豊穣の大地と三つ巴の戦渦 14
プレンブルク大平原は、ほんのわずかな時間で勝利の熱狂から一転し、凄惨な地獄へとその姿を変え果てていた。
豊かな緑の草が風に揺れていた美しい光景は、今や無数の異形たちによって無惨に踏みにじられ、どす黒い泥と血の海へと沈み込んでいる。吹き抜けていた心地よい青草の匂いは完全に掻き消され、代わりに鼻腔を突くのは、腐った泥、劣悪な油、そして吐き気を催すような酸っぱい悪臭であった。地平線を黒く塗り潰しながら押し寄せるのは、ゴブリン族と蟲人族からなる連合国家、グルゴタ連邦の軍勢である。人類同盟軍との壮絶な総力戦を終えたばかりで、極度に消耗していたグラン・ヴァルディア本軍にとって、この絶妙な死角を突くようなタイミングでの第三勢力の波状攻撃は、あまりにも致命的で残酷な事態であった。
視界の端から端まで、緑褐色の肌をした小柄な魔物たちが、ギイギイと耳障りな奇声を張り上げながら際限なく湧き出してくる。圧倒的な繁殖力を誇るゴブリン族の兵士たちだ。彼らが手にしているのは、まともな工房で整然と鍛え上げられた武具ではない。どこかの戦場で打ち捨てられていた廃棄物や、ひしゃげた鉄屑を強引に繋ぎ合わせた、歪で醜悪なジャンク兵器である。赤茶けた錆に覆われ、刃こぼれだらけの巨大な斧、鉄屑を無造作に鋲で打ち付けた不格好な盾、先端に鋭利なガラス片を巻きつけた粗末な槍。それらが無軌道に、まったくのデタラメな軌道で振り回されるたび、グラン・ヴァルディアの兵士たちの整った防御の隙間をすり抜け、浅くも痛々しい傷を確実に刻んでいった。彼らは自らの手が粗悪な武器の柄で擦り切れようとも意に介さず、ただ目の前にいる獲物を破壊し尽くすことだけに執着していた。
そして、そのけたたましい喧騒の隙間を縫うようにして、一切の感情を持たない蟲人族がカサカサと無機質な足音を立てて死の特攻を繰り返してくる。彼らの社会には個としての自我が存在せず、ただ一つの巨大な意思によって末端の細胞のように動かされている。そのため、彼らには恐怖という概念すら存在しなかった。グラン・ヴァルディアの兵士が剣を振るい、蟲人の胴体を真っ二つに両断しても、彼らは苦悶の悲鳴すら上げない。上半身だけになった状態でも這い進み、鋭い大顎を打ち鳴らして兵士のブーツに喰らいつこうとする。自らの命を単なる消費物として投げ出し、一切の躊躇いなく死地へと飛び込んでくる蟲人たちの圧力は、感情を持つ生物が相対するにはあまりにも異質であり、前線で戦う将兵たちの精神を根こそぎ削り取っていく恐るべき難敵であった。
強固な陣形を敷き、理にかなった戦術を用いてきた人類同盟軍との戦いとは根本的に異なる、不条理な暴力の波。無秩序なゴブリンの群れと、機械のように特攻を繰り返す蟲人族の複合攻撃の前に、グラン・ヴァルディア軍の誇るアルカイドの精鋭たちすらもが絶望的な苦境に立たされていた。
第一部隊長のゼルガノフは、軍の絶対的な要石として巨大な大盾を構え続けていた。彼を覆う漆黒の分厚い重鎧には、先の戦いで強化された騎士たちが放った無数の槍の痕や、魔術による焦げ跡が痛々しく残されている。それでも彼は、言葉を持たない首無し騎士としての静かなる威圧感を放ち、味方を庇うように立ちはだかっていた。しかし、押し寄せる敵の質量は彼の常軌を逸した膂力をもってしても支えきれるものではなかった。倒した端から仲間の死骸を踏み越えて群がってくるゴブリンと蟲人の波に押され、ゼルガノフの重厚なブーツが泥濘に滑る。決して退くことのなかった彼が、半歩、また半歩と、ずるずると後退を余儀なくされていた。彼が押し込まれるということは、軍の正面防衛線が崩壊の危機に瀕しているという紛れもない事実を示していた。
