第二十五話 あやまってばかり
少女は目線を空の彼方へ向け、人差し指を顎に置いた。
指を上下に揺らしながら、女の言葉の意味を「んー??」と数秒考え、やがて眉間に皺をつくって女へ細目を向ける。
「あれ? 『もしもの君』ってことは、あなたは、二人目の自分……ってこと?」
「君の考えが、私の想定と異なっていることはたしかだが……まあ気にしなくていい」
「えぇー……?」と目を細めて疑念の目を向ける少女を差し置き、女は続ける。
「『私がだれか』という質問だったな。その問いにこたえる前に、ひとつ、君の勘違いを正さねばならない」
「勘違い?」
「君は、自身の名前を“ゴミ”だと言ったが……おそらく違うだろう」
「えっ!? ってことは…… “おい”?」
「残念ながら、 “おい”も、 “お前”も、 “アレ”も、君の名前ではない」
「そうだったんだ! すごいね、あなたは! 初めて会ったのに、なんでわかるの?」
目のなかに光を浮かべ、前のめりできく少女。
呆れたように吐息して女は返す。
「常識だ」
「おぉー! じゃあ、自分の本当の名前って、なにかわかる??」
「好奇に満ち溢れているところ申し訳ないが……君の名前を私は知らない」
「やっぱりそうなんだ」
少女は腕を組んで、軽く返す。
心の痛覚が麻痺してしまったかのような少女に、私は片膝をつき、目線を合わせた。
「予想にはなってしまうが――君には名前がない可能性が高い」
「ふーん。そういうことだったんだ……」
少女はそう言うと、「うーん……」と唸りながら周囲をウロウロと周り始め、
「ちょっとだけ納得」
私の前に戻って、過去を思い返したように、首を上下に振って言った。
腕を解き、「で……」と前置きしてから、少女は話を戻す。
「自分に名前がないかもってことと、あなたがだれなのかってことは、どうつながるの?」
「私にも名前が存在しないかもしれないということだ。君と同じく」
抑揚なく、夜闇に浮かぶ月のような夜空の眼でまっすぐ伝えられた同じ事実に、少女のまぶたは上へ引っ張られた――心には、わけもわからず流された「もしもの君」の意味が、うっすらと漂っていた。
私は虚無を握りしめた右手を自身の胸の前まで持っていき、続けた。
「私は、私がなにものかを知らないんだ。なんのために生まれ、かつてはなにをしていて、これからなにをすべきなのか」
少女は、右手に覆われた、深紅の手袋を見て、喉が塞がれる。
「終点があるかもしれぬ旅のなかで、そのこたえを探ろうと…………――さっきまでは思っていた」
「さっきまで……?」
「……君は今、村の人らの死体を集めていると言ったな。穴も掘らなければ……と」
「うん」
「……そうだな…………」
「……?」
私は目線を外す素振りだけを見せ、もうすでに心のなかに出ているこたえを形式的に並べた。
「私は少し歩き疲れたから食事にでもしようと思う。気がついてから、ここ数日、なにも食べていなくてな」
「??」
「品書きは……そうだな……――今日は道草の気分だ」
女は胸の前に置いていた右手を開き、赤く染まった手の平を少女へと差し出した。
両者の間を暖かい風が吹き抜け、雲ひとつない青空の下、遮るものがない陽光――直視を許されないそれは、だがしかし、差し出された細くしなやかな手に容赦なく温もりを与え続ける。
口と目を大きく開いた幼き少女は、導かれるように、右手を持ち上げ、差し出された手の前――自分の体の真ん中あたりへと持っていく。
左手もまたゆっくりと持ち上げられていき、右手のすぐ下へ。
やがて少女は、右手で握りこぶしをつくり、開いた左手の平を叩いた。
「そういうことか! ちょっと待ってて!!」
「あっ……えーっと……そう、ではなくてだな……」
私の手を放置し、なにかひらめいたようすで走り去っていく少女。
思わず、「……え」と、自らの右手とにらめっこし、状況把握につとめる。
どういうことなのだ。
私は振られたのか?
