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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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極寒の白銀要塞籠城戦 06

 眼下で平伏する幾千の兵士たちが発する、自らの将を想う血を吐くような懇願。その悲痛な響きを受け止めながら、統星の脳裏では極めて論理的かつ冷静な思考が次の一手を精密に算段し続けていた。彼らがこの無防備で天真爛漫な少女に抱く、異常なまでの執着と親心。それは、国家間の交渉において、グラン・ヴァルディアに圧倒的な優位をもたらす極めて強力な手札となるはずであった。統星は、猛り狂う吹雪の音を圧するほどの王者の威厳をその声に込め、交渉のテーブルへと着くべく口を開いた。


「貴様らの願いは、しかと聞き届けた」


 その声は低く、しかし戦場の隅々にまで届くほどの力強さを伴っていた。雪に顔を伏せていた兵士たちの肩が、ビクンと小さく跳ねる。


「我が領土を侵した罪は決して軽くはない。だが、自国の土地の割譲、あるいはそれに相応しい莫大な身代金を用意する次第では、彼女を解放してやってもいい」


 統星が提示した条件は、敗軍に対する要求としては極めて現実的であり、むしろ寛大とすら言えるものであった。領土か財を差し出せば、彼らの最愛の将は無事に祖国へと帰還できる。彼らに確かな希望の道筋を示す、真っ当な取引であるはずだった。

 だが、その言葉を聞いた兵士たちの反応は、統星の精緻な予測を根本から裏切るものであった。

 安堵の吐息が漏れることはなく、歓喜の涙がこぼれることもなかった。むしろ彼らは、張り詰めていた命の糸が突然切断されたかのように激しく動揺し、絶望に顔を歪ませて力強く首を横に振り始めたのである。


「それでは……それでは駄目なのです!」


 凍てつく空気をビリビリと震わせたのは、兵士の代表が喉の奥から絞り出した、血を吐くような悲痛な叫びだった。

 彼は雪と泥に塗れた顔を上げ、統星をすがるように見上げた。その両目からは大粒の涙がとめどなく溢れ出し、厳しい寒気によって瞬時に凍りついていく。彼は震える声で、氷雪公国の奥深くに潜む、恐るべき真実を告白し始めた。


「我々の国王は……ただ戦果のみを求める、情け容赦のない暴君なのです!」


 その叫びには、死をも恐れず狂気的な突撃を繰り返していた彼らでさえ決して抗うことのできない、深淵を覗き込むような絶対的な恐怖が入り混じっていた。


「国王陛下は、カネル様を『不敗の女神』として祀り上げ、自らの軍事プロパガンダのための偶像として利用しているに過ぎません。……もし、我々が今回の戦に敗北し、土地や身代金を奪われた挙句に彼女を伴って国へ帰還するようなことがあれば……カネル様は敗戦の責任をすべて負わされ、確実に処刑されるか、死ぬよりも惨たらしい責め苦を受けることになるでしょう!」


 その絶望的な告白を聞き、統星の明晰な頭脳の中で、これまで敵軍の動きに対して抱いていたすべての違和感がひとつの明確な答えとして繋がっていった。

 彼らが自らの命を羽毛よりも軽く扱い、城壁から突き落とされ、無数の矢に貫かれながらも決して歩みを止めようとしなかった真の理由。それは、敵の刃によって殺されることへの恐怖でもなければ、祖国を愛するがゆえの盲目的な忠誠心でもなかった。

 己の過酷な運命を悟りながらも戦場の後方で微笑む、無邪気で天真爛漫なこの少女。彼女が自国の暴君の手によって惨たらしく処刑される未来を何としても防ぎたいという、純粋で狂気的な愛情に他ならなかった。


 つまり、カネルが無事にこの世を生きながらえるためには、彼らはこの過酷な戦場でただひたすらに勝ち続けるしか、道が残されていなかったのである。敗北は彼女の死を意味し、停滞すらも許されない。だからこそ、損害を度外視してでも城壁を越えようと狂乱の突撃を繰り返していたのだ。

 雪にひれ伏した敵兵から血を吐くような悲痛な真実を告げられ、白銀の砦には重苦しい沈黙が降りていた。吹き荒れる雪風が、兵士たちのすすり泣きを掻き消していく。


 敗北して国へ帰れば、カネルには処刑か残酷な拷問しか待っていない。彼女を救うには、勝利を持ち帰るしかない。

 兵士たちがなぜあれほどまでに死を恐れず、人知を超えた狂気で突撃を繰り返してきたのか。その哀しくも残酷な事情を、統星は完全に理解した。彼らの少女への想いは本物であり、その境遇には確かに胸を打つものがある。


