豊穣の大地と三つ巴の戦渦 11
見渡す限りの広大なプレンブルク大平原。地平線を完全に埋め尽くす人類同盟軍の陣容は、圧倒的な物量と魔術の光に彩られ、まるで大地に根を下ろした巨大な城壁のようにそびえ立っていた。遥か後方で数千の宮廷魔術師たちが練り上げる儀式魔法のけたたましい魔力駆動音が、ビリビリと大気を震わせ、吹き抜ける風にオゾンと焦げた土の匂いを強烈に混ぜ込んでいる。前衛に隙間なく並ぶ数万の騎士たちは、多重展開された強化魔術によって異常なまでの筋力と万能感を与えられ、鋼の兜の奥からギラギラとした狂騒の光を放っていた。太陽の光を反射する彼らの真新しい鎧は、さながら大平原に敷き詰められた白銀の棘のようである。
だが、その途方もない人間の軍勢と超常の魔術の壁を前にしても、グラン・ヴァルディア本軍の中核を成すアルカイドの精鋭たちに、いささかの動揺や怯えは存在しなかった。それどころか、彼らの屈強な肉体は、抑えきれない歓喜の震えに打ち震えていたのである。
軍の最前列。総大将である第三将ファルシオンは、身の丈ほどもある無骨な大剣を無造作に肩に担ぎ、ゴオオと吹き抜ける大平原の風を全身で受け止めていた。ゼラン関隘という、両側を険しい岩肌に挟まれた息詰まるような狭所から解放された彼の肉体は、今やすべての枷を外された猛獣そのものであった。彼のしなやかな褐色の肌は闘争への渇望によって太い血管が脈打っている。大軍を展開することすら許されず、ただ正面からの消耗を強いられた死の谷での鬱憤を晴らすかのように、彼の金がかった瞳は爛々と輝いていた。一切の小細工を必要としない、正面からの純粋な物理的破壊。それを存分に振るうことができるこの広大な舞台こそが、彼の武人としての血を最も熱く滾らせるのだ。
ファルシオンの背後には、この決戦の地でその真価を完全に解放しようとしている三名の強力な部隊長たちが控えている。
第一部隊長ゼルガノフは、漆黒の分厚い重鎧を軋ませながら、ズシンと重々しい足取りで陣形の要所へと歩みを進めた。両側を岩壁に守られていた関隘とは異なり、この遮蔽物のない大平原では、敵軍が左右に展開して側面を突いてくる危険性が常につきまとう。だからこそ、絶対的な盾である彼の存在意義はここにおいてさらに増大していた。言葉を持たない首無し騎士は、左脇に抱えた兜ごと自らの首を僅かに傾け、大平原の風の流れと敵陣の広がりを測る。そして、右手一本で握りしめた巨大な大盾と長柄の戦斧を雄々しく構え直し、自らの立ち位置を微調整した。それは、単に正面からの攻撃を弾き返すだけの盾ではなく、味方の側面をも完全に庇い切る、広角に展開された強固な動く城塞への変化であった。彼がそこに立ちふさがる限り、いかなる魔術の爆撃も、強化された騎士の突撃も、ファルシオンの背後を脅かすことは決してない。
そのゼルガノフの静けさとは対照的に、第二部隊長ロイガーは獰猛な笑い声を上げながら、自身の背丈に迫る巨大な双刃の戦斧を頭上で豪快に振り回していた。ブンッ、ブンッと空気を切り裂く重低音が周囲に響き渡る。もし関隘の狭い通路で戦うことになっていれば、その自慢の戦斧を全力で振り抜くことはできず、本来の破壊力を抑制する鬱屈した戦いを強いられていただろう。しかし、温存を経てたどり着いたこの見渡す限り障害物のない平原では、一切の遠慮は無用である。彼の筋力が生み出す破壊の半径は完全に解き放たれた。ロイガーは、整然と並ぶ人類同盟軍の盾の列をなめ回すように見つめ、どの地点に飛び込んで陣形を食い破り、いかにして敵の隊列を物理的に粉砕するかという血生臭い想像に酔いしれていた。
そして、熱狂に包まれるアルカイド軍の中にあって、第三部隊長クレイヴァンだけは、極めて静謐な思考を保ち続けていた。細身で洗練された佇まいを持つ彼は、湾曲した双剣の柄に静かに手を添え、戦場全体を俯瞰するように視線を巡らせる。彼の鋭利な戦術眼は、数万の人間が構成する巨大な陣形が必ず孕む、微かなほころびを見逃しはしない。クレイヴァンは、魔法で強化された強固に見える布陣の裏に潜む脆弱な結節点を見極め、味方の苛烈な突撃をいかにして最も効果的な急所へと導くか、その道筋を静かに組み立てていた。
