第二十八話 第六感
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作業を始めて数時間。日が落ち始めた。
私は休憩をいっさい挟まず、スコップで穴を掘り続けている。
動き続けているにもかかわらず、身体への負担は全くない。このままいくと、言葉どおり、無限に活動できてしまうほどだ。
そして、新たに気づいたことが二つある。
まず一つは、私の両手にずっと残っていた浮遊感が、スコップを持ち始めてから、和らいだ気がすること。
完全に馴染んでいるわけではないが、この、 “なにかをつかむ”という動作に私の身体は安心感を覚えるのだ。
私は、もしかすると、なにかを持って作業する仕事にでも就いていたのかもしれない。このような予想をできただけでも、セッカの手伝いをしてよかったといえる。まさに嬉しい誤算だ。
二つ目は、セッカのように汚れていないこと。
土を掘るという、どれだけ慣れていても必ず汚れそうな作業だが、私の服には全く土がつかない。
服だけが特殊なのかと思いきや、肌も汚れていない。服からわずかに顔を出している腹は、掘る前後で色味が変わっていないように見える。脚もまたしかり。
舞った土が、運よく私に当たらなかったのだろうか。
穴を掘る手を止めて、底から上を見上げると、雲ひとつない橙色、そして素早く動き回る無数の黒い粒があった。
「やはり増えているな、虫」
そう呟いた声が反響した。
ずっと掘ることに集中していたため、音が響くほど、ここまで大きな穴になっていることに気がつかなかった。土が想像よりも柔らかかった影響もあるだろうが。
『そろそろやめてもいい頃合いか』と考えていたとき、
「っしょ……ハァ……っしょ……」
こちらに近づいてくる、サァーという土の上でなにかを引きずっている音と、もう耳なれた踏ん張りがきこえてきた。
私が穴の下にいるとき、何度もこの声がきこえた。セッカもきっと休まず動いているのだろう。息遣いも荒い。
「セッカ、きこえているか?」
「あっ……うん……!」
姿は見えないが、穴の上から、吐息多めの声が飛んでくる。
「今日はそろそろ終わりにしよう」
「わかった……!」
その返事をして、セッカは「ふぅー……」と大きく呼吸し、ズサッと座り込む音を立てる。
セッカの疲労感的にも、ここらで終わるのが妥当だろう。
私も作業を切り上げて地上に戻るか。
「ヨヅキー! そこから上まで戻ってこれるのー? 大丈夫ー?」
「ああ」
と、返事をしてはみたが、今、私がいる位置は、けっこう深い。
ざっと、私の身長の三倍ほどの深さといったところか。両手を広げても側面に触れられないほど幅も広い。
さて、ここから上まで、どう戻るか。
壁をよじ登るか……、セッカに手伝ってもらうか……――いろいろ手段はあるが……まあ、あの方法がもっとも効率的で、楽だろう。
私は空を見上げて踵を少し浮かせ、軽く膝を曲げた。
スコップを地面と平行に、鉄の部分が自分の背中側にくるよう片手で持ち、腕の反動をつけないで、膝を勢いよく伸ばした。
地面には砂埃が巻き起こり、風が顔にあたった。
振袖はひらひらと舞い、それは鳥の翼のように、風を支配する。
足の裏に感じていた、なにかに接触する感覚がなくなっていることに気づく。
空が急激に近くなって、視界の端にうつっていた土の壁は一瞬にして消え去る。
すばしっこく動く黒い粒たちとの距離も刹那に縮まり、一呼吸の間もなく黒地帯へ。だがしかし、彼らは私のことを認識もしていないようすで、なんの干渉もない。
穴の出入り口に配備された怪物は、ただそこにいるだけで、私の行動の邪魔はしないようだ。
現に、私が虫たちを上から見下ろすことができる位置まできたが、なにも起きていない。
私が掘った穴の暗闇と同化し、まるで最初から虫なんて存在していなかったかのよう。
こうして、私の身体は空中へ放出された――勢いは弱まることなく、その後も高いところまで一直線。
空中でも、私の身体は驚くほど自由自在に動く。
今は抗う必要がないため、したがっているが、やろうとすれば重力すらも支配下に置ける気がする。
空を舞う私は、それほどまでに解放されていた。
やがて勢いは落ち着き、最高到達点へ。
夕焼け空は静かで、水中にいるかのように柔らかな風が四方八方から私を包む。
空中の浮力は、私の羽をたなびかせ、毛、一本一本に自由を与える。
遠くに見える、私が目覚めた黒に沈みゆく太陽は、半円になってもなお世界を照らしている。
昼間よりは目に優しい。直接見ても痛くならないほどには。
地上すべてを照らしているであろう、あの夕日は、とても美しくて、清らかだった。
なんの不純物もなく、橙色を周囲に色づけていて――
だがやはり、私には眩しすぎる。
