第12話:事後処理(ポストモーテム)と黄金の麺
第11話をお読みいただき、ありがとうございました。
物理も論理も通じない最悪のバグ「未定義の粘体」を、強引な強制冷却でフリーズさせたシン。
第12話では、北の連峰での激闘を終えた二人が、ついに「事後処理」へと向かいます。
悪徳神官を捕らえ、マナが戻り活気に満ちたルータン村へと帰還した彼らを待っていたのは、神の美酒すら凌駕する、湯気の立つ「最高の報酬」でした。
泥を啜り、鉄の匂いにまみれて戦ったエンジニアだけが味わえる、至高の一杯をお楽しみください。
超低温冷却液の白い冷気が、破壊された管理室の床を這うように散っていく。
先ほどまで暴れ回っていた黒い粘体は、完全にカチカチの氷像と化し、ピキッ、と微かなひび割れ音を立てていた。
「……冷却ガスのバルブを止める。外装が濡れたままだと、お前まで風邪を引くぞ」
俺はひしゃげた配管を応急処置で塞ぎ、深く息を吐き出した。
部屋の隅では、気絶した神官が泡を吹いて倒れている。俺は切断した光ケーブルの残骸を使い、奴の手足を熟練の拘束技術(ケーブル・タイの要領)で幾重にも縛り上げた。
「……ふぅ。とりあえず、これでこのエリアの致命的なエラーは排除できたな」
振り返ると、俺の泥だらけの長コートに包まれたリィルが、少し身を縮ませながら立っていた。
彼女の華奢な身体には俺のコートはあまりに大きく、袖が指先まですっぽりと隠れている。コートの下からは、溶け残った布の切れ端と、寒さに微かに震える白い素足が覗いていた。
「……何よ。まだなんか文句あるわけ?」
リィルが上目遣いで睨んでくる。その頬は、寒さのせいか、それとも先ほどの粘体による凌辱的なスキャンの余韻か、まだほんのりと赤い。
「いや。……その、悪かったな。俺の指示が遅れたせいで、怖い思いをさせた」
神だった頃なら絶対に口にしなかった「謝罪」の言葉が、自然と口をついて出た。
リィルは少し驚いたように目を丸くした後、フイッとそっぽを向いた。
「別に……あんたが助けてくれなかったら、今頃ドロドロに溶かされてたわ。それに、このコート……泥と鉄の匂いがして少し臭いけど、その……温かいから、許してあげる」
彼女は袖口をギュッと握り締め、小さく呟いた。
俺は苦笑し、神官の襟首を乱暴に掴んで引きずり起こした。
「さあ、帰還するぞ。ルータン村の連中に、この『バグの発生源』を引き渡さなきゃならない」
施設を出て山道を下る頃には、空を覆っていた黒い排熱(霧)は完全に晴れ渡っていた。
木々の間から差し込む陽光が、澄んだ空気をキラキラと照らし出している。肺を満たすのは、焦げたオゾンの匂いではなく、湿った土と青葉の瑞々しい香りだ。龍脈が正常な流れを取り戻したことで、大地そのものが呼吸を再開したのがわかる。
数時間後。
ルータン村の入り口に辿り着いた俺たちを出迎えたのは、昨日までの陰鬱な空気が嘘のような、活気に満ちた光景だった。
「おおっ! 水だ! 水路に水が戻ってきたぞ!」
「見て! 広場の集積塔が、あんなに眩しく……!」
枯れ果てていた魔導水路には、澄み切った水が勢いよく流れ込み、止まっていた水車が力強い音を立てて回り始めている。村人たちは広場に集まり、歓喜の声を上げていた。
「……村長。約束通り、害虫駆除を完了したぞ」
俺が声をかけると、村長は振り返り、そして俺が引きずっている神官の姿を見て息を呑んだ。
「そ、その男は……教団の司祭様! なぜあんな縛られた姿に……!?」
「司祭じゃない。村の水を山奥でせき止め、不正に魔力結晶を精製していた単なる密猟者だ。証拠のデータは俺の端末に全て記録してある。あとは村の自治で裁くか、領主に突き出すか、好きにしろ」
俺が神官を地面に放り投げると、事態を悟った村人たちの間に、驚きから怒りへと変わるどよめきが広がった。
村長は震える手で俺の手を握りしめ、何度も何度も頭を下げた。
「なんと……我々はこんな小悪党に騙され、なけなしの金を奪われていたのか……。あんたは、いや、貴方様は、この村の恩人だ! どうか、どうかありったけの礼をさせてくれ!」
