第三十一話 大人だから
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「ん……」
足先に広がる温もりと、目の奥にズキンとくる痛みで、セッカは目を覚ます。
風に揺蕩う木の葉の陰が自らに降り注いでおり、足先だけは、その帳からはみ出し、陽光にさらされていた。
視界を少し上に上げると、セッカが大好きな白い花畑。
そして、そのなかには、お世辞にも馴染んでいるとは言えない、クロがいた。
彼女は、土の上で正座をし、片手でおくれ毛を軽く押さえ、もう片手で花びらの裏を支えて、花の観賞していた。
まさしく、“美の擬人化”と比喩するに相応しいほどの美しさが、そこにはあった。
「おあよぉ。ヨヅキぃ……」
「ああ、起きたか。よく眠れたか?」
「うん……ヨヅキは? よく眠れたぁ……?」
目をこすりながら、ふわふわときいたセッカに、ヨヅキは立ち上がり、歩み寄りながら言う。
「私には睡眠の必要がなくてな」
「一回も寝てない……ってこと?」
「そうだ」
セッカは、目をこすっている裏側で眉をピクリとだけ動かして、手をはなした。
目の前まで歩いてきたヨヅキの顔は、陰で少し見えにくいが、やはり昨日と全く同じ――目の下にクマもなく、顔全体の皺も少ない。嘘をついている素振りもなし。
ヨヅキの言ったとおり、本当に彼女には睡眠の必要がないのだと、セッカは察し、「へぇー」と軽く受け流す。
「自分が起きるまで、なにしてたの?」
「御覧のとおり、花を見ていた」
「気に入った?」
起床したばかりのためか、セッカは力の入っていない笑顔できく。
「さあな」
ヨヅキは目を瞑ってこたえる。
セッカは「そっか……」と言って口を横に広げて「ふぅー」と息を吐き、自分の両頬を同時にバチンと勢いよく叩いた。
「ぃよしっ、ヨヅキ」
「ああ」
ヨヅキは、木に寄りかかっているセッカに手を伸ばし、セッカはその手を深くつかんだ。
「続き……行こっか!」
***
「ふいぃぃぃぃぃ!!」
と、全身を赤くして力んでいるセッカを横目に、
「…………」
力むようす一切なく、淡々と仕事をこなすヨヅキ――
二人は死体を運んでいた。
ヨヅキは穴を掘り終わったため、セッカの死体運びに協力していた。
もちろん役割分担も行っている。
セッカは、セッカにも運べる場所にいる死体を。
ヨヅキは、セッカが運べない場所にいる死体を――瓦礫の奥にいる死体や、串刺しになってしまっている死体など、それぞれ運んでいた。
つまりは、子どもが手を出すと危ないような場所を、ヨヅキが担当している。
作業中の会話はほとんどない。
それぞれが、それぞれの作業に集中しているというのもあるが、それ以外にも要因はあった――
「…………」
ヨヅキが運ぶのは、必然的に、より凄惨な死体となる。
そのほとんどの顔は、判別できないありさまで、しかしヨヅキは、彼らを運ぶときは背中を支える横抱き――その顔を見つめながら、死体を、集めている場所まで持っていく。
顔が残っていれば幸運、表情がわかればさらに幸運という状態。
そんななか、ヨヅキは白髪まじりの老人を探さずにはいられなかったのだ――
***
「これで…………さー、いー、ごっ!」
掛け声とともに、セッカは死体を広場まで運んだ。
ヨヅキは穴のそばに立って、見下ろしていた。
「おつかれ」
「ふー! ヨヅキもおつかれ!」
地面に尻を押しつけ、セッカは額に手の甲を当てて言った。
足をまっすぐ伸ばし、背中を沿って、空を見上げる。
「こーんなに早く終わったのは、ヨヅキのおかげだよー!」
「セッカが昨日からがんばっていた成果だ」
セッカの視界には満天の青空と、その中心には、熱を発して真っ白く光る球体――片目を閉じ、口端に皺を集めて、額に置いていた手を下にずらす。
目が覆われる高さまで動かし、直視したら目に痛みをもたらすであろうそれを、しかしセッカは指の隙間から細目で見上げる。
行動と結果は不均衡なはずだが、それでもセッカは、真上にある光を、ただの興味か――つい見てしまっていた。
雲はなく、目と光の間を横切る動物はいない。たまに虫が入ってくるだけで、ほとんどの光はセッカの瞳めがけて降り続けていた
光の残影が視界を支配し始めたころ、セッカは「っと……」と、振り子のように頭を振って、背中を丸めた。
「そうだね。自分は、ちょっとだけ、がんばった……かも」
口元には笑み、眉間には皺を寄せて言ったセッカは、すぐにヨヅキの顔を見た。
「でも、けっきょくはさ、たぶん、ヨヅキがほとんどやってくれたよね! ありがとう。見てて思ったんだけど……ヨヅキって、すごーく力持ちじゃない?」
「私は、大人だからな」
「へぇー、大人って、みんなそんなに力持ちなの?」
「……ああ」
「ふーん。『大人だから』かぁ……」
セッカは足を抱えて小さくなり、自身の膝と膝の間に顎をおさめた。
