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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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怠惰なる天才との遭遇 04

 薄暗い隠れ酒場の前から、人目を避けるようにして巨大な古代樹の太い枝の陰へと移動すると、周囲の空気は一層ひんやりと冷たさを増した。幾重にも重なり合う上層の分厚い葉の天蓋に完全に遮られ、この下層エリアには温かな木漏れ日すら届かない。白昼であっても常に夕暮れのような薄暗さが支配しており、足元に敷き詰められた苔の絨毯からは、長い年月をかけて堆積した腐葉土の青臭い湿気が澱むように立ち昇っていた。

 先ほどの騒々しい喧騒から逃れたルルティアは、見上げるほどに太い大樹の皮に気怠げに背中を預けると、ふぅと長く重い息を吐き出した。


「はぁー……息が詰まるっすね。せっかくいい気分だったのに、マジで最悪」


 ハズラは数歩離れた位置に立ち、静かな呼吸を保ちながら、目の前で姿勢を崩す少女を客観的な視線で観察し続けていた。特定の陣営に縛られず、純粋な魔術の技量が世界最高峰に達していると目される六人の魔術師、『魔導六杖』。その最年少という伝説的な存在が、絶望的なまでに怠惰なこの不良娘だという事実は、事前に紫苑から与えられていた情報のどの断片とも結びつかない、あまりにもかけ離れた姿だった。


 しかし、彼女が発する気配の奥底には、魔力を感知できないハズラでさえ本能的な畏怖を覚えるような、底知れぬ圧倒的な存在感が確かに横たわっている。だらしなく立つ彼女の周囲だけ、空間そのものが異質な重みを帯びているように感じられた。

 紫苑から託された密命は、彼女の魔術の実力を正確に測ることではなく、ただ存在を確認し、噂の真偽を調べることである。ハズラは統星に仕える側近として、この異端の少女の言葉や振る舞いの一つ一つを、決して取り零すまいと己の脳裏に刻み込んでいた。


 世の中のすべてを斜めに見るような翠緑色の半眼が、ハズラの姿を頭からつま先まで、値踏みするようにねっとりと舐め回した。


「ていうか、あんた。魔族の国の、グラン・ヴァルディアだっけ? そこの国賓として招かれてる連中のひとりっすよね。歓迎の式典だか宴だかがどうとかで、上層の連中は朝から大騒ぎだったし」


 ルルティアはキセルの吸い口を指先で弄りながら、ニヤリと面白がるように口角を上げた。


「そんなお偉いさんが、なんでこんな下層のドブみたいな隠れ酒場なんかを一人でうろついてるんすか。もしかして、あんたも息苦しい接待から逃げてきた口? サボり仲間ってやつ?」


 ハズラは、目の前で酔いに任せて笑う少女を見つめながら、表情を一切崩さなかった。彼女の推測は半分当たっており、半分は完全に間違っている。ハズラは中枢部での情報収集に行き詰まったため、視点を変える目的で下層を散策していたに過ぎない。決して酒を飲むためや、職務を放棄するためにこの薄暗い枝道を歩いていたわけではないのだ。

 だが、ここで自らの素性や真の目的を語り、彼女の都合の良い勘違いをわざわざ訂正する義理も必要もなかった。ハズラは、ただ相手の反応を引き出すためだけの、短く温度のない言葉を返す。


「……だとしたら、どうする」


 その返答を聞いたルルティアは、一瞬だけ翠緑の目を丸くした後、ケラケラと愉快そうに肩を揺らして笑い声を上げた。


「いや、最高っすね。国賓の随伴が勝手に抜け出して下層をフラフラできるなんて、魔族の国ってのはずいぶん自由なんだなーって思って。……うちの国とは大違いっすよ、マジで」


 ルルティアの瞳から、ふっと笑いのかたちが消え失せた。代わりに浮かび上がったのは、日々の生活に対する深い嫌悪と、鬱屈した憂鬱の色だった。彼女は自身のくすんだ金髪を乱暴に掻き回すと、忌々しそうに吐き捨てる。


「だいたい、エルフは大人の連中が口うるさすぎるんすよ。ちょっと酒を飲んでただけで、さっきみたいに衛兵が飛んでくるし。息が詰まるっていうか、マジで窮屈すぎてやってらんないっす」


