第三十二話 東へ
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「具合悪くならなかったか?」
「うん! 大丈夫!」
「……本当か?」
「ほんとほんと! 虫のブーンって音は今でもずっときこえてくるし、あのヘンなニオイもずっとしてるから、もう慣れてきた!」
「…………それは、大丈夫とは言わないのでは?」
「あれれ、そうかなー?? 背中の裏側、ずっとプルプルしてる感じはあるけど、それ以外はヘーキだよ!」
「…………無理はするな」
「わかってるわかってる!」
「わかってるならいいが……ところで、こっちにきてやりたいこととは、なんだ?」
二人は、木漏れ日の道を歩いていた。
前日、セッカがヨヅキを案内した道であり、今朝、村にくるときに歩いた道でもある。
セッカの棲み処が近くにあることを示す川辺が視界に入ってきたころ、
「えっへへ、そーれーはーねー……」
セッカは駆け出し、風に、柔らかく靡いてくれない真っ赤な髪を揺らして下流方向へと向かう。
丸くなった石の上を、ペタペタと、素足で飛ぶように踏んでいき――一方ヨヅキは、セッカの足取りを見ても、全く同じ歩幅、全く同じ速さで歩くことをやめない。
そう時間はかからず、セッカは、立ち止まり、斜め下を指差した。
「これ!」
「花?」
「そう、花! ちょっと待ってて!」
セッカは、追いついたばかりのヨヅキを置いて、花畑へとさらに駆けた。
ことあるごとに、花好きらしい行動をとるセッカに、ヨヅキは『死体を埋める作業で心身が疲弊してしまったから、大好きな花で休まりたいのだろう』と考えていた。
――しかし、どうやら違うらしい。
白い花一輪だけを大事そうに両手で抱えて、すぐに戻ってきたセッカにヨヅキは問う。
「その花をどうするんだ?」
「これをね、みんなのところに添えてあげるの! 土の下は暗いし、きっとこわい……。土の上も今はグチャグチャになっちゃってる。そんな悲しいときでも、この花が近くにあったら、それも少しはよくなるかな――なんてね!」
この子はやはり、自分よりも、他人だった。
ヨヅキは、困り眉で笑ったセッカの身体を足元から髪の毛まで順に眺め、
「なら……みんなのところに戻る前に……」
***
「あっははは! つんめたーい!」
ヨヅキは、セッカの服を脱がし、川の浅瀬で、それを洗っていた。
死の象徴である血を纏った状態よりも、それを洗い流してから彼らと対面したほうが、セッカの言ったとおり、幸せに逝けると思ったからだ。
赤い服を水のなかで曲げると、こびりついた血が渇ききった大地のように、ひび割れる。
あちこちから無様に飛び出た繊維を揉み、ブラブラと、もはや服の役割を放棄しているであろう継がれた生地を、川に流されないよう両手で表裏から挟むように数回押し込んで、染みた血を取り除いていく。
――子どもの身体を拭くように……水流で服がバラバラにならないように……優しく。
透明感のある上流側の水は、服を超えると様相を変えた。
サラサラ感のない血が純粋な水を浸食し、赤黒い色を与えていた。
洗い続けると、その色は次第に薄くなり、桃色に――そしてまた透明に戻っていった。
服から滲んだ血の存在は、水流によってあっという間に消され――再び元の平穏さを取り戻す……切り替えが早いこと、この上ない。
全身分くまなく洗い――なんとか、血のパリパリ感が残らない程度にはキレイにした。
しかし、継ぎ目だらけの服は隙間が多い。太陽にさらすため、岩の上に広げて置くと、それがよくわかる。あらゆる箇所から岩の灰色が見えており、完全に染色しきって落とせなくなった血の茶色が、その境界をより明確にしている。
と、ヨヅキが服の悲惨さを眺めているとき、
「あははは! ほいっ、ほいっ、ほいっ、ほいっ――」
軽快なかけ声に合わせて、服とヨヅキの間を、無数の光の粒が通り過ぎる。
粒の出どころに目をやると、細身で裸の子どもがひとり。
