第二十六話 世界の対極、二人の呼び名
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「じゃ、食べよっ!」
道草を、道の草だと誤解されたまま少女に連れられ、私たちは村の端にきた。死体が見えなくて、血も少ない、比較的普通の場所。
「いっただっきまーす!」
草の上で胡坐をかいて、少女は手をパチンと合わせる。
私も少女に倣って、胡坐をかいて手を合わせる。
二人の間に置かれたモリモリの草。
少女の体から滲んだ血が、真緑のなかに、わずかな赤を描いている。
それを指差し、私はきく。
「これ、本当に食べるのか?」
「うん! お腹が膨れるところまではいかないけど、空腹はまぎれるから、おすすめなんだよ!」
そう言って、さっそく、なんの加工もされていない草を鷲掴み、大きく口を開けて放り投げる少女。
うなずくように噛むたび、シャリシャリと音がきこえてくる。
最初に投入した草たちを飲み込む前に、新たに草を追加し、やがて小動物のように頬を膨らませる。
普通を知らないとはいえ、あまりにも生存能力が高そうで、ここまでやっていけたのも、なんとなく理解できた。関心を超えて感心だ。
「…………」
隣で、むしゃむしゃと口いっぱいに草を食べている少女が、こっちを見て、「食べないの?」といわんばかりの真顔を向けてきている。
善意にこたえないわけにもいかず、私も草を一本手に取った。
長さでいえば私の手と同じくらい。細くて薄い黄緑のそれを指先でくるくると回し、両面を確認。
わかったことといえば、なんの変哲もない雑草だということ。筋が通っていて、先の部分は尖っている。
私は、その尖っている場所から、草を口のなかに突っ込み、半分ほどで噛みちぎった。
どんな味がするのか、どんな匂いがするのか、どんな舌触りがするのか……
ここまで、なにも口にしていなかったから、興味はあった。
今までに入ったものといえば、目が覚めたときにすでに口のなかに存在していた水――あとは空気ぐらいだ。
だから、これがおいしくても、まずくても、どちらでもいい。
食事をすることで得られる刺激があれば、なんでもいい。
そんな淡い期待を抱きながら――
私は咀嚼した。
無味だった。
噛んだときに感じられるはずの味はなく、鼻を抜ける香りもなし。あるのは、舌に草が触れているという感覚だけ。
こういう結果になることを予想はしていた。
諦め半分で食べたものの、心のどこかでは『もしかしたら……』なんて思ってしまっていた。
しかし、これでハッキリした――私には味覚が完全に存在していないのだと。
どうやら、食欲がない身体に、味覚は不必要らしい。食べる必要がないのに味覚があっても仕方ないから、まあ納得の結果だ。
だから、これからはもう、食への期待はしないことにする。
「おいひい??」
「……あー、とても、な」
首を突き出した食欲旺盛な子どもの瞳に、私は目を合わせず、瞑ってこたえた。
チラリと少女を見ると、私の反応にたいそう満足したようで、ぱーっと顔に花が咲いたような笑みを浮かべていた。
『きっとこの子は、だれかに喜んでもらうことが本当に好きなのだろう』
そう思ったとき、存在しないはずの味覚から、半分の歓喜と、半分の罪悪感の味が溢れた気がした。
***
少女は大胆に、そして私はチマチマ草をつまみ、やがて持ってきた分の道草を食べ終えた。
「ふぅーっ」とため息を置いて、少女は立ち、両腕を自分の耳につけるくらいに長くノビをする。
「よしっ、じゃあ続きやろっと!」
私は少女にきく。
「あと、どれくらい残ってるんだ? 見た感じ、まだかかりそうだったが……」
「んー、まだ半分も集め終わってないと思う。穴も掘らないとだから……。毎日寝ないで頑張っても、ひとりでどれくらいかかるか、想像もつかないや」
とてつもない過重労働を、さも当たり前かのようにサラっと語って歩き始める少女に、私も立ってサラっと言う。
「そうか、では始めるとするか」
意表を突かれ、少女は停止。
止まったところを追い抜く私に、数回の瞬きを向け、「ん?」「えっ?」と声そのものがきこえていなかったかのような反応を見せる。
「ちょ、ちょっ!」
「なんだ?」
「え、もしかして……自分のきき間違いだったら、恥ずかしいんでけどさ、もしかして、もしかしたら、そのまさか……えっ……手伝って……くれる、の?」
歯切れの悪い、震え声で少女は言う。
だれかに手伝ってもらうことは、私の想像している人間社会において、珍しいことではないはずだ。大なり小なり感謝はすれど、天と地がひっくり返ったサマを直接目撃したようなここまでの驚きは生じない。が、
「ああ」
そうだった――この子は“普通”ではないのだった。そして、
