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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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豊穣の大地と三つ巴の戦渦 13

 プレンブルク大平原における壮絶な総力戦は、ついにグラン・ヴァルディア本軍が人類同盟軍を完全に打ち破る形で幕を下ろした。遮蔽物のない広大な平野を埋め尽くしていた敵の強固な陣形は、今や見る影もなく粉砕されている。逃げ惑う人間たちの悲鳴と、主を失った馬のいななきが風に乗って遠ざかっていく中、戦場には熱狂の余韻と血生臭い土埃が静かに沈殿していった。


 ハズラは、重くのしかかる疲労を堪えながら、眼前に広がる景色をゆっくりと見渡した。彼らの眼前に広がっているのは、人間界最大の農業生産力を誇る肥沃な平野と、大地を潤す大河の豊かな流域であった。見渡す限りの地平線まで続く青々とした草の波は、吹き抜ける風に撫でられて優しく揺れ動き、その合間を縫うようにして流れる大河が太陽の光を反射してきらきらと輝いている。それは長年にわたってグラン・ヴァルディア王国が渇望してきた、豊かな穀倉地帯そのものであった。グラン・ヴァルディア軍は、この果てしなく広がる大平原での凄惨な激突に勝利し、その肥沃な土地を確保した。だが、これは軍の最終目的へ至るための一つの過程に過ぎず、彼らの戦いがここで終わるわけではなかった。


 絶大な戦果と勝利の喜びに沸き立つ一方で、苛烈な激戦を経た将兵たちの強靭な肉体には、隠しきれない深い消耗が生じていた。

 最先鋒として猛然と敵陣をこじ開け、文字通り血路を切り拓いた第三将ファルシオンは、血に濡れた大剣を肩に担ぎ、未だ衰えぬ闘志を周囲に漲らせていた。彼のしなやかな褐色の肌には無数の返り血がこびりつき、赤黒い染みを作っていたが、純粋なる武人としての歓喜に満ちた金がかった瞳は、次なる獲物を求めるかのようにギラギラと輝いている。肩で大きく息をするたびに、極限まで躍動した筋肉がさらなる破壊の衝動を訴えかけるように隆起し、彼の周囲にはビリビリと痺れるような濃密な殺気が立ち昇り続けていた。

 軍の右翼から中央にかけて、絶対的な盾として戦線を支え続けた第一部隊長のゼルガノフは、限界に近い状態であった。彼の分厚い漆黒の重鎧には、強化された騎士たちが放った無数の槍の痕や、魔術による焦げ跡が痛々しく残されている。ガシャン、ガシャンと金属の擦れる重苦しい音を響かせながら、彼は巨大な大盾を力なく地面へと下ろした。言葉を持たない首無し騎士は、左脇に抱えた自らの兜ごと首を僅かに傾け、全身を覆う熱を逃がすかのように、ただ静かに佇んでいる。

 敵陣を豪快に食い破り、宮廷魔術師団の詠唱を物理的に粉砕した第二部隊長のロイガーは、自慢の双刃の戦斧を放り出し、地面に座り込んでいた。彼の呼吸はひどく乱れており、全身に浴びた返り血が乾いて皮膚に張り付いている。あれほど高らかに響かせていた獰猛な笑い声も、今は深い疲労に押し潰され、乾いた呼気だけが口から漏れ出ていた。

 そして、戦場を駆け抜けて精密な機動戦を展開した第三部隊長クレイヴァンも例外ではない。常に洗練された佇まいを崩さなかった彼でさえ、額には玉のような汗が浮かび、湾曲した双剣を持つ指先が僅かに震えている。冷静に戦局を俯瞰し、敵の急所を的確に突き続けた代償として、彼の精神と肉体はかつてないほどの疲弊を強いられていたのである。


 一方、戦場の左翼で狂気的な防衛線を死守し続けたカネルの軍勢もまた、極限の士気から解放されたことで激しい消耗の波に襲われていた。

 戦闘中、痛みへの恐怖を完全に忘れ、異常なまでの身体能力を発揮していたコルデアの兵士たちは、限界を超えて戦い抜いた反動により、次々とその場に倒れ込んでいる。彼らは本来、氷雪公国コルデアという極寒の地で暴君に虐げられてきた者たちである。その彼らが、ただ一人の少女への狂気的な愛情と忠誠のみを原動力として、鋼の壁となって敵の猛攻を弾き返したのだ。しかし、感情の極まりが生み出した理不尽なまでの力は、肉体の限界を無に帰すものではない。ちぎれかけた腕を押さえる者、自らの流した血の海に沈む者。それでも彼らの表情に絶望はなく、ただ敬愛する主を守り抜いたという安堵の微笑みが浮かんでいた。


 部下たちを陣の後方から無邪気に鼓舞し続けたカネルは、自らも足元がおぼつかないほどに疲労困憊でありながらも、気丈に振る舞おうとしていた。彼女は愛らしくアレンジされた軍服の裾が泥と血で汚れることもいとわず、倒れ込む兵士たちのもとへ駆け寄り、その小さな手で彼らの傷を撫でている。


