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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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霧の谷の要塞攻略戦 12

 重厚な樫の木で作られた扉が、腹の底に響くような低い唸りを上げて閉ざされた。

 謁見の間から漏れ出していた厳粛な空気と、王権という見えない重圧が、その物理的な遮断によって断ち切られる。後に残されたのは、王城の大理石の回廊に漂う、どこか冷やりとした静寂だけだった。


 カツ、と硬質な軍靴の音がひとつ、回廊に響く。

 統星スバルは、扉の前で一度だけ大きく息を吐き出した。それは、父王と重臣たちの前で演じ続けていた「従順で聡明な次期国王」という仮面を、肺の中の空気ごと吐き出すような仕草だった。

 ぴんと伸びていた背筋の緊張を解き、首を軽く左右に振る。プラチナブロンドの髪がサラリと揺れ、先ほどまで父王に向けられていた殊勝な表情は消え失せていた。代わりにその端正な顔に浮かんだのは、獲物を仕留めた後の猛獣のような、不敵で清々しい笑みである。


「……ふう。流石に肩が凝るな」


 統星が独りごちるように呟くと、その背後に控えていた巨大な影が、待っていましたと言わんばかりに大きく動いた。

 天狼てんろである。

 身の丈ほどもある巨大な鉄塊――大剣を背負ったこの巨漢は、窮屈そうに縮こまらせていた岩のような肩をグルグルと回し、関節を派手な音で鳴らした。彼が動くだけで、周囲の空気が風圧で揺れる錯覚を覚えるほどだ。

 彼は宮廷の作法や堅苦しい儀礼を何よりも嫌う。ようやくその束縛から解放された解放感からか、彼は野性味あふれる顔を歪め、大きなあくびを噛み殺した。


「まったくだぜ。あんなカビ臭い部屋で堅苦しく膝をつくなんざ、拷問の方がまだマシだ。……だがあの国王、いい顔してやがったな。『無傷で奪った』って聞いた時の、あの幽霊でも見たような顔! あれを見るためなら、長話に付き合った甲斐もあったってもんだ」


 天狼は喉を鳴らして笑い、主君の背中をバシンと叩きかねない勢いで同意した。

 彼の言葉通り、父王の反応は見物だった。

 「森ごと焼き払え」という命令に対し、無傷の砦と死者ゼロという回答を突きつけたのだ。それは単なる戦果報告を超えた、古い世代の常識に対する痛烈な一撃でもあった。

 統星は愉快そうに頷き、磨き上げられた回廊の床を闊歩し始める。


「ああ。父上の常識にはない手だったからな。損害を出さずに勝てとは言われたが、まさか砦そのものを資産として分捕ってくるとは夢にも思っていなかっただろう」


 父王が求めたのは現状維持と安全だ。

 だが、統星が欲しているのは変革と拡大である。

 今回の報告によって、父王は認めざるを得なくなった。息子のやり方が、リスクを冒すだけの価値あるリターンを生み出すということを。そして、古い戦略だけが正解ではないということを。

 統星は、自身の手のひらをじっと見つめた。そこには、確かに新しい時代の主導権を握った感触が残っている。


「これで、人間界侵攻への足場は固まった。……上々の滑り出しだ」


 満足げに呟き、回廊の角を曲がろうとした、その時だった。

 誰もいないはずの石柱の影から、乾いた音が響いた。


 パチ、パチ、パチ、と。

 優雅で、しかしどこか芝居がかった拍手の音。


「――お見事ね、統星くん」


 鈴を転がすような、涼やかで知的な声が回廊の空気を震わせた。

 統星たちが足を止めると、柱の陰から一人の少女が、音もなく姿を現した。

 窓から差し込む夕日を浴びて、淡い薄紫色のロングヘアが幻想的に揺らめく。星や月をあしらった神秘的なローブを身に纏い、その立ち姿は夜空の星々を詠む巫女のようでありながら、瞳の奥には政治家のような鋭い知性を宿している。

 統星の腹心にして、国の内政を一手に握る才女、紫苑シオンであった。


 彼女は悪戯っぽい笑みを唇に浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。そのアメジスト色の瞳には、驚きや称賛よりも、「やはりやってくれた」という確信めいた色が濃く滲んでいる。


