第四十一話 異様
***
――日が暮れ始め、空の青が橙に染まってきたころ……私たち三人は帰路についていた。
「いやぁ……今日は、人生で、もっとも濃い一日でした」
「自分も、たくさんのことを知れた、とってもいい一日だった!」
すっかりなで肩が定着した村長。そのようすに、セッカの声は、数段、明るくなる。
心に余裕が生まれ、「そうだ……」と腰の後ろの手をはなして、胸の前でボスンとこもった破裂音を出す。
そして、村長宅を目の前にして飛んでくる、なんということはない、ひとつの提案――
「お二方は、あの後ろの建物が気になっているとおっしゃっていましたよね」
「えぇ、まあ」
「うん、気になる!」
「では、今回は正面からでなはく、あの建物から入ることにしましょう」
村長はそのまま玄関をとおりすぎ、建物に沿って曲がる。
私を見上げたセッカは、口を窄めて、目をかっぴらく。鼻で息を吸い込みながら口を翻し、一気に吐いて目尻に皺をつくる。
意味もなく、足音を殺すようつま先で、上半身を大きく前後に揺らして歩き始め、村長が曲がっていった角からこっそりと顔を出す。
そしてあの、好奇心を絵にかいたような顔を私に向け、首を縦に振る。
私は、すばやく二度、瞬きし、うなずき返してみる。
するとセッカは、それまで潜めていた気配を無に帰すかのように、笑い声をそこらに落としながら、バタバタと村長の歩いていった方へと走り出した。
私もその後ろを歩いてついていき――角を曲がった。
そこには雑草のない地面があり、ここにもうひとつ村長の家が建つのではないかと思えるほどの、なにも置かれていない地面だけの広い空間があった。
セッカのたどった道を歩いていくと、奥の建物が見えてくる。
素足のセッカでも駆けやすそうな、石の少ない、かたい地面。
その理由は、瓦屋根の建物にあった。
村長に追いつき、私とセッカは、縁側から中を見る。
そこにいたのは――裸足に道着姿で木刀を縦に振りあげる、汗だらけのセナだった。
「ただいま」
「ああ、おか……えり……」
村長の声に反応し、セナは木刀に込めていた力を抜いて自然体に。
そのまま声のした方向へと振り向きつつ返事をするが、私たちを視界に入れるや否や、語尾に元気がなくなっていく。
縁側にいる三人のなかで、なぜか私と数秒間、目を合わせる。
そしてセナは木刀を握っていた右手の力を徐々に高めていき、震えだす。顔の片側をピクリと動かし、舌をならす。
たったそれだけのやりとりを置いて、セナは早歩きで奥のトビラへと行き、そのまま出ていった。
村長は肩を落とし、セッカは心配げに顔を歪ませて私を見つめる。腕を組んで首を傾けて返す。
切り替えるように、村長が縁側に座り、そそくさと下駄を脱ぐ。
それを見て、私も縁側に座り、靴を脱ぐ。
セッカは、自身の茶色くなった足元を見て、「んー……」とうなる。――そのとき、
「待て……」
出ていったはずのセナが、木刀ではなく、脇腹に木の桶を抱えて姿を現した。
いつもどおり眉間に皺をつくり、わざとらしく地響きをならして縁側に近づき、中身がこぼれるくらい、桶を勢いよくセッカの前に置いた。
「足……洗ってから上がれ。あの部屋、畳が砂だらけになって、掃除がダリぃんだよ」
「……ありがとう! セナ!」
「……うっせ。あたしの昔使ってた靴やるから裸足で外出るの、やめろ。じゃあな」
「えっ……いいの……? ……ありがとう!」
礼を言われたセナは、セッカと目を合わせないように振り返る。背中を向けたまま一方的にボソボソ話して、返しを待たずに再び早歩きで出ていった。
それを見ていた村長の肩の力は抜けていた。
***
「【清秀館】……?」
木でできた床と壁、木刀が十本かけられた木刀かけが二つ、壁の上側に並べて置いてある九枚の肖像。掛け軸の、墨で書かれた『明鏡止水』の文字と、その上に堂々と置いてある、額縁に入れられた道場訓。
そして、もっとも目を引くのは、私が両手を広げたくらいの横幅がある、一枚板の看板――鑿で豪快に彫られたそこに書かれていた『清秀館』の文字。
広々とした部屋の正面を決定づけるかのように、壁の上にそれはあった。
周囲を見渡し、特にあの看板を見て、「おぉー……!」と目を輝かせるセッカ。
同じ看板を、しかし、名残惜しそうに見ていたのは村長だった。
「ここは、【清秀館】という、【月光流】の剣術道場です。悪鬼が出た後も、道場を開いてはいます。気晴らしにでもなれば、と……」
「……そうだったか」
開放されている道場にいたのは、たったひとり。
悪鬼という恐怖の象徴を前にして、それでもまだ剣を振っていたセナは、きっと尊敬に値するのだろう。
村長を抜いて、この村で、ただひとり真に生きている、か……
