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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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霧の谷の要塞攻略戦 10

 砦の最上階に位置する司令室は、外界の混沌を凝縮したような熱気と、建材が軋む不協和音に支配されていた。

 眼下の戦場から這い上がってくる数百の兵の咆哮、岩盤を揺るがす爆裂魔法の轟音、そして自軍の兵士たちが張り上げる悲鳴にも似た怒号。それらが分厚い石壁を透過し、腹の底に響く重低音となって室内の空気を震わせている。天井からはパラパラと白い砂埃が絶え間なく降り注ぎ、卓上に広げられた地図を汚していた。


 この砦の守将を務める男は、南向きの狭い窓枠に齧り付くようにして、眼下の戦況を凝視していた。

 彼の背中には冷たい脂汗が滲み、握りしめた拳は白く変色している。だが、その引きつった表情の裏には、焦燥と共に一種の昏い昂揚感があった。

 敵の攻撃は確かに熾烈だ。グラン・ヴァルディア王国の正規軍とあって、魔法による火力も、歩兵の装備も桁違いである。しかし、この砦は「霧の谷」という天然の要害に守られ、数百年もの間、他国の侵入を拒み続けてきた鉄壁の守りを誇る。正面からの力押しであれば、そう簡単に落ちるものではない。


「予備兵力を左翼へ回せ! 城壁に張り付かれるぞ、煮えたぎった油を流せ! 焼き払えッ!」


 守将は窓から身を乗り出し、喉が裂けんばかりの声で指示を飛ばした。

 彼の脳内では、既に勝利への道筋が描かれていた。あと三日。いや、二日でいい。この猛攻を持ち堪えることができれば、周辺に散らばる森の民の同盟部族たちが異変を察知し、救援に駆けつけるはずだ。

 彼らは正規の軍隊ではないが、地の利を活かしたゲリラ戦のエキスパートである。背後からグラン・ヴァルディア軍を急襲し、この無謀な攻城戦を仕掛けてきた侵略者どもを谷底で挟撃する――その未来図を、彼は疑っていなかった。

 敵の全ての戦力が、あの正門の前に釘付けになっていると信じ込んでいたからだ。視界を覆う爆炎と土煙が、彼の目を、そして判断力を完全に曇らせていた。


「おい、伝令! 第二部隊はどうした! 裏手の警備兵を半分、いや、三分の二を引き抜いて正門へ回せと言っただろうが!」


 守将は振り返りもせずに怒鳴り散らした。

 背後の重厚な扉が、ギイと軋んだ音を立てて開いたからだ。当然、戦況報告に戻ってきた伝令兵か、あるいは新たな悲報を持ってきた部下だと思い込んでいた。一分一秒を争うこの状況下で、悠長なノックを待つ余裕など彼にはない。