 だが、彼らの境遇にどれほど同情の余地があろうとも、統星とてこの白銀の砦を明け渡すわけにはいかなかった。これは、多くの血と汗を流し、多大な犠牲を払ってようやく手に入れた要衝である。魔界と人間界すべてを統べるという自らの覇道において、隣国コルデアとの果てしない戦いを制するためのこの要衝は、絶対に失ってはならない強固な楔なのだ。

 城壁を明け渡し、彼らに勝利を与えることはできない。かといって、身代金と引き換えにカネルを解放して帰国させれば、彼女は暴君の手によって惨殺される。彼らにとっての破滅は免れない。

 両者の要求は完全に相反しており、どのような条件を提示しても妥協点はどこにも見当たらなかった。統星の頭脳をもってしても、この盤面を丸く収める盤石の解答は導き出せない。吹き荒れる雪風の音だけが、交渉が決裂へと向かう凍てついた空気を撫でていく。


 誰もが解決策を見出せず、重い絶望が戦場を包み込もうとしたその時だった。


「ならば、帰らなければ良いのでは?」


 張り詰めた冷気を切り裂くように、静かで淀みのない声が響いた。

 統星の傍らに控えていた、黒髪の少年ハズラである。彼の光のない黒い瞳は、眼下で絶望に暮れる兵士たちを落ち着いた眼差しで見据えていた。

 かつて泥にまみれた奴隷であった彼は、統星によって見出され、己の価値を認められたことで一人の人間としての尊厳を取り戻した。彼は戦局の裏側に隠された真理を読み解き、主君の歩むべき道筋を共に探る、不可欠な観測者であった。感情論に流されることなく、盤面全体を鳥瞰する彼にとっては、今口にした言葉こそが、この袋小路を打ち破るための純粋な論理の帰結であった。


「グラン・ヴァルディアへ、亡命するのです」


 その言葉が吹雪の空に落ちた瞬間、時が止まったかのように周囲の空気が静まり返った。

 国を捨て、敵国へ下る。軍人としての常識に照らし合わせれば、あまりにも飛躍した考えであった。しかし、統星の黄金色の瞳は瞬時に鋭い光を放った。

 彼の脳内で、ハズラの提案がもたらす莫大な利得が高速で計算されていく。無傷の砦を確保したまま、不敗と恐れられた強力な軍団と、兵士たちから絶対的な忠誠を集める特異な指揮官を、丸ごと手に入れることができる。国境の憂いを絶つどころか、自軍の戦力を大幅に増強する最高の一手ではないか。


 統星の口元に、覇者としての獰猛で歓喜に満ちた笑みが浮かび上がった。傍らに立つハズラを一瞥し、その慧眼に対する深い信頼を視線で伝える。


「名案だ」


 統星は大きく息を吸い込み、吹雪を圧するような、威厳と力強さに満ちた声で眼下の兵士たちへと宣言した。


「カネル、そして彼女を慕う兵士たちよ。お前たちの忠義と愛、しかと見届けた。ならば、俺がお前たち全員を受け入れよう。我がグラン・ヴァルディアなら、戦に負けたというだけで命を奪うような愚行は犯さない。俺の国で、その命を繋ぐがいい」


 それは、絶望の淵に立たされていた者たちへ差し伸べられた、絶対的な庇護の約束であった。冷たい吹雪が吹きすさぶ白銀の戦場に、新たな王の言葉が深く、そして力強く響き渡った。

 グラン・ヴァルディアへの亡命という破格の提案が冷たい空気に溶けていく中、巌鉄の太い腕に捕らわれている敵将カネル・ルーチェは、その言葉の意味を測りかねるようにパチパチと瞬きを繰り返した。やがて、彼女は困り果てたように八の字に眉を下げ、小さな声で呟いた。


「でも……国を裏切るなんて、私にはできないよ」


 透き通るような声で紡がれたその言葉は、氷雪の過酷な国で生まれ育った彼女なりの葛藤の表れであった。自身を政治的なプロパガンダの道具としてしか見ていない苛烈な祖国であっても、彼女の無邪気な心には純粋な帰属意識が根付いていたのだ。彼女にとって、生まれ育った祖国に背を向けるという行為は、自身の真っ直ぐな信条に反するあまりにも重い選択だった。


