星降る王都の特務部隊殲滅戦 08
カネルが自暴自棄な自己犠牲を思い留まり、悲壮感に満ちていた司令部の空気が仲間たちの勝利を信じる静かな確信へと変わったその頃。分厚い石壁の向こう側、王都セプテントリオンを包み込んでいた圧倒的な光と音の奔流は、予定された厳格な儀式の手順に従って劇的な変貌を遂げようとしていた。
すでに始まっていた段階的な消灯は、いよいよ最終局面を迎えていた。広場を昼間のように暖かく照らしていた無数のランタンの火が、街路を華やかに彩る屋台の明かりが、そして高く掲げられた巨大な篝火が、まるで目に見えない巨大な掌に撫で消されるかのように、次々と落とされていく。
王都の端から中心に向かって、残された光が急速に引いていく。煌びやかだった石畳の街並みは、建物の影から這い出してきたような濃い闇に次々と呑み込まれ、色彩と熱を急速に奪い去られていく。光が失われるのに比例して、数万という群衆が生み出していた地鳴りのような熱狂と喧騒もまた、潮が引くように静まり返っていった。
誰に命じられるでもなく、人々は口を閉ざした。歓喜の声は息を呑むような静寂に取って代わられ、衣服が擦れるわずかな音と、熱を帯びた白い吐息だけが夜の空気に溶けていく。数万の民衆は、これから訪れる建国神話の奇跡の瞬間を今か今かと待ちわびながら、厳かな沈黙の底へと沈んでいった。
やがて、最後の一灯が風に吹かれたようにフッと息絶えた瞬間、星祭のクライマックスである完全な暗闇の数分間が、王都セプテントリオンを完全に包み込んだ。
それは、視覚という感覚そのものが無意味になるほどの、圧倒的で底なしの漆黒であった。一寸先にある隣人の顔すら判別できず、自分が立っている地面の存在すら不確かに思えるほどの深い闇。街全体が分厚い毛布で覆い尽くされたかのようなその静寂の中で、誰もが身動きひとつできず、ただ天から降り注ぐはずの光を待っていた。
その果てしない闇の底、数万の視線が集まる王城のバルコニーへと、ひとつの影が静かに歩みを進めた。
次期国王たる統星である。
彼が冷たい石の床を踏みしめる靴音は、静まり返った広場にまでは届かない。しかし、彼は深い闇に溶け込みながらも、その身から発せられる強烈な王者の威厳だけで、絶対的な存在としてそこに在ることを人々に知らしめていた。豪奢な軍服の裾が夜風に煽られて低くはためき、彼方を見据える黄金色の瞳だけが、暗闇の中で揺るぎない意志の光を宿している。
統星はバルコニーの縁に歩み寄り、眼下の暗闇に広がる広場と、そこに設けられた火の気のない巨大な篝火を見下ろした。
かつて、分厚い雲と闇に覆われていた絶望の世界に、最初の魔王が天から一条の星を落とし、光をもたらしたという偉大なる建国神話。統星は今、己の掲げる世界統一という覇道を、その神話の魔王の姿に重ね合わせていた。不毛な争いに満ちたこの大陸をすべて統べ、永遠の繁栄という新たな光をもたらすこと。それが彼に課せられた、血の重みであった。
王の務めとは、いかなる時も自らの民を導き、希望の光を灯すことである。どれほど深い闇が世界を覆おうとも、その歩みが止められることは決してない。統星はゆっくりと腕を上げ、闇夜を切り裂く奇跡の証たる青白い炎、星の光を、巨大な篝火へと灯そうと静かに動き出した。
その統星の挙動を、バルコニーの斜め下方に位置する深い暗がりの奥から、じっと見つめている者がいた。