赤と白銀の髪を上下に揺らして、川面を左右の足で交互に貫くよう、飛び跳ねるような足踏みをしていた。
森に響く、水のバシャバシャ音と、無邪気な笑い声。
それは、セッカと出会ってから、きいたことがないくらい、透明感にあふれていた。
「セッカ、まだ髪が汚れているぞ」
「え、うそ!?」
セッカは足を止め、濡れた両手を頭の上に乗せる。
怒涛の勢いで手を前後左右に動かし、髪をこすり始める。
手の水分が髪に吸収されるたび、手で器をつくり、それを川に突っ込んで水をためる。
陽光を反射している、器いっぱいの水を、ボタボタと、そのほとんどをこぼしながら、頭のてっぺんから被るように放る。
そのまま再び髪をこすり、顔を右、左、と勢いよく振った。運動後のため息を吐いて「うん!」と納得のうなずきを示し、自信満々に胸を張る。
「どう?? キレイになった? なったでしょぉ?」
「変わってないぞ」
「えー!? んー、どこらへんが汚れてるのー……?」
セッカは唇を尖らせて、顔の左右に垂れた、手入れを全くせずにごわついた髪を、それぞれの手でつかみ、視界に入るよう引っ張る。
が、汚れの位置がよくわかっていないようすで、「えー……」と呟き続ける。
見かねたヨヅキはセッカに近づき、
「私がやってやろう」
「あー、お願いしたいかも!」
「じゃあ、まずはあそこで横になれ」
岩横を指差し――セッカの髪を軽く手入れすることにした。
***
「ふぅー……」
と、セッカは長い吐息をして、顔以外、身体をすべて沈めて、纏う冷涼に浸った。
水流に流されないよう岩に身体を引っかけ、セッカは空を見上げる。
視界には雲ひとつ満天の青空――ではなく、逆光に照らされるヨヅキの顔。
「失礼する」
「失礼されます!」
やり取りの後、水流以外の何者かが頭皮に違和感を与えていることにセッカは気づく。
浅い水底で正座しているヨヅキは、服を洗ったときよりも細心の注意を払って、水に揺蕩うセッカの髪に触れる。
水中に入れたまま、髪の束を上下から両手で挟んで揉んでいく。根元から、毛先に向かって、汚れを移動させるように、少しずつ……少しずつ……。
静かに作業するヨヅキの顔を、放心状態で眺めていたセッカ。口はポカンと開き、目は大きく開いて、上目遣い。
そんなセッカが、動きづらそうな口を懸命に動かす。
「ヨヅキって……」
「ん?」
ヨヅキは口を閉じたまま手を止めないで、返答する。
「本当にキレイだよね」
「……急にどうした?」
「いやだって、こんなに近くで顔を見ることなかったからさ……。いざ見たら、とっても美人さんなんだなって、今、あらためて思った……」
「謙遜はやめてくれ。こんな不愛想がキレイなわけないだろう。そんなことより……」
「『そんなこと』って……」
小声で呟いて、セッカはプクーっと、小さな口のなかにパンパンに空気をためる。
小言がきこえていたであろうヨヅキは、この水の流れのように流して、続ける。
「セッカの髪……銀色、なんだな」
「え、そうだけど……それがどうしたの?」
「……美しい髪だな、と」
「え? そう?」
ヨヅキの感想に、セッカはその意図が理解できていないまま返事をする。だから、セッカも心からの似た感想をヨヅキに返す。
「ヨヅキの、サラサラで黒い髪もキレイだよ!」
「…………ところで、村人のなかにはセッカのような髪色は見当たらなかったが、白銀というのは珍しいのか?」
褒めに対し、なんの反応もなし。ヨヅキは手を動かし続け、木に竹を接いだ。
セッカは腕を組み、ヨヅキの問いに応じる。
「んー、どうだろ。そういうのおじいちゃんからなんにもきいてないから、わかんない。でも、おじいちゃんの髪もこんな感じの色が入ってたから…………珍しくないんじゃない?」
「それはおそらく、老い、ゆえの白髪だろう。セッカのものとは少し違う」
セッカは「へぇー」と間の抜けた返事をし、頭の横に垂れたヨヅキの毛先をチラリと確認。