 だが、返事はなかった。

 期待していた「はっ」という威勢の良い返答も、恐怖に震える報告の声もない。ただ、奇妙なほど重苦しい沈黙だけが、扉の隙間から流れ込んでくる。


「……おい、聞こえているのか? 耳までイカれたか! 返事をしろ!」


 苛立ちを頂点に達させ、守将は荒々しく軍靴を鳴らして振り返った。部下の無能さを叱責し、襟首を掴んででも前線へ追い返そうとしたのだ。

 その瞬間、彼の喉奥から発せられようとしていた罵倒は、意味を成さない空気の塊となって凍りついた。

 視界に映った光景を、脳が処理することを拒絶した。


 そこに立っていたのは、見慣れた薄汚れた部下ではなかった。


 豪奢な軍服に身を包み、戦場の煤一つついていない、研ぎ澄まされた理性を宿した黄金の瞳の青年。

 その傍らに控える、身の丈を超えるほどの大剣を軽々と担ぎ、猛獣のような殺気を隠そうともしない巨漢。

 そして、不気味なほど静かな気配を纏い、両目を赤黒く発光させている小柄な少年。


 あり得ない光景だった。

 ここは敵軍がひしめく正門から最も遠い、砦の最奥部だ。断崖絶壁に守られ、数重の扉と長い回廊、そして精鋭の警備兵によって守られているはずの聖域である。

 だというのに、彼らはまるで自身の居城の庭を散策するかのように、息一つ切らさず、泥の一滴も跳ね上げることなく、そこに立っていた。

 外からは相変わらず爆音が響いている。だが、彼らの周りだけ見えないの壁で隔てられたかのように、異質な静寂が漂っていた。


「き、貴様ら……な、なぜ……ここに……!?」


 守将の思考が白く染まる。

 幽霊か、幻覚か。いや、それにしては放たれる威圧感が、あまりにも鮮烈で生々しい。

 事態を論理的に理解するよりも早く、戦士としての本能が最大級の警鐘を鳴らした。

 死が、目の前に立っている。

 彼は震える手で腰の剣に触れ、抜刀しようと一歩踏み出した。喉を引き絞り、警報を叫ぼうとする。


「衛兵ッ! であえ、曲者だッ――」


 その叫びが完結することは、永遠になかった。


 風を切る鋭い音が、守将の鼓膜を打つよりも速く、視界の端で銀色の閃光が走った。

 巨漢――天狼が、背負っていた巨大な鉄塊を抜き放つことなく、その分厚い刀身の腹を、守将との間にあった司令室の重厚な執務机へと叩きつけたのだ。


 凄まじい破壊音が炸裂し、分厚い樫の木で作られた机が、まるで枯れ枝のように粉砕された。

 書類や地図、高価な調度品ごと、木っ端微塵になった残骸が散弾のように守将へ降り注ぐ。暴力的な風圧が顔面を打ち、彼はその衝撃にたたらを踏んで後退した。背中が冷たい石壁にぶつかる。ドン、という鈍い衝撃が背骨に走り、逃げ場が失われたことを告げた。


 舞い上がった埃がゆっくりと沈んでいく中、青年――統星スバルが、幽鬼のように音のない足取りで間合いを詰めていた。

 その手には、いつの間にか抜かれた実戦用の長剣が握られている。切っ先は微動だにせず、守将の喉元の急所を正確に捉えていた。


 守将が再び剣を抜こうと柄を握りしめたとき、既に切っ先の冷たさが、彼の首筋の皮膚に触れていた。

 皮膚が一枚斬れ、赤い血の珠が滲み出る。


「……ッ!」


 守将の動きが完全に止まった。呼吸さえも忘れたかのように、彼は石像のように硬直した。

 喉元に突きつけられた冷ややかな鋼鉄の感触。

 わずか数ミリでも動けば、あるいは声を上げれば、即座に頸動脈を切り裂くという明確な死の宣告が、言葉以上に雄弁に彼を縛り付けていた。


 部屋の外からは、相変わらず「突撃ィィッ!」というグラン・ヴァルディア軍の雄叫びと、ドォォンという爆発音が聞こえている。壁の向こうでは、まだ数百の部下たちが、勝利を信じて必死に戦っているのだ。

 だが、この司令室内だけは、世界の理から切り離されたかのような静寂に包まれていた。

 外の戦況がどうであれ、どれほど多くの兵が残っていようと、関係ない。

 指揮官の首を押さえられた時点で、この戦争の勝敗は決したのだ。


 統星は表情一つ変えず、ただ静かに、眼前の敗北者を見据えていた。

 その瞳は、獲物を前にした猛獣のそれではなく、盤上の駒をすべて動かし終え、勝利を確定させた打ち手のように、淡々とした事実だけを映していた。

 彼はゆっくりと口を開き、決定的な一言を宣告した。


「――詰みだ」


 その言葉は、守将の精神の均衡を崩す最後の一撃となった。

 膝から力が抜け、守将はその場に崩れ落ちた。抵抗の意志は、物理的な暴力と、理解を超えた神出鬼没の恐怖によって、完全にへし折られていた。


 砦の司令室で敵将が膝を屈した瞬間、張り詰めていた空気が糸を切ったように弛緩した。

 敗北を認める重苦しい宣言がなされると、その命令は瞬く間に砦全体へと伝播していった。伝令が青ざめた顔で走り回り、各所の守備兵たちに武器を捨てるよう怒鳴り散らす。


 カシャン、ガチャン……と、石畳の上に剣や槍が投げ捨てられる硬質な音が連鎖する。

 それは、これまで谷底を支配していた怒号や爆音とは対照的な、終戦を告げる乾いた音色だった。

 先ほどまで「殺せ!」「守り抜け!」と叫んでいた兵士たちが、一様に肩を落とし、呆然とした表情で両手を上げていく。彼らには何が起きたのか理解できていなかった。正面の敵を防ぎきれば勝てると信じていたのに、気づけば背後から心臓を握り潰されていたのだ。