いやしかし、そんな素振りは微塵もなく…………待て、私はなにを勘違いしていたのだ。
この世界に人間が存在しているのだとしても、それが私の想像している人間と同じとはかぎらないだろう。あの子どももまた例に漏れない存在だったのだとしたら、今までの彼女の異常とも取れた行動原理にもある程度説明がつくではないか。
私は今いちど、価値観をあらためる必要があるようだ。
人間とは極めて難しい生き物なのだと…………
しかし、あの子はいったいどこに向か……
「はいっ!」
その短く、はつらつとした言葉とともに、私の視界にある右手の背景は緑色で埋め尽くされる。
視線を上げると、先ほどの少女が、多くの緑を両手で抱え、歯が見えるほどの笑みで、それを私へ差し出していた。
「あー……これは……なんだ?」
「これは……草!」
「くさ……?」
「うん! 道に生えてた、草!」
「…………忘れかけていた。そういえば――君は普通じゃなかったな」
「ニシシッ……一緒に食べよ!」
「…………そうだな」
鼻で息をきり、濃度の低い返事をした。
***
一緒に食事をしようと言われ、「ついて来て!」と案内されるがままに、私は少女と村を歩いている。
村に着いたときにいた場所では、ある程度一か所に集められていた死体だったが、そこから離れると、どこを向いても死体が見えてしまうほど、ありとあらゆる場所に、遊びつくされた人形が転がっていた。
狙ったかのように家屋は全て崩れており、人々は弄ばれたかのように身体の一部が欠損、もしくは、腕と足の位置が逆だったり、ちぎられた腕が自らの腹を貫いていたりといった、芸術作品のごとき部位の再配置が行われていた。
全く知性のない生き物がやったとは思えない惨状。
動物的な本能にしたがって、腹を満たすために村で暴れ回ったというよりも、もっと別な意図――例えば、その生き物が携えている本能そのものが、人々で遊び、挙句、殺すことだと考えた方が、納得できる。そんな死に方だ。
しかしそれでは、黒いドロドロに出会ったというこの少女が生きていることに理由がつけられない。
「ねえねえ」
軽やかな足取り――両手いっぱいに抱えた草を、歩く反動でこぼしながら少女は問う。
「……?」
「あなたは、これ、どう思う?」
「……それが、この状況について問うものならば…………すまない。私がわかることは特に……」
「そうじゃなくて、ほら……なんかこう……『みんながかわいそう』とか、『悲しくて泣いちゃいそう』とか、『もう見てられない』とか、そういうの」
「…………すまん。私がどう思っているのか、私にもわからない」
そう言うと、前を歩く少女は「よっと……」と言って振り返り、ぎこちない後ろ歩きになって私を見た。
腹の奥を探るような目を向けてから、少女は穏やかに笑ってひとこと――
「そっか!」
それだけを言って、再び前を向いた。
しかし私は、少女の微笑みに納得できなかった。
「……それだけか?」
「ん? それだけって?」
「これを見ても涙を流さない私を、軽蔑したりはしないのか?」
「ケイベツ……嫌いになるってこと?」
「そうだ」
この子がわざわざきいたのは、私が淡々としているからだろう。
『――もう嬉しくない景色を見ないために……だれかがこんな目に合わないように……私にはやるべきことがある』
そんな大それた夢を本気の眼差しで語れる幼き少女には、私は薄情な人間にうつっているに違いない。
なぜなら、これを惨状と認識していながらも、頭のなかは花の咲かない凍てつく大地のように冷たいまま――私の表情に、いっさいの乱れが生じていないのだから。
少女は絶対の自信を伴った前のめりな表情で、私の自己嫌悪を加速させる。
