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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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霧の谷の要塞攻略戦 11

 グラン・ヴァルディア王国の心臓部たる王城、その最奥に位置する「謁見の間」。

 数百年の歴史を刻む石造りの大広間は、今日もまた重苦しい威厳と、張り詰めた静寂に支配されていた。

 高い天井を支えるのは、巨人が抱え込むかのような太さを誇る石柱の列である。壁面には歴代の王や英雄たちの肖像画が掲げられ、それらは無言の圧力となって、現在を生きる者たちを見下ろしていた。色とりどりのステンドグラスから差し込む午後の光は、磨き上げられた大理石の床に複雑な幾何学模様の影を落としているが、その美しささえも、この場の空気を和らげるには至らない。むしろ、塵一つ許さぬ厳格な秩序の象徴として、列席する者たちの背筋を凍らせていた。


 広間の左右には、国の行く末を案じる重臣たちや、膨大な行政を取り仕切る文官たちが整列している。彼らは皆、固唾を飲んで正面の大扉が開くその瞬間を待ちわびていた。

 彼らの視線が注がれる先、玉座に深く腰掛けているのは、この国の絶対的な支配者である父王だ。その巨躯は微動だにせず、ただ沈黙を守っている。

 今日、この場で行われるのは、西方国境へ遠征していた王子の帰還報告である。

 視界を奪う濃霧と、神出鬼没のゲリラに支配された「霧の谷」。歴戦の軍人であっても手を焼くその難所へ、次期国王たる王子が自ら赴いたのだ。誰もがその結末を案じ、あるいは期待し、あるいは危惧していた。


 やがて、腹の底に響くような重低音と共に、巨大な扉が左右へとゆっくり開かれた。

 石と鉄が擦れ合う轟音が広間に反響し、衛兵の力強いアナウンスが朗々と響き渡る。


「――統星殿下、ご帰還!」


 開かれた扉の向こうから流れ込んできたのは、戦場の硝煙の匂いでも、血の饐えた匂いでもなかった。

 それは、洗練された爽やかな風と、全てをねじ伏せてきた者だけが纏う、堂々たる覇気であった。


 一人の青年が、大理石の回廊へと姿を現す。

 硬質な軍靴が床を叩く音が、正確無比なリズムを刻んで広間に響いた。

 グラン・ヴァルディア王国の第一王子、統星。

 戦場から直行してきたはずのその軍服には、泥汚れ一つなく、糸のほつれすら見当たらない。仕立て下ろしたばかりのような清潔な紺色の生地には、王家の紋章である金の刺繍が輝き、彼の高貴さを雄弁に物語っていた。窓からの光を受けて煌めくプラチナブロンドの髪は、風の乱れさえ感じさせないほど整っており、その頭頂部には、王族の証である一対の角が誇らしげに天を衝いている。

 その端正な顔立ちと優雅な歩調は、泥臭い殺し合いの場から戻った指揮官というよりも、舞踏会へと向かう貴公子そのものだった。


 だが、その背後に続く者たちの姿は、彼がいた場所が紛れもない戦場であったことを無言のうちに主張していた。


 統星の背後、右斜め後ろには、巨大な影が一つ付き従っている。

 天狼だ。

 身の丈ほどある分厚い鉄塊――大剣を背負ったこの巨漢は、煌びやかな宮廷の作法など知ったことではないといった風情で、大きなあくびを噛み殺しながら歩いていた。丸太のように太い腕、岩のように隆起した筋肉、そして獲物を探す猛獣のような金色の瞳。全身から放たれる荒々しい武人の気迫は、整然とした広間の空気の中で異質な存在感を放ち、すれ違う文官たちを本能的な恐怖で萎縮させていた。


 そして、さらにその後ろ。最後尾には、小柄な少年――ハズラが、自身の存在を消そうとするかのようにひっそりと続いていた。

 彼は慣れない場への緊張で顔を強張らせ、視線を床に落としたまま、影のように主君の足跡を辿っている。その華奢な体躯は、屈強な魔族たちの中にあってはあまりに頼りなく見えたが、その瞳の奥には、修羅場を潜り抜けた者特有の静かな光が宿っていた。


 統星は玉座へと続く階段の手前まで進むと、流れるような所作で片膝をつき、恭しく頭を垂れた。

 その一連の動作には一切の無駄がなく、完成された芸術品のような美しさがあった。


「ただいま戻りました、父上」


 よく通る、凛とした声。

 その声を受けて、玉座に深く腰掛けていた巨躯が、ゆっくりと重たい瞼を持ち上げた。

 現国王である父王だ。

 彼は組んだ手の上に顎を乗せ、まるで値踏みをするかのように、眼下の息子を見下ろした。その眼差しに宿るのは、久しぶりに再会した息子への親としての情愛ではない。国を預かり、厳密な計算のもとに軍を動かす統治者としての、確認作業の色が濃かった。