「開門ッ! 正門を開け放てェッ!!」


 降伏した敵兵の手によって、巨大な滑車が回される。

 錆びついた鎖が悲鳴のような音を立てて巻き上げられ、谷を閉ざしていた分厚い鉄の扉が、ゆっくりと内側から開かれていった。


 腹の底に響く重低音と共に、両軍を隔てていた物理的な障壁が取り払われる。

 外で陽動を続けていたグラン・ヴァルディア軍の本隊は、開かれた門の向こうに広がる光景を見て、一瞬だけ呆気にとられたように静まり返った。

 決死の覚悟で突撃の号令を待っていた彼らの目に映ったのは、血の海でも瓦礫の山でもなく、整然と武装解除され、地面にひれ伏す敵兵たちの姿だったからだ。


「……おい、本当に誰も死んでいないぞ」

「殿下が、たった三人で落としたって言うのか……!?」


 兵士たちの間に広がった驚愕のさざ波は、すぐさま歓喜の勝鬨へと変わった。

 彼らは盾を高く掲げ、堂々たる足取りで砦の中へと雪崩れ込む。それは侵略者の略奪ではなく、新たな主としての凱旋行進だった。剣に血を吸わせることなく得た勝利の味は、何にも勝る美酒となって彼らを酔わせた。


 砦の最上階、谷底を一望できる石造りのテラス。

 統星は、そこから眼下に広がる光景を見下ろしていた。

 風が吹き抜けていく。

 この砦は、常に濃霧が立ち込める谷底を見下ろす高台に位置しており、ここだけは台風の目のように視界が晴れ渡っている。

 西日の赤い光が差し込み、無傷で手に入れた砦の城壁を黄金色に染め上げていた。


「……素晴らしい立地だ」


 統星は、冷ややかな石の手すりを愛おしげに撫でた。

 彼が感嘆したのは、城壁の美しさではない。この砦が持つ、地理的な価値そのものだった。

 背後には険しい山脈を背負い、眼下には霧に閉ざされた難所が広がる。この場所を抑えるということは、魔界から人間界へと続く交易路と進軍ルートの喉元を握ることに等しい。

 ここを拠点とすれば、霧の谷を天然の堀として利用しつつ、安全圏から兵を動かすことができる。まさに、世界統一への第一歩となる楔を打ち込んだのだ。


「父上は『破壊しろ』と仰ったが……これほどの要衝を瓦礫にするなど、あまりに惜しい」


 統星は満足げに呟き、背後に控える二人の功労者を振り返った。


 一人は、退屈そうに大剣を肩に担ぎ、大きな欠伸を噛み殺している巨漢。

 もう一人は、まだ戦場の興奮と恐怖が抜けきらず、自身の震える指先を握りしめている小柄な少年。


「上出来だ。お前たちのおかげで、最高の拠点が手に入った」


 統星の言葉に、天狼が鼻を鳴らす。


「へっ、これっぽっちも暴れ足りねえよ。俺の剣は、結局机一つ壊しただけじゃねえか。錆びちまうぞ」


 不満げな言葉とは裏腹に、その表情は晴れやかだった。彼は主君が望んだ無傷の勝利を、自身の圧倒的な武力による威圧で完璧にサポートしたことを理解している。殺さずに勝つことの難しさと、それを成し遂げた達成感が、彼の野性的な笑みに滲んでいた。


 そして、ハズラ。

 少年は主君からの労いの言葉を聞き、恐る恐る顔を上げた。

 その瞳からは、既に魔眼の不気味な赤光は消え、深い夜のような静かな黒色が戻っていた。だが、目の周りは疲労で赤く腫れ、こめかみには痛みを堪えるように血管が浮いている。


「……お役に立てて、光栄です」


 ハズラは深く頭を下げた。

 その声は微かに震えていたが、そこには以前のような怯えではなく、自身の能力が破壊ではなく勝利のために正しく使われたことへの安堵と、確かな誇りが宿っていた。

 ただの奴隷だった自分が、王子の覇業を支える目として機能した。その事実は、彼の中で小さな自信の種となっていた。


 統星は再び視線を西の空へと戻した。

 雲海の彼方、沈みゆく太陽の向こうには、まだ見ぬ人間界の広大な領土が広がっている。

 この砦は、そこへ至るための最初の橋頭堡。


「行くぞ。……世界は広い。だが、必ず私の掌の中に収まる」


 統星は夕日に向かって、誰に聞かせるでもなく、しかし確信に満ちた声で静かに宣言した。

 その横顔を、天狼とハズラは無言で見つめる。

 新たな時代の風が、三人の髪を揺らして吹き抜けていった。

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