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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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星降る王都の特務部隊殲滅戦 07

 王城の最も高い場所に位置する監視塔から、ハズラは限界を迎えた身体を引きずるようにして、司令部へと続く薄暗い石造りの回廊を急いでいた。視神経を焼き焦がすような激痛が頭蓋を内側から抉り、限界を超えて酷使した両目からは、生々しい血の涙が頬を伝い落ちている。彼の無機質で正確無比な座標伝達を頼りに、ジェベと刹那という双璧をなす将たちが、暗闇の中で音もなく暗殺者たちを刈り取っていた。しかし、肉眼の視界が闇に奪われ演算が機能不全に陥った隙を突き、ただ一つの影が、確実に捕捉網をすり抜けてしまったのだ。


 討ち漏らしが発生したという致命的な事実。それを紫苑へと報告し、次なる盤面の指示を仰がなければならない。頭痛で視界が激しく揺れ、己の足が床を正しく踏みしめているのかすら曖昧になるほどの激しい消耗の中、それでもハズラの足取りは止まらなかった。彼が司令部の重厚な木扉を押し開けたとき、室内はすでに張り詰めた絶望の空気に包まれていた。

 紫苑の独自の情報網、あるいはジェベからの緊急通信によって、事態の悪化はすでに本部にも伝達されていたのである。

 執務机の前に立つ紫苑は、夜空を模した薄紫色のローブを僅かに揺らし、アメジスト色の瞳に余裕を崩さぬ思案の光を浮かべていた。窓の外では、星祭のクライマックスに向けた段階的な消灯が、誰の都合を待つこともなく無情に進められている。広場を暖かく照らしていた無数のランタンが、街路を彩る屋台の明かりが、まるで目に見えない巨大な掌に撫で消されるかのように、次々と闇に飲まれていく。

 それは、街のすべての灯りが落とされる「完全な暗闇」の訪れが間近に迫っていることを意味していた。暗殺部隊が広域魔法の同時詠唱を完了させるために設定した、防衛網の目が届かなくなる絶好の空白時間。その決定的なタイムリミットが、目に見える形で刻一刻と削られていく。


 司令部の奥で、両脇を鈴蘭と水仙という二人の将に固められながら待機していたカネル・ルーチェは、ハズラの帰還とその絶望的な状況の報告を聞き、きつく唇を噛み締めた。

 艶やかなピンクブロンドのロングヘアが、彼女の小刻みな震えに合わせて揺れる。軍服を愛らしくアレンジした衣装の袖を、白くなるほどに強く握りしめ、知性と自尊心を宿したルミナスピンクの瞳を痛切な色に染めていた。


 カネルの脳裏に浮かぶのは、今まさに限界を迎えて血涙を流しながら司令部へと戻ってきたハズラの痛々しい姿であり、王都の闇の中で死の刃と対峙しているジェベや刹那であり、そして何より、無防備な王城のバルコニーへと向かおうとしている統星の真っ直ぐな背中だった。

 すべては、自分を狙うコルデアの特務暗殺部隊が引き起こしたことだ。彼らの第一の標的は、祖国の苛烈な掟を破り、不敗の将という立場を捨ててまでグラン・ヴァルディアの軍門に下った「裏切り者」であるこのカネル自身の命。その呪いのような凄まじい執念が、統星をはじめとする新しく出会った優しい仲間たちを、そして何万という罪なき民衆をも、理不尽な広域魔法の爆炎の危機に晒している。


 北方の極寒の貧しい村で育った彼女の根底には、「誰一人として独りぼっちにさせたくない」「悲しいことは半分こ」という、決して揺らぐことのない純粋な信念がある。喜びも痛みも皆で分かち合い、共に生きる。それが彼女の強さの源泉であり、軍という大切な居場所を守るためのすべてだった。

 しかし今、彼女が安全な司令部で強固に守られているこの瞬間にも、仲間たちは彼女のせいで死の恐怖に直面し、暗闇の中で命を削っている。自らの存在そのものが、大好きな仲間たちに理不尽な死と、永遠の別れという最も深い悲しみをもたらそうとしているのだ。

 その事実が、カネルの心を鋭い氷の刃のように切り裂いていく。共に笑い、不器用ながらも一緒に焼き菓子を作り、温かな時間を共有した彼らが、自分のために命を散らしてしまうかもしれない。分け合うはずの悲しみを、彼らだけに背負わせてしまっている。