「戻ったか、統星よ」


 王の重厚な声が、広間の空気を震わせた。それは問いかけでありながら、有無を言わせぬ圧力を伴っていた。


「『霧の谷』はどうなった? 私の命じた通り、入り口を厳重に封鎖し、森ごと焼き払ったか?」


 王の問いかけは、確認というよりも、当然の結末をなぞるための儀式的なものだった。

 視界の効かぬ天然の要害。そこに籠る森の民のゲリラを相手にするならば、中に入らず外から焼き払うのが最も堅実であり、味方の損害を出さない唯一の正解である。賢王である彼が授けた策に、間違いはないはずだった。

 広間に控える重臣たちも、同様の報告を期待していた。「森は灰になりました」「敵は燻り出されて壊滅しました」――そのような、退屈ではあるが、国の安全を保障する安心できる報告を待っていたのだ。


 だが、統星は顔を上げず、伏せた顔の口元だけで微かに笑った。

 彼は懐に手を入れると、ジャラリと乾燥した金属音を響かせた。

 取り出したのは、焦げた木片の証拠品でもなければ、討ち取った敵将の首でもない。

 古びて黒ずんだ、重厚な鉄の鍵束だった。


「いいえ、父上。……焼き払う必要など、ございませんでした」


 統星は顔を上げ、その鍵束を恭しく掲げて見せた。

 ジャラ、と鉄の擦れ合う音が、静まり返った広間に冷たく響く。

 それは、あの難攻不落と言われた砦のすべての扉を開く、マスターキーであった。


「霧の砦は、この通り『無傷』で手中に収めました」


 その言葉が落ちた瞬間、静まり返っていた広間が、ざわリと揺れた。

 無傷。

 あの視界ゼロの死地において、城壁一つ崩さず、森一つ焼かずに制圧したと言うのか。

 玉座に座る父王の眉が、ピクリと動いた。組んだ手の甲に、わずかに血管が浮き上がる。


「……無傷で奪った、だと?」


 王の声に、鋭い疑惑の色が混じる。


「砦を破壊せずに奪取したということは、敵の懐深くまで攻め入ったということだ。あそこは一寸先も見えぬ濃霧が支配する死地。強引に攻め込めば霧の中から一方的な奇襲を受け、相応の出血を強いられたはずだが


 王の懸念はもっともだった。

 彼が「焼き払え」と命じた真意は、建物の破壊そのものが目的ではない。「味方の兵を死なせないこと」こそが最優先事項であり、そのための手段としての焦土作戦だったのだ。

 いくら建物が無傷で手に入ろうとも、それを奪うために多くの兵が死傷し、国力が削がれていれば、それは王にとって愚策以外の何物でもない。魔族の兵は貴重だ。石塊一つのために魔族の血を流すことを、この堅実な王は最も嫌う。


 統星は、王の懸念を見透かしたように、涼やかな声で続けた。


「ご安心ください、父上。敵兵は全員捕虜とし、既に武装解除を済ませております」


 そして、統星は一度言葉を切り、広間を見渡すようにしてから、誇らかに告げた。


「そして……父上が最も案じておられる、我が軍の被害についてですが」


 一呼吸の溜め。

 全員の視線が、統星の唇に集中する。


「接近時に流れ矢を受けたことによる、軽傷者が数名のみ。……死者は、ゼロです」


 死者、ゼロ。

 その単語が空間に落ちた瞬間、謁見の間は真空になったかのような完全な静寂に包まれた。

 攻城戦において、攻撃側の損害がゼロなどあり得ない。それは戦術の常識を覆す異常事態だ。

 ましてや相手は地形を知り尽くしたゲリラであり、場所は視界最悪の濃霧地帯だ。常識的に考えれば、一方的に消耗させられて敗走するのが関の山である。

 それを、一人の死者も出さずに制圧したというのか。


 背後に控える天狼が、退屈そうに鼻を鳴らした。その態度は「俺の大将なら当然だろ」と語っているようで、報告の信憑性を無言のうちに補強していた。


 統星は黄金色の瞳で父王を真っ直ぐに見据えたまま、言葉を継いだ。


「我が軍の兵は一人として欠けておりません。そして同時に、私が手に入れた『霧の砦』もまた、攻城兵器による破壊を行っておりませんゆえ、城壁に傷一つ、門に歪み一つ残しておりません。内部の施設も、備蓄された物資も、すべて完全な状態で接収いたしました。……この鍵が、その証です」


