星降る王都の特務部隊殲滅戦 06
ジェベの放つ風を完全に読み切った神技の矢と、幾重にも重なる群衆のわずかな死角を縫うように疾走する刹那の神速の刃。古騎族の猟兵と天性の暗殺者という、性質は異なれど等しく致死の領域に達した双璧の武力による排除は、王都セプテントリオンの喧騒の裏側で極めて順調に進展していた。
広場を取り囲む外縁部の暗がりや、人々が見上げることのない高い時計塔の屋根の上、そして密集する人混みの最も奥深く。そこに息を潜め、極低温の広域魔法を編み上げるべく魔力を高めていたコルデア特務部隊の精鋭たちは、自らに死が迫っていることすら悟らぬまま、次々と刈り取られていった。ジェベの矢は花火の爆音に紛れて放たれ、刹那の長刀は歓声の隙間を滑り抜ける。彼らの洗練された動きは、祭りを楽しむ数万の観光客の目に留まることは一切なく、王都の平和を脅かそうとする毒牙だけを確実に、そして無音のうちに抜き去り続けている。
彼らを導くのは、王城の高い監視塔から広場全体を俯瞰し続けるハズラがもたらす、戦場の共通言語で紡がれた絶対的な座標だった。彼の存在があるからこそ、ジェベと刹那は自らの索敵に一切の意識を割くことなく、ただ標的を抹殺するという行為のみにその絶大な戦闘能力を傾注することができている。彼らの連携は、紫苑が描いた防衛計画の盤上において、いささかの綻びも見せずに完璧に機能しているかに見えた。
しかし、見えない死闘を繰り広げる彼らを嘲笑うかのように、建国神話をなぞる星祭の進行は無情にも次のフェーズへと移行しつつあった。
巨大な山車が広場を練り歩き、伝統的な演舞が最高潮の盛り上がりを見せる中、祭りの進行を司る神官たちの合図によって、段階的な「松明の消灯」が開始されたのだ。
それは、世界から光という概念が少しずつ、しかし確実に削り取られていく儀式であった。広場の四隅を煌々と照らしていた巨大な篝火が、水を打たれてジュッと音を立てて一つ、また一つと落とされていく。大通りの両脇に延々と連なっていた色鮮やかなランタンの輝きが、王都の端から中心に向かって、まるで寄せては返す波が引いていくように次々と消されていく。
光が失われるのに比例して、それまで地鳴りのような熱狂と歓声の渦に包まれていた数万の群衆は、来るべき奇跡の瞬間——最初の魔王が星を落とすという神話の再現——に向けて、少しずつ息を潜め始めた。高揚したざわめきは次第に厳粛な沈黙へと変わり、街全体が深い静寂の底へと沈み込んでいく。
それは、すべての灯りが消え去る「完全な暗闇」の訪れが、もはや秒読みの段階に入ったことを意味していた。
暗殺部隊が広域爆縮魔法の同時詠唱を完了させるために設定した、王都の防衛網の目が完全に届かなくなる絶好の空白時間。その決定的なタイムリミットが、目に見える光の喪失という形で、刻一刻と迫り来ている。街を覆う影が色濃くなり、足元が見えなくなるほどの暗がりが広がるにつれて、音なき迎撃を続ける者たちの間に、じりじりとした焦燥感が這い上がっていく。敵を一人残らず全滅させるのが先か、王都が完全な闇に包まれ、彼らに詠唱の猶予を与えるのが先か。残された時間は指の隙間から細かな砂がこぼれ落ちるように失われ、心臓の鼓動が不必要に大きく聞こえるほどに、状況は極限の逼迫を見せ始めていた。
王城の高台にある監視塔のバルコニー。吹きすさぶ冷たい夜風の中で、ハズラは眼下の広場を俯瞰し続けていた。
肉眼に映る数万の群衆の複雑な動きと、魔眼が捉えるコルデア特務暗殺部隊の特定の波長。この二つの全く異なる情報を同時に処理し、死角を演算し続ける。その行為が始まってから、すでにどれだけの時間が経過しただろうか。ハズラの脳髄には、常人であれば意識を手放しかねないほどの、限界ギリギリの高負荷がかかり続けていた。
ぐうっ、と固く結ばれたハズラの唇の隙間から、堪えきれない苦悶の呻きが漏れた。
魔眼を己の限界を遥かに超えて酷使し続けた反動が、ついに肉体を本格的に蝕み始めたのだ。脳髄を直接焼け火箸で掻き回されるような、鋭く激しい痛みが容赦のない波となって繰り返し襲いかかる。頭蓋を内側から抉り取るような激痛に、立っていることすら困難なほどの強烈なめまいが全身を大きく揺さぶった。胃の腑から込み上げてくる吐き気を無理やり飲み込み、手すりを握る指の関節が白く変色するほど力を込める。
それと同時に、これまで正確無比であった魔眼の視界に、致命的な異変が生じ始めた。
色彩を完全に失い、音のないモノクロームの濃淡だけで構成されていた静寂の世界。精巧なガラス細工のように半透明に透き通っていた石畳や建物の輪郭線が、焦点の合わない粗悪なレンズを通したかのように二重、三重に震え出したのだ。暗殺者たちの胸の奥底で、赤からオレンジ色に燃え盛る標的の「魂の火」の光もまた、不規則に明滅しては周囲の暗がりに酷く滲み、ひび割れた視界のブレとなってハズラの網膜を無惨に掻き乱していく。
内部から発光するかのように赤黒く充血し、異常なまでの強い熱を持っていた眼球が、これ以上の酷使は物理的な崩壊を招くと悲鳴を上げている。ジリジリと焼け付くような熱を帯びた瞳の端から、耐え難い痛みを伴って一滴の赤い雫が零れ落ちた。限界を超えて働き続けた視神経の血管が破綻し、生々しい血涙となってハズラの青白い頬を真っ直ぐに伝い落ちる。