第二部隊長のロイガーは、自慢の双刃の戦斧を振るう腕に明らかな疲労の影を滲ませていた。空気を引きちぎるような轟音を立て、魔法で強化された人間の盾ごと叩き割っていたあの一撃の威力はすっかり鳴りを潜め、斧の軌道は重く、鈍くなっている。戦場に響かせていた獰猛な笑い声は絶え、代わりにゼエゼエという苦しげな呼吸音が絶え間なく口から漏れ出ていた。いくら力任せにゴブリンを薙ぎ払おうとも、敵は無限に湧き出してくる。物理的な限界と無尽蔵の物量という残酷な計算式が、ロイガーの体力を確実に削り取り、彼の膝を大地へと屈服させようとしていた。
第三部隊長クレイヴァンもまた、かつてないほどの死地に立たされていた。細身の彼が信条とするのは、洗練された動きで敵の陣形のほころびを見極め、急所を的確に突く精密な機動戦である。しかし、恐怖を知らずに特攻してくる蟲人族と、陣形や戦術という概念を全く持たないゴブリンの群れに対しては、その知的な振る舞いが完全に機能不全に陥っていた。彼の双剣が美しい弧を描いて敵の首筋を的確に切り裂いても、後続の敵は仲間が殺されたことなど気にも留めず、ただ無秩序な暴力となってクレイヴァンに覆い被さってくる。回避と迎撃を繰り返す彼の額には大粒の汗が浮かび、その優雅な身のこなしには明らかな焦りと乱れが生じ始めていた。
左翼で狂気的な防衛線を死守していた亡命将カネル・ルーチェの軍勢も、すでに限界の境界線をはるかに越えていた。彼女という絶対的な存在への狂気的な愛情によって、極限まで引き出されていたコルデア兵たちの士気と身体能力。しかし、精神がいかに高揚しようとも、物理的な疲労と肉体の損傷を完全に無かったことにはできない。先の戦いで負った傷が開き、重い鎧が彼らの動きを鈍らせている。陣形はあちこちでひしゃげ、鋼の壁として立ち塞がっていた兵士たちが、一人、また一人と力尽きて地に倒れ伏していく。
カネルは泥に塗れることもいとわず、戦場の真ん中で必死に声を張り上げていた。彼女の天真爛漫な笑顔は引きつり、その目には悲痛な涙が浮かんでいる。倒れた兵士の血だらけの手を両手で包み込み、「大丈夫だよ、みんなで一緒に帰るんだから!」と震える声で励まし続けているが、その言葉を掻き消すようにゴブリンの奇声が響き渡り、彼女の腕の中でまた一つの命が静かに息を引き取っていった。
陣の後方に位置するハズラは、この絶望的な地獄絵図の中で、ただ一人、極めて静謐な思考を保ち続けていた。
彼の黒い瞳には、魔眼の発動を示す赤黒い光は宿っていない。過酷な状況下にあっても、彼は異能の力に頼ることを意図的に避けていた。見渡す限り遮蔽物のないこの平原において、敵の姿もその数も、すべては白日の下に晒されている。ここで無闇に魔眼を起動し、何万という魂の火の波長を同時に処理しようとすれば、彼の脳髄は過負荷によって即座に焼き切れ、血涙とともに再起不能の廃人へと転落するだろう。戦場の真実を見極める観測者として、今の彼に必要なのは超常の力に頼ることではなく、肉眼で見える現実を直視し、自らの頭脳と論理のみで盤面の事実を正確に読み取ることである。
耳を劈くような悲鳴、肉を裂く鈍い音、そして風が運ぶ濃密な血の匂い。あらゆる情報がハズラの脳内で高速処理されていく。
彼は兵士たちの息遣い、武器を振るう速度の低下、陣形が後退する速度、そして敵の波状攻撃の頻度を瞬時に計算した。敵は無尽蔵の繁殖力と、痛みへの恐怖が欠如した狂気の軍団である。対する味方は、先の総力戦で体力を使い果たし、武器は刃こぼれし、陣形を維持する気力すら尽きかけている。
彼の理知的な頭脳が導き出したのは、どのような客観的座標を伝達しようとも、この盤面を覆すことは物理的に不可能であるという残酷な真実であった。
ハズラは一介の側近であり、観測者である。彼にできるのは、ただ事実を正確に捉えることだけだ。そして今、彼の観測が示している現実は「このままでは全滅する」という避けがたい未来のみであった。ハズラは強く拳を握りしめ、己の無力さを深く噛み締めることしかできなかった。彼自身の力では、もう誰も救えない。ただ、泥沼と化した戦場で死力を尽くす将兵たちの姿を、絶望とともに網膜へ焼き付けることしかできなかった。




