第四十話 いつ見ても、そこには夜が見える山
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「いやぁ、ついてきていただけて、ありがたいかぎりです、ヨヅキ殿、セッカ殿」
「ううん! こっちこそ、村を案内してくれて、ありがとう!」
「自然豊かな村だな、ここは」
「それが自慢ですから」
食事を終え、銀髪を元気に揺らして歩くセッカと、腰を曲げて歩く村長。
村長が、悪鬼の死骸をたしかめるついでに、私たちに村の案内をした。
村を横切る透明な川と、それを跨ぐ石橋。店頭になにも並ばない、無人の八百屋。だれひとりいない、砂場が主役の公園。木の柵で封鎖されている、森への入り口。そして、村の大部分を占める見晴らしのいい農場。
木々のざわめきが村を完全に包むほどの静寂――セッカの声がよく轟いた、あっという間の村案内だった。
「では、これからお二方と出会った場所まで行き、森に入りましょう」
「わかった!」
声の調子は変わらない。が、足の運びは少しばかり速くなっているような……。
この村は全体的に見晴らしがよく、人がいないこともあって歩きやすそうだが、そういうことではない速さで、悪そうな腰に鞭を叩いている。
――村長も、一刻も早く、恐怖から解放されたいと望んでいるのか。私たちの言葉だけでなく、その目でたしかめて……。
しばしの無言を挟み、村長は我に返る。
「そういえば、お二方は、どちらからきたのですか?」
「えーっと……あっち!」
何気ない会話を繰り出し、受けとったセッカは周囲を見渡して私たちの進行方向へと指を差す。
「あの方角は……【ハクボ村】、ですか。いやぁ、あそこの村にはよくお世話になりました」
「【ハクボ村】……それが自分の村の名前……」
そう呟き、セッカは、胸に宿った温もりを手の平で感じとるように触れさせる。
自身に幸福が訪れたわけではない。――今はなき故郷の名前を知った。たったそれだけの事柄で、セッカの心はまたひとつ軽くなる。
村長の歩みは遅くなり、声に光が灯る。
「あそこの村とは、最近まで、よく交流をしていましたね。こちらからは魔獣退治を頼んで、そのお返しに作物を提供して……――利害関係以上の、よき隣人とでもいいましょうか。……彼らは、今も元気にしていますか?」
「…………全滅だ」
村長の歩みは、相も変わらず遅いまま。
なにか予想と違い、動揺しているという雰囲気ではない。むしろ、もうわかっていたことを再確認したような、不変を貫く態度。
自分のなかで、すでにこたえが出ていた問いならば、わざわざきかなくてもいいものを……。そんな期待はかえって己を傷つけかねない。情が深い村長ならば、なおさらだ。
セッカは、まっすぐ前を見据えている。現実をその目で見てきて、もう覚悟が決まっているからだろう。出てくる泣き言はない。
「……そうでしたか。これは失礼なことをきいてしまいましたね。ワシがなにかをできるわけではないですが……心中お察しします。お二方が無事で、つい淡い期待を抱いてしまった。不躾な質問をしてしまい、申し訳ありません」
「かまわん」
「うん! 大丈夫! 気にしないで!」
私は、こういうことが苦手だ。自分がなにか思うところがあるわけでもないのに謝られると、返しに困る。
――そうだ。
「村長、【ハクボ村】の、さらに向こう側にある黒い地帯は、なんという?」
私は学習してきた。返しに困ったときは、自ら新たな話題を提供するべきだと。
それにこの問いは、会話の流れとしても、そう悪くない。私が目覚めた場所について、自然にきくことができる。
村長は、遠目に見えてきた森の上を眺めてこたえる。
「ああ。あれは、【夜見山】ですね」
「【夜見山】……セッカは知っているか?」
問われたセッカは首を横に振り、「知らない」と、ひとこと。
それを前できいていた村長は、「ムフフ……」と、いつもと異なる、低い声で笑いこぼす。が、すぐに切り替えて、またいつもの調子で声を出す。
「あそこはかつて、人類が邪神と戦ったとされる地。あそこだけは、ずっと昼がやってこないで、真っ暗闇です。いつ見ても、そこには夜が見える山。だから【夜見山】と言われています」
「ほう……」
私の記憶と齟齬はない。目覚めたときは周りが真っ暗闇で、まるで太陽が失われた夜の世界だった。
村長は、それまでよりも、ゆっくりとしたしゃがれ声をつくり、続ける。
「【夜見山】にまつわる、こわぁ~い話でも、しましょうか……」
「頼む」
「うん!」
思いとは裏腹に、楽しそうに耳を傾けてくるセッカを横目に見て、村長はゴホンとひとつ咳払い。喉を限界まで広げて、かつ鼻をとおる声で話し始める。
「【夜見山】は、邪神を討伐してから、今日にいたるまでの五百年間、あの暗闇になにがあるのか、その詳細は不明なままなのです。なぜなら……【夜見山】に入ったが最後……その闇にとらわれ続け、もう二度と出てこられなくなるのです……」
私の記憶とは少し違う。私は、まっすぐ歩き、そしてここまでこられた。ということは、私だけがあの地帯になにがあったのかを知る存在だということか?