黒髪の先端――白みがかった毛先を見て、『ヨヅキのこれも、おじいちゃんのとは違うってことかな?』と、ヨヅキの言葉を心に落とし込む。
続けて口を開いたヨヅキに、セッカは視点を戻す。
「セッカのように、純粋な白銀の髪を持つモノはいなかったか?」
「うーん……たしかに、見たことないかも……」
「そうか。ならば、セッカはトクベツなのかもしれないな」
「トクベツ?」
「ああ。実は、『秘められた力を持っている』……とか」
あのヨヅキから出るとは思えない、あまりにも飛躍した言葉に、セッカは、湧き上がる笑いを、赴くままに爆発させる。
「あっはははは!! そ、そんなの、プフッ……ないない!! きいたことないよ!! ヨヅキも見てたでしょ? さっき、全然力がなくて、人ひとり運ぶのに、とっても時間がかかっちゃったのをさ! そんなこと言ったらさ、そっちこそ、なにかトクベツな力とか持ってるんじゃないのー??」
「なぜだ? 私の容姿は、村人と大した違いはなかったはずだが……」
「昨日、空飛んでたじゃん!!」
「そうだったか?」
「そうだったの!! 空飛んでるひとなんて、今まで見たことない!」
セッカは、「つーまーりー……」と、言葉に合わせて、立てた人差し指を、手首を軸にして前後に振り、
「ヨヅキは、『なんかすごいことができる美人さん』! ってことだよね!」
キリっと目を細めて、自信ありげにヨヅキの顔をニヤリと指差す。
しかしヨヅキは、セッカの予想を意に介さず、髪を揉み洗い続ける。
「……ふむ。終わりだ。なかなかいい感じにキレイになった」
「無視!?」
自分で発言し、なぜか、背筋をなぞられた感覚に陥るセッカは身震い。
「今の……なに?」と、自身を抱きしめ、首を折って自身の身体を確認する彼女を置いて、ヨヅキはあらためてこたえる。
「……一概には否定できないな」
「……え? ……えぇ!? もしかして、本当に、ヨヅキには……なにか…………」
驚きの声とともに、人生で最も速かった起床時の勢いを、さらに数倍は超える速度で、セッカは上半身を川から脱出させる。つい荒ぶってしまった声――熱量が、毛先から自然と落ちていくように、声は少しずつ抑制されていく。
セッカはヨヅキと顔を合わせ――白銀の髪から、さらに数滴、水が零れ落ちる。
「私がどういう存在なのか、私自身も把握していないところだからな。『なにもない』と、断定することはできない。今のところは」
「わー……ヨヅキはすごく真面目? な感じがする。自分はそこまで考えられないよ……」
「できるなら、すべての可能性を探るべきだろう。私の――そして世界のことを知る。これこそが、『私』の旅の目的なのだから」
――『私の旅』。
忘れていた。
――ヨヅキは、旅の途中でこの村に立ち寄っただけだと。
勘違いしていた。
――ヨヅキと、ずっとトモダチでいられるのだと。
なんとなく生きてきた人生で、初めてできたトモダチ。
ひとりではない感覚に酔いしれ、目を背けてしまっていた。自分は独りだという、まぎれもない真実から。
「『私の旅』……ね。…………ニシシ、その旅で、ヨヅキ自身のことがいつかわかるといいね! 応援してるよ……ヨヅキ!」
すっかりキレイになった白い髪と、白い肌。
白い歯を出し、瞳が隠れるほどに目を細め、セッカは、眉を下げた笑顔をつくった。
「ああ、そうだな」
無情にも、ヨヅキは淡泊。
それでもセッカは、場の空気を……――なにより、ヨヅキに迷惑をかけないよう、全力をもって、笑顔を崩さない。
半身を水に浸して見つめあう二人――セッカは自身に切り替えを促すよう、「ずっと、気になってたんだけど」と前置き。
「ヨヅキ……なんで服着たまんまなの?」
「…………」
正座しているヨヅキは黙りこくり――やっと出た返事は、首をカクンと横に倒すというものだった。
***
「ちょっと、虫、減った?」
「そうか?」
黒と白銀の二人が、無人の村にたどり着く。