 彼女は銀色の酒瓶を傾け、残っていた強い酒を煽ると、手の甲で口元を拭った。その仕草には、品格や伝統を重んじるエルフという種族の誇りなど微塵も感じられない。


「あたし、あと数年したら一族の義務で『放浪の旅』に出なきゃなんないんすけどね。未成年のうちに外の世界を見てこいっていう、昔からの古臭い習わしっすよ」


 ルルティアはキセルの雁首を太い樹皮にトントンと軽く叩きつけ、灰を落としながら愚痴をこぼし続ける。


「でも、その前にやらされてることがあるんす。この森全体を覆ってる、あの馬鹿みたいに巨大な古代魔法の結界。あれの維持と微調整とかいう、超絶面倒くさい役目を国から押し付けられててさ」


 その言葉を聞いた瞬間、ハズラの心臓が微かに跳ねた。森全体を覆い尽くし、数千年にわたって外敵の侵入を一切許さなかった強固な古代魔法の結界。それを維持し、微調整を加えるという作業は、並大抵の魔術師にできることではないはずだ。膨大な魔力量はもちろんのこと、針の穴を通すような極めて緻密で繊細な魔力操作の技術が要求される、国家規模の防衛システムの中枢である。

 それを、目の前で酒臭い息を吐いている未成年の少女が担っているというのか。ハズラは、彼女が放つただならぬ気配の正体を完全に理解した。彼女の魔術に対する天性の才能は、間違いなく本物だ。大人のエルフたちでさえ手を出せないような神聖で複雑な魔法の領域を、彼女は日常の面倒な雑用程度にしか感じていないのである。紫苑の情報は正しかった。この怠惰な少女こそが、正真正銘の伝説の魔術師なのだ。


「顔を合わせるたびに長老どもから、お前は才能があるんだからもっと自覚を持てだの、森の平和はお前のおかげだのって、ネチネチ小言を言われて。あたしはただ、静かな場所で旨い酒を飲んで、適当に遊んでたいだけなんすよ。だからこうやって、白昼堂々大人の目を盗んで、隠れ酒場に逃げ込んでやってるってわけ」


 ハズラは相槌を打つこともなく、ただ静かに彼女の不満の言葉に耳を傾け続けた。彼自身の境遇を思えば、彼女の不満はあまりにも贅沢なものだった。ハズラは物心ついた頃から奴隷として冷たい石床に鎖で繋がれ、自由はおろか、一人の人間として言葉を発することすら許されなかった。それに比べれば、才能を認められ、国の重要拠点に身を置きながらもサボる自由がある彼女の環境は、恵まれているとさえ言える。

 だが、ハズラは自らの感情を表面に出すことはなかった。彼の現在の立場は、主君である統星の目を代行する観測者である。ここで自発的に同情を示したり、逆に反論して気まぐれな天才の機嫌を損ねたりすることは、他国の地で無用な波風を立てる行為に他ならない。彼はただ、目の前で展開される事実を、一つ残らず拾い上げることに徹していた。


「ま、あと数年していよいよ旅に出なきゃなんなくなったら……」


 ひとしきり愚痴をこぼして少しだけ溜飲を下げたのか、ルルティアは再びハズラへと視線を向けた。その翠緑の瞳には、どこか遠い世界を想像するような、退廃的でありながらも自由を強く渇望する色が浮かんでいた。


「こういう面倒な縛りがない、あんたの国みたいな所を適当に探すっすよ。堅苦しい掟も長老の小言もない場所ならどこでもいいっす。……グラン・ヴァルディアは、案外あたしに合ってるかもしれないっすね」


 それは、閉鎖的な森の規律に雁字搦めにされている彼女の、偽らざる本音であった。

 ハズラは、その一見すると何気ない愚痴のように聞こえる言葉の裏に潜む、途方もない重みを正確に理解していた。世界最高峰の魔術の技量を持つ『魔導六杖』の一人が、いずれ必ずこの不可侵の森を旅立ち、外の世界へとその足を踏み出す。そして彼女は今、統星の治めるグラン・ヴァルディア王国に対して明確な興味と好意の欠片を示したのだ。