ならば、なぜあの地帯が山だと伝わっている……? たしかに、私が歩いていたときも山らしきものはあったが、それを知るすべはほかにないはず……。外から見ただけで山が観測できたわけでもなかった。
「なぜ、山だとわかっている?」
村長は、つくった声を変えずに続ける。
「いい目のつけ所ですね。ヨヅキ殿。【夜見山】がなぜ山なのか……。その理由は、邪神との戦いで死んだ者たちの亡骸が、残念なことに、回収かなわず、あの場所にとり残されたままになっているからです。神のもとへと昇天できない無数の死体は、山を築き、今もそこで怨嗟の声を上げながら救いを待っているとか……」
「怨嗟の声、か。その推測であれば、山と表現されるのにも納得がいくな」
「へぇー、そんな場所があるんだね~」
「あっ、お二方は、意外とビビらないのね……」
【夜見山】は、実際には山でも、あくまで歴史に沿って名づけられているだけで、そこが山だと確定づけるなにかがあるわけではないらしい。
怨嗟の声がきこえるというのも、噂に尾ひれがついただけのような……。
村長が言っていることが世界の常識だとすると、あの、すべての概念が虚無で埋め尽くされたような闇黒の詳細は、まだ判明していないということか。
【夜見山】が、なにかを知ること――それこそ、私がなにものであるかを探るための、ひとつの手がかりになるかもしれない。
――終わりなき旅の、小さな目標がひとつ、どうやら生まれたようだ。
***
「では、森に入っていきましょう……」
村長の喉がなる。
地面の葉に阻まれて、歩みが遅くなる。
足腰の元気がすっかり戻ったセッカは、「おっとっと……」と、足にツンツン触れる葉を避けようと跳ねながら歩くも、無数に蔓延る雑草の前に、あえなく接触。
ふくらはぎをなでてくる葉に、クスクス鼻をならして、腹の伸縮を繰り返す。
木や葉に張りつく虫はいるが、森に入ったばかりの場所では、やはり獣の類は見つからない。
茶と緑の二色で彩られた主役と、青の背景。
木の葉の隙間をとおり抜ける、姿の見えない柔らかい力が、私たち三人に刺激をもたらす。
私の黒は密やかに揺れ、セッカの服の裏は爽快で包まれ――村長の全身は汗を生み出す。
腰の後ろに回していた手は、青筋をむき出しにして、横に携えている棒へと少しずつ動いていく。
ついには左手でそれを握りしめ、棒の途中にあるつっかえに親指をあてて、チラリと銀色を見せる。右手は脱力しきったように空中に放り出されているが、指先の硬直は残ったまま。
草木を踏む足音はない。後ろでは二人分の元気な足音があり、それは無意味となっていることに本人は気づいていない。――それほどに集中。
カイラときたときの二倍の時間をかけ、森のなかをじっくりと堪能し……
「…………ふぅ」
――広場。
黒い泥が周囲に飛び散ったような、カイラとの出会いの地が三人の目の前に現れ、村長は丸まった背中を、さらに丸めた。
絞られたばかりの布のようだった皺と血管は、数歳分、死が近づいたかのように、その痕を残してわなわなと腰の後ろに戻っていく。
セッカは村長を追い越して、カイラが尻でつけた土の跡を目指して駆ける。
「わぁ! さっきぶりだね!」
到着し、茶色の跡をぐるぐる跳ね回ってヨヅキに言った。
「そうだな。……村長、どうだ?」
「そうですねぇ……」
村長は、地面の黒い泥、そして、大きな爆発が起きたかのように森の木々を染め上げた黒を、その場から見える範囲でひと眺め。
ひとつ息を落として……
「どうなんですかね?」
「…………」
【悪鬼】を倒せた確信を持てたのかどうかがわからない曖昧な返事に、私は沈黙を余儀なくされる。
村長は、黒い泥を見て、息多く語る。
「実のところ、ワシもこれが本当に【悪鬼】の死骸なのか、わかりません。なんていったって、“神話世界の怪物”ですから。長年生きてきても、【悪鬼】を見たのは、先日が初めてです。それも一目だけ……。どのように死骸となり果てるのかを見られるのは、世界中探してもなおさらいないでしょう。――ですが、その一目は、ワシの記憶を支配するほどに鮮烈で、忘れられなかった。そんな老人の記憶とのすり合わせで判断してもいいのなら……この残骸は、【悪鬼】のものだと……」
私たちが経験してきたものと、村長が経験してきたものはもちろん違う。
さまざまな理由が重なり、【悪鬼】の死に、慎重になるのは仕方がないことだろう。むしろ、生死の狭間でもがいているなら、慎重すぎるくらいが、きっといい。
「確信はまだない、か。まあいい……確信を得られるまで、私たちも協力は惜しまない」
「うん! なんでも言ってね!」
「いいえ、それには及びません」
私たちの声に、村長は安らかに首を横に振って続ける。
「ワシは、錆びついた自分の記憶を信じてはいない。これが本当に【悪鬼】だったものか、見ただけでは確信が持てなかった。ですが、ワシが信じたいのは、自分の記憶ではない。――あなたたちです。優しさと思いやり溢れるあなたたちの言葉なら、記憶よりもはるかに信じられる。だからワシは、【悪鬼】が倒されたことを信じて、村のみなに伝えようと思います」
「……村長がそれでいいなら、私はかまわん」
「ありがとう、村長! 信じてくれて!」
村長は顔を柔らかくして微笑んだ。
人類は、ほかのなによりも、自分の記憶を信じるものだと思っていたが、そうではないのか。
極限状態ゆえの判断力低下か、責任逃れの口実か……しかし不思議とそのような人となりをしているとは思えない。
もし、本当に心の奥底から私たちを信頼しているのであれば――なぜそうなるのか、理由がまったくわからない。