「みんな、本当によく頑張ったね。ありがとう。……痛いよね、苦しいよね。でも、もう終わったからね」


 カネルの優しい声が震えていた。彼女の天真爛漫な笑顔の裏には、仲間たちが負った深い傷に対する悲痛な思いが隠されている。彼女の引力によって引き出された狂気的な士気がなければ、左翼の防衛線はとうに崩壊していただろう。だが、その代償は決して軽いものではなかった。

 そのカネルの斜め後方で、ハズラもまた、己の精神が限界に達していることを自覚していた。

 遮蔽物のないこの平原での戦いにおいて、彼は無為な消耗を避けるため魔眼を意図的に封印し、肉眼のみで戦場全体を直視し続けていた。複数の部隊の動きを同時に捕捉し、激しく入り乱れる何万という敵味方の陣形を識別し、戦場の共通言語に変換して瞬時に伝達し続けるという行為は、ハズラの脳への負荷を指数関数的に増大させていた。魔眼の反動による血の涙こそ流れてはいないものの、極度の集中によって酷使された眼球は乾ききり、視神経の奥がズキズキと痛みを訴えている。網膜に焼き付いた苛烈な光景と、無数に飛び交う怒号の残響が、今も脳髄を鋭く突き刺してくる。


 しかし、ハズラの胸の奥には、その疲労を上回る確かな誇りが静かに燃えていた。

 彼は決して、ただ情報を出力するためだけの便利な機能や道具ではない。一人の人間として、混沌とした戦場の中から真実の情報を紡ぎ出し、味方のために最善の道を提示するという極めて重要な役目を果たしたのだ。彼が客観的な数値を操り、常に論理的な優位性を保ちながら的確な情報を伝達したからこそ、カネルの兵士たちは無駄な犠牲を避けることができた。奴隷として泥に塗れ、ただ怯えることしかできなかったかつての自分はもういない。彼は今、自らの知性と目をもって世界を正しく捉え、戦場の一翼を担う確固たる存在となっていた。

 ハズラは痛む目をすがめながら、大きく息を吸い込んだ。肺を満たすのは、青草の匂いと、それに混じる濃密な鉄の匂い。

 確かに、この大平原での戦闘はグラン・ヴァルディア軍の勝利に終わった。広大な穀倉地帯を確保したことは、国家の行く末を左右するほどの絶大な戦果である。歓喜に沸く兵士たちの姿を見れば、誰もがここで戦いが終わったと錯覚してしまいそうになる。


 だが、ハズラの極めて客観的な思考は、現在の状況が完全な決着ではないことを冷酷なまでに弾き出していた。

 この肥沃な大平原のさらに奥、地平線の霞む向こう側には、人類同盟側の中心都市であるプレンブルクが未だその巨大な防壁をそびえ立たせているはずだ。この平野での戦いは、あくまで都市へ至るための前哨戦であり、人間界への侵攻の足がかりを得たに過ぎない。遮蔽物のない平原での野戦と、強固な城壁に守られた都市を攻め落とす攻城戦では、求められる戦術も必要な物資も全く異なる。彼らはまだ、人間界という巨大な敵の喉元に薄皮一枚の傷をつけたに過ぎない。この大河の豊かな恩恵を受ける大地を真に支配するためには、その都市の心臓部を物理的に制圧し、完全に支配下に置かなければならないのだ。それが果たされない限り、統星の掲げる世界統一の覇道は次の段階へと進むことができない。

 無防備に横たわる兵士たちを見つめながら、ハズラは次なる攻城戦に向けた戦術の再構築を脳内で開始していた。この先、どのような兵站を組み、どのような攻城兵器を展開すべきか。彼の意識は、目前の勝利ではなく、未来の覇道へと完全にフォーカスされていた。


 しかし、戦争という事象が孕む理不尽は、一切の前兆なく牙を剥いた。


 プレンブルク大平原での野戦に勝利し、次なる攻城戦へと意識を向けていたグラン・ヴァルディア本軍。その研ぎ澄まされた戦意のただ中へ、突突として、怒涛の如き無数の異形が雪崩れ込んできたのである。

 大地がいきなり黒い津波に飲まれたかのような、凄惨な急襲であった。

 心地よい青草の匂いを運んでいた風は一瞬にしてかき消され、代わりに肌を刺すような冷気と共に、腐った泥と劣悪な油の酸っぱい悪臭が戦場を覆い尽くした。


 ハズラがハッと息を呑み視線を向けた北方の国境線。一年中雪を戴く峻厳なグルゴタ山脈の岩肌の合間から、地平を黒く塗り潰しながら際限なく湧き出してきたのは、ゴブリン族と蟲人族からなる連合国家「グルゴタ連邦」の巨大な軍勢であった。

 その異形の群れの後方、安全な高台から戦場を見下ろしているのは、グルゴタ連邦の指揮官である将軍ギルバであった。彼の醜悪な顔には、極めて狡猾で残忍な性質がありありと浮かんでいる。他者が精巧に築き上げたものを、理不尽な暴力と圧倒的な数で破壊し、略奪することに暗い悦びを見出すその瞳は、疲弊したグラン・ヴァルディア軍を極上の獲物として捉えていた。

