豊穣の大地と三つ巴の戦渦 12
エイデン・マルク辺境騎士領の歴戦の騎士たちがどれほど巧妙な対魔族の戦いを仕掛けてこようとも、ハズラがその意図を事前にすべて看破し、カネルの兵士たちが無尽蔵の体力と恐怖の欠如をもってそれを物理的に弾き返す。左翼の防衛線を死守するという彼らの重い任務は、この二人の完璧な連携によって、絶対の確実性をもって遂行されようとしていた。
乾いた風が吹き抜けるプレンブルク大平原に、土埃と濃密な血の匂いが渦巻いている。ハズラはカネルの斜め後方に立ち、魔眼を閉ざした肉眼のまま、眼前に広がる凄惨な戦場を見渡した。主君である統星から見出され、己の知性と目をもって世界を正しく捉えることを許された観測者として、ハズラは今、一人の人間としての誇りに満ちていた。かつて鎖に繋がれた奴隷であった頃の怯えは微塵もなく、彼の思考はどこまでも明瞭であった。
彼が敵の動きから読み取り、口にする客観的で正確な情報は、狂乱状態にあるコルデアの兵士たちに緻密な戦術をもたらし、無駄な被害を防ぐための絶対的な道標となっていた。左翼の戦線は膠着し、エイデン・マルク軍の猛攻は完全に押し留められている。その盤石の事実を確認したハズラは、短く切り揃えられた黒髪を風に揺らしながら、視線を平原の中央へと向けた。
この壮絶な総力戦において、左翼の防衛はあくまでグラン・ヴァルディア軍が敗北しないための盾に過ぎない。主君である統星の描く、魔界と人間界すべてを統一するという途方もない覇道を切り拓くためには、人類同盟軍が敷いた分厚い本陣を真正面から打ち砕く必要があった。
そして、その圧倒的な暴力と破壊を担う者たちは、すでに大地を激しく揺るがして動き出していたのである。
数万の軍靴と蹄が大地を踏み鳴らす地鳴りが、ハズラの足元から腹の底へと響き渡る。
グラン・ヴァルディア本軍の中央および右軍。彼らは、ゼラン関隘という息詰まるような両側を岩壁に挟まれた死の谷から解放され、ついに本来の力を解き放つべき最高の舞台へと躍り出ていた。遮るもののない広大なプレンブルク大平原は、前方視界が完全に開けている環境において極めて高い戦闘能力を発揮する平原魔族にとって、これ以上ない理想的な戦場であった。
彼らが駆るのは、首から上が存在しない異形の軍馬、デュラハン・ホースである。首がないがゆえに騎乗する者の前方視界を完全に開け放ち、死角のない苛烈な攻撃を可能にすると同時に、無尽蔵の体力と質量兵器のごとき突進力をもって敵陣を粉砕することができる。平原魔族の兵士たちは、その異形の馬の背に跨りながら、抑えきれない闘争の本能を剥き出しにして歓喜の咆哮を上げていた。
大軍を展開することすら許されなかった狭所での鬱憤を晴らすかのように、彼らの突撃はまさに苛烈を極める電撃戦であった。風を切り裂き、土埃を空高く巻き上げながら、黒い津波のような騎兵の群れが、太陽の光を反射して輝く人類同盟軍の銀色の城壁へと殺到していく。
迎え撃つ人類同盟軍の中央には、オーデンベルク王国が誇る数万の騎士たちが隙間なく並んでいた。彼らは後方の宮廷魔術師団から絶え間なく供給される強化魔術の光を浴び、筋肉を異常に隆起させ、皮膚を鋼のように硬化させている。一時的な万能感と高揚感に酔いしれた疑似的な英雄たちが、身の丈ほどもある分厚い大盾を連ねて絶対の防御陣を構築していた。さらにその後方からは、魔術師たちが意識と魔力を深くリンクさせた集団魔術戦法によって、空気を焼き焦がすような超高火力の広域爆撃が次々と放たれていた。
しかし、グラン・ヴァルディアの兵士たちに退く気配は一切ない。彼らは自らの強靭な肉体と、それを率いる強力な将たちの武力を信じて疑わなかったのである。
その苛烈な突撃の最先頭で、人類同盟軍の猛攻を真っ向から受け止めていたのは、アルカイド軍第一部隊長ゼルガノフであった。
漆黒の分厚い重鎧に身を包む彼は、首無し騎士としての異様な威圧感を放ちながら、左脇に自身の兜ごと首を抱えていた。戦場に轟く怒号や悲鳴、魔術の爆発音の中にあって、ゼルガノフはただ一人、不気味なまでの静寂を保っている。彼は言葉を一切発することなく、右手一本で自らの背丈を超えるほどの巨大な大盾と、長柄の戦斧を軽々と構えていた。