これらアルカイドの精鋭たちが担うのは、グラン・ヴァルディア軍の正面から右翼にかけての戦線である。彼らは、前方の視界が完全に開けたこの地勢と、平原魔族としての圧倒的な機動力を最大限に活かし、デュラハン・ホースを駆る騎兵隊と共に、人類同盟軍の分厚い陣形を真っ向からすり潰す準備を完了させていた。
一方、グラン・ヴァルディア本軍が敷いた陣形の左翼。その重要な要衝を任されたのは、亡命将カネル・ルーチェが率いる軍勢であった。
彼らが対峙しているのは、人類同盟軍の右翼に陣を構える、エイデン・マルク辺境騎士領の精鋭部隊である。中央に密集するオーデンベルク王国の騎士たちとは異なり、辺境の騎士たちの鎧に魔法の光は宿っていない。彼らの武具は度重なる激戦の記憶を刻み込むように無数の深い傷跡が走り、どれだけ磨いても落ちることのない黒ずんだ血の染みが染み付いていた。常に魔族との凄惨な戦闘に晒され続けてきた実戦主義の彼らは、魔法による一時的な高揚感などに頼ることはない。彼らの瞳の奥には、魔族に対する深く暗い憎悪と、長年の実戦で培われた研ぎ澄まされた殺意だけが静かに燃えている。中隊規模という数の少なさを補って余りある、対魔族戦闘のエキスパートとしての重烈な威圧感が、大平原の風に乗ってグラン・ヴァルディアの左軍へと押し寄せていた。
その歴戦の殺気に真っ向から晒されながらも、カネルは陣の最後方で、艶やかなピンクブロンドのリングレットを風に揺らし、満面の笑顔を浮かべていた。彼女の軍服を愛らしくアレンジした衣装は、死の気配が漂う大平原においてあまりにも異質であった。
「みんなー! あのおじさんたち、すっごく強そうだけど、絶対にここを通しちゃ駄目だよ! みんなで力を合わせて、怪我しないように頑張ってね!」
カネルの天真爛漫で底抜けに明るい声援が、緊張に包まれた戦場に響き渡る。その無邪気な声が耳に届いた瞬間、最前線に並ぶ氷雪公国コルデア出身の兵士たちに、劇的な身体的変化が訪れた。
極寒の地で暴君に虐げられてきた彼らにとって、カネルは命に代えても守り抜くべき不敗の女神である。彼女の存在と声援は、兵士たちの脳内からエイデン・マルク軍に対する恐怖や、死への忌避感という生存本能を完全に排除した。兵士たちの筋肉が異常なまでに隆起し、血管が肌の表面に浮き上がる。彼らの瞳には、狂気的なまでの忠誠と愛情の火が灯り、人間離れした荒々しい呼気が陣形を覆い尽くした。魔法による強制的な強化ではなく、純粋な感情の極まりが生み出す理不尽なまでの士気と身体能力の向上。彼らはカネルを守るためならば、いかなる猛攻を受けても決して陣形を崩さず、その身が千切れるまで戦い続ける鋼の壁と化したのである。
そして、その感情の暴走とも言える狂気的な軍団の傍らに立ち、彼らの力を極めて客観的な論理によって統制し、戦術的な確実性へと昇華させている者がいた。
一人の人間として、共に覇道を歩む同志として統星に見出された少年、ハズラである。
ハズラは陣の最後方、カネルの斜め後ろに位置取り、吹き抜ける乾いた風に黒髪を揺らしていた。彼は自らの異能である魔眼を固く閉ざしたまま、肉眼のみで真っ直ぐに前方の戦場を見据えている。
魔眼は本来、遮蔽物の向こう側に隠れた対象の波長を透視し、追跡するための力である。見渡す限り障害物のないこの広大な大平原においては、エイデン・マルクの騎士たちの姿も、彼らの陣形の動きも、太陽の光の下で完全に露呈していた。視認できる敵に対して無闇に異能を起動することは、激しい痛みを伴う肉体的な損耗を無為に招くだけでなく、自らの知性を放棄することに他ならない。戦場の真実を見極める観測者として、彼に必要なのは超常の力に頼ることではなく、己の頭脳で盤面を理解することであった。主君である統星は、彼をただの便利な道具としてではなく、確かな論理と広い視野を持つ側近として育て上げてくれた。だからこそハズラは、常に論理的な優位性を保ち続ける自らの思考そのものを、最大の武器としてこの戦場に持ち込んでいた。