ハズラが観測者としての誇りをかけて張り巡らせた完璧な観測網。魔眼そのものは最後まで彼を捉え続けていたものの、消灯による物理的な暗闇がハズラの座標演算を封じたことで、結果としてジェベと刹那という双璧をなす将たちの執拗な排除の刃から逃れ切った影。氷雪公国コルデアが放った特務暗殺部隊のリーダー格、ザガードである。
ザガードの呼吸は、恐ろしいほどに浅く、静かだった。
極限の飢餓と恐怖によって支配される祖国コルデアの掟において、任務の失敗はすなわち死以上の残酷な結末を意味する。敗北して帰国すれば、氷血公の苛烈な罰によって身の毛もよだつような拷問を受け、家族もろとも惨殺されることは火を見るより明らかであった。だが、今のザガードの心には、迫り来る死への恐怖も、失敗への焦りも一切存在していない。極限環境で鍛え上げられた彼の精神は、そうした人間的な感情をとうの昔に凍結させていた。
彼が保持していた通信用の魔力リンクからは、広場に散開していたはずの同胞たちの反応がすでに悉く消え失せていた。もはや広域魔法の同時発動による広場の焦土化とカネルの抹殺は不可能である。それを悟ったザガードの胸の奥底で燃え盛っているのは、ただ純粋で氷のように冷たい、統星に対する苛烈な殺意だけであった。白銀の砦で味わわされた致命的な敗北、不敗を誇ったカネルの軍団を丸ごと奪われた屈辱。コルデアの誇りを泥に塗った憎きグラン・ヴァルディアの第一王子の命だけでも、己の命と引き換えにここで確実に絶つ。その一念だけが、彼の肉体を動かす唯一の原動力であった。
ザガードは、周囲の漆黒に自らの気配を完全に溶け込ませながら、計画を単独暗殺へと切り替え、最後の一手を打つべく行動を起こした。彼の視線の先にあるのは、ただ一つの絶対的な標的。静寂に包まれた王城のバルコニーに立ち、腕を振り上げようとしている統星の姿である。
完全な暗闇の中で、ザガードの両手に、おぞましいほどの高密度の魔力が収束していく。彼が操るのは、標的のみならずその周囲の広範囲を一瞬にして粉砕し、凍てつく死をもたらす極低温の爆縮魔法であった。
特務暗殺部隊のリーダーである彼は、己の命の限界を超えて魔力を引き出していた。肉体を構成する魔力回路が悲鳴を上げ、血管が内側から凍りつくような激痛が全身を駆け巡る。しかし、彼は一切の躊躇なく、自らの命そのものを使い捨ての燃料とするかのように、その魔法を限界突破の最大火力にまで練り上げていく。
限界まで極小に圧縮された魔力は、周囲の大気中の水分すらも瞬時に凍りつかせるほどの絶対零度の冷気を孕んでいた。ザガードの立つ暗がりの周囲だけが、異常なほどの温度低下を引き起こし、空中の水蒸気が微小な氷の結晶となってチリチリと微かな音を立てて舞い始める。完全な暗闇の中で、その極寒の魔力は死の訪れを告げる微かな白い靄を生み出し、濃密な漆黒を切り裂くように渦を巻き始めた。
己の存在理由のすべて、氷雪の地で生きてきた誇りと怨念のすべてを込めた必殺の一撃。バルコニーに立つ統星の周囲には、逃げ場など存在しない。この魔法が放たれれば、バルコニーの石材もろとも統星の肉体は内部から凍結し、直後に生じる爆縮の威力によって微細な氷の塵となって散るはずだ。
ザガードの凍てついた瞳が、残忍な光を帯びた。
彼は、悠然と立つ統星の命を確実に絶ち切るべく、極限まで高められたその極低温の爆縮魔法を、バルコニーに向けてついに解き放った。