「まさか本当に、損害なしでやってのけるなんて。……私の占いよりも、さらに上を行く結果だわ。父王様も、さぞかし言葉を失ったことでしょうね」


 紫苑は感心したように首を傾げてみせるが、その表情には微塵も動揺がない。まるで、この結末が書かれた台本を最初から読んでいたかのような落ち着き払った態度だ。

 統星は呆れたように肩をすくめ、彼女の賞賛を鼻で笑い飛ばした。


「白々しいぞ、紫苑。……この『霧の谷』という難題を私に回したのは、最初からこうなると分かっていたからだろう?」


 統星の指摘に、紫苑は目を丸くして見せるが、その口元は隠しきれない笑みで緩んでいる。

 今回の遠征。一見すれば、視界の悪い泥沼のゲリラ戦という、誰もが嫌がる貧乏くじのような任務だった。だが、その舞台設定はあまりにも誂え向きだったのだ。

 視界を奪う濃霧。姿を隠す敵。複雑な地形。

 それは、統星が手に入れたばかりの新しい武器――ハズラの持つ特殊な視覚能力を試し、軍事作戦の中に組み込むための、これ以上ない実験場だった。


「ふふ、人聞きが悪いわね。私はただ……貴方が手に入れた新しい才能を、早く試したくてウズウズしているだろうと思って、最高の初陣の舞台を用意してあげただけよ」


 紫苑は悪びれもせず、さらりと言ってのけた。

 彼女の視線が、統星と天狼の背後、影のようにひっそりと佇む小柄な少年――ハズラへと流れる。


「それに、ハズラくんが既に実戦で使えるレベルにあることも、ちゃんと『占い』に出ていたもの」


 そう言って、彼女は自分のこめかみを白魚のような指先でトントンと叩いた。

 彼女はそれを占いと称しているが、統星は知っている。それが彼女の並外れた情報収集能力と、膨大な情報を元にした演算による未来予測であることを。

 彼女は最初から、ハズラの中に眠る知性と観察眼を見抜き、彼が短期間で言葉を習得し、統星の目として機能することまで計算に入れていたのだ。

 その上で、最も効果的にその能力を証明し、軍部や父王に認めさせるための舞台として、あの霧の谷を選んだ。

 すべては、統星の覇業を最短距離で進めるための、完璧なお膳立てだったのだ。


「……食えない奴だ」


 統星は苦笑しながらも、その瞳には深い信頼の色を浮かべた。

 自分と同じ未来を見据え、言葉にしなくとも必要な盤面を整えてくれる同志。彼女が背後で盤面を整えてくれるからこそ、自分は前だけを見て剣を振るうことができる。


「感謝する、紫苑。おかげで俯瞰の戦場と、新たな拠点が手に入った。文句のつけようがない」

「どういたしまして。……さて、それじゃあ主役にもご挨拶をしないとね」


 紫苑は満足げに微笑むと、手にした書類の束を抱え直し、スバルの脇を通り抜けた。

 彼女は優雅な足取りで、二人の巨躯の影に隠れるようにしていたハズラの前まで歩み寄ると、足を止めた。

 戦場の煤と泥に汚れ、疲労の色が濃い少年。だが、その瞳には以前のような怯えはなく、任務を遂行した者だけが持つ静かな光が宿っている。

 紫苑は、まるで愛しい弟を見るかのような、柔らかく慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「合格よ、ハズラくん」


 その声は甘く、春風のように心地よい響きを持っていた。


「霧の中での索敵、そして正確な敵兵位置の特定。君の力が本物であり、私たちの役に立つものであることは、十二分に証明されたわ。……統星くんが無茶な要求をしたでしょう? よく応えてくれたわね」


 紫苑はそう言って、躊躇うことなくハズラの両手を取った。

 彼女の白く滑らかな手と、ハズラの薄汚れた手が重なる。貴族の令嬢とは思えぬほど気さくで、温かい歓迎の意。インクと紙の匂いがする彼女の香りが、鉄と血の匂いが染み付いたハズラの鼻腔をくすぐった。