 その耐え難い無力感と強烈な責任感が、天真爛漫な彼女の心をどす黒い絶望の淵へと引きずり込んでいった。

 私は、これ以上みんなが傷つくのを見ていられない。

 カネルは、周囲に被害が拡大していくのを見過ごすことはできなかった。自分という存在が火種となり、大切な仲間たちが理不尽な死の危機に晒されている現状において、彼女は仲間の命を何よりも優先する決断を下したのだ。

 ピンクブロンドの髪を勢いよく揺らし、カネルは顔を上げた。ルミナスピンクの瞳には、先程までの悲痛な色を押し退け、強固で揺るぎない決意の光が宿っている。


「私が行く」


 静まり返った司令部に、カネルの凛とした声が響いた。


「私が囮になって、広場に出る。コルデアの狙いは私なんだから、私が姿を見せれば、暗殺部隊の注意は私に向くはず。そうすれば、統星様やみんなに被害は及ばない」


 彼女の口から紡がれたのは、自らの命を犠牲にする残酷な提案だった。しかし、その声に迷いは一切なく、ただ仲間を守りたいという純粋な意志だけが響いていた。

 言い放つと同時、カネルは行動に移した。身の安全が保障されたこの本部を自ら捨て、死地である外へと飛び出すべく、彼女は迷いのない足取りで駆け出した。両脇を固めていた双子の将、鈴蘭と水仙が驚きの声を上げる間もない、あまりにも唐突で決死の行動だった。

 鈴蘭がハッとして手を伸ばしたが、カネルの覚悟の速度に一瞬だけ出遅れた。長大な一本槍を携えた水仙もまた、武器を構え直す微かな金属音を響かせたものの、制止の言葉は間に合わなかった。

 だが、本部の重厚な扉へ向かって駆け出そうとしたカネルの華奢な肩を、強い力がガシッと掴み、その歩みを完全に縫い留めた。


「……っ!」


 振り返ったカネルの視界に映ったのは、鉄紺の軍服を纏ったハズラの姿だった。両目から流れた血涙の跡が痛々しく頬にこびりつき、限界を超えた疲労がその青白い顔に深く刻まれている。しかし、カネルの肩を掴む手には確かな力がこもっており、彼女を見据える黒い瞳には、一切の揺らぎも妥協も存在していなかった。


「放して……!」


 カネルは悲痛な声で訴え、ハズラの腕を振り払おうともがいた。


「私が行かなきゃ、みんなが……統星様が死んじゃうかもしれないの! 私のせいで、誰かがいなくなるなんて絶対に嫌! だから、お願いだから行かせて!」


 必死の懇願を叫ぶカネルの言葉を遮るように、ハズラは痛む額を庇うこともせず、極めて客観的で真っ直ぐな視線で彼女のルミナスピンクの瞳を射抜いた。


「行かせるわけにはいきません」


 ハズラの静かな、だが確固たる響きを持った声が、重苦しい室内に落ちる。


「カネルさん。あなたは、グラン・ヴァルディアという国、そして我々の主君である平原魔族の王の考え方を根本的に誤解しています」


 ハズラは一切の感傷を交えず、ただ感情を排した極めて合理的な平原魔族の理を淡々と説き始めた。そこには、カネル個人への情愛や、彼女が特別な存在であるから引き留めるのだといった、属人的な甘い理由は微塵も含まれていなかった。


「この国において、味方を捨て駒として消費するという発想自体が存在しないのです。統星様が国民や我々配下を守り抜くのは、決して感情的な理由からだけではありません。民や将兵とは、国家を構成し、利益を生み出し、王の覇道を推し進めるための、何よりも大切な資源であり財産だからです」


 ハズラの言葉は、過酷な奴隷時代を経て、統星という王の傍らで学び取った世界の真理であった。


「貴重な資源を自ら進んで放棄し、無意味に消耗させるような選択は、極めて非合理的であり、王の意志に真っ向から反する愚行です。あなたの命もまた、グラン・ヴァルディアが保有する重要な資源の一部であり、統星様の保護下にある大切な存在なのです」


 カネルはハズラの言葉に息を呑み、抵抗する力をわずかに弱めた。ハズラの黒い瞳は、決して彼女を突き放しているわけではなく、むしろ深い敬意と強い意志をもって彼女を繋ぎ止めようとしていた。


