言った。

「今まではこちらが攻撃を仕掛けることで作戦を有利に運んできたわ。だって反乱活動の定石は、ひたすら攻めにまわることだもの。だけど戦力も物資も差がありすぎる中で、……今回のように相手が攻め込んでくるのを迎え撃つのはあまりにも不利よ」

 大勢の前での演説にも関わらず、彼女は静かに佇んでいた。しかしその中に秘めるものは熱く、熱く……。

「仮にこの戦いに勝利したとして、それだけじゃ得るものはあまりにも少ないわ」

「それが多いんだよ」

 ――ピュラの声に返したのは、予想に反してヘイズルではなかった。

 テスタと同じく前列の椅子に腰掛けていた……フェイズ、だ……。

 フェイズは座ったまま不敵な笑みを浮かべる。

「今までの戦いと違って今回のは貴族との『全面戦争』っつーもんになるな。少数でちょちょっとやる暗殺と訳が違う。そんな『戦争』で、『平民が貴族を破った』なんて事実が出てきて世界に知れ渡ったら……、どうなると思うか?」

「貴族に反抗することを諦めていた平民たちは、自らの仲間の勝利を知る。自らの力を知る。そうだ、一気に半貴族運動は加速する――」

 ヘイズルが受けて続けた。その饒舌さを持ってして、言葉を紡ぐ。

「つまり、言い換えれば、この戦いで負ければ志気も萎えて、世界は再び闇の中だろうがな」

 そう、瞳の光を更に深いものにさせて……。

「だから俺たちは、負けるわけにはいかない」

 ――誰もがヘイズルの言葉にごくりと唾をのみこんだ。

 負けるわけにはいかない――、その重い言霊が全員にのしかかる。

 そんなあまりに無謀ともいえる賭けの主導者ヘイズルは、一同を再び見渡して、言っていた。

 それは今まで暗がりに潜み、小さくなって時が来るのを待っていた者たちを解き放つ、ひとつの合図――。

 その場にいる全ての人間の耳を打つ、強い声だった。


「勝てば世界が、――動くぞ」



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