空を引き裂いて降り注ぐ炎の槍や氷の礫が、彼の大盾に激突しては鼓膜を破るような轟音とともに爆散する。強化魔術によって常人の何倍もの筋力を得た敵の騎士たちが、狂ったように槍を突き出し、ゼルガノフの鎧に無数の火花を散らす。それでも、彼の重厚な足取りはただの半歩たりとも後退しなかった。彼の存在そのものが、決して崩れることのない動く城塞として機能しているのだ。
右軍と中央がどれほど深く敵陣に攻め込もうとも、側面や背後を突かれることがないのは、ゼルガノフが味方の盾となってすべての圧力を一身に引き受けているからに他ならない。敵の波状攻撃を無言で弾き返した次の瞬間、ゼルガノフの右腕の筋肉が鎧の下で大きく膨れ上がった。
右手一本で振るわれた長柄の戦斧が、風を裂く重低音とともに真横に薙ぎ払われる。
それは、強化された人間たちの防御など全く意味をなさない、圧倒的な質量と膂力による一撃であった。分厚い鋼の大盾ごと、数人の騎士たちの身体が紙屑のように宙へと吹き飛ばされ、陣形に大きな穴がぽっかりと空く。ゼルガノフは自らが作り出したその僅かな隙間を踏み締め、再び黙々と前進を再開する。彼が歩む一歩一歩が、人類同盟軍にとっての避けがたい死の足音となっていた。
ゼルガノフが構築したその絶対的な防壁の横を、疾風のようにすり抜けていく影があった。第三部隊長クレイヴァンである。
細身で洗練された佇まいを持つ彼は、この血湧き肉躍る大平原の乱戦の中にあっても、決して感情の熱狂に流されることはなかった。彼の静かな瞳は、目の前の敵を倒すことだけでなく、戦場全体を俯瞰する高い視座を保ち続けている。数万の人間が緻密に組み上げた陣形であっても、そこに人が介在し、極限の緊張状態にある以上、必ず連携のほころびや死角が生じる。クレイヴァンはその微かな急所を的確に見極め、自らの部隊を滑らかに展開させていった。
彼が両手に握る湾曲した双剣が、太陽の光を反射して冷たい軌跡を描く。
クレイヴァンの戦いは、力任せの破壊ではなく、美しくも残酷な芸術のようであった。強化魔法で膨れ上がり、力任せに大振りの攻撃を仕掛けてくる騎士たちの動きを最小限の動作で見切り、すれ違いざまに鎧の隙間である首筋や脇下を音もなく切り裂いていく。彼が通り過ぎた後には、致命傷を負ったことにも気づかずに崩れ落ちる敵兵の山が築かれていた。
彼の真の恐ろしさは、個の殺傷力だけではない。敵の部隊長や連絡将校といった指揮系統の要をピンポイントで狙い撃ちにし、強固に見えた人類同盟軍の布陣を内側から激しくかき回していくことにある。命令が伝わらず、混乱が波及していく敵陣の中で、クレイヴァンの双剣は致命的な毒のように回り、確実な亀裂を生み出していったのである。
そのクレイヴァンが作り出した陣形の亀裂を見逃すことなく、凄まじい歓喜の咆哮とともにこじ開けたのが、第二部隊長ロイガーであった。
総大将ファルシオンに心酔する彼は、獰猛で好戦的な自らの本能を完全に解放していた。彼の身の丈に迫る巨大な双刃の戦斧が、空気を引きちぎるような轟音を立てて頭上で振り回される。
「ヒャハハハッ! 脆い、脆すぎるぜ人間ども! てめえらの薄っぺらい魔法のメッキごと叩き割ってやるよ!」
ロイガーの筋力が爆発し、双刃の斧が上段から振り下ろされる。強化魔術によって万能感に浸っていたオーデンベルクの騎士たちの盾は、一撃のもとに真っ二つに叩き割られ、肉体は鎧ごと無残に押し潰された。血煙を上げ、返り血で全身を赤く染め上げながら、ロイガーは陣形を完全に食い破る。彼が乗るデュラハン・ホースは、前線の重圧から抜け出すや否や、圧倒的な機動力を活かして敵陣のさらに奥深くへと雪崩れ込んでいった。
彼の爛々とした視線の先には、人類同盟軍の後方で魔術の詠唱を続けている宮廷魔術師団の姿があった。