「あなたすっごく優しい!」
「どうだろうな」
「ううん、とっても優しいよ! ありがとう!」
常識も、己自身も知らないのに、他者ばかりに気を配る、異常者でもあったな。先の無邪気な食事姿を見て、すっかり忘れていた。
「礼はいらない。どうせ、あてのない旅だったのだから。というか、先ほどから手伝うと遠回しに伝えていたつもりなのだが……私の言い方が悪かったな。すま……いや、謝罪は禁止だったな。慣れるまで少し時間がかかるやもしれん」
「そそ! 謝るのはダメ! ところで、いつ手伝うって、言ってたっけ?」
「……さっき、だったような」
「うわ! ずるーい! んもう!」
少女はプクーっと空気で頬を膨らませて、目に力を込めた。
しかし、すぐに鼻から空気は抜けていき、「でも、ありがとっ!」と跳ねるような声で言って口角を上げた。
私はゆっくりとうなずき、持ちかけた。
「それと、ひとつ提案なんだが……」
「提案って?」
「お互いの呼び方を決めないか?」
「呼び方……名前ってこと? あー、それならなんでもいいよ! ゴミでも」
「やめておく。君は、こう呼ばれたいなど、あるか?」
「えー、自分の名前なんて、全然考えてこなかったからなー……今さら、どう呼ばれたいかってきかれても、なんにも思いつかないよ……あっそうだ! あなたが決めてよ!」
「私が……?」
「うん」
「多少のおこがましさを覚えなくはないが……そうだなー……」
折り曲げた人差し指の側面を唇に触れさせて、私は考える。
経験がないうえに、少女に関する情報があまりにも少ないゆえ、この名づけが難航することは必然――だと思っていたが、案外すんなりとそれは思い浮かんだ。
これをどれほど特別なことかを理解していないようす――頭をポリポリかいて待っていた少女に告げる。
「では、“セッカ”というのは、どうだろうか」
「おー、“セッカ”……なんだかかわいい名前だね! どういう意味か、きいてもいい?」
「“セッカ”とは、たしか雪を意味している言葉のはずだ」
「雪? あなたは雪が好きだったりするの?」
「さあ、どうだったか。ただ、なんとなく、君には“セッカ”が似合うと思ったんだ」
「ほぇー、名前ってそういう感じでつけるんだね!」
「おそらくな。――よければ、君も私の呼び名を決めてはくれないか?」
私がそう言うと、自分の名前を決められたときよりも感情を昂らせ、少女は自身を指差して目を大きく開けた。
「えぇ!? いいの!? 人の名前を決めるなんて、今までやったことないけど……大丈夫? いい??」
「安心しろ。私もこんなことをした覚えはない。数日の記憶ではあるがな」
「それなのに、あんなにかわいらしい言葉を思いついたんだね! さっすが! じゃあ、自分もやってみる!!」
「……頼む」
なにゆえに「さっすが」と言ったのか――少女から私に対する評価が、知らないところで勝手に上がっているような錯覚を覚えつつも素どおりし、名づけを少女へ託した。
出会ってから時間が経つにつれて笑顔が増えていった、かわいらしい子ども――それが今は、腰に片手をあて、眉間に人差し指を立てて、長く「んー」と唸ってマジメに考えている。
この少女は、名づけのときも例にもれず、自分より、他人についての方が真剣だった。
あっさりと決めた私と違って、時間を要している。
少しずつ眉間の皺が増えていき、唸りも大きくなってきている。やがて少女の顔は、酸っぱいモノを食べたように皺が中心に集まり、震え始めた。
「そこまで悩まなくてもいい」と言える雰囲気ではなく、私は、少女からひねり出される言葉をひたすらに待った。
その甲斐があったようで、突如、「おっ?」と顔が元どおりになり、早歩きで私に近寄って、なめるように足元から上へ向かって全身を見始めた。
その眼力は、ある分野に人生の大半を注ぎ込んだ研究者さながら――「おー……」「おっ?」「おー!」と、“お”だけで私の身体を観察し……そしてついに目が合った。
最後に「おん」と、ひとつうなずいて、息を飲み込み、人差し指を空中にまっすぐ立てた。
「……じゃあ“ヨルノツキ”とか、どう? 自分の知識のなかで、いちばんそれっぽい言葉をひねり出してみたんだけど……」
「 “ヨルノツキ”……さしづめ、“ヨヅキ”といったところか」
「それそれ!! 名前をつけるのが上手なあなたは、どう思う?」
「さあな、良し悪しを判断できるほどの経験がないからわからないが……悪くない」
少女は胸をなでおろし、私にもきこえるほどの息の音をならした。
「ほんと!? よかったー! じゃあ、これからよろしくね、“ヨヅキ”!」
「ああ、こちらこそよろしく。“セッカ”」
「ふふっ、なんだか、今と真逆だね!」
「まったくだ」