 しかし、その小さな呟きが雪に吸い込まれるよりも早く、眼下で雪にひれ伏していたコルデアの兵士たちの間に、凄まじい動揺の嵐が吹き荒れた。

 カネルが亡命を拒み、祖国へ帰還して無惨に処刑されるという絶望的な未来。それが彼らの脳裏に鮮明に突きつけられた瞬間であった。

 チャキッ、と無数の金属音が重なり合い、凍てつく空気を鋭く切り裂いた。

 兵士たちは、先ほど自ら雪の上に投げ捨てたはずの剣を、弾かれたように拾い上げた。そして、その冷たい刃を一切の躊躇いなく、一斉に自らの首元へと押し当てたのである。


「カネル様が亡命を受け入れないとおっしゃるのならば、我々はここで全員、自害いたします!」


 数千の兵が、一糸乱れぬ動きで自らの命を絶とうとする異様な光景。その狂気すら帯びた光景を前に、カネルは信じられないものを見るように目を丸く見開いた。


「えっ!?」


 驚愕に息を呑むカネルを見上げ、首の皮膚に鋭い刃を食い込ませた兵士たちは、頬を伝う熱い涙を次々と凍らせながら、血を吐くような声で悲痛に訴えかけた。


「あなたが……心優しきあなたが、暴君の手に掛かって処刑される未来を見るくらいなら、我々は今、ここで死にます! どうか、我々の命を助けると思って、生きてください!」


 自らの命を人質にしてでも少女を守ろうとするその叫びは、祖国への忠誠などとうに捨て去り、ただただ愛する者を繋ぎ止めようとする、悲壮なまでの覚悟の結晶であった。自分たちが死ねば、心優しいカネルは必ず折れる。彼女の性格を誰よりも熟知しているからこその、残酷で純粋な脅迫劇だった。


 自らの首に鋭い刃を押し当て、今にもその命を散らそうとしている数千の兵士たち。その光景を前にして、カネルは言葉を失っていた。

 彼らの瞳に宿る決意は紛れもない本物であった。自分がここで首を横に振れば、彼らは一斉に刃を引き、白い雪原を自らの血で赤く染め上げるだろう。氷雪の国への忠誠と、自らの命を投げ打ってでも自分を生かそうとする彼らの狂気じみた、しかし痛いほどに純粋な愛情。

 その重すぎる想いに完全に圧倒され、カネルの胸の内で張り詰めていた糸は、ついに決壊した。

 大粒の涙が、彼女のルミナスピンクの瞳からぼろぼろとこぼれ落ち、冷たい雪の上へと次々に吸い込まれていく。彼女は泣き顔を隠すこともせず、幼子のようにしゃくり上げながら、必死に言葉を紡いだ。


「わかった……うん……みんなが死ぬのは嫌だ。私、そっちに行く……っ」


 それは、己の矜持や過酷な故郷の掟よりも、自分を慕う彼らの命が失われない道を何よりも優先した、彼女なりの確かな決意であった。

 カネルが涙ながらに深く頷き、統星の示した亡命の誘いを受け入れる意志を明らかにしたその瞬間、張り詰めていた戦場の空気が一気に弛緩した。

 首に当てられていた無数の刃が静かに雪の上へと下ろされ、兵士たちは安堵の嗚咽を漏らしながら、再び深く頭を垂れた。冷たい白銀の戦場に響き渡る彼女の悲痛な泣き声とともに下されたこの決断により、不敗と恐れられたカネル軍の全員が、統星の配下としてグラン・ヴァルディアに降ることが正式に決定したのである。


 白銀の砦を包み込んでいた猛烈な吹雪は、激戦の終わりを告げるかのように静かにその勢いを弱めていた。結果として、統星は圧倒的な劣勢を跳ね返し、将来の覇道に不可欠な白銀の砦を守り抜いただけでなく、不敗と恐れられた強力な軍団を丸ごと自らの手中に収めるという巨大な戦果を上げることに成功した。

 雪に覆われた城内で、統星は防衛戦を戦い抜いた若き将、巌鉄の前に立った。常人の倍近い体躯を包む超重装フルプレートアーマーは、無数の打撃を受けてひしゃげ、装甲のあちこちが剥がれ落ちていた。その巨体は深い疲労に包まれていたが、黒曜石のような瞳には、限界まで砦を守り抜いた将としての確かな誇りが宿っていた。統星は、過酷な消耗戦を耐え抜いた忠臣に向かって、静かに、そして力強く命を下した。


「よく持ちこたえた。春の雪解けまで、この砦の修復と防衛を引き続きお前に頼む」


 その言葉に、巌鉄は深く首を垂れて応じた。彼の重厚な存在感が、これからもこの白銀の要衝を外敵から守り抜くであろうことを、統星は確信していた。

 すべての戦後処理と手配を終えた統星は、ハズラを伴い、新たに配下となったカネルと、彼女の身を案じて付き従う親衛隊たちを連れて、王都セプテントリオンへの帰路に就いた。

 過酷な冬の戦場を背にする統星の足取りは、次なる覇道を見据えるように意気揚々としていた。ハズラもまた、己の目が切り拓いた新たな未来の形を噛み締めながら、主君の斜め後ろを静かに歩み続ける。凍てつく雪道を踏みしめる彼らの背中には、過酷な冬を越えて春を待つ、確かな勝利の余韻が満ちていた。

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