――いや、もうひとり……
***
「村に滞在している間は、この部屋を使ってください」
村長宅の二階――
寝台二つに、机が一つ……その間には、木枠に透明な板がはめられている窓が一つあり、そこから室内に一本の月光の道がトビラめがけてとおっている。
天井の中央には、畳の部屋にあったような、拳くらいの球体。机の端には、天井のものよりもひとまわり小さい球体に上から傘をかぶせたような器具が、木製の台から垂直に伸びる棒の支えを介して立っている。
その二つは、なんの役割も果たさず、部屋の装飾程度の存在感を出して、月光の届かない暗闇に溶け込んでいる。
首を上下左右に回して部屋を眺めたセッカ――「ありがとう、村長!」と言いながら、その足はすでに寝台へと向かっていた。
セッカはそのまま、上に敷かれた毛布を襲うように飛びつき、むしゃぶる勢いで体をこすりつけ始めた。
そこに、村長の安らかな笑い声が響く。
「ほっほっほっ……気に入ってくれたのなら、よかったです」
「なにからなにまで、助かる」
「いいえ、これでも足りないくらいです。もし、なにかあれば、ワシかセナにお申しつけください。では……おやすみなさいませ」
村長は、曲がった腰をさらに曲げて、深々とお辞儀。部屋のトビラを閉め、すり足立たせて、階段を下りていった。
私は寝台へと近づいていき、二つあるうちのセッカが身体を捩っている方に、腰をかけた。
ふわりと沈み私のいる場所へとセッカの身体が吸い寄せられる。セッカは身体の捩りをやめて、月光にあたる私の横顔を見てきた。
私は見返し、セッカは、毛布で口元を隠しながらも「フフッ」と小さく漏らす。
「自分ね、ヨヅキといっしょに旅に出られて、本当によかった!」
「……私もだ」
「新しいことがいっぱいで、すごく楽しい! さっきの“わたりろうか”っていうのも、歩いてるだけでなんだかワクワクしたし、村長とかセナとかカイラとか、いろんな人と話せたし、ごはんもおいしかった!」
森で過ごしていたセッカは、旅に出てから、そしてこれから経験するなにもかもが新鮮にうつることだろう。
それは私も同じはず。知らないことばかりの世界が新鮮にうつって、好奇心で胸が躍り、今ごろ毛布と戯れていたに違いない。が、
――そんなワクワクは、ない。
すべて知らないはずなのに、どこか既視感があるような……しかし、私の引き出しに収まっているどれを開いても、靄がかった、あやふやななにかが渦を巻いているだけ。
そのなかに、私が欲しているなにかがあったとして、私の心は動いてくれるのだろうか――
「村が見つからなかったら、もう少し苦労していただろう。《アオバ村》と出会えて、ひとまずは……といったところだな」
「そうだね、明日もみんなと会えるのが楽しみ!」
***
――寝たか。
虫のコロコロとしたなき声が部屋に入り込む。
毛布を抱きかかえて皺くちゃにしているセッカは、意識しなくても勝手に耳に入ってくる虫の音でさえ、余地がないほど夢深い。
私は、セッカを揺らさないよう、ゆっくり立った。
いつもの歩みでトビラまで行き、自分がとおれる最低限の隙間をつくり、静かに部屋を出ていった。
明かりのない階段を下りていくと、一定の間隔でポタポタと水滴が落ちていく音がきこえてくる。
一階までたどり着き、音の方向へと目をやると、そこは台所。
一家族が使うには申し分ない流しに、その許容をはるかに上回るくらい山のように積まれた木の椀。その横にあるかごにまとめられている、木の匙。そして、蓋がされた寸胴。
私は、それを横目に、そのまま玄関へと向かった。
――ん?
「セナ、彼らは悪い人たちではない」
廊下できこえてきたのは、今日いちにち、ともに行動していた村長の声。
障子を挟んだ向こう側――障子紙を透ける光はなく、暗闇から生まれていたものだった。
「悪鬼を倒したというのも、本当だった」
「そんなこと、わかってる」
相手は、落ち着いた口調の、おそらく女。
どことなくセナと似た声質に思えるが、私が知っているセナの雰囲気とは、まるで違う。もっと荒れた抑揚で話していたはずだが……。
私は、障子の横の壁にもたれかかって、腕を組む。
「なら、もう少し愛想よくしなさい」
「言われなくても、わかってる……」
セナと思しき声は、障子にかきけされそうになるほど小さく、しかし若干の抑揚を出してこたえる。
その後ろに、すぐさま「けど……」とつなげた。
「けど? なんだ?」
「じいちゃんも、気になってんだろ?」
――沈黙。
村長は喉をならしながら息を吐く。
その深遠な吐息を紐解く必要はなく、孫は、静かに訴えるよう顎を引いた声で続けた。
「あの黒髪……あいつは、異様だぞ?」
「…………はて?」
――私のことか?