大平原を吹き抜ける風が、両軍の間に横たわる最後の静寂を運んでいく。
人類同盟軍の背後で高まり続けていた儀式魔法の魔力が臨界点に達し、空気がひび割れるような甲高い共鳴音が平原に響き渡った。それを合図とするかのように、最前線に並ぶ強化された人間の騎士たちが、一斉に鼓膜を破るような壮絶な雄叫びを上げて突撃を開始した。大地が激しく揺れ、数万の鋼の波がグラン・ヴァルディア軍に向けて押し寄せてくる。
対するグラン・ヴァルディア本軍もまた、待っていたとばかりに獰猛な咆哮を轟かせた。
右軍では、ファルシオンが大剣を天高く掲げ、圧倒的な殺気を放ちながら大地の彼方へと向かって駆け出した。ゼルガノフが重厚な足取りでそれに続き、ロイガーの振るう双刃の斧が空気を切り裂き、クレイヴァンの双剣が冷たい光を反射する。デュラハン・ホースを駆る騎兵隊が砂埃を巻き上げ、人類同盟軍の分厚い陣形を正面から物理的に粉砕すべく、苛烈な電撃戦の幕が切って落とされた。
そして左軍では、エイデン・マルクの騎士たちが放つ冷たい殺意の波に対し、カネルの兵士たちが笑顔のまま狂気的な雄叫びを上げて激突の瞬間を迎え撃つ。
ハズラは極めて理知的な眼差しで、凄惨な激突を開始したエイデン・マルク軍の動きから膨大な情報を収集し始めていた。
馬の蹄が蹴り上げる土埃の上がり方。風に乗ってかすかに届く、彼らの指揮官の号令の響き。前列に並ぶ騎士たちの槍の角度と、その背後で密かに移動を開始した遊撃部隊の影。歴戦のエキスパートたちが緻密に練り上げる動きのすべてを、ハズラは冷徹なまでの観察力で完全に捕捉していく。彼らが醸し出す凄まじい威圧感に飲まれることなく、ただ客観的な事実のみを情報のピースとして脳内で組み立てていく。
敵の先鋒が構える槍の穂先が僅かに下がり、馬の重心が前へと傾いた。しかし、その動きの裏で、右側面に配置された軽装の騎兵たちが不自然なほど静かに横へと広がっていくのを、ハズラの目は見逃さなかった。
(……正面からの突撃は、我々の意識を釘付けにするための陽動。本命は、陣形が薄くなる右側面を突く回り込み)
ハズラは収集した情報から、瞬時に最適な戦術を導き出した。かつて老執事から徹底的に叩き込まれた戦場の共通言語を用い、一切の曖昧さを排した簡潔な言葉で、カネルへと指示を伝達する。
「方向二時。距離、百五十歩。敵の軽騎兵部隊が回り込みを画策しています。正面の突撃は囮です。右側面への防衛を厚くし、迎撃の態勢を」
「わかったよ、ハズラちゃん!」
カネルが満面の笑みで頷き、兵士たちに向かって声を張り上げた。
「みんなー! 右斜め前の方から、こっそり敵さんが来るみたいだよ! 正面に気を取られないで、右側をしっかり守って追い返しちゃってー!」
カネルの愛らしい声が響くと同時、狂気的な士気で満たされていたコルデアの兵士たちが、一切の混乱を見せることなく完璧な連携で陣形を変化させた。右側面への守りが瞬時に固められ、エイデン・マルク軍が意図していた隠密の回り込みは、実行に移される前に完全に封じ込められたのである。
ハズラは小さく息を吐き、再び戦場全体へと鋭い視線を巡らせた。
彼が提供する的確無比な戦術的情報による「目」の補佐と、カネルという存在が引き出す理不尽なまでの士気。一見すれば水と油のように思える極端な論理と狂気は、この大平原の左翼において奇跡的なまでの相乗効果を生み出していた。エイデン・マルクの歴戦の騎士たちがどれほど巧妙な対魔族戦術を仕掛けてこようとも、ハズラがその意図を事前にすべて看破し、カネルの兵士たちが無尽蔵の体力と恐怖の欠如をもってそれを物理的に弾き返す。左翼の防衛線を死守するという彼らの重い任務は、この二人の完璧な連携によって、絶対の確実性をもって遂行されようとしていた。