 統星は涼しい顔で答え、手にしていた鍵束をもう一度、チャリと鳴らして見せた。

 その乾いた金属音が、報告のすべてが真実であることを決定づける。


 父王は短く、しかし重みのある言葉を漏らした。


「……見事だ」


 王の表情から、険しさが消えた。

 息子の才覚は認めていたが、これほどとは。

 王が求めたのは「味方の損害を出さないこと」。統星は、その絶対条件を完璧に満たした上で、さらに王がリスクを恐れて諦めていた拠点の確保という莫大な付加価値までつけて回答してみせたのだ。

 それも、城壁の一角すら崩さぬ完全な状態で。


 統星は、父王の心が揺らいだ一瞬を見逃さなかった。

 ここが、ただの戦勝報告を国策の転換へと昇華させる分水嶺である。

 彼は一歩前へ進み出ると、広間全体に響き渡る声で進言した。


「父上。恐れながら申し上げます。……あの砦、壊すにはあまりに惜しいかと存じます」


 広間の空気が再び張り詰めた。

 王の勅命はあくまで脅威の排除、すなわち拠点の破壊である。一度出した命令を覆すことには、王としてのメンツも関わる。

 だが、統星は父王の目を真っ直ぐに見据え、畳み掛けるように言葉を継いだ。


「確かに、維持には金がかかりましょう。ですが、一から築くとなれば、その十倍の金と、数年の歳月がかかります。『霧の谷』は、我が国と西方諸国を結ぶ最短ルートの喉元。あの霧は、攻め入る者にとっては悪夢ですが、内側から守る者にとっては天然の防壁となります」


 統星は空中に指で地図を描くように、熱を込めて語った。


「あそこを破壊し放棄すれば、また別の野盗や他国の軍勢が入り込むでしょう。ですが、我が国の正規軍が管理する関所として運用すればどうなるか。西からの侵入者は完全に遮断され、逆に我々が西へ進出する際には、安全な橋頭堡となります。……これをみすみす灰にするのは、宝の持ち腐れというものでしょう」


 破壊か、活用か。

 それは単なる作戦の変更ではなく、国の在り方を変える選択だった。

 リスクを避けて内に籠るか、リスクを管理して外へ開くか。

 統星は、父王の保守的な方針を否定することなく、より大きな利益を示すことで、その方針を内側から書き換えようとしていた。


 広間中の視線が、玉座の王の決断を待った。

 父王は、目を閉じて思案した。

 彼の基本方針は「堅実な維持」だ。だが、彼は愚王ではない。提示された成果と、その論理的な有用性を無視するほど頑迷ではなかった。

 死者ゼロでの制圧。無傷の要塞。そして、将来的な防衛線の拡張。

 却下する理由は、どこにもなかった。


 王はゆっくりと目を開き、玉座の肘掛けを叩いた。


「……よかろう」


 重厚な承認の声が、謁見の間に響き渡った。


「統星よ、其方の申し出を聞き届ける。あの砦は破壊せず、我が国の直轄領として編入せよ。正規の守備隊を派遣し、西の守りの要とする」


 その宣言は、父王が課した安全維持という堅実な制約を逆手に取り、統星がその枠組みの中で、将来の世界統一へ向けた布石を鮮やかに打ち込んだ瞬間だった。

 王の英断を称える声と拍手が、広間に湧き起こる。重臣たちも、この若き王子の鮮やかな手腕を認めざるを得なかった。


「ははっ、ありがたき幸せ」


 統星は深々と頭を垂れた。

 その顔は伏せられ、表情は誰にも見えない。だが、その口元には、自身の描いた絵図通りに事が運んだことへの、不敵で満足げな笑みが刻まれていた。

 これで、人間界への足がかりは確保された。

 父の命令を守ったふりをしながら、彼は着実に、自身の野望のための布石を打ち終えたのだ。


「退室を許可する。……大義であった、統星」

「失礼いたします」


 統星は恭しく一礼すると、踵を返した。

 その背中は、入室した時よりも一回り大きく、確かな自信と覇気に満ちて見えた。

 背後で退屈そうに欠伸を噛み殺していた天狼も、ニヤリと口角を上げ、主君の後に続く。

 そして、二人の巨躯の背後に隠れるように控えていたハズラも、安堵の息を吐いて、小走りで主君たちの後を追った。


 重厚な扉が閉ざされるその瞬間まで、謁見の間は、若き王子の鮮烈な采配の余韻に包まれていた。

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