 馬車の中で、古騎族の将であるジェベが広げて見せたあの大陸の地図が、ハズラの脳裏に鮮明にフラッシュバックした。

 国家間の力学とは、常に変わりゆくものだ。もし、この規格外の天才魔術師が、将来的に統星の掲げる「魔界と人間界すべての統一」という巨大な覇業の盤面に、自軍の強大な駒として加わることになったらどうなるか。あるいは、敵対する人間の国や他の異種族の陣営に与することになったらどうなるか。一個人の気まぐれな行動が、国家間のパワーバランスを根底から覆し、巨大な戦略図を瞬時に塗り替えてしまう可能性を秘めている。

 武力と武力が衝突する血生臭い戦場だけが戦いではない。こうして言葉を交わし、相手の思考の向きを知り、来るべき未来の布石を打つための情報を得る。これこそが、ジェベから見せつけられ、統星から学べと命じられた、広い視野を持つということなのだ。


 彼女がいずれこの閉鎖的な森を旅立ち、自由な居場所を求めるという確かな事実。そして、その矛先が自国へ向くかもしれないという圧倒的に有益な兆し。

 ハズラは、自身の胸の奥深くで静かに燃える忠誠心を確かめるように、小さく息を吸い込んだ。主君の覇道を支える側近として、この薄暗い枝の陰で得た情報は、いかなる財宝よりも価値がある。ハズラは目の前で煙を吐き出す天才魔術師の姿と彼女の言葉を、決定的な情報として自らの記憶に深く刻み込んだ。


 ◇


 車輪が乾いた土を深く噛む小気味良い振動が、長く過酷だった外交の旅の終わりを告げていた。

 人跡未踏の深い原生林の奥底に位置するエルフの選民国家、ユグドラフ。あの太陽の光さえも拒絶するような鬱蒼とした枝葉の天蓋と、数千年の時が育んだ分厚い苔の絨毯が放つ重苦しい湿気から解放され、一行はついにグラン・ヴァルディア王国へと帰還を果たした。


 王都セプテントリオンの中枢にそびえ立つ、巨大で堅牢なグラン・ヴァルディア王城。城門をくぐり、活気に満ちた強靭な魔族の兵士たちとすれ違いながらも、ハズラは休息をとることなく自らの足で城の奥深くへと向かった。

 主君である統星の側近として、果たすべき責務がまだ残されている。出立の直前、あの薄暗い執務室で託された密命の顛末を、報告しなければならなかった。

 重厚な木製の扉の前に立ち、小さく深呼吸をしてからノックの音を響かせる。入室を促す澄んだ声に応じ、ハズラは静かに扉を押し開いた。


 磨き上げられた窓ガラスから差し込む午後の柔らかな光が、整然と書類が積まれた机に向かう少女の姿を神秘的に照らし出していた。王子の内政官であり、表向きは宮廷占い師を務める紫苑と、その傍らで身の丈ほどある羊皮紙の束を抱え、彼女の影に隠れるようにして一心不乱に計算を続ける書記官のくるみである。

 彼女の腰まで届く艶やかな薄紫色の髪が、振り返る動作に合わせてさらりと揺れた。全てを見透かすようなアメジストの瞳が、ハズラの姿を捉えて細められる。


「お帰りなさい、ハズラくん。長旅ご苦労様だったわね」


 紫苑は手にしていた羽根ペンを置き、労いの言葉とともに柔らかく微笑んだ。その声音には、膨大な内政を処理する多忙さを微塵も感じさせない、常に余裕のある落ち着きが満ちている。


「ただいま戻りました、紫苑様。……出立前に託された、裏の任務の件でご報告があります」


 ハズラが姿勢を正して切り出すと、紫苑は静かに頷き、その知的な瞳に深い興味の色を浮かべた。


「聞かせてもらえるかしら?」

「はい。紫苑様の不確定な情報にあった、世界最年少の『魔導六杖』ルルティアの存在を、確かに確認しました」


 ハズラが真っ直ぐに見つめ返して告げると、紫苑の口元に微かな笑みがこぼれた。

 数千年にわたって外界との接触を絶ってきたエルフの国に関する、自身の情報網がもたらした不確かな噂。それが確固たる真実であったと証明された瞬間だった。特定の陣営に縛られず、純粋な魔術の技量が世界最高峰に達していると目される六人の魔術師。その一角を担う存在が、確かにあの閉ざされた森の奥底に実在していたのだ。