「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっとおおお!! だだだだだだだっ大丈夫ううううう!?」
あの絶景から目を背けて下を見ると、果てしなく続く森、ボロボロの村、村の一角に敷き詰められた死体の台、そのすぐ近くにある黒穴と――なんかワチャワチャしてる子ども……。
私を見上げながら、前後左右に動き回り、手も忙しない。
なにをあんなに慌てふためいているのやら。
私が腕を組んで「ん?」と首を傾げると、その子どもは疲労を忘れて叫び散らかす。
「『ん?』じゃないよ! 『ん?』じゃ! えっ、自分がおかしいのかなあああ!? ヨヅキが空を飛んでるように見えるんだけどおおおおお!!」
「…………本当だ」
あらためて自分を見ると、たしかに浮いている――飛んでいるというより、見えない足場があるかのように。
無意識だった。
「今戻る」
「えっだ、大丈夫なのかな……? 本当に……」
自身の手をくわえながら、あわあわと待つセッカ。
私は、彼女の十歩手前ほどを目指して、自由落下を決め込んだ。
橙一色空模様を見上げ、目を瞑り、浮力を取り去る。
停止していた身体は急速に落下を始める。
それに抗おうと下から突き上げてくる突風、無から生じた耳鳴りのような轟音。
しかし私は、これらを無視するかのように、直立して落下。平衡感覚の乱れはない。
目を瞑っていても地面との距離が手に取るようにわかる。
足裏にも実は目がついているとか、空気の流れから把握できるとか、そういうことではない。
――いわば、『第六感』。
「危ない!! ヨヅキいいいいい!!」
落下地点に迫る小さな駆け音。
そこからきこえる、心からの心配の声。
その小さな身体で駆け寄って、いったいなにができるというのだ。
私を受け止められるわけでもないだろうに。
まあ、きっとセッカは、なにも考えずに飛び出しただけだろうな。疲れてるのに、よくやる。
――安心しろ。
落ちる身体はそのまま地面へ一直線。
走りが間に合わないと悟ったセッカは手を伸ばし……
「ぐっ……」
しかしそれでも届かないと思い、落下地点へ、下敷きになる勢いで飛び込んだ。
――それでも、まだ…………
セッカの努力は無意味に終わり、無様に臥す。
地面に顔面をぶつけた衝撃で感情を整理できていないまま、ついにそのときがくる。
(サッ……)
セッカの前、目と鼻の先からきこえた落下音…………森を駆け回るときに響く、軽快な足音のように、重々しくてずっしりした…………
「…………えっ?」
セッカは顔を上げる。
「なにを寝ているんだ? 眠くなったのか?」
「ぃよかったぁー……」
あっけらかんとして立っていたヨヅキ――セッカは安堵の息をこぼす。
セッカはヨジヨジと上体を起こして、ヘタっと座り込む。
「ヨヅキって、空飛べたんだね……先に言っといてほしかったかも……」
「さあ、どうだろうな。自覚はない」
「あんな高いところから落っこちてもピンピンしてるのに、今さら自覚ないって言っても、無理があると思うよ!!」
セッカは腕を組んで、「フンッ!」と鼻をならしてそっぽを向く。しかし、すぐに「でも」とつけ足して、
「生きててくれて、よかった……」
胸に手をあて、眉を晴らした笑顔で言った。
黒く染まりゆく世界――消えゆく夕日の逆光を浴びて、朴訥とした月は宣言する。
「安心しろ。私は、死なない」
「うん……」としなやかに微笑むセッカに手を伸ばす。
「立てるか?」
「ありがとう!」
セッカを立ち上がらせて横を見ると、昼間よりも圧倒的に死体が増えていた。
高くは積まれておらず、薄く広くといった集まり方だ。
「かなり進んだな」
「うん! 今日はずっと頑張ってたから!」
「あと、どれくらいだ?」
「んー、半分超えたくらいかなー。あと一日頑張れば集め終わるかもって感じ! ヨヅキの方はどう? 穴、掘れた?」
「ああ。これで半分ほどなのであれば、村人全員を問題なく入れられるくらいには掘れた」
「えー!! すっごい! すーーっごいよ!! さすがだね!!」
なにを根拠に「さすが」というのか、やはり引っかかる。これがセッカなりの褒め方なのだろう。無粋はやめて、素直に礼でも言っておくとする。
「…………ありがとう」
「こちらこそ、ありがとっ!」
「私への礼はいい」
そう言うと、セッカは腰に手をあて、私に説教するように顎を突き出した。
「これでいーの! ヨヅキは『ありがとう』って言うのに、自分が言っちゃダメなんて、そんなのズルい! だからいーの!」
「……わかった」
子どものありがたきお叱りに、私はしぶしぶ返事をする。
セッカはニコッと笑って、
「じゃっ、今日はここまでね!! ほら、スコップ置いて、ついてきて!」