セッカは赤だらけの地面を素足で歩き、茶色く盛り上がった地面に向かって進む。
胸の前、両手で抱えている、一輪の白い花。
足取りは重い。長い時間をかけ、一歩一歩に力を込めている。
厳かな歩みの妨げにならないよう、ヨヅキはセッカの視界から外れ、足音を完璧に消して、数歩後ろにつく。
周囲を見渡せば――地獄。
ヒトの手がかかっている、家“だった”もの。それがいたるところに転がっている。一見、村のようだが、そこには、村を構成するうえで最も重要な“ヒト”がいなかった。
この光景は、村を始めてみたときとよく似ている。
セッカは穴のあった場所にたどり着いて、前に立った。
くすぐったいほどの風が吹き、手に持っている白い花の花びらが一枚、飛んでいく。
セッカは、その行方を目で追いかけるが、刹那に青空ととけあう。
表情を変えないまま、わずかに盛り上がった茶色い土へと向き直り、セッカは膝を曲げる。
花びら間に隙間の空いた、セッカの大好きなそれを、静かに、土の上に置いた。
今にも飛んでいってしまいそうなほどの弱さ。それをギリギリでとどめているのは、大きく開いた花びらだった。
隙間があることなど関係ないとでも言いたげに、花はその場で陽光を、堂々と真正面から受け止めていた。
「これで、少しは…………ね?」
「…………」
そう笑いかけ、セッカは空を見上げた。
人の魂が見えるわけではない。
頭のなかであの青に、自身のなかにある彼らの姿を描いていた。
人生でやったこともないお絵かきは、想像のなかでさえもうまくいかなかった。
鼻から空気を長く吐き、膝を押して、「よしっ」と立って、
「ヨヅキ! ここまで、本当にありがとう! おかげで、みんなを埋めてあげられた。本当に……本当に、ありがと!」
「こちらこそだ。セッカと出会えてよかった。君と出会えて、この世界のことがほんの少しわかった気がする」
そう言ったヨヅキの顔に、笑みはない。
セッカは人差し指で頬を上下に撫で、愛想で笑う。
「えへへ…………。ヨヅキは、旅、行っちゃうの……?」
「そうだな。ここでやることも、もうないからな。私はさっさと行く。では……」
振り返ったヨヅキに、セッカは届くはずのない手を伸ばし、声をかける。
「あ、あのっ、どこに行くの……?」
「これはあてのない旅だ。特には決めていない。とりあえず、私が目覚めた場所から、はなれていこうと思う」
そうこたえたヨヅキは、もうセッカに振り向かなかった。
無意識に伸びた手を、セッカは逆の手で無理やり引っ張って、戻した。
「そっか……じゃあ、気をつけてね!!」
震え声を受け止めたヨヅキは、東へと歩き始める――しかし、すぐに足を止めた。
「…………この旅は、あてもなく、果てもない」
「…………」
「そんなにも長い旅ならば、トモダチのひとりくらい、いてほしいものだな」
「……え?」
「ああ、そういえば」と、形だけの言葉をつなげ、ヨヅキは振り返る――少女に向かってまっすぐ伸びる手の平とともに。
「こんなところに、道草ついでにできたトモダチがいるではないか」
「えっ、それって……」
差し出された手の先に見える顔に笑みはない。
先端が白んでいる黒い髪に、星なき夜空のような黒い目、それを際立たせる白い肌、柔らかい風に揺れる振袖、威圧感なく少女を見下ろす高めの身長、低い声。
すべてに上品さが兼ね備わった、朴訥とした無表情の――人形。
自立して動くだけの感情なき冷えた人形に、しかし――少女は、ずっと感じていた。
だれよりも温かい――優しさを。
「…………セッカも、一緒にくるか?」
感情の起伏を持たないヨヅキから発せられたひとこと――それが、今のセッカの心をいちばん大きく動かす言葉だった。
返しなど、考える必要はない。
「……! ……行く!!」
この出会いこそ、悲惨な夜を抜け出すまでの――永遠に続きし未明を歩む、第一歩。
有明の、雪月花の時、君想えたら――…………
「みんな、バイバイ!」