「やはり、実在していたのね。……それで? その伝説の魔術師は、一体どのような人物だったのかしら」


 紫苑の問いかけに対し、ハズラの脳裏には、薄暗い下層の枝道での光景が鮮明に蘇った。

 樹洞を利用した隠れ酒場の前で、衛兵に囲まれて文句を垂れていた少女。伝統的で厳格なエルフの魔導衣を無造作に着崩し、手入れを怠ったくすんだ金髪を乱していた姿。彼女の周囲に漂っていた、強い酒とタバコのむせ返るような匂い。世の中のすべてを斜めに見るような翠緑色の半眼。

 魔導六杖という畏怖される称号からは到底結びつかない、退廃的で気怠い空気を纏った少女の姿を思い返し、ハズラは僅かに言葉を選びながら口を開いた。


「人柄については……ただの怠惰な不良娘です。白昼から泥酔し、衛兵とトラブルを起こすような生活を送っていました」


 ハズラが偽りない事実を率直に述べると、紫苑は少しだけ驚いたように瞬きをした後、くすくすと上品に肩を揺らして笑った。


「ふふ、それは予想外ね。でも、あの規律と静寂を重んじるエルフの国で、それほどの実力を持ちながらそのような振る舞いが許されているのなら、やはり規格外の存在なのでしょう」


 紫苑は納得したように頷いた。彼女の言う通り、あの異端な振る舞いが罰せられることなく放置されている事実そのものが、ルルティアが森の結界維持において不可欠なほどの圧倒的な力を持っている証左であった。

 しかし、ハズラの報告はそれだけでは終わらなかった。あの枝の陰で、ルルティアが吐き捨てるようにこぼした愚痴。それこそが、この任務における最も価値のある情報だと確信していたからだ。


「一つ重要な報告があります。彼女はあと数年もすれば、エルフの習わしで外の世界へ旅立つことになるようです」


 エルフ族の義務である放浪の旅によって、いずれ彼女が森を出るという事実を伝えた瞬間、紫苑の表情から微かに遊びの色が消え去った。

 アメジストの瞳に、研ぎ澄まされた極めて鋭利な知性の光が宿る。それは宮廷占い師としての神秘的な顔ではなく、国全体という巨大な盤面を操作し、最善の一手を見出し続ける並外れた内政官としての貌だった。

 『魔導六杖』という世界最高峰の魔術の才を持つ少女が、遠からずあの閉鎖的な森を出て、外界という広大な盤面へと姿を現す。その事実は、いずれグラン・ヴァルディアが世界統一の覇道を進む上で、決して無視することのできない強大な不確定要素となる。敵に回れば恐るべき脅威となり、味方に引き入れればこれ以上ないほどの戦力となる劇薬だ。


 少しの沈黙の後、紫苑は再び口元を緩め、今度は明確に満足げな笑みを浮かべた。


「そう……。いずれ森を出て、外の世界へ向かうのね」


 彼女の頭の中では、すでに数年先の未来という見えない領域までもが計算に組み込まれ、新たな戦略の糸が鮮やかに紡がれ始めているようだった。統星が剣を振るい切り開く道筋を、彼女が内政と情報の操作によって強固に舗装していく。その完璧な連携の片鱗を目の当たりにし、ハズラは静かな畏敬の念を抱いた。


「良い報告だったわ、ハズラくん。貴方の働きに感謝するわ」


 紫苑は優しく労うように微笑むと、再び手元の書類へと視線を戻した。

 ハズラは深く一礼し、自らがもたらした情報がこの国の未来を動かす確かな一片となったことを感じながら、重厚な執務室を後にした。扉を閉めると、石造りの廊下に自身の足音が静かに響く。ジェベから学んだ広大な視野と、紫苑が見据える遥か先の未来。己が真の意味で統星の側近となるために越えるべき壁はまだ高いが、その歩みは決して止まらないと、ハズラは決意を新たに前を見据えた。

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