数時間後。
俺とリィルは、村長の家の一室に招かれていた。
リィルの前には、村の娘たちが持ち寄ってくれた新しい衣服が置かれている。丈夫な亜麻布で織られた、少し丈の短い村娘風のワンピースだ。着替えて戻ってきた彼女は、コート姿の時とは打って変わって、年相応の可愛らしさを漂わせていた。
「……どう? 変じゃないかしら」
「悪くない。機動力も高そうだ」
「もう、あんたのその可愛げのない言い回し、どうにかならないの?」
リィルがむくれる中、部屋にたまらなく食欲をそそる匂いが漂ってきた。
村の女将が、湯気を立てる大きなすり鉢状の陶器を二つ、お盆に乗せて運んできたのだ。
「お待たせしました! マナが戻ったお祝いで、村の蔵に眠っていた極上の麦と、猪肉を奮発しましたよ!」
目の前に置かれたのは、濃い琥珀色をした熱々のスープだった。
表面にはキラキラと輝く上質な脂が浮き、その下には、手打ちされた細く長い麦麺が美しく折り畳まれている。トッピングには、直火で香ばしく炙られた分厚い猪肉の塊と、シャキシャキとした野草がたっぷりと乗っていた。
「……これは?」
「東の国から伝わった『拉麺』という料理を、うちの村風にアレンジしたものです。冷えた身体に染み渡りますよ!」
俺は木箸を手に取り、まずはスープを一口啜った。
――脳天を突き抜けるような、圧倒的な旨味。
豚骨に近い猪の骨を限界まで煮出し、そこに地元の醤油に似た発酵調味料がガツンと効いている。野性味溢れる濃厚なスープに、ツルツルとした細麺が完璧に絡みつき、噛むほどに麦の甘みが弾けた。
「……美味い。いや、完璧なモジュール連携だ。スープという基盤(OS)の上に、麺というアプリケーションが寸分の狂いもなく適合している……!」
「また変なこと言ってるけど……んんっ! 本当、美味しいっ……!」
リィルも目を輝かせ、夢中で麺を啜っている。先ほどの恐怖も寒さも、この熱気と旨味の前に完全に溶け去っていた。
俺は無言で箸を進め、炙られた猪肉の脂の甘みに感嘆の息を漏らす。現場で流した汗と疲労が、最高のスパイスとなって胃袋を満たしていく。
神の玉座で飲んだどんな美酒よりも、この一杯の「拉麺」の方が、今の俺には価値があった。
食後。
満腹になったリィルが、暖炉のそばで心地よさそうにうたた寝を始めた頃。
俺は一人、静かに端末を開いた。
画面に映し出された広域マップ。
俺たちがいるルータン村と、第九十九中継所の周辺は、正常稼働を示す美しい「緑色」の光で満たされていた。
だが、マップを縮小していくと、大陸の至る所に、エラーを示す「赤」や、完全に沈黙している「黒」のノードが無数に点在しているのが見える。
「……世界のバグは、まだ山積みか」
俺は端末を閉じ、窓の外の星空を見上げた。
神としての全能はない。だが、俺にはこの手と、知識と、そして隣で無防備に眠るちょっと生意気な助手がいる。
「次の現場に向けて、少し休むとするか」
俺はリィルに毛布をかけ直し、薪の爆ぜる音を聞きながら、人間として初めての「充実した眠り」へと目を閉じた。
第12話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ようやくたどり着いた、本作の第一部クライマックスとも言える「拉麺」回です。
かつて全能だったシンが、猪肉の脂の甘みに感動し、「スープという基盤(OS)の上に、麺というアプリケーションが適合している」と独自の解析を披露するシーンは、彼がいかに「現場の喜び」に目覚めたかを象徴しています。
しかし、一つの村のデバッグを完了しても、シンの端末に映し出されたのは、大陸全土に点在する無数の「エラー(赤いノード)」でした。
世界を正常に再起動させる旅は、まだ始まったばかりです。
次回、第13話は**「仕様変更と旅立ちの朝」**。
リィルの折れた翼に対する「ハードウェア診断」など、次なるプロジェクトへの準備が始まります。
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