他人からどう見られているかは気になるところだが…………
私はゆっくり障子を開けた。
「…………」
「…………」
不意に開いた障子――二人の首は、私が二人を観測する前に回りきる。
私を見つめる、二人の眼差し。明かりのない暗闇ゆえか、瞳孔が拡大している。
つい先ほどまで繰り広げられていた会話はなく、部屋は夜に包まれる。時が止まって、私を見たまま動かない二人――だれかの喉がなる。
私は沈黙を破った。
「あー、すまない。盗みぎくつもりはなかったが、きこえてきてしまってな。隠すのも後々面倒なことになるかもしれないと思い、伝えにきた」
セナの眼光が、私を貫く。
「報告どうも。で、こんな時間に、なんであんたはそこにいる? 小便か?」
「夜の村を、少し散歩したくて……玄関に向かっていたところだ」
セナの眼に切れ味が増していく。今にも暴走を始めてしまいそうな瞳孔の震えを遮るよう、村長が発する。
「左様でございますか」
「おい、じいちゃん! こいつやっぱり……」
「夜道は視界が悪いですから、気をつけていってらっしゃいませ」
「ああ」
村長はセナの入る隙間を与えない。
私もその流れに従って、短く返す。
ここでなにか弁明を始めようものなら、きっと、私が危惧していた面倒なことが起きていたに違いない。
報告したなら、さっさと場を去るのが適切だろう。
私は静かに障子を閉め、玄関に向かった。
その過程で、きこえてきた会話はない。
私が閉めた瞬間、その部屋のなかから人がいなくなった。――そう錯覚するほどに暗く、物音ひとつしなかった。
水滴の音が、階段を下りてきたときより、遅い間隔でなっていた。
――外に出た。――暗闇だった。
村長の言っていた、明かりを出す《魔法道具》が機能しなくなったからだろう。月明り以外の照明は存在せず、夜闇が果てまで支配している。
セッカとともに見たあの花が眩しいと思えてしまうくらい、鮮やかさの欠片もない。
壊されていない家があって、そして、まだ人が住んでいる。
そのはずだが、夜に出歩くだれかはいない。煩わしさを出すなにかはない。だれもかれもが気配を殺し、いつかくる朝を健気に待っている。
――恐怖に染まった村は、こうなるのか。
空を見上げれば、溢れんばかりの星。
陽光の残骸が散りばめられたような粒を、私は独りで観賞する。
なんの感想もなく、そのまま村の散歩を始めた。
いくら歩いても音はなく、人もいない。
昼間はあれだけの人が列に並んでいたが、今はその影もない。
村人が全員、夜に飲まれて星にでもなったのかと思える伽藍洞。
セッカは人がいることに喜んでいたが、これでは《ハクボ村》と、ほとんど変わらない。
周囲には農場。案山子が数体。
昼に見ていたときより、心なしか、作物が草臥れているように見える。近づくにつれて、虫のなき声は大きくなっていく。村の中心地にいるよりも、煩わしい。
破壊された家が見えてくる。
ここらは《ハクボ村》と同じ――すべてが壊され、人もいない、村だった場所。
血がないことだけが、ゆいいつの違いであり、セッカにとってもこれはうれしさの象徴だろう。
そして、この森。
私たちが出会った場所であり、悪鬼の死骸がある場所。
私は森に入っていった。
もう三度目ともなると、歩みに迷いはない。暗闇でも関係なく、感覚をたよりに記憶をたどる。
碧かった森は薄暗く、背景の星と月が、森の完全なる闇黒をなんとか回避している。あれがなければ、まさしく《夜見山》と同じような状態になっていただろう。
複数の障害物を颯爽と避け、私は広場に出る。
――死骸は、なかった。
そこら中にあったはずの黒い泥がなくなっていた。あれは、探す必要がないくらい派手に飛び散っていたはずだが、最初からなにもなかったかのように、普通の広場がそこにはあった。
夜の暗闇にとけて消えてしまったのか。まさしく神話世界の怪物。異様な光景だ。
…………異様、か。そういえば、セナが言っていたな。『あの黒髪……あいつは異様だ』と。
――私は、異様か。他人からも、やはりそう思われているんだな。