「……私は、かつて辺境の密売組織で、明日をも知れぬ命を弄ばれるだけの奴隷でした。泥にまみれ、自分の意思すら持つことを許されなかった私を、統星様は見捨てませんでした。私の中にある能力を見出し、一人の人間として、そして統星様の覇道を支える誇りある側近として迎え入れてくださったのです。統星様は、自らの民や仲間を無意味に消耗させるような選択は決してなさいません」


 ハズラの声に、微かな熱がこもる。血涙の跡が残る顔には、主君への絶対的な忠誠と、自分に与えられた観測者という役割に対する誇りが満ち溢れていた。


「白銀の砦での戦いを思い出してください。あなたは、ただ守られるだけの存在ではない。あなたがそこにいるだけで、兵士たちの心にどれほどの勇気と力が湧き上がるか。あなたの笑顔が、この国にどれほどの熱と結束をもたらしているか。……あなたは、この国にとってかけがえのない大切な仲間なのです」


 ハズラはカネルの両肩を真っ直ぐに掴み直し、一言一句を噛み締めるように告げた。


「だから、自らを犠牲にする囮などという考えは、今後一切持たないでください」


 その声には有無を言わせぬ論理の響きと、仲間を想う確かな熱情が入り交じっており、カネルの焦燥に駆られた心を力強く抱き留めた。

 平原魔族の根本的な理、そしてハズラの真っ直ぐな言葉を深く噛み砕くことで、カネルは己の考えの浅はかさを悟った。

 グラン・ヴァルディアにおいて、民や配下は使い捨てる駒などではない。国家を構成し王の覇業を支えるための、大切な存在なのだ。王が民を守護するのは、ただ情に流されているからでも、カネルという個人の存在を特別視しているからだけでもない。すべての民を等しく有用な存在として保全するという、極めて客観的で合理的な大原則がこの国には根付いている。

 自分が犠牲になれば事態が収拾できるという彼女の悲壮な覚悟は、統星の意志からすれば、王の財産を勝手に破棄する越権行為でしかなかった。仲間だから見捨てないというような甘い感傷ではなく、共に生き、共に勝利を掴み取るためにこそ、彼らは命を懸けて戦っているのだ。ハズラが血涙を流してまで敵の座標を伝達し続けたのも、ジェベや刹那が暗闇の中で刃を振るっているのも、そして統星がバルコニーに立ち続けているのも、誰か一人を犠牲にして妥協するためではない。完璧な勝利を手にするためなのだ。

 その事実に思い至ったとき、カネルの胸を締め付けていた暗く冷たい自責の念は、春の雪解けのように消え去っていった。ここで自ら命を絶つことは、美談でも自己犠牲でもなく、彼らの戦いの意義を根底から否定する行為に他ならない。

 彼女はきゅっと唇を結び、顔を上げた。ルミナスピンクの瞳から、ついに堪えきれなくなった涙が大粒の雫となって零れ落ちる。しかしそれは、絶望の涙ではなく、仲間たちの深い絆と強さを信じる温かな涙だった。


「……うん。わかったよ、ハズラちゃん」


 カネルはハズラの両手に自分の手を重ね、泣き笑いのような表情で力強く頷いた。


「私、もう一人でどこかに行こうなんて思わない。みんなが命を懸けて守ってくれているこの場所で、みんなの勝利を信じて待つよ」


 自らの命を差し出すという考えは、完全に彼女の心から拭い去られた。今の彼女が為すべきことは、己という存在を大切に保ち、戦場で死力を尽くしている統星や天狼たちが確かな戦果を挙げて生還するのを、最後まで信じ抜くことだ。

 彼らもまた、自らの命を無駄に散らすような戦い方は決してしない。王の理に従い、必ず勝利を掴み取って帰還するはずだ。

 カネルは小さく息を吸い込み、手の甲で涙を拭った。外の世界では、街の灯りが完全に落とされ、儀式のクライマックスである「完全な暗闇」が王都を包み込もうとしている。底なしの漆黒の中で、いよいよ最後の死闘が始まろうとしていた。

 だが、カネルの心にもう迷いはなかった。極めて客観的で合理的な理の先にある絶対の勝利を、彼女は揺るぎない決意とともに静かに見据え、その時が来るのを本部の中で待ち続ける覚悟を固めたのである。

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