 彼にとって、他者の命や痛みなど、自軍の兵士のそれであっても単なる消費資源に過ぎない。どれほど無惨に死のうとも、ただ盤上の駒が減ったとしか計算しない感情を排した指揮官の号令のもと、無慈悲な第三勢力が、グラン・ヴァルディア軍の存在する戦場へと容赦なく乱入を果たしたのである。


 プレンブルク大平原に、全く新しい種類の絶望が押し寄せていた。

 先ほどの総力戦の余韻と血の匂いが漂う大地を、黒い津波のような異形の群れが瞬く間に埋め尽くしていく。

 その先陣を切って戦場へと雪崩れ込んできたのは、圧倒的な繁殖力を誇るゴブリン族の兵士たちであった。見渡す限りの地平線を緑褐色の肌で埋め尽くす小柄な魔物たちは、ギイギイと耳障りな奇声を発しながら、疲弊しきったグラン・ヴァルディア軍の陣形に容赦なく群がり始めた。

 彼らが手にしているのは、工房で整然と鍛え上げられた武具ではない。他国が過去の戦場で捨て置いた廃棄物や、ひしゃげた破損兵器を再利用した、歪なジャンク兵器である。赤茶けた錆に覆われた刃こぼれだらけの巨大な斧、鉄屑を強引に鋲で繋ぎ合わせた不格好な盾、先端に鋭いガラス片をくくりつけた粗末な槍。それらの武器は、一度振るわれるだけで持ち手のゴブリン自身の手を傷つけるほど粗悪なものもあったが、彼らはそんな痛みを意に介さず、ただ目の前の獲物を破壊することだけに執着していた。

 スカベンジャーとしての特異な技術を用いて修復、改造されたそれらの武装は、見た目こそ醜悪で無秩序であったが、その恐ろしさは計り知れなかった。無数のゴブリンたちによって無軌道に、でたらめな軌道で振り回されるジャンク兵器は、整った剣術や槍術を学んできた兵士たちの予測を完全に裏切り、疲労困憊の将兵たちに防ぎようのない打撃を与えていく。

 重い剣を振り上げる体力すら残っていないグラン・ヴァルディアの兵士たちが、無数のゴブリンに取り囲まれ、錆びた刃によって無惨に切り刻まれていく。


「な、なんだこいつらは……! どこから湧いてきやがった!」


 疲労の極致にあったロイガーが、双刃の斧を杖代わりに立ち上がりながら悪態をついた。しかし、彼の怒声すらも、無数のゴブリンたちが発する不快な奇声の波にかき消されてしまう。


 さらに、その混沌をより深く、より底知れぬものにしていたのは、狂乱するゴブリンの群れの合間から無言で迫り来る蟲人族の存在であった。

 彼らには、個としての自我が一切存在しない。ただ一つの巨大な意思によって動かされる彼らの社会においては、個々の兵士は手足の末端の細胞と同じである。切り捨てられることに疑問を抱かず、失われることに悲しみを持たない。唯一の意思のもとに完全統率された社会を形成する彼らの巨大な複眼には、恐怖という感情も、痛みに対する忌避も全く見受けられなかった。全身を硬い外殻に覆われた彼らは、カサカサという無機質な足音を響かせながら、一直線にグラン・ヴァルディア軍へと突進してくる。

 ファルシオンが一切の衰えを見せぬ力強い一閃で大剣を振るい、先頭の蟲人の胴体を真っ二つに両断した。しかし、上半身だけになってもなお、蟲人は苦悶の声すら上げずに這い進み、その鋭い大顎でファルシオンのブーツに噛み付こうとする。自らの命を単なる消費物としか認識していない彼らは、文字通り死の瞬間まで一切の感情を見せずに特攻を繰り返すのだ。


 恐怖も痛みも知らぬ特攻兵の群れは、感情を持つ生物が相対するにはあまりにも異質であり、精神を根こそぎ削り取るような恐るべき難敵として立ちはだかった。人間や魔族であれば、ある程度の損害を出せば必ず士気が崩壊し、後退を始める。しかし、蟲人族にはその論理が全く通用しない。彼らはただ機械のように、自らの命をすり潰しながら前進を続けるだけであった。

 圧倒的な数と無骨なジャンク兵器で暴れ回るゴブリン族のけたたましい喧騒と、一切の感情を持たずに死の特攻を繰り返す蟲人族の不気味な静寂。全く異なるこの二つの異質な特性を持つ第三勢力の猛攻は、グラン・ヴァルディア軍から陣形や戦術といった概念を瞬く間に奪い去っていった。


 ハズラは目を見開き、その地獄絵図をはっきりと観測していた。

 つい先刻まで、人類同盟軍を打ち破ったという確かな勝利の歓喜に包まれていたプレンブルク大平原。豊かな穀倉地帯を手に入れたという誇りと希望は、今や見る影もなく打ち砕かれている。不条理な暴力と、理解の及ばない死の恐怖が入り交じる、底なしの混沌。

 戦場は一転して、誰も予想し得なかった凄惨な阿鼻叫喚の坩堝へと姿を変えてしまったのである。

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