「嫌いになるわけないよ。自分で言うのもおかしな話だけど、これを見てどう思うかをきいたのは、あなたが苦しんでないかなーって心配になったから。そうなってないなら、大丈夫! それに……あなたは優しいから、涙を流してなくても、みんなのことを、ちゃんと考えてくれてるのは、わかる」
「すまないが、私は、君の期待に沿えるような人間ではない」
逃げるように少女から目線を外し、己の足元を見て言った。
しかし、それは自慢げな鼻の音により、一瞬にして戻される。
「ふふーん。――気づいてないでしょ?」
「……なにがだ?」
「あなたは――あやまりすぎなの」
少女は持っている草を落とさないよう、指先だけを動かして、その年齢ならではのイタズラっ子の笑みで、私を指す。
「そうか……私は……間違ってばかりなのか。本当にすまない」
その謝罪で、少女はムッとし、小刻みに跳ねて、首と手首を上下左右に振り回しながら、
「ちっがーう! そっちじゃなくて、今のそれ!」
「??」
「『すまん』とかの、そっちのあやまり! こんなに謝る人を嫌いになるわけないよ!」
私には自覚がなかった。
こうして言われてみれば、たしかに、枕詞のようにつけてしまっていたかもしれない。
これこそが私を嫌いにならない理由だと言うが、その原理が全く理解できない。
それほど仲の深まっていない者から繰り出される心の籠っていない謝罪こそ、相手からの信頼を失いそうなものだが……
それでもまずは、私が謝りを誤りだと勘違いしてしまったことの謝罪をしなければ――
「すまない」
「ほらそれ! んもう! これからは、よっぽどのことがないかぎり、自分には謝んないで! なんか、『自分、悪いことしちゃったかなー……』って思っちゃうから!!」
「すま……わかった」
本当にわからない。
『謝る人を嫌いになるわけない』と言った直後に、『謝んないで』と言うのは、どういうことなのだろうか。さっき会ったばかりで、信頼と呼べるものが構築されているわけでもなかろうに……
……愚かであることは重々承知しているつもりだが、もしかすると、この子と私は、すでに――
「よろしい! ごめんね、さっき会ったばっかりなのに、こんな上からで」
「……構わない。が、頼みがある」
「ん? 頼み? なんでも言って! できることはほとんどないけど……」
「君も、私への謝罪をやめてくれ」
「あっ……」
前を歩く少女は自分でも驚いているようすで肩を上げて言った。
少女は「へへっ」と自らへの照れ隠しを前に置いて、
「わかった!」
跳ねる声で言って、振り向いた。
見えた頬には、血色の良い、かわいらしい赤が浮かんでいるように見えた。
また正面に向き直りながら、なにか嬉しいことでもあったかのようにクスクス笑う少女は「あっ! あそこ!」と、これまでよりも一段階、上ずった声で私に伝え、小さく駆ける。
私は、少女の機嫌の良さが示すものに身を任せ、こたえが存在しないかもしれないほどの些細な疑問を投げかける。
「…………ひとつ、いいか?」
「うん! ひとつと言わず、いくらでもどうぞ!」
少し離れた位置にいる少女は、サラサラ感のない髪を上下に揺らし、その場で地面に交互に小穴をつくりながら、私を見ている。
いつもの歩みで私はきいた。
「……先ほどはなぜ、『どう思うか』などと遠回しにきいたのだ? 直接、『大丈夫か』と、気遣いの言葉をかけてくれた方が、すぐに伝わりそうなものだが……」
「あー……どうだったかなあ……あまり深く考えてなかった……」
心の見えない部分に引っかかった、質量のない問いに、やはり少女は返答に時間を要する。
揺れが少しずつ遅くなっていき、やがて完全に停止――少女は目を吊り上げて思考に専念。
そして私が追いつくころ、鼻から息を吐いて、「けど」と呟き――
少女は「へへっ」と自らへの嘲笑を前に置いて、
「きっと、自分がこの景色に慣れてるって、少しでも思いたくなかったんだろうね……」
よくわからなかった。