そして下唇で上唇を押し出して、眉を上げた。
「……さて、ここからは集めた死体を穴に埋める作業になる。セッカ、もし虫やニオイがきついなら――」
「自分もやる」
ヨヅキの発言を遮って、低めに言ったセッカ。
彼女の心には引っかかっていた――「大人だから」という言葉。
ヨヅキが手伝ってくれたことで作業が急激に進んだ。これは、まぎれもない事実。
もしかしたら、ヨヅキがすごい理由として、『ヨヅキが大人』というのもあるかもしれない。
しかしどうにも、セッカの頭のなかでは、その言葉が、「子どもだから仕方ない」に思えてならない。
ならば、今の自分は、無力なのか――
ならば、いつになれば、『大人』になれるのか――
「わかった。具合悪くなったら、いつでも休んでいいからな」
「ありがとう」
話を遮られたことなど気にせず、ヨヅキは体よく返す。
そこに乗せたセッカの感謝は、真剣そのものだった。
***
耳元でなり続ける羽音――
服の内側まで入り込む不快な気配――
息を吸うことも憚られる腐臭――
止まらない震え、浮き出っぱなしになった鎖骨、噛みしめられた奥歯――それが、穴のそばにいるセッカ。
「どんどん、持っていくぞ」
「うん……」
冷汗を垂らし、セッカは息をのむ。
力持ちのヨヅキが、セッカのもとまで死体を運び、セッカが穴に落としていく流れ。
今のセッカの役割を介することなく、直接死体を落としていくことも可能だった。
それをさせなかったのは――セッカだった。
「…………」
以降の会話はない。
ただ黙々と作業をしていく。
ヨヅキは死体をセッカに渡し、セッカはそれを転がして穴に落とす。
序盤――
ひとり……またひとりと冷たい身体を落としていくと、その衝撃で、肉や体液が飛散して――穴底でベチャリと音を立てる。
川で足をバタバタさせたときに出る音と似ていた。
でも、楽しさなんて、ちっともなかった。
死体を落として、穴底に音が響くたびに、セッカは肩を懸命に上下に動かして、鼻から吸って鼻から吐く、震えた深呼吸をする。なんども息をのみ、なんども唇を翻す。
落ちた衝撃により、暗闇のなかで、ひしゃげてしまった彼らを見ると、セッカはどうにも自らが殺したのではないかと、罪悪感に襲われる。
瞳は揺れ、瞬きの回数は増え――深呼吸に荒々しさが伴っていく。
それでも、血に塗れたセッカは目を逸らさないで、ひとりひとりと向き合う。
作業が進んでいくと、序盤に落とした死体は、積み重なった新たな死体によって埋もれていく。
そうなった者は、もう二度とだれの目にも触れられはしないだろう。
ボロボロの村には、彼らの生きた証など存在せず――すでに弄ばれてしまった彼らの屍のみが、その存在証明だった。
残念ながら、セッカは村人と親しくない。どの死体を見てもだれがだれだか、いまいちピンとこない。
どの人が、どんな性格なのか、どんな声なのか……生い立ちや得意なこと、好きなことや嫌いなことも、セッカは知らない。
思い出がなければ、いくらがんばって彼らを忘れまいと奮闘しても、その姿が埋もれた瞬間、記憶は、死に方の悲惨さだけを残して、あとは夢のように霧散していく。
ひとり――
またひとり――
悲しいはずなのに、涙は出ない。
人生で流せる涙の総量は決まっていて、それがセッカは極端に少なく、たった数年でそれを超えてしまった。と、セッカは思った。
人でなしの自分にできることは、彼らを穴に落としてあげることのみ。
自身の記憶のなかに、鮮明に残してあげられないのだとしても、今だけは――
彼ら、ひとりひとりと対面できる今だけは、しっかりと向き合いたい。
そうして、ひとり――
またひとり――
子どもを落とし――
老人を落とし――
女を落とし――
男を落とし――
やがてセッカは最後の死体を落とし――うつむく。
***
穴の隣で待機しているセッカのもとに死体を運ぶヨヅキ。
仕事を忠実にこなしていくだけだが、セッカが白髪まじりを穴に落とすときだけは、つい彼女の顔色を確認してしまう。
しかしセッカは、みな平等に、真剣な眼差しをもって、落としていく。それぞれで差は存在していない。子どもから年寄りまで、ひとりひとり、心を込めて……
***
「……埋めるぞ」
「うん……」
不快感を強制する虫の羽音のさなか、ヨヅキがスコップで土をかぶせきるまで、セッカはガタガタの爪が食い込むほどの握りこぶしを腿に乗せて、黙って正座――土に埋まっていく死体を見ていた。
茶色い土が彼らの服にかかり、顔にかかり、口の中に入っていき、風穴のあいた腹を満たし――上から見える人数を減らしていく。
やがて、穴は完全に埋まり――こうして、真の意味で、村人のいない村が完成した。
「ありがとう。ヨヅキ」
「いや……」
ヨヅキは無表情のなか、瞳だけを横に逸らした。
セッカは痺れた足でフラフラと立ち上がり、いつもの調子で言う。
「もうひとつだけ、やりたいことがあるの」