数千の魔術師たちが意識を共有し、戦場全体を吹き飛ばすほどの広域爆撃の完成を目前に控えていたその時、彼らの視界に、血塗れの戦斧を構えた悪鬼のようなロイガーの姿が飛び込んできた。絶対的な安全地帯であるはずの後方に突如として現れた平原魔族の猛将を前に、魔術師たちの顔に強烈な恐怖とパニックが走る。
彼らは慌てて詠唱を中断し、個別の防御魔術を展開しようと試みたが、平原を駆けるロイガーの速度はそれを許さなかった。
「ちまちました呪文を唱えてる暇はねえぞ!」
ロイガーの横薙ぎの一閃が、豪奢なローブを纏った魔術師たちの柔らかな肉体を次々と宙に舞わせる。意識のリンクを強制的に断ち切られたことで、練り上げられていた巨大な魔力は行き場を失い、制御を失って暴走を始めた。
魔術師団の中心で、不発に終わった儀式魔法が自壊するように爆散する。凄まじい衝撃波が味方の陣地を薙ぎ払い、悲鳴と混乱が後方部隊を包み込んだ。人間の持つ最大の切り札であり、魔族にとって最も厄介な脅威であった超高火力の集団魔術は、ロイガーの物理的な蹂躙によって完全に削ぎ落とされたのである。
前線の防壁が崩れ去り、後方からの魔術支援も断たれた人類同盟軍。統制を失い、浮き足立ち始めたその数万の軍勢の前に、ついに真打ちが躍り出た。
三人の強力な部隊長たちが完璧な連携によって切り開き、血と肉で舗装したその道を、総大将ファルシオンが猛然と駆け抜ける。
しなやかで強靭な褐色の筋肉を躍動させ、無造作に束ねた濃い紫の長髪を風に靡かせながら、純粋なる武人は歓喜の極みに達していた。彼の手には、敵の血をたっぷりと吸い込んだ身の丈ほどもある無骨な大剣が握られている。獲物を狙う猛獣のような金がかった瞳は爛々と輝き、王国の覇道をこの最前線で切り拓くという彼の強烈な意志が、周囲の空気をビリビリと震わせるほどの濃密な殺気となって立ち昇っていた。
「道がねえなら、俺がこの剣でこじ開けてやる! 続け野郎ども!!」
ファルシオンの豪放磊落な咆哮が、大平原の空気を震わせる。
彼が大地を蹴って跳躍し、大剣を上段から振り下ろした瞬間、それはもはや戦術や陣形といった概念を遥かに凌駕する、純粋な物理的破壊の顕現であった。
轟音。大地が深く抉れ、土塊が数十メートルの高さまで噴き上がる。彼の刃の軌道上に存在した人類同盟軍の兵士たちは、魔術による強化など全く意味をなさず、悲鳴を上げる間もなく鎧ごと真っ二つに両断され、あるいは衝撃波によって遥か後方へと吹き飛ばされた。
ファルシオンが一歩を踏み出し、剣を振るうたびに、分厚い人間の壁が紙切れのように引き裂かれていく。小細工の一切通用しない正面からの力押し。それこそが、彼ら平原魔族の持つ最強の武力であり、人類同盟軍がどれほど精緻な対魔族の戦いを練り上げようとも、決して埋めることのできない絶対的な種族の格差であった。
味方が為す術もなく粉砕されていく光景を前に、ついに人類同盟軍の指揮官たちが絶望の声を上げる。
強固な壁を形成していた陣形は完全に崩壊し、兵士たちの心から戦意は消え失せた。彼らは背を向け、算を乱して逃げ惑い始める。ファルシオン率いるグラン・ヴァルディア本軍は、敗走する敵の背中を追って容赦のない追撃をかけ、大平原をどこまでも押し進んでいった。
やがて、プレンブルク大平原に、グラン・ヴァルディア軍の勝利を告げる地鳴りのような雄叫びが轟き渡った。
ハズラは極度の集中による疲労から目を細め、静かに荒れた呼吸を整えていた。彼の目の前に広がっているのは、人間界最大の農業生産力を誇る肥沃な平野と、大河の豊かな恩恵を受ける広大な穀倉地帯である。
彼らはついに、自軍の最大の目的であるプレンブルグ制圧に向けた大きな足がかりを得たのだ。多くの血を流し、極限の士気と論理、そして絶対的な武力をぶつけ合った凄惨な総力戦の果てに掴み取ったこの勝利は、統星の描く世界統一という途方もない夢へと続く、巨大な一歩となるはずであった。
吹き抜ける大平原の風が、勝利の熱狂と血生臭い土埃を運び去っていく。ハズラは確かな充足感とともに、その光景を自らの脳裏に深く刻み込んでいた。