ツーッと頬を滑る生温かい血の感覚。生臭い鉄の匂いが鼻腔を突く。しかし、ハズラは決してその瞳を閉じようとはしなかった。
このまま魔眼を開き続ければ、最悪の場合は失明し、二度と光を見ることができなくなるかもしれない。だが、観測者としての誇りと責任をここで放棄するという選択肢は、ハズラの中には微塵も存在しなかった。
かつて、密売組織の屋敷で鎖に繋がれ、愛玩動物以下の奴隷としてただ死を待つしかなかった自分。泥にまみれ、人間としての尊厳すら剥奪されていたあの底知れぬ絶望の日々から自分を掬い上げてくれたのは、他ならぬ統星だった。名前を与えられ、清潔な衣服を与えられ、何より自分のために働くことを許されるという一人の人間としての確かな居場所を与えてくれた。統星の描く世界統一という壮大な覇道を支える側近として、彼の期待に全身全霊で応えることこそが、ハズラが今ここを生きている唯一の意味なのだ。
ハズラは痙攣するように痛む額を片手で強く押さえ込み、頭痛を堪えるように身を屈めながらも、決して眼下の広場から視線を逸らさなかった。燃え盛る魂の火が酷く滲んで視界がブレようとも、統星への絶対的な忠誠心という強固な楔だけが彼の意識を現実に繋ぎ止めている。どれほど体が悲鳴を上げようとも、決死の覚悟で観測を維持しようと自らの精神を極限まで鞭打っていた。
しかし、祭りの進行がもたらす物理的な環境の変化が、ハズラの完璧な演算を崩し去ろうとしていた。
段階的な消灯により広場の光量が急速に失われていくことで、ハズラの肉眼が捉えるべき物理的な情報――群衆の動きや山車の影――が、濃い闇に溶け込んで不鮮明になっていく。魔眼が捉える暗殺者の「魂の火」は暗闇の中でも変わらず燃え盛っているが、それと重ね合わせるべき現実の地形や人の波が視認できなければ、刹那を安全に導くための「死角」を弾き出すことができない。
広場の松明がさらに数を減らし、群衆の波が深い影に飲まれたその瞬間だった。ハズラの網膜には、特務部隊の最後の生き残りである一人の魂の火が明確に映っていた。しかし、周囲の暗がりによって物理的な遮蔽物の正確な位置が掴めず、刹那を導くための決定的な座標を紡ぎ出すことができなかったのだ。
残る標的はただ一人。特務部隊のリーダー格と思われる暗殺者だ。彼は己の卓越した隠密技術と、次第に濃くなる祭りの暗がりを縫って、群衆の最も深い場所へと身を沈めていた。
ハズラの魔眼には、その男の魂の火が確かに見えている。だが、肉眼の視界が闇に奪われたことで演算が機能不全に陥った。このまま刹那を向かわせれば、闇雲に動く群衆と接触し、パニックを引き起こしてしまう危険性が極めて高い。強固に張り巡らされていたはずの観測と暗殺の連携は、光の喪失という物理的な要因によって、最後の一人を前に無惨にも断ち切られてしまったのだ。
血涙で濡れたハズラの目が、絶望に見開かれた。標的の位置はわかっている。しかし、どうやっても手出しができない。己の肉体の限界ではなく、環境の限界が招いた致命的な機能不全。唇を噛み切りそうなほどに食い縛り、必死に暗闇の中で死角を探すが、光のない状況下で完璧な経路を導き出すことは不可能に近い。
司令部が紫苑を中心に当初描いていた防衛計画は、極めて明確な絶対条件の上に成り立っていた。それは、儀式のクライマックスとして「完全な暗闇」が王都をすっぽりと包み込むその時までに、潜入した暗殺部隊を一人残らず全滅させること。光が完全に失われる前にすべての毒牙を抜き去ることこそが、無関係な民衆を巻き込まずに勝利を収めるための大前提であったのだ。
しかし、現実は無情にもその前提を崩し去った。
すべての脅威を削り切るには、ほんのわずかに時間が足りなかった。リーダー格の暗殺者をただ一人討ち漏らしたという致命的な事実が残されたまま、星祭の進行は誰の都合を待つことも、誰の事情を汲むこともなく、厳格に予定された時刻の訪れを告げる。
広場を暖かく照らしていた無数のランタンが、高く掲げられた巨大な篝火が、そして街路を彩る屋台の素朴な灯りが、儀式の手順に従って次々と落とされていく。まるで世界から色彩と熱という概念そのものが徐々に奪い去られていくかのように、王都の光は着実にその数を減らしていった。
数万の群衆が、これから起こる奇跡への期待に満ちた静寂の吐息を漏らす中、セプテントリオンの豪奢な街並みは、次第により深い暗がりへと沈み込みつつある。
祭りは、その最も神聖であり、そして同時に最も危険な「消灯イベント」のフェーズへと着実に歩みを進めていた。数万の民にとっては建国神話をなぞる奇跡と希望の瞬間であったが、防衛の任に就く者たちにとっては違った。それは、暗闇に乗じた敵に対して最も無防備な姿を晒し、絶望的な詠唱の完了を許してしまうという、完全な漆黒の到来が目前に迫っていることを意味していたのである。見えざる恐怖となって、暗殺者の魔法は王都の喉元に突きつけられていた。