 ハズラが恐縮して身を縮こまらせると、彼女はさらに顔を近づけ、秘密を共有するように声を潜めた。


「これで君も、正式に私たちの『一蓮托生の同志』ね」

「……同志、ですか?」


 ハズラが鸚鵡返しに問うと、紫苑は深く頷いた。

 その言葉の響きには、単なる主従関係を超えた、運命を共にする仲間としての甘美な連帯感が込められていた。王子の掲げる途方もない夢、その実現のために泥をかぶり、血を流し、共に修羅の道を歩く覚悟を決めた者たち。

 ハズラはその重みある言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。奴隷として使い捨てられる運命だった自分が、世界を動かす歯車の一つとして認められたのだ。


 だが、感動に浸ろうとした次の瞬間。

 紫苑はアメジスト色の瞳の奥に、怪しげで妖艶な光を灯して、ふふっと笑った。


「ええ、同志よ。だから……期待しているわ」


 彼女の笑顔は変わらない。だが、その背後に幻影が見えた。

 天井まで積み上げられた書類の山。徹夜続きの執務室。次々と舞い込む難題。それらを処理するために奔走する、未来の自分の姿が。


「これからは今まで以上に忙しくなるから……私の『手足』となって、しっかり働いてちょうだいね? 君のその素晴らしい眼があれば、領内の監視も、不正の摘発も、物資の管理も、ぜーんぶ捗るもの」


 その美しい笑顔は完璧だった。

 だが、ハズラの生存本能が、戦場にいた時以上の激しい警鐘を鳴らした。

 「手足となって」という言葉が、比喩ではなく物理的な酷使を意味しているように聞こえるのは、決して気のせいではないだろう。彼女は今、ハズラという便利な機能を、内政という無限の戦場に投入する算段を立てているのだ。

 背筋を冷たいものが走り抜け、ハズラは頬を引きつらせたまま固まった。


「え、あ……はい。あ、ありがとうございます……?」


 感謝の言葉が疑問形になってしまったのは、彼女の笑顔の裏に潜む、底知れぬ労働の要求を、敏感に感じ取ってしまったからに他ならなかった。


 ハズラの顔色が青ざめ、引きつった笑みを浮かべるのを見て、傍らで見ていた統星は堪えきれずに吹き出した。


「くっ、ははは! おいおい紫苑、あまり脅してやるな。せっかく拾った逸材が、激務に耐えかねて逃げ出したらどうする」


 統星は笑いながら、カチコチに固まっているハズラの肩をポンと叩いた。その手つきは、主従というよりは悪友に対するような気安さを含んでいる。


「安心しろ、ハズラ。こいつは仕事の鬼だが、無理な要求は……まあ、たまにしかしない。本当に嫌な時は、私に言えば断ってやる権限くらいは与えておこう」

「あ、ありがとうございます……」


 ハズラが安堵の息を吐こうとした瞬間、今度は背後から巨大な手が伸びてきて、彼の頭をガシガシと豪快に撫で回した。

 天狼だ。

 彼は背負った大剣を揺らしながら、ハズラの髪がくしゃくしゃになるのも構わずに破顔した。


「違ぇねえ! この姉ちゃんに虐められて泣きそうになったら、すぐに俺に言えよ? 難しい書類仕事は代わってやれねえが、愚痴くらいなら朝まで聞いてやるからな! 俺の筋肉自慢付きでよ!」


 頼もしい兄貴分のような天狼の言葉。

 ハズラは乱された髪を直すこともせず、二人の助け船に視線を泳がせた。

 統星が呆れたように鼻を鳴らし、天狼と紫苑もまた、当たり前のようにそこにいる。

 かつては泥に塗れた孤独な奴隷でしかなかった自分。そんな彼を拾い上げ、隣に立つことを許してくれた主君たちとの間に、今や確かな信頼関係が生まれていた。


 統星、天狼、紫苑、そしてハズラ。

 全てを統べる指揮官、圧倒的な武力、盤面を描く知略、そして世界を見通す目。

 回廊に差し込む夕日が、四人の影を長く伸ばし、一つの大きな塊のように映し出していた。

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