音はなかった。ただ、すべてを凍らせる白い死の奔流が、絶対的な破壊の意志を持ってバルコニーへと殺到する。空気を急激に冷却しながら進む魔法の軌跡は、暗闇の中で一筋の歪んだ氷の道を作り出していた。統星に避ける素振りはない。いや、回避することは不可能な速度と範囲を持った一撃だった。
だが、迫り来る極低温の爆縮魔法に対し、統星の至近距離の影に溶け込むようにして控えていた巨躯が、即座に反応した。
絶対防御の任を帯びた将、天狼である。
彼は微動だにしない主君の盾となるべく、その前に猛然と躍り出た。彼の岩のように逞しく分厚い胸板と丸太のような腕から、己の生命エネルギーである闘気が、まるで夏の陽炎のように激しく立ち昇った。
魔力とは根本的に異なる、血と肉体が沸騰するような強烈な生命力の発露。天狼は、背中に背負っていた身の丈ほどもある分厚い鉄塊のような大剣を引き抜くと、全身から溢れ出る熱い闘気を、その重厚な刃へと惜しみなく注入していく。
黒鉄の大剣が、内側から高熱を帯びたように赤く脈打ち、暗闇にその鈍い光を放つ。天狼の銀色をした狼のたてがみのような髪が闘気の風によって逆立ち、猛獣の如き黄金の瞳が、迫り来る白い死の魔法を真っ直ぐに睨み据えた。
統星と天狼の間に、言葉による確認や指示は一切不要だった。統星は、己に迫る死の気配を微塵も恐れることなく、ただ前に広がる王都の闇を見つめたまま、天狼の背に自らの命のすべてを預けている。
絶対的な信頼。
天狼はその言葉なき信頼に、己の血肉を削ってでも応えるという凄絶な覚悟で大剣を握り直し、無音のまま、しかし野獣の如き凄まじい気迫とともに、天狼は闘気を極限まで纏った大剣を、眼前に迫る極低温の魔法の奔流に向けて猛然と振り下ろした。
小細工は一切ない。いかなる魔術的な干渉も、理屈も存在しない。ただ圧倒的な筋肉の質量と、燃え盛る生命の力が限界まで宿った物理的な暴力の極致。
振り下ろされた大剣が、実体を持たないはずの極低温の爆縮魔法と正面から激突した。
大気を凍らせ、すべてを破砕するはずだった絶対零度の冷気の塊は、天狼の燃え上がる闘気を帯びた分厚い刃によって、物理的に捉えられた。バキィッ、という空間そのものがひび割れるようなすさまじい轟音がバルコニーに響き渡る。
高密度の魔力の塊が、ただの一振りの剣によって強引に叩き斬られ、切断される。極寒の爆縮エネルギーは行き場を失い、断末魔のような悲鳴を上げて砕け散った。
粉砕された魔法は、微細な氷の粒子となってバルコニーの宙に舞い上がった。闘気の熱に当てられ、キラキラと幻のように光を反射しながら、霧散していく。
死を運んできた白い靄は完全に吹き飛ばされ、そこには大剣を振り抜いた姿勢のまま、揺るぎない巨躯を誇示する天狼の姿だけが残されていた。彼の全身から立ち昇る闘気の熱が、周囲の急激な温度低下を瞬く間に正常へと戻していく。
氷雪の地が産み落とした狂気と、命を削って編み上げられた最大の魔法は、主君を護るという純粋な意志の前に完全に打ち砕かれた。
完全な暗闇の中で行われた、わずか数秒の攻防。王都の数万の民が奇跡の光を待ち望むその裏で、グラン・ヴァルディアを脅かした死の影は、天狼の絶対防御によって一瞬にして無に帰したのである。
統星は、魔法が粉砕された轟音や、冷たい氷の粒子がマントを掠める感覚にすら、わずかな動揺も示さなかった。彼は己の護衛が役目を果たしたことを当然の結果として受け入れ、上げ続けていた腕を、さらに高く、誇り高く掲げる。
その手にある奇跡の証が、眼下の巨大な篝火へと放たれる時は、もう目前に迫っていた。




